BOB DYLAN

2016年6月25日 (土)

アイ・ドント・ビリーヴ・ユー

Royal_ 世間はビートルズ来日50周年で盛り上がっているところ、ボブ・ディランがマンチェスター・フリー・トレード・ホールで伝説のライブをやってから50周年の話をしたい。

何が有名って、「ユダ!」と野次られて「アイ・ドント・ビリーヴ・ユー」「ユー・ライアー」とディランがやり返し、ライク・ア・ローリング・ストーンを勢いよく始める、という逸話だが、どの書物にもそう書いてあるけれども、数年前にこれには別解釈があることを知った。
出典を調べたがどうしてもたどり着かないので、自分のブログに書いておこうと思ったのだけれど。

この「アイ・ドント・ビリーヴ・ユー」というのはディランの曲名(この日すでに演奏済みである)のことで、「裏切り者!」と言われたことに対して「お前らなんか信じない」とやり返した、のではなく、次の曲名を「ライク・ア・ローリングストーン」と言うべきところ、間違えて紹介してしまったが、間違えに気づいたディランが照れ隠しに「このうそつき野郎!」と自分を揶揄した、というのである。この逸話がものすごく好きだ。

実際にこのライブを聴くと、ところどころ次の曲名紹介やっており、「ノー・ディレクション・ホーム」をよく見ても、真偽のほどはよくわからないが、こっちの逸話のほうがディランらしいなあ、と思うのですよ、私は。
だってこのライブを公式発売するときに、ブートと同じように「ロイヤル・アルバート・ホール」ってクレジット入れて出す人ですよ。
この人は、そういう逸話にノッかる人で、肯定も否定もしない人だと思うんだけどなあ。

https://www.youtube.com/watch?v=yBIqWmbPdlk (1:50くらいから)

※出典は中山康樹著「超ボブ・ディラン入門」でした。う~ん。

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2014年4月26日 (土)

ZeppナンバでJokermanに会う

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                                                                                                                                     ボブ・ディランの最終公演に行ってきた。
直前に気がついたが、初めてディランを見たのが94年の大阪城ホールで、雷に撃たれたような衝撃を受けてちょうど20年だ。

この人、何度も雷を落としてくれている。初めて「ハードレイン」TVを見た時、「オー・マーシー」を聞いた時、グラミー獲った時、30周年コンサートを見た時。
実は今回、ちょっと逡巡した。平日だということと、固定セットリストだということと、前回、ZEPは相当疲れたこと。結局、最終日に2階席が取れたら行くことにしたが、これがアッサリ取れてしまい、結局大阪公演は最終日以外ソールドアウトにはならなかった。

2階席は本当にVIP感がある。先頃のストーンズやポールのVIP席の価格と較べても、この距離でステージが見えるならお得だ。優先的に入場させてもらい、階段で一般客をシャットアウトし、トイレにも行ける。何しろ、みんな立ってるのに席が用意されている。
こういうこと書くと鼻持ちならないが、しかし、これは後で少し後悔することになる。

四半世紀続いたネバーエンディングツアーは2年前に終わっている。今は単にテンペストツアーで、テンペストからの曲が多いのは当たり前だ。もう以前のようなオープニングアナウンス(…Ladies and Gentlemen, Would you please welcome Columbia recording artist.....Bob Dylan!) もない。何せ1曲目は「シングス・ハヴ・チェンジド」だ。「時代は変わる」ではない。

「今回のライブは完成度が高い」とか言われているが、この四半世紀が日替わりだったんだから、1年以上固定セットでやれば当たり前に完成するだろう。「ボブも年齢からか、今回は休憩を挟んだライブとなっている」と言う人もいるが、ネバー・エンディング・ツアーが始まって以降は、今回のツアーが一番曲数が多いはず。その前に20数曲やってた時代にも、何らかのインターミッションがあったと思う。

「知っている曲が1曲もなかった」と言う人までいる。…少しぐらい勉強してこいよ。それとも「風に吹かれて」知らない人が「知っている曲」って、「ライク・ア・ローリング・ストーン」のこと?
ともかく、彼はそこがZepp Osakaであれ、ロイヤル・アルバート・ホールであれ、同じ機材、セットリストでパフォーマンスを行っている。したがって、今回最終公演だからと言って2回アンコールをやったり、レア曲をやったりなんてないな、と思っていた。

「テンペスト・ツアー」なんて言いながら、あとからセットリストをもう一度見直すと、テンペストからの曲が披露されるのは6曲目以降である(「デューケイン・ホイッスル」)。続いて、「ペイ・イン・ブラッド」を演奏した後は「アーリー・ロマン・キングス」まで4曲を挟むことになる。つまり、「知っている曲が1曲もなかった」と言う人は、初めてボブのライブに来たか、36年ぶりに来たかのどちらかだろう(36年前も相当なアレンジだったが…)。

私は、彼の全作品から厳選された80年代までの選曲と、それ以外の曲との対比がとても気に入った。「シー・ビロングス・トゥ・ミー」「ホワット・グッド・アム・アイ?」「ブルーにこんがらがって」「ラブ・シック」「運命のひとひねり」「見張り塔からずっと」「風に吹かれて」…。とても大事に歌うボブ。とても大事に聴くオーディエンス。

一方、「フォゲットフル・ハート」と「スカーレット・タウン」は極上のバラードだが、それ以外はラテン風、ジャズ風、カントリー風であったり、「ラブ・アンド・セフト」以降どんどん顕著になるボブの吹っ切れ感が反映された楽曲になっていて心地いい。本人が一番心地いいのだろう。このあたりがポールやミックと違うところかな。

さて、終わってから3日が経ったけど、喪失感がハンパない。しょうがないのでYou Tubeで追体験している。
さっき、「後悔した」と書いたけれど、2階席はノリが悪かったのだ。遅れてくるヤツは多いわ、静かな曲でスマホ開くわ、中にはタブレット開いているヤツまでいた。これ、この間ニューヨークでも、映画館やミュージカルでスマホチェックしているヤツがいたので、全世界的な問題なんだろうね。
おまけにドリンクセットは余計だ。ビールのゲップが臭う。

で、結局最後まで立ち上がることはできなかった。
1階に行けばほとんど見えなくて、相当しんどいことになるのだろうけど、立っていれば今回のライヴの印象を少し変えたかも知れないな、と思った。
でもツィッターなんかでは、みんな詰め込み過ぎだ、前回の南港のZEPのほうがよかったと言ってるので、私の言っていることは的を得ていないのかもしれない。
少なくとも「世界がうらやむ」ようなものではなく(前回のコピーは「最初で最後のライブハウス・ツアー」だったが)、確かに1階は身動きがとれる状態ではなくて、中段から後ろは動きが少なく感じたから、やはり巡り合わせだったのかもしれない。
前回出会った視覚障害のある彼は、今回も来たのだろうか。

思えば20年前の大阪城ホールでも、結局最後まで立ち上がらなかった気がする。アンコールも「やせっぽちのバラッド」と「悲しきベイブ」だったので、やっぱり立ってなかったのだろう(「マギーズ・ファーム」では立ったか?)。

あの時は、立ち上が「ら」なかったのではなく、感動して立ち上が「れ」なかった、に近い。あの時も、とても大事に1曲1曲を歌っていたが、「風に吹かれて」も「ライク・ア・ローリング・ストーン」も、「はげしい雨が降る」も「いつまでも若く」もやらなかった。あの時も、MCもメンバー紹介もなく、最後にボブが会場をじーっと見回すようにして退場して終わりだった。「トモダチ、アリガトー」なんて言ってくれなかった(笑)。

今、手元にコンサートパンフがある。これも20年ぶりだ。私が買いそびれていたか、売り切れていた可能性もあるが、97年も01年も10年も見かけなかった。前回、ブログで「オッサンはまた来る」と書いたものの、それがまさか4年後とは思っていなかった。なぜか今回はこれで最期感が高く、20年前とシンクロした。

Zepp Osakaからの帰り道、最寄り駅とは反対方向に歩きだすと、人の気配はすっかりなくなってしまったが、春の夜風が気持ち良かった。思わず、今聴いてきたばかりの「風に吹かれて」を口ずさんでみた。


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2010年3月15日 (月)

Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again

行ってきました、Zepp大阪。
チケットは高かったし、こんなに満杯のスタンディングは初めてだし、「巨木」が眼前に立ちはだかるし、来るんじゃなかった…と少し後悔したが、例のアナウンスに続いて「メンフィス・ブルース・アゲイン」が始まった時、全部飛んでしまった。9年前のツアーの際、次回は全公演追っかけたい、と思ったのに、なぜ今回は今日一日なんだ、そう思った。9年ぶりに水面に出て、呼吸したような気持ちになった。

演奏は、これはブートで聞いてきたのにわからなかったが、ネバー・エンディング・ツアーの悪弊だったボブの延々とやるギターソロがなくなり、キーボードをやることで、演奏に締まりが生まれていた(笑)。
私が行った、94年、97年、01年と比べても、今回が一番元気だった気がする。それに客も元気だった。絶対に見えないと思うのだが子連れのスタンディングもいたし、私より年配と思しき方々ももちろんいた。しかし平均すると、20代から30代なのではないだろうか。ということは、彼らはオー・マーシー以降の世代で、サンボマスターとかの影響で聞くようになったのだろうか。「メンフィス・ブルース・アゲイン」が始まると、一斉に前へと押し寄せて行った。私は、前回公演から今回までに子供が生まれ、遠近両用眼鏡をかけるようになった。

ディランのことを書くと、知らない間に大絶賛してしまうのでいけない。妻に、今日のライブに来た客は、たぶん2000人が2000人とも満足して帰っただろうと言うと、2000人にとってまさしくディランは神であり、Zepp大阪に舞い降りたのであって、なんら不思議なことではない、と言った。彼が9年ぶりに私の眼前に現れ、「メンフィス・ブルース・アゲイン」を歌ったたという事実が奇跡なので、歌ではないのかもしれない。
立川談志が自身の独演会に行かなかった時、客がさすが談志、洒落てると満足して帰った、という逸話があるが、その域なのだろうか。
ともかく、ディランは私を含めたあそこに集まる人間のために膨大なレパートリーの中から9曲を選び、レギュラー5曲と合わせてパフォーマンスを行ったのだ。

私は今回、フロア中央の手摺りに寄り掛かっていた。冒頭のように巨木が立ち塞がる中、場所移動も気が重かったので開演までそのままだったが、ふと振り返ると白杖の男性が立っていた。彼には失礼だが、座席指定ならいざ知らず、オールスタンディングのライブハウスに躊躇がなかったのだろうか、と一瞬思った。彼に声をかけて手摺りの一部を譲ると、彼はずっとこの日を楽しみにしてきていたと話し、私は初めてなら、ディランのライブは曲が始まっても何だかよくわからないですよ、と水を差すようなことを言ってしまったが、彼は、大丈夫、ずっと聞いてきてますから、と答えた。

私は自分を恥じた。彼はここへ、ディランを“聴きに″来たのだ。前が巨木で見えないとか、立ちっぱなしは疲れるとか言う前に、ディランを聴くことに集中するのだ。私は2時間の間、目を凝らしてディランを見た後、目を閉じてディランを聴くことができた。実際、彼の方が曲に気付くのは早かった。

今回、おそらく最後の来日になると覚悟して会場に向かった。
でもオッサンまた来るよ、きっと。

会場の空気はまったく損なわれている。あるいはこれが現実か?

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2009年12月25日 (金)

Things Have Changed

えらいこっちゃ。ディランが来る。油断してたら9年ぶりに。

ライブハウスなのに、12000円も取って。しかも東京は即日2万円の席が全日程ソールドアウト。唯一のハタ日公演の21日はスタンディングもソールドアウトである。東京には、日曜日以外毎日働かなければならないにも関わらず、年金問題とか事業仕分けといった熟語がブラジルのお菓子の名前にしか聞こえない人が大勢いるようだ。まあ多分モノ・ボックスも必ず持っているはずだ。

冗談さておき、どうしよう。もうあの、15年前のようなスリリングさはないだろう。すでに意外性は求められないが、「オッサンの空気を吸いに行く」ことに12000円払ってもいい。ただ今度はZEPPで本当に隣のオッサンの空気も吸わなければならない。うーん。

たぶん、大阪なら14日、東京なら20、22日のハタ日もZEPPは押さえてあって、先行予約の状況を見てから追加公演を発表するんじゃないだろか。なんかハタ日挟んで公演が組まれているのもクサい。マンション分譲みたいに後からでも売りやすい部屋番号にバラのマークを付けて「商談中」とするのと同じ手法だ。1月の一般発売の際、ぴあとかに流す「おいしい」玉にするのかも。これは見物だ。

2階席に2万円も払って見るライブではないと思うが、かと言って1階でスタンディングで見るライブでもないなあ。音楽性も、オーディエンスも。そう言いながらも、きっと行ったら満足すると思う。まあ、ハタ日が取れたら行くかな。「最初で最後のライブハウスツアーが9年越しで実現」「ディラン史上2度目のライブハウスツアー」とかZEPPで12000円も取る言い訳にしか聞こえない。「神様からの贈り物」なら、もう少し安くしてくれ。

確かに、ライブハウスはディランのオーダーだろう。97年のライブもコンサートホール・ツアーとなったし、01年も会場は市民ホールクラスで、会場が肥大化することはなかった。
オッサンはこれまでラスベガスでもやっているし、現地法人(確か松下電器だったと思う)のプライベート・バーティーもやっている。オッサンはなんだっていいのだ。
ギャランティがそんなに高くないから「ネバー・エンディング」なツアーができるのだが、おそらく、海を越えるとギャランティ以外のいろんなものが発生するのだろう。会場費を下げて、単価を上げる。公演回数は、前回、前々回、前々々回とさして変わらないのだ。極めてわかりやすい。

オッサンはなんだっていい、と書いたが、オッサンはドームでもZEPPでも、ミネソタでも名古屋でも、法王の前でも孫の幼稚園でも、そして私の前であっても、その日の気分で演奏する。ライブハウスだから、初日だから、9年ぶりだからと一番気負うことがないのはオッサンで、たぶんこれまで通りMCもなく、曲がはじまっても歌いだすまで、あるいは歌いだしても曲名がわからない曲を乱暴に、あるいは切々と、淡々と、時には急に力いっぱい、時にはキーボードを引き出したりして、十数曲を演奏したら引っ込むだろう。

…やっぱり行こう。

それで、ともかく先行予約の時間にウドーにアクセスするが、なぜかクレジット会員が応募できず、2分ぐらい振込み会員登録をモタモタしてたらハタ日は×(予定枚数終了)となってしまった。次に金曜日が△(残りわずか)となり、うーん、どうすっかなあ。何となくディランのライブハウス12,000円がこんなに短時間に終了するなんて、もともと枚数が少ないんじゃねえか、慌てるナントカはババ引くんじゃねえか、と気持ちを諦めに切り替えて…といいながらぴあを見に行ったら、「プレミアム会員じゃねえとダメだよばーか」みたいなメッセージが出る。へえ、と思って20分ぐらい経ってまたUDO見に行くと、なんと全日○。うそでしょ、と思いながらハタ日を申し込んだ(「神様からの贈り物」ということで)。
するとハタ日△。すぐにまた×。数分見てたら、また△が出たりもする。
こんな間に諦めて金曜や月曜申し込んだ人はどうすんだろう。

なんだか、単にシステムの問題だけのことで、アホらしくなってきた。ログイン状態の人が申し込まないでいても、枚数は減るのかもしれない。でも私がモタモタしている時にはログインできてなかったのか?
さて、明後日の21時までに振り込まない人が多分出るので、そうするとまたハタ日が○になるのだろう。こういう一喜一憂はもうしたくない。

…といいながら、ひょっとしたら入金順に抽選かもしれない。早く行って来よう(バカ)

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2008年12月 7日 (日)

My Back Pages

ボブ・ディラン3部作になりますがお付き合いを。
疑問に思うことの一つに、どういうファン層なのか、と思うことが多い。もちろんサンプルが少ないことと、私の思い込みなのでご容赦いただきたい。

今から30年前、初来日の頃、私の周辺で俄かにディラン・ファンが判明した。少なくとも彼らは、ツェッペリンや、ビートルズや、あるいはチープ・トリックやまたはプログレ傾向にある種族とは異なっていた。往々にして、「日本のフォーク」ファンの中から露出した。多くは、兄がいる弟層。

ディランとしてはやや低迷期に入ったこともあってか、その後しばらくファンに出会わなかった。が、次に出会ったのは濃かった。そんなに自分を語るヤツではなかったが、急に「偉大なる復活」の「ライク・ア・ローリング・ストーン」がいい、だの抜かしやがったので、それもいいけど「トゥルー・コンフェッション・ツアー」のもいい、と言ってやったら、それから私のファンになった、と言う。やはり、弟タイプだった。そうそう、書いていたら思い出したが、最初吉田拓郎がいい、と言ったので、拓郎もいいけどディランもいいよ、と私がフッたのだった。

その次は幅広く洋楽を聴くタイプで、几帳面に今でも年賀状だけくれている。やっぱり兄のいる弟、だった。

次は94年の来日で知り合った人たち。共通するのは、どこかライブにさめていて、他のライブのように「わー、ワクワクするね!」といったノリが全くない人たちだった。俺、忙しいんだけどな、ディランが7年ぶりに来るっていうから来たよ、仕方ねぇし。みたいなノリである。
大阪公演なんか、前日の大雪で新幹線が遅れ、終演近くに追っかけてる一団がゾロゾロ入ってくると「よっ、ボブ!」みたいな掛け声をひとしきりかけて客電が点くと、「まっ、こんなもんでしょう」とか呟きながら会場を後にしていた。
余談だが、この夜のライブは私の人生を変えるほどの経験となった。

97年のライブはリハーサルが延びたので、会場前に長い列ができた。観察していると、意外に若い人が多い。当時、再評価ブームでもあったのだろうか。そのわりにノリは悪かった。

2001年、私はジャパン・ツアー初日の大宮を福岡の男性にネットで譲ってもらった。ヤオクではない。西村位津子さんの掲示板の書き込みに応じたのだが、今なら怖くてできない。ちなみに西村位津子さんも、GMEコンサートをテレビで見てからディラン・ファンになって、おそらく日本でもっとも充実したディラン・サイトを続けておられる「最近の」方である。

福岡の男性は最近ディランを好きになって、今度のツアーは全部追っかけようとチケットを取ったのだが、初日だけはどうしても仕事で行けない、ということだった。
この行動からして、彼の「最近」は「ブロンド・オン・ブロンド」以降なのかも知れない。どうやら、先の「仕方ねぇし」っぼい。気持ちのいいヤツだったので、行けない彼の代わりに、ライブ・レポートをメールしたら感激してくれて、これを機にトレードとかしましょう、と言ってくれたけど、それきりになってしまった。(ディラン・ファン、というより、九州人っぽいかも)。

その大宮は、盛り上がった。2001年のツアーはどこも盛り上がったようだが、4年前より客はずっと大人だったように感じた。
これも余談だが、2001年のライブは世間が言うほど私は評価していない。ラリーとチャーリーという、若手ギタリストのギターとコーラスが卒ないが、それがかえって毎日平均的であり、えーっ!という意外性がなかった。それだけ私がディランのライブに慣れたのかも知れない。

なんかいつもの如く脱線脱線だったが、ディラン・ファンはやや潜伏傾向にあり、かといってマニアックでもなく、他人への依存傾向もあまり見られないのかな、と私は感じている。年齢に関わらず、そういった人達が、ディランをカッコイイと思うのだ、ろう‥。

ここに写っている人は全部ディラン・ファンだと思う、一人を除いて‥

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2008年11月29日 (土)

Things Have Changed

引き続き、ボブ・ディランで。

偶然だが、やっと“NO DIRECTION HOME″を見たのと、“TELL TALE SIGN″を聞いたのがほぼ同時だった。

ディランについては、いつも疑問に思うことがいくつもある。そのうちの一つが、「この人のマネジメントは、一体誰がやっているのか」ということだ。
今回の“TELL TALE SIGN″は4種のリリースがあるが、2枚組と3枚組の価格差が1万円以上というアンリーズナブルな 価格設定がされており、当初発売を予定していた国内販売は見送られている。
ディランのリリースに纏わる話は、“BLOOD ON TRCKS″の差し替えや“UNPLUGGED″の回収、二十数年ぶりの“GREATEST HITS″などなど、枚挙に暇がない。何か、伝説を作らんがためにわざとやってるの?とさえ思えてしまう。だから、リリースされなかったものが数多く、ブートレッグ・シリーズが8本目になっても、内容はどうかするとリリースされたものよりも素晴らしい。だからアンリーズナブルであっても数万円を注ぎ込んだりする…という循環が成立するのかもしれない。

先の映画“NO DIRECTION HOME″を見ても、オッサンは昔から好きなようにやっている、ようにしか見えない。
でも業界はそんなに甘いものではないはずだ。ビートルズにしろ、他のレジェンドにしろ、ビジネスに囚われる。前回書いた伝説の数々を、すべてプロモーションだと言ってしまうことだってできるのだが、まあ、あの歳になって年間あれだけの数のライブをこなし、毎年何らかのリリースを認めていれば、何も問題はないのかもしれない。

今回の“TELL TALE SIGN″だって、本人がどれだけ関わっているかはわからない。山のように持ち込まれる企画、オファーの一つであり、そのなかに映画やDJもあったのだろうが、最初からディランがほとんど関わることはなく完成し、最終段階でディランが“NO″と言えばどれだけ完成していようと、…発売した後ですら、ボツになる可能性があるのかも知れない。

そんな訳で、われわれはアウトテイクを先に買わされ、後ほどオリジナルをまた買わされる(言い過ぎですが)のだが、考えれば考えるほど凄いことだ。この人の死後はどんなリリースがされるのか。

ツアー数もハンパではない。中山康樹は「ギャラが安いから」だと言う(「ディランを聞け!」より)。確かにステージは質素で何の演出もないが、チケットは7年前でも1万円だった。

聞くところによると、ギャランティ以外が結構大変で、ことに宿泊先に相当神経を使うらしい。市井の暮らしに触れるべく、街中に泊まらないで外れのモーテルに行くだとか、急にスイートに泊まるだとか、またキャンセルするだとか、いつもベロベロに飲んでるだとか、このあたりも伝説に事欠かない。

しかし何より伝説は、「ライブの中に自らを見出だした」とされる、もう20年も続いている“NEVER ENDING TOUR″だ。
アレンジを変えるどころか、歌詞も間違えるし、毎日演奏曲は変わるし、メンバーですら当日渡されるキューシートを見るまでわからない。好き放題のソロ。はっきり言おう。もう声も出ていない。ステージはグダグダもいいところだ。
しかし、ライブを目撃した者は、紛れも無く伝説に立ち会っている。

彼が人生を終えたと知る時、私は深い喪失感に襲われるだろう。そして気付く。奇跡はたった一度起こったのだ、と。

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2008年11月21日 (金)

Forever Young

ボブ・ディランについて何か書く、というのはビートルズやツェッペリンと違って緊張する。だからこれまで書いたことがない。

この30年間、これほど驚かされるアーティストはほかにない。

・ザ・バンドとやった復活ライブ。伸びやか~。

・「ハード・レイン」の原曲をまったく崩しながら、しかも強烈なインパクトで訴求するパフォーマンス。あれで私の心は完全にわしづかみにされた。

まったく表情を変えた“ONE TOO MANY MORNINGS”。何かをしながら聴く、なんてことはできない。

・その直後の来日公演。打って変わる大編成ライブ。しかも松下電器(現パナソニック)がスポンサーとなったため、大阪公演は松下電器の体育館(正確には「工学館」という多目的ホール)。

・85年ライブ・エイドの極端に地味なパフォーマンス。

・その後やや下火になるも、トム・ペティとのジョイントで見せる怖いものなしのライブ・パフォーマンス。今日でも、“LIKE A ROLLING STONE″と“IT'S ALL RIGHT,MA″“TRUE CONFESSION TOUR″が最高だと思っています。

・好調なライブと裏腹に、才能も枯渇したかと思わせるようなアルバム群の後、突如世に出た傑作、オー・マーシー。捨て曲なし。
枯れきった声、ヒキガエルのような声。今までとは違って語りかけてくるるようなディラン。1番好きなアルバムだ(ちなみに2番はプラネット・ウェイブかハード・レイン)。どこかジョン・レノンを彷彿させもする。

・いきなりの、公式ブートレッグ3枚組。詰め込み過ぎのため、初回盤はエラーが多く、すぐには再発されなかった。
素晴らし過ぎて、どうしてこれらがボツになったかわからない。

・91年グラミー賞受賞時のパフォーマンス、怒涛の“MASTERS OF WAR″。痺れるほどカッコイイ。

見よ聴けこの勇姿。クラプトンがTVで観てて泣いたという、91年のグラミー。

・一転、スラッシュのギターで始まるアンダー・ザ・レッド・スカイで酷評。「いずれ新曲が聞きたくても聞けなくなる時がくる」と不穏な発言。しかし私は、タイトル曲だけは絶対に捨ておけない。

・いきなりの、公式ブートレッグ3枚組。詰め込み過ぎのため、初回盤はエラーが多く、すぐには再発されなかった。
素晴らし過ぎて、どうしてこれらがボツになったかわからない。

・アンダー・ザ・レッド・スカイ後の発言を裏付けるべく、トラディショナルのカバーアルバムばかり2枚出す。またこれがいいんだ。“BROKE DOWN ENGINE″とか。

・30周年記念コンサート。並み居るビッグ・アーティストの競演にも関わらず、ソロ・ステージの“IT'S ALL RIGHT,MA”“GIRL FROM THE NORTH CONTRY”で全部持っていってしまう凄さ。

・93年、アンプラグド企画を遂行すべく、サパークラブで4回のショウを行うが全部ボツに。

・94年来日。アナウンスとともに始まる“JOKERMAN″。砕け散るウィストン・ワトスンのドラムスティック。今日まで体験したライブの中で、最もインパクトの強かったライブ。後日、ブートを捜し回ったものだ。

・その3ヶ月後突如再来日、「東大寺GMEあおによしコンサート」。幻想的な雰囲気のなか、マイケル・ケイメンのオーケストラと、大仏殿をバックに“HARD RAIN″“BELLS″“RELEASED″とこの上ない3曲を披露。名演。

・Greatest Hits vol.3発売。 VOL.1とVOL.2の間隔が4年、次のVOL.3が何と23年ぶりに発売される。なぜ?

・ソニースタジオでアンプラグド収録。CD発売後、すぐ回収。テイクや曲の差し替えではなくて、オーディエンス・ノイズの差し替え。

・4度目の来日。“61″や“FOREVER YOUNG″は忘れられない。

伝説のデビッド・レターマン・ショウ。

・ローマ法王御前コンサート。ヨハネ・パウロ2世に“FOREVER YOUNG″(!)を歌う。

・98年グラミーでのパフォーマンス。“SOY BO(M)B″乱入。

・ブートレッグ・シリーズVOL.4「ロイヤル・アルバート・ホール」。実はマンチェスターでのライブなのに、ブートレッガーが騙ったのを、そのままタイトルに。
仙台公演を「武道館」と言って売るようなものだが、パクり返すところがいい。

・2001年再来日。初日の大宮公演では、ライブ終了後、ホールから大宮駅まで何と徒歩で向かっため、ファン大喜び。

・2002年8月、37年ぶりにニューポート・フォーク・フェスティバルに出演。ヅラとヒゲを付けて出る。

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・また同年10月よりギターをほとんど弾かず、キーボードをメインに弾いてライブを行う。ギターには表現力に限界があると判断した、とのことだが、あなたの40年間は何だったのですか。

・また同年、映画出演。「ボブ・ディランの頭のなか」本当に頭のなかを知りたい。

・2004年、初めてのCM出演。商品は「女性下着」。本当に頭のなかを知りたい。

・2007年、ディスクジョッキー(!)を始める。孫の幼稚園で唄う。ここ数年、ネタっぽいことばっかりだが。時系列を無視した、初の自伝も出版。(続く)

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