2019年9月20日 (金)
2019年9月20日 (金) 滋賀県大津市
1:45に目が覚めてブースを出ると、ほとんど誰もいない。
あんなに賑わっていたのに。
3:24まで今日のルーティングをして、そのままツイッターをチェックしたり大相撲ダイジェストを見て、4:30まで少し寝る。
5:25出発。
5:42膳所発。
草津で草津線に乗るが、発車が少し遅れる。
6:19手原駅到着。
さあ、最終日だ。
Bトイレを済まして歩き出す。
「東海道ほっこりまつり」ののぼりが目立つ。
調べると、毎年極めて短い区間の交通を制限して、地元のイベントを開催しているみたい。
行ってみたいなあと思って調べてみると、
「シャトルバス送迎 なし」
「駐車場 なし」
「JR草津駅から徒歩30分」
…って、「よそ者は来るな」というメッセージ…?
7:08、石部。
広重の絵には右手に金勝川が写っているので、堤防にも上がってみる。
残念ながら家が建っているので写真は撮らなかったが、たぶん、もう少し遠景なので次の交差から橋が架かっているところから伊勢屋があった方向を見てみたりする。これがいけなかった。
地図を見ると、この交差で右折して草津方面に行くが、地図にはないコンビニが出てくる。
腹も減っているので(昨晩は結局食べなかった)、立ち寄ってパンを食う。
そのまま歩いていても、ガイド本には書かれている史跡がまったく出てこない。
そんなことはこれまでもあったので、ずんずん進んでいって、1号線と交差するところで道を間違えたことに気付いた。
さあ、どうしよう?
これだけ進んで気付くのは藤沢以来だ。
ここはさんざん逡巡した。
距離にして約1㎞、時間は1時間ぐらいロス。
時間もともかく、旧街道と並走した一本東の道を通ったことで、戻る意味があるのか。
あきらめる。
これまで地元感がまったくなかったが、唯一感じたのは、たまに民家に京都新聞の新聞入れがかけられているところ。
余談だけれど、政治家のポスターの変化で選挙区を跨いだことを知る。
草津駅前は朝の通勤通学だ。人の流れとは逆方向に街道をずんずん進んでいく。
8:08、草津。
写真ではわかりづらいが、五葉松の右の石柱が追分道標。
ここから琵琶湖へ出て船に乗り、大津中心部に渡るというショートカットは江戸時代からあったらしい。
今の近江大橋あたり。
明るいうちに京都に帰りたいのでこのルートも検討したけれど、趣きもなさそうだし、時間もそんなに短縮にならない感じなので却下。
それにしても無粋な瀬川ひろみ。
9時、狼川のほとりのベンチで少し休憩。今日もいい天気。
世間は仕事。
いよいよ大津市に入る。
月輪だの、大江だの、昔大津で仕事をしたことがある自分としてはなじみ深い地名だけど、
歩いていてもどうもピンと来ないのは、それだけ旧街道が昔の面影を残している、ということだろうか?
建部大社の門前町に出ると、うなぎの山重という店の前を通る。
今回気付いたのは、大きな神社前には鰻屋があり、ハズさないということだ。
鰻は浜松だけのものではなく、国民食だったのだ。近いのでまた食べに来よう。
10:17、瀬田川を渡る。
渡ると、明らかに大津宮だ。
街並みが違う。
少し前に大江で保育園児が自動車事故に会う事件があった。
この日も保育士さんが園児をたくさん連れて瀬田川の公園で遊ばせていたが、道すがら、やはりガードレールはなかった。
道はだんだんと、湖畔沿いの工場街に入っていく。
11時、今日も気温が上がってきた。疲れもだいぶ出ている。
休憩場所が、ない。
誰もいないようなので、街道に面した中ノ庄自治会館の玄関に座り込む。
ほんのわずかだが、気が付くと少し寝ていた。
寝つきは悪いほうだけど、座ったまま寝れるぐらい疲れている。
ふらふらと歩いていると、見覚えのあるネットカフェの裏を通る。
これ、今日出てきたところじゃないか。
街道は本当にメインの1本裏を走っている。
県庁前まで来ているのに、まったくわからない。
しかし中央通りを越えて、京町1丁目まではすごく趣きのある町並み。
東京から歩いてきて、最終日にこんなに魅力的な場所があるなんて。
必ずまた来ようと思った。
13時、トイレ休憩がしたいところだけれど、場所がないので赤十字病院に。
昔このへんに西友があったのだけど、今はフレンドマートになっている模様。
ずいぶんロスタイムだ。
いよいよ逢坂の関へ。
安養寺前の石段で昼食。
なんか虫が寄ってくるので、食べたらまた歩き出す。
しばらく一号線の側道を歩くと、大谷。
13:21、大津。
広重の絵は、実際にあり得ないのかもしれない。
東海道名所図会を基にしたであろうとされている。
背景は、比叡山だろうか。
それとも逢坂山だろうか。
そしてほんの少し中央が白くなっているのは、湖だろうか。
それとも摺り残しだろうか。
なにより気になったのは、坂が右上から左下に下るところ。
走井茶屋跡はは現在の月心寺だというが、絵を描くとすれば京都方面に向かって坂は左上から右下に下る。
絵とは逆方向になる。
ちょうど大谷のあたりは今でも店屋が数件あり、坂も右上から左下に下っている。
東海道名所図会を見ると、「走井:逢坂大谷町茶店の軒端にあり…」とある。
旧走井餅本家もここにあった。
創作だとしたらどうでもいいのだけれ、私はこちらの風景を採用。
それにしても、どこにも鰻屋はある。
藤尾まで下りてくる。
実は、藤尾から伏見までは以前歩いている。
でも三条までの道は残しておいた。
山を下りたら京都、と思っていたら藤尾はまだ大津市。
だいぶ先まで大津市。
この辺の小中学生はバスに乗って山を越え、皇子山の学校に行っていると聞いたことがある。
14時、それでもやっと山科に入る。
京津線と、旧の国道1号に挟まれて並行に走る道。
本当に町並みが街道筋だ。
大津でも思ったが、こんなご近所まで来ているとは。
14:36、山科駅をかすめ、鉄道からも旧国道からも離れて御陵の集落を歩くとのどかな風景。
日ノ岡の山に入ると、ポツポツ雨が。予報どおり。
本当、こんな狭い道を歩いていると、ここがうちから直線距離で2キロぐらいのところなんて思えない。
まだ三重か、静岡あたりを歩いているよう。
旧1号に再合流して、さあ、いよいよもう一息。
15:06、蹴上まで来ると京都(今の)、という感じがする。
雨が降ったりやんだり。
そんなに強くはないけれど、止むわけでもない。
15:30、三条着。
出迎えに来てくれる人がいるというので、出迎えに来てくれる人を出迎えるべく、三条大橋を渡らず、東詰で待つ(?)。
よく東海道踏破しました!という京都の写真は東詰めから撮っているが、東山や八坂の塔が描かれているのでそれは間違い。
広重の絵の通りに撮影しようとするなら、スタバのビルの2階から撮ればよかった。また行って来よう。
9月20日(金) 15:54 三条大橋着。
31.2キロ 52,596歩
合計 489キロ 834,823歩 16日
| 固定リンク
「東海道」カテゴリの記事
- 2019年10月21日(月)(2019.10.21)
- 2019年9月20日 (金) (2019.10.20)
- 2019年9月19日 (木)(2019.10.19)
- 2019年9月18日 (水)(2019.10.18)
- 2019年9月17日 (火)(2019.10.17)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント