世界に捧ぐ
クイーンのファンだなんて、口が裂けても言えない。ライヴはおろか、CDも一枚も持っていない。しかし“世界に捧ぐ″までのスタジオアルバムと、ライヴアルバムはすべて聴いている。私は“クイーン、キッス、エアロスミス″の時代に育っているから、一応は通過している。
You Tubeでロパート・プラントの動画を見ていたら、93年のフレディ・マーキュリーの追悼コンサートで“CRAZY LITTLE THING CALLED LOVE″を演っているのを見た。演っていたことも知らなかった。そもそもこのイベント自体、あったことは知っていたが、なぜかTV放映を見逃し、見逃したのみならず録画もしておらず、さらにその後も見る機会がなかったということにいまさらながら驚いた。これ、凄いラインナップじゃないか。
というわけでYou Tubeで見れるだけ見たが、違う意味で凄いイベントだった。失われたものの大きさを痛感する、希有な追悼コンサートだ。
例えばジョージ・ハリスンの追悼コンサートは、出演者の想いがそれぞれ伝わってきて、ラヴィ・シャンカールが言ったとおりまるで本人がそこにいるかのようなイベントだった。追悼ではないが、ディランの30周年コンサートでも、それぞれの表現でディランへの想いを伝えていた。
しかししかし、フレディ・マーキュリーは違った。一つには、全編残りのメンバーの演奏にヴォーカリストが入って来るのだから、これがそれぞれのバックバンドを引き連れて、それぞれの解釈で演奏したならまた異なったかも知れないが(その場合クイーン追悼になるかも)、どのテイクも、あまりにもフレディの存在感が大きかったことを感じてしまった。ただ唯一、ジョージ・マイケルの“SOMEBODY TO LOVE″だけは凄かった。結局、このイベントに参加しなかったポール・ロジャースがQUEENを引き継いだが、たしかにポール・ロジャースは上手いけれど、ジョージ・マイケルは単純にフレディに近かった。あの歌唱や持っている熱、ひょっとしたら声質も、近かった気がする。感動した。エルトン・ジョンもアクセル・ローズも、ロジャー・ダルトリーもロバート・プラントもアニー・レノックスも、みんな歌い持て余していた。唯一、ジョージ・マイケルだけは歌い上げていた。
素晴らし杉。知らなかったが、この翌年にジョージ・マイケル・バージョンはシングルでリリースされ、以降自分のレパートリーにしているようだ。
ライヴエイドの映像をDVD化されたのを機に20年ぶりに見たら、いかにクイーンが独り勝ちしたかわかる。本人たちも、ライヴエイドを機に解散を踏み止まったと、まことしやかに云われている。それがクイーンがパンク・ムーブメントを乗り越た理由であり、クイーンの魅力とは、そういう魅力なのだ。
ただ残念ながら私は、ビートルズやストーンズ、ツェッペリンやディランのように、いつもずっと聴いてくることはできなかった、だけのことなのだ。
特典映像としてリハの模様が納められているが、クイーンはどんなショボいセットでもしっかりクイーンの音を出す。フレディの生前、クイーンがサタデー・ナイト・ライヴに出た映像でもそうだった。別にマーシャルを山のように積む必要はない。
それだけに、3人のクイーンをバックにしたヴォーカルパフォーマンスは、自ずから困難に違いなかった、そう思う。
あんまりにも素晴らしいのでリハ映像。デヴィッド・ボウイも見入ったあと、スタジオに拍手が起こっている。
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