THE BEATLES

2018年6月 1日 (金)

祝50周年!“The Whitest Album”

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サージェント・ペパースに続いて、今年はホワイト・アルバム50周年エディションが出そうな勢い(にもかかわらず、先にイエロー・サブマリン公開50周年で動きがあるのが気になるけど…アップル商法は読めない…)。 
 
このアルバムについて前から気になっていたのが、ジョージ・マーティン曰く、「曲数を減らしてスーパーアルバムを作るべきだ」「14~16曲に絞って集中しよう」というアドバイスだ。
 
当時のビートルズが聞く耳をもたなかったのは、誰も自分の作品を犠牲にしようとはしなかったからだ、とはよく言われることだけれど、それだけではなくて、アップルでのビートルズ第一作、というのもあったんじゃないだろうか。
 
アップルは絶対成功させなければいけなかったし、するはずだったし、しかも自分たちの作品で、「自由になるための」レーベルを立ち上げたのだから、今までどおりの作品を呈示するつもりはなかったはなかったんじゃなかろうか。
 
でも、もし仮に1枚にまとめるとして、ちょっとやってみたらめちゃめちゃ簡単だった(私見ですが)。
 
まず、
 
①ジョンとポールの曲数にバランスを取り、ジョージとリンゴを最低1曲ずつ入れる。
 
②ソロ・レコーディング、それに近いものは外し、グループ作品を優先する。
 
③「レコーディング・セッション」の記述で、グループが力を入れてレコーディングを行ったものを優先する。
 
そうすると、以下のとおり。
 
A面は、
 
Back In The U.S.S.R.
Ob-La-Di, Ob-La-Da
While My Guitar Gently Weeps
Happiness Is A Warm Gun
I'm So Tired
Blackbird
Rocky Raccoon
 

B面は、
 
Birthday
Yer Blues
Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey
Sexy Sadie
Helter Skelter
Cry, Baby, Cry
Good Night
 
簡単。あまりにすっきりし過ぎて、これ、本当はアタリじゃないか?と思ったぐらい。
 
トータル・タイム44分22秒。当時のビートルズって、だいたい1枚30分台なんですね。
 
Abbey Roadだけ47分もあるけど、I Want You もちっと削って、Her Majesty も削って、メドレーも、もうちっと整理したら収まる(何のために)。
 
ポール6曲、ジョン6曲、ジョージ、リンゴ1曲ずつの14曲。
 
曲順は、いろいろやってみたけど(できるだけジョン、ポールで続かない、とか)、もう耳なじみなのかもしれないがオリジナル通りが一番しっくりくる。僕も年取って、根気がなくなったのかも(笑)。
 
悩ましいのは②の条件で、Blackbirdは入れてしまったが、ストリングスまで入れたMartha My Dear とか、Honey Pieとか、Mother Nature's Sonとか、ポールの楽曲群はすごくて、ちょっと取り付く島もないという感じだった。
 
Rocky Raccoon は残ったけど、このあたり異論のあるところかも。
 
上記をオリジナルに、本当のオリジナルをディレクターズ・カットとして30曲を聴いてみると、発見することもある。
 
でも、やっぱり彼らには30曲2枚組で、豪華付録を付け、真っ白なジャケットでエンボス加工をし、ナンバリングを入れなくちゃだめだったんだ。

 
…何せタイトルは “ The Beatles ” だからね。
 

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2013年5月11日 (土)

サンダーバードの秘密基地~THE BEATLES USB BOXを聴く

たまに、「ビートルズ  USB」で検索してここに来る人もいるようなので、書いてみる。
前から欲しかったものの、なかなか手を出せずにいたが、予定外の収入があったので思い切ってこの度購入に踏み切った。国内正規価格の半額ぐらいまで下がっているので、狙い目だ。でも年末あたりに廉価盤(棒?)が出たら、シオシオだが…。

まず、音をどうのこうの言う前に、全世界のビートルズ・ファンのうちの3万人となったこと(追加発売されたっけ?)、40年間いつも聴いてきた音楽への想いを実体化するような青リンゴのオブジェだ。大きさはスモモぐらいの大きさで、テニスボールより小さく、ピンポン球よりは大きい。そして、ずっしりと重い。音を聴いたり、画像を見ながらためすながめつするのにちょうどいい。
リンゴの茎の部分は力を入れると取れやすいという情報もあったので、すごく神経を使う。引き抜きはぜんぜん問題がなく、ガサガサである。

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(わかりにくいけれど、USBを突っ込むとビートルズアイコンがエクスプローラーに表示される。ちなみに24bitファイルはエクスプローラーからしかたどり着けません)









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(画面にはまんまの画像が…)










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(カーソルを置くと「MUSIC」「VIDEO」「ARTWORK」が表示)










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(「MUSIC」をクリックすると下にアルバムが)








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(さらにアルバムをクリックすると、1曲目から再生開始。自動的に16bit)」







 

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(「VIDEO」をクリックすると、例のドキュメンタリーが)







 

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(「ARTWORK」をクリックするとやっぱりアルバムが表示されて…)







 

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(ブックレットをめくることができる。めでたしめでたし。)










さて、肝心の音だが、PCオーディオは敷居が高い。これがすべてだ(何じゃそりゃ)。
まず、何で聴くか。ソフトは何か。DACは何か。アンプをどうするか。ヘッドフォンかスピーカーか。どう接続するか。PCのサウンドカードを経由するのか、補正するのかしないのか、したほうがよいのか、しないほうがいいのか、するとしたらソフト、DAC、アンプのどこで行うのか、アップサンプリングするのかしないのか、あるいは、私の可聴領域にあるのかどうか…。これらの組み合わせは数多いため、出てくる音の原因がわからない。
「だからこそ、一つ一つ試みていくことにオーディオの楽しみがある」と言われてしまうとそれまでなのだが、私はただビートルズの最高音質を聴きたいだけなのだ。難しいことは誰かにお願いする。

したがって、私が聴いた音が 何にもたらされたものかは未だにわからないでいる。わかったのは、ネット情報はすべて個別性が強い、ということ。誰一人として上記諸条件を同じくして感想を書いているわけではないし、個体差(聴く人の可聴領域)の比較もできない。少なくとも、「PCにヘッドフォンを繋いだ音だけでも24bitと16bitの差は歴然」と書いている人は、私より相当可聴領域が広い人だろう。また、「はっきり言って大差なかった」と書いている人の中には、相当数上記条件のどこかでミスチョイスがありそうだ。さらに「歴然」とコメントしている人の中には、「リマスターCDは未聴だが」と書いている人もいる。もう、何がなんだかわからない。

ずいぶん長い前置きだったが、私の極めて個人的な体験を書くと、まず、フツーにいつも聴いている安物のアクティブPCスピーカーから音出しをした。FLACを聴くためにfoobar2000を導入して再生した。特に、どうということはない。これはマズイ、と思い、ヘッドフォンで聴いてみる。すると、24bitにせよ16bitにせよ、いつも聴いているリマスターCDをXアプリに取り込んだ音よりも、相当素晴らしい。
この時点で、様々な要素が介在する。PCで音楽を聞き始めて7、8年になるが、その間XP→7に変わり、マザボも変わった。私はその変化に気がついていない。
まず、リマスターCDからリッピングしたOPEN MGよりもMP3のほうが断然音がいい。これはXアプリで聴いても同じことなので、ATRACでのリッピングに問題があったとは思えない(もちろんレートは同じ)。
最も濃厚な線は、CDからリッピングしたMP3よりも、USBのMP3のほうが音がいい、ということだ。よりジェネレーションが高いということもあるかもしれないし、どこかで損失が発生して(させて)いる可能性は高い。
しかしこの後、モノボックスをMP3でリッピングし直したところ、音質が向上したのだからよくわからない。

次に、高価なDACが欲しいところだが、「高価なアンプ」も「高価なスピーカー」もないので(ちなみに「高価なヘッドフォン」も持っていない)、それよりは安価なオーディオインターフェースを中継した。ま、外付けのサウンドカードみたいなもの。
残念ながらDAC機能は24bit/44.1Khzに対応していないので、48Khzにアップサンプリング。そしてアナログ出力をアンプに繋ぐ。比較のため、インターフェースから光出力でアンプに繋ぎ、DAC機能は10年前のアンプに委ねる。
すると、DDC機能でステレオに光出力をしたほうが、このインターフェースの高音質化機能をショートカットするにもかかわらず、明らかに音がいい。ジッター軽減とか、一部機能が有効なのか。
おまけに、私が持っている10年前のアンプのDAC部は、ネットで「クソ」とまで言われているので、私の耳が「クソ」の可能性は高い…。
光出力した場合には、インターフェースでDACしたものよりも、出力自体は低いように感じるが、周波数帯は均一に広い(ように感じる)。耳に心地いい。

このあと、スピーカーを取っ替え引っ替えしたり、設定をいろいろ弄ってみたりしたが、結局インターフェースをDDCとして使用するのが一番いい。
どこまでいっても、音質が向上している理由がわからない。24bitと16bitの違いはまだまだ微妙だ。16bitのほうが少しドンシャリだ、と言われたらそんな気もするし、24bitのほうが出力は低いが、周波数帯は均一に出力している、と言われればそんな気もする。
あ、24bitと16bitと間違えて出力してた!と気がついてもわからないかもしれない。
ともかく、おかげで再生環境がよくなり、今まで聴こえなかった音も聴こえるようになったのだから、よしとしよう。実は、何曲かレビューも書いてみたが、以下のエピソードにより、書くのをやめた。「もう他のものが聴けない」は手に入れることができた。


その昔、イマイのサンダーバード秘密基地が欲しかった。子供のプラモデルは500円が標準だった時代に、2000いくらした。今ならなんとない金額だが、小遣いをもらっていない小学生が親にねだれる金額ではなかった。
しかし、小遣いももらっており、かつ、家も持ち家で金持ちの子供の家には、あった。もちろん、そんな家には、秘密基地以外にも、贅の限りを尽くした玩具が転がっていた。
今から7、8年くらい前、子供の玩具をトイザらスに買いに行った時、アオシマから再発したものを見つけて、思わず衝動買いした。衝動買いというより、「衝撃」買いという感じだった。価格は当時とさほど変わらないものであったが、ほぼ40年を経て秘密基地と対峙することになった。
家に帰って、このラッカーと、あのラッカーと、このモーターが必要だとわかり、近くの模型店で売っていることも確認した。でも、作ることができない。もったいないのだ。2つ買っておけば良かった。しかたないので、ミニ秘密基地を買って、こちらを組み立てることにした。しかしこれも、手をつけることができない。
思えば、私は「秘密基地が欲しかった」のであり、作りたかったのではなかった。作らないことには秘密基地ではなく、「欲しかった」を満たすことはないのでは、との意見もあると思うが、私が作った秘密基地は、手に入れたいと空想した秘密基地ではないかもしれない。何より、「秘密基地が欲しい」と思うとき、瞼に浮かぶのはイマイの「箱」であり、完成したプラモデルではないのだ。

安敦さんのブログで、半年間親にねだって買ってもらったオモチャは捨てても、雑誌の広告ページが擦り切れるほど物欲をほとばしらせた物というのはその後も脳裏をよぎる、というようなことを書いておられたことを思い出した。
幻想の中に悶えつつ私は、高価なオーディオを入手し、うわっ!全然24bitは違う!と歓喜に打ち震えている自分を想像する。秘密基地への道は、まだまだ続くのであった。

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2011年11月 4日 (金)

やさしくなりたい

またやってくれました。すぐに削除になるだろうけど、その前に貼っておきます。
本当に不思議だね、この人。私らビートルズファンはもちろんなのだけれど、今の若い人はどうなんだろう。この映像は別としても、斉藤和義がいいと思うのだろうか。ひょっとしてビートルズ及びポストビートルズ世代のプロデューサーやプランナーに気に入られているだけなんだろうか。特に本人のビジュアルがどう、ということもないし、サウンド自体も若者受けするとも思えないのに、私のようなオッサンが手放しでハマッていいのだろうか。家政婦のミタは見てませんが、私はハート打ち抜かれました。この人のメッセージに。

蛇足かもわかりませんが、いっぺんに見たい人のために。

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2010年11月27日 (土)

赤盤・青盤

今年の秋のビートルズ・リリースは、赤・青だった。去年がアンソロジー以降最大・最強のリリースだったために、ちょっとショボい。ベスト盤のリマスターってどうよ、まだオールディーズだったらいいのだけど。それに、赤・青は、3年前にも再発しているし…。

私が最初に買ったビートルズのLPは、赤と青だった。決して中坊には安い買い物ではなかったけど、それほど入れ込んでいた。

内袋に歌詞も印刷されていたし、邦盤のブックレットは学校の放送室で見ることができたので、一円でも安く入手すべく、輸入盤、米盤を買った。私が一番最初にビートルズの洗礼を受けた曲は、“HELP″だった。すでにシングルも持っていたが、是非ステレオで聞きたかったので、予めボリュームを相当上げておいて、赤のサイド3一曲目に表記されている、その曲に針を落としてみた-

…何が起こったか、ビートルズに相当詳しい方はわかっていただけると思う。

さて後年、日本盤で赤・青を聞く機会を得た。しかし漠然と、何かノイズは少ないもののインパクトが足りない、そう感じたことを覚えている。

CDでは、“FOR SALE″までがモノ標準とされ、そもそも“FROM ME TO YOU″に至っては擬似も含めステレオ・バージョンがないと初めて知ったが、いやそんなはずはない、俺の赤盤は米盤だから全部ステレオのはず、と何十年ぶりに赤盤に針を落としてみた。すると…

“FROM ME TO YOU″がモノかステレオか、なんてどうでも良くなった。酷いスクラッチ・ノイズがあるものの、そのドライブ感は凄く、錯覚かもしれないが倍音まで聞こえる。キャピトル盤は派手な味付けがされている、とは言われているが、この音こそ私のビートルズの音だし、その後の音楽遍歴を決定づけるサウンドだったことがわかった。特に“RUBBER SOUL″からの収録曲は、秀逸だった。

キャピトル・ボックスは私を満足させるものだったが、それでもアナログのダイナミックでありながら繊細な感じの再現ではなく、ますますオリジナルCDの音に抵抗を感じるようになった。

昨年のリマスターCDは暗黒の20年に終止符を打った(ちょっとオーバー)訳だが、20年前にはオリジナルCDを聴いて、アナログからの音の、特に中低音の表現に驚いたことを覚えている。私が驚いたアナログの音は、30年ぶりに今の再生した音であって、当時の再生装置で再生した音ではない。しかもモスキート音が聞き取れない耳で聴いている。USBメディアのリマスターが想像を絶する音で、アナログ初回プレスの神格化を一蹴するものらしいので、早く再生装置が手に届くようになって欲しいものだ。

リマスターCDには非常に満足しているが、それでも時々、私はキャピトルアナログから落とした赤盤を聴く。
今回アメリカで発売された赤盤は、やはり全世界統一音源なのだろうか。

you tubeにしては濃い?

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2010年4月15日 (木)

ずっと好きだったんだぜ!

おーっと、これは紹介しないといけないビートルズネタ2題。

これフルバージョン見たいなあ。最初本物にCGで首から上だけくっつけたのかとも思ったが、斉藤和義の地元の、宇都宮のビルの屋上らしい。よく見ると違うし、ビリー・プレストンを消した痕もない。でもリリー・フランキーの頭はどうも不自然で、あれは宇都宮には行ってないと思うけどなあ。
小堀が写ったところでオチてるんだけどなあ。たぶんフルバージョンでは「これでオーディションは…」もやってるんだろうな。
斉藤和義はいつもいい。ルックスも、喋り方も、カッコよくはない。声だって鼻声っぽい。歌が上手い、ってわけでもない。メロディも刺激的ではない。でも、いつも強いメッセージが届いてくる。それがメチャメチャカッコいい。今回のPVも、資生堂や元アイドルも、何の関係もない。でもポールになりきって唄う彼はメチャメチャカッコいい。すっごいストレートに身近な気持ちを伝えてくる。

もう一題は10月にリマスターLPが出る、って話。出処がまったくわからないので確かめようがないけど、事実としたらどうです?一方でUSBという新しいメディアを見せていて、相応の再生機器ではアナログUK1stを圧倒する、とまで言われているんだから、再生機器込み大人価格10万円、とかやって欲しい。アナログだって今、リマスター相応の再生機器探すの大変だし。
あ、トレーディングカードは出ます。?誰を対象にしているの?
(3題になってしまった…)

追記:
フルバージョン見つけました。オチはありませんでした。
何か後半、特にベース音がヘフナーみたいな響きになっててカッコイイ。

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2009年12月12日 (土)

“WE WANT”から“I LOVE”へ

この間BSで「ザ・ファーストU.S.ヴィジット」をやっていたのではじめて見た。昔から嫌というほど見たワシントンコロシアムDCのビデオ化だと思っていたから、これまで食指が動かなかったが、エド・サリバン・ショーも挟みドキュメンタリー・タッチに仕上がっていた。多少ビートルズ・ヒストリーに対して別の解釈を提示しているような気もしないではなかった。

今年のタワー・レコードのアーティスト・オブ・ザ・イヤーは、ビートルズだそうだ。9月9日の盛り上がりを客観的には判断できないが、さもありなん、ていう感じで、どこか淋しい感じもする。
ところがレコード会社はこのあたりを正確に分析しており、今回の盛り上がりに女性層は反応していないようである。EMIは“I LOVE THE BEATLES″というサイトを立ち上げ、女性スタッフが女性向けにビートルズを紹介する、という展開をはじめた。

まあ、もともと「大人買い」なんてのはオッサンの発想だし、女の人には明確な目的なくしては「ステレオもモノもボックスで」なんていうわけにはいかないだろう。なにせ、スタンプカードや割引券やレシートで別の財布を持っているような種族である。
女性ファンが多いジャニ系などの初回特典なんかでも相当現実的なものであり、“リマスター″なんていう抽象的な、またすぐにレンタルできるようなものに飛びつくはずがないと言えば、はずがない。ビートルズが4人とも今でも通用するイケメン、とかだったらまだわからないが。

ここは冷静に考えるとしよう。この時代、13枚組数万円、レンタルすれば数千円、違法ダウンロードすればタダ、なんてのがおかしい。単純に購買層が男性に偏っているので女性層の拡大を、と考える前に、みんな、いい音楽をいい音で聞きたい、と思っているのだ。そのために出血できる量は、人により違うだろう。収入によっても違うだろう。自由に使えるお金のうち、いい音楽に割くことのできるお金の量は人によって異なるが、レンタルの普及によりたしかに40年前よりも少なくなった。では、そんななか大人買いする奇特な人とはどんな人なのか。はっきり言って、「めんどくさい」か、「揃える美学」に、特典を口実に金が払える層なのである、残念ながら。

とすると、レコード会社はビジネス・モデルを見直さないといけないのだ。アビィ・ロード発売から40年が経ったが、もう40年会社が存続するためには、もう「リ・リ・リマスター」では無理だし、アビィ・ロードの価値を伝承する人は死んでいくのだ。

と書いた時、ビートルマニアは女性だったことを思い起こした。先の「ザ・ファーストU.S.ヴィジット」で、“WE WANT THE BEATLES”とプラカードを掲げて叫んでいた彼女らは死んだのだ、そう思った。あれから50年近く経て、女性ファン層形成のためにレコード会社が“I LOVE THE BEATLES”と口にしよう、と女性に語りかけることは、なんと皮肉なことだろうとも思う。

あと40年もすれば、たぶん、お金なんか払わなくとも、つまりレコード会社から何かを購入しなくても、音楽が瞬時に聞けるようになるだろう。すでに、音質さえ厭わなければ、YOUTUBEでオフィシャルはもちろん、ブートですら瞬時に聞ける。著作権保護が叫ばれて久しいが、見る、聞くの権利は、メディアの急激な技術革新と、それを可能にしている強大な需要に抗うことは相当困難だろう。

今回リマスターが成功したのは、まだメディアがリマスターに追い付いていないからだ。レンタルは追い付いてはいるが、上記のとおりリマスターを聞きたい層は、レンタルでよしとしなかったのだ(幸運なことに)。

これからレコード会社はどうすればいいのだろう。私はそんな大きな問題を論じるに能わないが、会社規模を小さくして町のお菓子屋のようにいい音楽を細々と作り、時にネット販売にも対応しながら売っていくか、あるいは音楽以外のものをこれまで通りキャンペーンを張って流行にまで高め、多くの数を売っていく、その二者択一のように思うのだが、いかがだろうか。

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2009年11月18日 (水)

イエロー・マジカル・サブマリン

「コンプリート・レコーディング・セッション」によれば、67年の春にサージェント・ペパーズのレコーディングが終了するやいなや、マジカル・ミステリー・ツアーと、イエロー・サブマリンのアニメ化プロジェクトがほぼ同時に決定していたそうである。ツアーをやめて、何をやるのかという議論がなされただろうし、持ち込まれた企画も多かったのだろう。アップルの計画も同時期と推測される。(確かサージェントの裏ジャケにはリンゴマークが入っていたと思う。)

レコーディングを時系列に追うと、“Only A Northern Song″以外、マジカルとイエロー・サブマリン収録曲は錯綜してレコーディングされている。果たして、この二つのプロジェクトにおいて、ビートルズは「これはマジカル、これはアニメ」と峻別していたのだろうか。おおいに疑問が残るところである。

まずマジカルについては、「一週間で撮影して、一週間でレコーディングして、一週間で編集する」のが確かポールの構想だった(実際には到底不可能だった)。構想どおりだったなら、やはりマジカルにはこれまでのビートルズとは異なるレコーディングのアプローチ…“HELP!″でも少しは試みられたが…映像にあった音楽制作が必要であった。
では、なぜフル・アルバムの制作を行わなかったのか。“A HARD DAY'S NIGHT″でも“HELP!″でも、A面サントラでB面オリジナル(キャピトルはオリジナルなし)であったし、曲が足りなかったわけでもなかったのだが、シングルLP(正確にはシングル2枚組)の発売を決めている。
また、69年のミーティングの際、ジョンからの申し入れとして「マジカルの時のように、1曲しか(ウォルラス)出来ていないのにリリースをするのはやめてほしい」と言っている。ただし、同時期“All You Need Is Love″と“Baby You're A Rich Man″をカップリングで出していることを鑑みると、釈然としない感じもある。

エプスタインも亡くなったことも相俟って、金と時間が無駄にかかったこの企画自体、彼らの想像力を掻き立たせるものではなくなっていたのかも知れない。しかし、フィルムの放送と同時期にリリースしなければいけない事情があれば、目指すものはアルバムの完成ではなく、シングルであれなんであれ、リリースが必要だったのだろう。

僅か1年後で、同じ事情はイエロー・サブマリンにもあったと思う。しかしこっちの方がよりビートルズの関わりが低かったにも関わらず、フル・アルバムであったのは、どうしてなのだろうか。(あんまりだということで、69年春にはシングルLPが一旦は企画されている)

マジカルの6曲には、いずれもそこはかとなく“ミステリー″な、感じがする。こじつけ臭いが、1時間のテレビ番組で、またこういうテーマで制作できるのは6曲が限度だったのではないだろうか。そうすると、イエロー楽曲がボツ曲、というのもあながち出鱈目ではないように思える。

仮に…この中途半端な2枚で一枚のビートルズのアルバムを作ったとしたらどうだろう。そう思って並び替えると、これが結構イイのだ。

ペパーからホワイト・アルバムを繋ぐ音。ペパーほどの緊張はなく、ホワイトほど剥き出しではない。どことなくのどかで、ペパーからより、リボルバーからの延長線上にある音を感じる。エゴがぶつかり合う前の、最後のビートルズの音が、そこにある。

Magical Mystery Tour
Baby You're A Rich Man
All Together Now
You Know My Name (Look Up The Number)
All You Need Is Love
Your Mother Should Know
I Am The Walrus
It's All Too Much
Blue Jay Way
Flying
The Fool On The Hill
【Hello Goodbye】
【Christmas Time (Is Here Again)】
【Lady Madonna】
Across the Universe(bird version)
The Inner Light
Hey Bulldog

これはまんま67年4月25日から68年2月11日までの単純な録音順だが、なかなか良くできている…
また、All You Need Is LoveとYour Mother Should Knowが世界中継シングルを争ったこと、Hey BulldogがLady Madonnaに触発されていることを裏付けている、とも言える。Baby You're A Rich Man、All Together Now、You Know My Nameのお祭り三連チャンも面白い。画像は68年1月25日撮影だから、Lady Madonnaの前。

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2009年11月15日 (日)

4.5人目のビートルズ

モノ・ミックスについて、ジョージ・マーティンやジェフ・エマリックの本等を読み返していて、あらためて気がついたのだけれど、私は三十数年“レコーディング・プロデューサー″という職業を何ら理解していなかった。
せいぜい音楽的なアドバイスをしていた人、というイメージだったが、れっきとしたEMIの社員で、「売れるレコード」作りを会社から厳命されており、ビートルズを発掘、さらにある時点からはビートルズをクライアントとするプロデューサーだった。だからこそツアーにも帯同したり、ゲット・バック・セッションにも居合わせたりしたのだろう。

このことを理解して伝記を読むと、今更ながら彼の果たした役割は本当に大きい。
まず、アンソロジーを聞けばわかるが、ピート・ベストがいた頃のビートルズと、リンゴ・スター加入以降では、音楽的安定(?)が全く異なっている。これだけでも彼の判断は的確であり、デッカやハンブルク・テープ、初期のBBCなどを聞くと、「彼の手が入らない場合のビートルズ」というのがどんなもんんだったか、わかる。

彼は唯一の自著で、初期は彼らと人間的な関わりが深かったが、後期はより私の音楽をビートルズが取り込むのと反比例して、人間的な関わりが希薄になった、といったことを書いている。なかなか示唆に富んだ一節で、つまり初期は彼らは自分のアドバイスをすんなりは受け入れはしなかったものの人間関係-つまり彼に対する尊敬や、ビートルズに対する愛情-があったが、後期は自分のアレンジが必要な時だけ彼らは自分を頼ってきた、といったことだったようである。

まあそれにしても、“RUBBER SOUL″あたりまでの彼の貢献は凄いと思う。いち早く彼らの音楽的魅力を見抜き、また彼らが頭の中で描いている音のイメージを把握して斬新なアイデアを提供するといった仕事は彼のオリジナルであり、間違いなくある時期までは「5人目のビートルズ」に違いない。

ある時期まで、と書いたが仕方ないのだ。ある時期に至る過程で彼らの周辺は誰もが「5人目のビートルズ」らしく振る舞い始める反面、ビートルズだって自分たちが「4人目以内のビートルズ」を保つのが困難となり、例えばリンゴ・スターだって、ある時期からは音楽的に「4人目のビートルズ」だったかどうかは、自分自身でもわからなくなってしまったのではないだろうか。

ジョージ・マーティンも自著で、ビートルズはジョンとポールという稀有な才能を抱えたバンドであり、ジョージ(ハリソン)とリンゴ、そして自分は二人に匹敵する卓越した才能を持っていたわけではなかったが、サッカーに例えるならば彼ら二人のストライカーがシュートを決めることができるように貢献した、といったことを書いていた。

本当に、彼なしにビートルズの音楽は成立しなかったのだと、リマスター発表であらためて認識した。でもジョージ、サッカー・チームに例えるんならできればそこに、エプスタインやエマリック、ノーマン・スミスとかも加えてあげて欲しかったな。


エマリックもいます。

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2009年11月 9日 (月)

ええっ!

いや驚きました。もっと早く出せよな、まったく。

Apple2

なんかエラーが出たら家電並みに1年以内無償修理、とか対応していただけるのでしょうか。だいたいFLACとMP3というのもよくわからないし‥。これが数年前にセキュアCDを導入したメーカーとは思えないが、やはりビートルズ頼みの業界なのでしょうか。

http://www.thebeatles-store.jp/products/detail.php?product_id=554

でも欲しい(笑)。

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2009年9月27日 (日)

モノこそはすべて

他の人のブログを読むと、リマスターについては概ね高評価である。「概ね」なんていうレベルではなく、辛口レビューには出会っていない。
そんな中、UKモノとリマスターの比較試聴会をされた方がいて、そのうちリマスターをかけずにUKモノだけをかけるようになった…という話が興味深かった。

去年の今頃、「モノ思う、夏の終わりに」に書いたが、どうして未だに40年前のUKモノがいい音がして、魅了されるのだろう。
「ビートルズが目指した音だったから」とはよく言われることだが、それは勘弁して欲しいのだ。「ジョンが生きていたら、きっとそうしてたと思うの。」と同じ理屈になる。
具体的に何がいいのか、それをもたらしたのはアーティストのプレイなのか、プロデューサーの采配なのか、エンジニアの卓技術なのか、機材やスタジオの性能なのか、それとも「盤」の性質なのか。

BBC制作の「ライブ・フロム・アビーロード」という番組を見た(聴いた)が 、凄くいい音だった。それは、今回のリマスターにも通じる音だった‥ような気がする。
エンジニアのジェフ・エマリックによれば、ビートルズはオリンピックやトライデントといった、EMIよりは格段に「快適な」スタジオを使用しても、結局アビィ・ロードに戻ってきたのは、自分たちの欲しい音が出せなかったからではないのか、と言っている。

私が当初予想していたのは、ビートルズの抽象的なオーダーに対し、卓の上での悪戦苦闘があり、革命的なミックスを生み出したのではないかと考えていたが、エマリックの自伝をよく読むと、卓より寧ろオーダーを実現するための録音方法、例えばマイク・セッティングやダイレクト・イン、テープの利用など、録音そのものでオーダーの音が録れるよう苦心した話が多い。少し考えれば思い付いたが、何せトラックは基本4つの昔の卓だから、卓の上で出来ることは限られているのだ。
だが「限られている」からこそ、最初に録音する際、後でミックスで音が消えないよう音色や音域や遠近感を変えて録音をしているのだ。(今なら卓の上でできることかもしれないが)

同じことは、ジョージ・マーティンの著書「耳こそはすべて」でも触れられている。最初に音を録る際、非常に試行錯誤を繰り返したことに加え、この著で興味深かったのは、彼の持論として、マイクにせよレコードにせよ、入力限界ぎりぎりのところが最大性能を引き出せるのであり、カッティングの仕上がりまでがレコーディング・プロデューサーの仕事だ、と言い切っている。

ビートルズがモノのアセテート盤の試聴まで立ち会ったのは、仕上がりが不満ならすぐに録り直しをしなければならず、そのことは即ち、例えばマイクのセッティングからやり直さなければならないことを意味している。楽器のバランスもミックスの前に、ほぼ決まっていたのだ。当時卓ではEQとエコー(リバーヴ)、リミッター程度の補正しかできなかったのだ。

それと、モノの方が音がどっしり聞こえるのだが、単に同じテープ幅で2トラックより1トラックの方がノイズも低減し、再生能力も向上すると考えられることに加え、先のカッティングの試みがなされ、さらにエマリックによれば、アビィ・ロード以外は真空管のコンソールが使用されていたらしい…と書けば、俄然モノがいい、とする根拠は、もう十分な気もする。

一方、ステレオは当初、臨場感もさることながら二つのスピーカーからそれぞれ違う音が出ることが“ウリ″だったに違いないのだ。エマリックも「フェーダーで遊んだ」と言ってるし。また、だからこそ片チャンネルで聴いた時にミスが目立つ迫力あるモノテイクは採用出来なかったし、無難なテイクや分離の良いテイクに差し替えられ、テイク違いが生まれたのでは?

ところで私がこの件にこだわるのは、実は最近1964年8月23日のハリウッド・ボウルのモノ・ミックス(発売中止になった)と「全く編集に手を加えられていないのステレオマスターミックス」(もとが3トラックなのだから、ミックスダウンしているのに"全く編集に手を加えられていない"と言えないと思うが‥)を聴いたからである。
ライブを録るのに、「最初に音を録る工夫」なんて一層限定的なのに、モノ・ミックスが俄然良いということは、やっぱり卓の上のマジック(なんか崖の上のポニョみたいだが)があったのか?と思ったのだった(エンジニアはキャピトルのエンジニアのようだけど)。

もう一度繰り返すが、モノは「ビートルズが目指した音」だから素晴らしかったわけでも手間をかけたわけでもなく、当時はモノでモニターせざるを得ず、また卓の上でのミックスよりもレコーディング時のバランスとさまざまな試みが結実したものであり、ステレオはステレオ化が目的であったため幾分見劣り(聴き劣り?)せざるを得なかったということではないのだろうか。

「ビートルズが目指した音」であるならば、ラスト2枚もモノ・ミックスを作ったはずだ。
ということは裏を返せば、ステレオ・ミックスしか作成されなかった“アビィ・ロード″こそ、レコーディングからミックスに至るまで「ビートルズが目指した音」であり、それまでのステレオ・ミックスとは一線を画するサウンドに仕上がっている唯一のアルバムではないだろうか。
皮肉なことに、今回のリマスター効果が一番感じられないにも関わらず、最も売れているようである。

キャピトルだ、なんて言わないの…

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