I LOOKED AWAY
ここ数年、真夏にデレク・アンド・ザ・ドミノスが聞きたくなる。レイラの内側ジャケにクラプトンが上半身裸で写っているが、あの写真の影響もあるのかもしれない。
デレク・アンド・ザ・ドミノスを本当に聴いたといえるのは、今を遡ること20年近く前の非合法屋さんだった。
もちろん、レイラもテル・ザ・トゥルースもリトル・ウィングも高校時代からずっと聴いていたが、非合法屋さんで聴いたフィルモアのライヴのレット・イット・レインは凄かった。
実はオフィシャルでもリリースされていたのを知ったのは、さらに後だった。
それから、1枚の「レイラ」(プラス「セッションズ」)と2枚のオフィシャル「フィルモア」を聴いたら、おそらくこの頃の演奏は、自分が聴きたい「ベスト・クラプトン」なのだと確信するに至った。クリームは冗長だし、ソロはちょっとテンションが低い。
この時期のことを、当の本人はどう述懐しているのか気になり、クラプトン自伝をようやく読んだら、壮絶だった。
この本は、ドラッグとアルコールから生還した男の体験談だ。
複雑な生い立ちからはじまって、バンドや女性との関わり(これはいずれも自分が傍観者のような書き方になっているが…)、そして転落と悲しみ。
当然校正者やリライト、場合によってはライター(!)が存在したのかもしれないが、所謂スーパースター列伝でありながら、内容が読み手から浮き上がることはなかった。
また回想過程で、発表されたレコードについてその都度触れられているが、彼の批評はどのクラプトン・ファンよりも辛口だった。
残念ながら私が一番知りたいギター・サウンドについて触れられている個所はそう多くはないが、人物との関わりについては詳しく、それは巻末の人名索引のボリュームを見ても明らかだ。
ビートルズについても、アーティスト目線が新鮮だ。クラプトンがはじめてビートルズを見たのが、ライブをやっているストーンズに彼らが会いにライブハウスに来た時だが、その時は(彼らはプライベートで来たにもかかわらず)「ステージ衣装を着ているように見えたことで、私はなぜかこれが気に入らなかった」と言っている。直後に嫉妬だったと打ち消してはいるが、前段に本意があるように思えてならない。彼らはスターであり、しかも本人たちがはっきりとそのことを自覚していることが気にいらなかったのではないだろうか。
以降の共演の話はほとんど取り上げられているが、特にジョンとポールと、それ以外のメンバーの格差に触れているが、このことは深読みすると、自分は「ジョージの友人」としてしかジョンとポールに扱われなかった、ということかも知れない。
ジョンに責任はないかもしれないが、69年のトロント(プラスティック・オノ・バンド)の報酬がジョンの書いた絵を数枚渡されたきりだった、というのも驚いたし、ジョージの追悼コンサートでポールはサムシングを自分が歌うと主張して譲らなかった話とか、なかなか刺激的だった。ま、ビートルズの曲だからポールに分があるかもしれないが、リハーサル映像にポールは写っておらず、バンドだけが演奏しているところから、ポールは本当に直前に音合わせをしただけかもしれない。直前まで日本公演もあったしね。
ツェッペリンに関しても、“LET IT GLOW″が“STAIRWAY TO HEAVEN″に似ていことに気付き、「いつも厳しく彼らを批評してきた私は強烈なしっぺ返しを受けることになった」と書いている。へえ、厳しく批評してたんだ。
リライトされてたとしても、とても生々しく、ファンが描いているクラプトン像に近いものだったと思う。あとがきで、「この10年が自分の人生で最も充実した10年だった」と書き、「幼い子供たちが、まだ若いうちに父親を失うことになるかもしれないことに心が痛む」なんて書いていることに、心が痛む。
さらにあとがきは、自分が尊敬するミュージシャンを何人か挙げた後、私には驚愕の締めくくりとなっていた。
「現在の音楽状況は私の少年時代とさしたる違いはない。95%はまがいもので、5%が本物というおおまかな比率は同じだ。…現在あるレコード会社のどれ一つとして、10年後に存続している見込みはないと思う。…しかし、音楽は常にわれわれのために先の道をみつけてくれるだろう」そうクラプトンは言っている。
CD売り上げが激減し、かといってダウンロードがビジネスとして取って代わったかというとそうでもなく、オッサンホイホイ的企画だけが確実な現在、本当にロックはどうなってしまうんだろう…という漠然とした不安に、彼のようなフォーエバー・マンからこのような示唆があるなんて、自叙伝としてこのうえないあとがきだと思うが、いかがだろうか。
で、デレドミの話はまた。
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