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2019年6月12日 (水)

2019年5月 2日 (木)

2019年5月 2日 (木)  静岡県富士市

今日は富士市を出発して、薩埵峠を越えた後、いよいよ静岡入りである。

宿泊は清水あたりを考えているが、そろそろ上がりも意識する。
一応、予定の袋井からまだ先に行けそうな感じではある。

2時から4時まで、できるだけ体を休めることに意識を集中しながらウトウトする。
4時からはもう、出発の準備。

5時にフロントへ行くが、相変わらず対応は悪い。

「ポイントは全部使ってください」と申し出るまでしれっと手続きをしていて、その言葉で気付いたことを私に伝わらないようにしている。

ダメだこれは。

さあ、さっさとこんなところは後にするぞと5:10出発。
しかし歩き始めて10分と立たないで靴の調子がよくない。地域子育て支援センター前で靴を直す。

天気はいいが今日も富士山はよく見えない。こんなに近くなのに。
薩埵峠からの富士山もちょっと望み薄。

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富士川を渡ったところに信号があり、すごく長い。
すると後ろから自転車で来た人がボタンを押している。なんだよ、もう。

小高い旧街道に入り、途中までは地元も整備していて非常にわかりやすかったが、住宅街に入ってくると突然わかりやすくない。
迷う迷う。行き過ぎたり、地図に書いてあるものが違っていたり。
 
疲れたので、7時過ぎごろ東名高速をくぐるあたり、中之郷道標のベンチで休憩。

向かいのアパートの人が朝起きて窓を開けると、汚いオッサンが靴下脱いでベンチで休んでる、というのは精神衛生上よくないだろう。
少し休んでまた歩き出す。

中之郷の集落を歩いていても手掛かりに乏しく、本当にこの道でいいのか不安になる。

農作業に出ている人と行き会って、声をかけようか逡巡していると、向こうから「蒲原ならここまっすぐだよ」と声をかけてくれる。
ありがたい。
 
多少の坂道を越えると、山沿いに蒲原の宿場町が広がっている。

ここは地元が力を入れていて、街道を整備している。ここまでのナンバー1だと思う。

広重ポイントは雪景色だし、しかも津波にあっているらしいのであまり期待していなかったが、諏訪神社を過ぎて諏訪橋から振り返ったあたり、雰囲気があった。
8時。なかよし公園では家族連れが遊んでいる。

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9時半ごろ、油井の宿場町に着く。

油井の本陣跡は立派で、中は公園と東海道広重美術館になっていて、ここで少し休む。
関西弁の来訪者がそばに座る。

まったく美術館に立ち寄るつもりはなかったのだけれど、やっぱりここにもう一度来るとなるとなかなか難しいだろうと思い、少し立ち寄ることにする。

ここだけではなく、広重の絵の現物は損傷しやすいので常設で公開されていることがほとんどないらしいが、ここも複製と最近とみに多いデジタル展示で、「やっぱり」、であった。
「補助金で作りました」感は満載である。

でも東海道を歩く人は必ず一度は行ったほうがいい。
歴史や、あの絵がどのようにできるのかとか、あとミュージアムショップも充実していた。

私が一番好きな宿のカードを買う。

天気もいいし、昨日よりも気力は充実しているし、気分が良くなって子供を連れた女の人に写真を撮ってもらう。
これが今回、一回限りのお願い写真であった。

Kinen

10時過ぎ、油井を後に、ひそかな目的であった春埜製菓に寄ってみた。玉子餅だ。

店に入っても、誰も出てこない。
心が折れそうになったころ、ようやく奥さんが出てこられてひと箱いただく。
写真も撮らせていただく。

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どうも玉子が入っているわけではなく、玉子の形をしているから玉子餅のよう。
あんを上新粉で丸めた小ぶりの餅であった。
これで腹を膨らせ、いよいよ薩埵峠に向かう。

このあたり、どこの店も桜えびとしらす押しである。しかも結構な値段のよう。

なぜ、清水港が近いのに、新鮮な魚ではなくて桜エビとかしらすなんだろう。
細かい網の目に残ったものじゃないの?

昔、静岡みやげに実家に買ったが、自分は食べていないので違いがわからない。

あとで知人に聞くと、どうやらシーズンがあるようで、決して芳醇な海の幸のほとんどをお上に献上し、地元では桜エビとしらすしか残らなかったわけではない、というのはわかった。

小田原のかまぼこといい、そんなに市販のものと違うのだろうか。

蒲原からこっちでは「イルカのスマシ」というイルカの背びれや尾びれを塩漬けにした噛み切りにくい食べ物があるらしいが、なぜ背びれや尾びれなんだろう。本体はどうした。

油井の広重ポイントは薩埵峠なのだけれど、ポイントを見失くないため、峠に上る前から振り返り振り返りあの情景がないか探して歩く。

JR由比駅あたりから、いよいよ山道に入る。ここで振り返ると結構いい感じ。

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中国人観光客が結構いる。なんで?この辺、中国にどう紹介されているんだろう。

このあたりのお寺や神社はすごい急階段の上に設えてあり、まったくお参りしていこうという気が起こらない。でも若い女の子とかけっこう上っている。地元の人?何があるの?

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薩埵峠は東海道の難所の一つであり、三大峠の一つとされていたためビビッていたが、箱根に比べればハイキングコースである。

峠まで果樹園が続いていたし、ほぼ舗装道路だし。お天気もよく、11:30頃峠着。

うん。ここは広重ポイント。
せっかくなのでゆっくり休む。

休んで降りてきたところが広重ポイント。峠じゃねえのかよ…。

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 でもこのあたりで、一瞬、富士が顔を出した。

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ずっと降りてくると、不思議なことに街道は海側ではなく裏山側を回る。

どうしてこんな遠回りをするのか?あとで地図を見ると、土地改良碑がそこここに見られるから、どうも街道を整備した頃には現状の1号線とJRのあたりは浸食著しかったのかもしれない。

裏山道は畑でビニルハウスが広がり、強い日差しを遮るものが何もないので体力を相当消耗する。
しかもぐるっと山を回るのだが、細い路地で集落を抜けるので、道に迷う。

興津の広重ポイントである興津川の川越しの風景は、だいぶ手前から堤防に上がる必要があり、気がついた頃には遅かった。

12:40興津川橋付近でポイントとする。

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(時々写真の左上に指が入るのは、スマホケースが折れてしまったのを抑えています。お見苦しくてすみません)

これってなんという花だろう?

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しばらく歩き、海沿いの道にでたところで「味自慢 興津のたい焼き」屋がある。

プレハブのような建物だが若い人がやってる感じ。

ただ今日は鯛焼きはちょっと暑いかな…と思っているとチャリダーの人がシャッと自転車を止め、店に入っていく。おっ、ここは有名なのか?

腹も減っていたのでついて入ると、若夫婦がやっているお店でなんかクレープ屋のような佇まい。
とにかく一ついただく。

なんかネットで調べると、老舗が火事でこちらに移転されて営業されている様子。
みんなベタボメなんですが、すみません。
私はこの間平塚で食べた鳴海の鯛焼きのインパクトがまだ残っているところでした。

さらにもう少し歩くと、潮屋という菓子屋さん。
宮様まんじゅうという饅頭が有名なお店ということで、立ち寄ってみる。13:30。

奥さんがすごくいい人。私を見るなり、腕の日焼けの赤さに驚いていらっしゃったので、「東京から歩いてきました」と言ったが、どうも信じてもらえなかったようだった。
6日もかかるもんね。

宮様まんじゅうは今回、お菓子ナンバー1とさせていただく。

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お菓子は素材や技法だけではなく、食感、「食べやすさ」も大きな意味を持っていることがよくわかった。

食べやすく、それでいて飽きない。これって絶妙だ。

某地でおはぎを食べ歩いたことがあるが、大きさを売りにしている店があり食したところ、悪いけど大きいだけだった。
それでも歴史があり、駅前で商売をされている。

この饅頭の由来は、ある皇室の幼少の方が近くの清見寺に泊まられた時、食べやすいようにと小さく作り、酒の香りも控えめにして献上したことに由来するらしいが、まさにこれってこのお菓子のホスピタリティではないだろうか。あの店の奥さんのホスピタリティと同じだった。


おいしいこと、ぜいたくな材料や手間と技術や歴史を売りにするお菓子屋さんは多いけれど、このホスピタリティを大事にしてほしい。
それもお菓子、だと思う。

また何度も、そして次は家族と食べたいと思うお菓子だった。

さて、いよいよ街道は清水の街中にさしかかってくる。

江尻の広重ポイントだけれど、これは今回一番残念だった。

集落の向こうに港が見え、その向こうに松林が見え、そういう景色はもう清水で見ることは難しい。

これまでのポイントで私の勘違いとか、住宅街化したところでも、空や山や川の構図に、どこか面影があった。
でもここは構図すら難しかった。街道から海側は埋め立てられ、大きなコンビナートが犇いていた。
江尻は本当に残念だった。今回、唯一のロスト。

14:30頃、庵原川にかかる小さな橋から辛うじて海が見える場所を写しておいた。
ほんの僅かだが、遠くに松原が見える。

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さあ、今日は少し早いけれど予定の宿に到着しそうな勢いである。

その次の宿は静岡中心部なので、今日中に到着するのは無理がある。
清水の宿を行き過ごして行けるところまで距離を稼ぎ、戻ってきてもいい。

ただここで問題となるのが、「地図」の問題だ。
「地図」は東海道の東編しかもっておらず、見附宿までであった。
今回、見附は越えるとしたら、何とか西編をどこかで入手する必要がある。
いい加減な本だが、あの本以上に詳しい本はないのだ。

ここから見附までで一番大きな書店があるのは静岡中心部だ。
今日、変に前に進んでしまうと静岡の手前から明日始めることになるが、中心部を通るのは早い時間で、書店はまだ開いていない。

それぐらいのタイムロス…とも思うが、少しでも効率よくいきたい。

雨が降れば否が応にも調整せざるを得ない。
まず、清水中心部の書店にあたってみて、西編があればそれでよし。
前に進んで清水に(宿に)戻る。なければ…、一気に静岡に行って本を入手し、静岡に泊まって明日は清水から再開しよう。

街道近くの書店に2、3件入るが、やはり西編はなかった。

ネットから、静岡のジュンク堂に在庫があることはわかっていたので、15:22、清水駅からJRで静岡へ。
16時頃本を入手する。

清水に戻る始発は5:02なので、宿は5時前に出ることになる。ということは12時間前の17時少し前にチェックインすればいい。

あと1時間あるので少し休み、駅前で見つけた松屋でチーズハンバーグ定食を食べる。
最近、舌が松屋慣れしてしまって、あまりおいしく感じなかった。
16時台にこういうのをがっつり食べている人も少なかった。

16:50チェックイン。呉服町のど真ん中のビルの3階から7階が快活で、これは満室なんかあり得ないだろうと思い、清水より安心かな、と思っていた。実際ブースは問題なかったが、受付が5階でブースは3階、シャワーは6階でトイレとドリンクバーは4階か6階、エレベーターが遅いという不便さだった。


若い人は非常階段で上り下りしてたが、痛みマックスの足では、とてもじゃないが階段を上り下りしたくなかった。
1時間に2回ぐらいエレベーターに乗る羽目になった。

その分、ブースはこれまでで一番静かだったかもしれない。

6階ですぐにシャワーを浴びる。無料なので15分制限があったが、15分で洗濯物もすべて行って髪の毛まで乾かす。
だんだん上達してくる。

洗濯を干し、足指をケアして寛ぐ。
 
西編を読みながら、どこまで行けるのかを空想する。

清水から袋井までざっと70キロ。あと3日なら楽勝だろう。さて、どうやって帰るか。

新幹線なら、掛川か浜松。
浜松なら新幹線を使わなくても、在来線で4時間あれば京都まで帰れる。
しかも、終電は19:46なので最終日はフルに歩ける。


浜松まで90キロ。あと3日歩いて、連休は1日休養にあてる。
できるだろうか?

19時から23時まで爆睡する。

少し寒く、いろんなものを着倒す。こんなところで風邪なんか引いてられない。23時からルーティングと振り返り。

 

ここで驚愕の事実に気付く。明日は焼津まで歩き、焼津の宿に泊まる予定だった。これでだいたい距離も26キロだった。

…焼津って、旧東海道じゃないのか?!

ええっ!

じゃあ、どうすればいいのか。

宇津峠を越えて藤枝へ。藤枝で距離はいいが、山越えで、宿は六合までない。
六合の宿はシャワーもない。東横インの藤枝も満室である。困った。


5/2(木) 5:10-15:14 27.4キロ 47千歩

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