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2013年5月

2013年5月11日 (土)

サンダーバードの秘密基地~THE BEATLES USB BOXを聴く

たまに、「ビートルズ  USB」で検索してここに来る人もいるようなので、書いてみる。
前から欲しかったものの、なかなか手を出せずにいたが、予定外の収入があったので思い切ってこの度購入に踏み切った。国内正規価格の半額ぐらいまで下がっているので、狙い目だ。でも年末あたりに廉価盤(棒?)が出たら、シオシオだが…。

まず、音をどうのこうの言う前に、全世界のビートルズ・ファンのうちの3万人となったこと(追加発売されたっけ?)、40年間いつも聴いてきた音楽への想いを実体化するような青リンゴのオブジェだ。大きさはスモモぐらいの大きさで、テニスボールより小さく、ピンポン球よりは大きい。そして、ずっしりと重い。音を聴いたり、画像を見ながらためすながめつするのにちょうどいい。
リンゴの茎の部分は力を入れると取れやすいという情報もあったので、すごく神経を使う。引き抜きはぜんぜん問題がなく、ガサガサである。

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(わかりにくいけれど、USBを突っ込むとビートルズアイコンがエクスプローラーに表示される。ちなみに24bitファイルはエクスプローラーからしかたどり着けません)









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(画面にはまんまの画像が…)










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(カーソルを置くと「MUSIC」「VIDEO」「ARTWORK」が表示)










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(「MUSIC」をクリックすると下にアルバムが)








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(さらにアルバムをクリックすると、1曲目から再生開始。自動的に16bit)」







 

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(「VIDEO」をクリックすると、例のドキュメンタリーが)







 

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(「ARTWORK」をクリックするとやっぱりアルバムが表示されて…)







 

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(ブックレットをめくることができる。めでたしめでたし。)










さて、肝心の音だが、PCオーディオは敷居が高い。これがすべてだ(何じゃそりゃ)。
まず、何で聴くか。ソフトは何か。DACは何か。アンプをどうするか。ヘッドフォンかスピーカーか。どう接続するか。PCのサウンドカードを経由するのか、補正するのかしないのか、したほうがよいのか、しないほうがいいのか、するとしたらソフト、DAC、アンプのどこで行うのか、アップサンプリングするのかしないのか、あるいは、私の可聴領域にあるのかどうか…。これらの組み合わせは数多いため、出てくる音の原因がわからない。
「だからこそ、一つ一つ試みていくことにオーディオの楽しみがある」と言われてしまうとそれまでなのだが、私はただビートルズの最高音質を聴きたいだけなのだ。難しいことは誰かにお願いする。

したがって、私が聴いた音が 何にもたらされたものかは未だにわからないでいる。わかったのは、ネット情報はすべて個別性が強い、ということ。誰一人として上記諸条件を同じくして感想を書いているわけではないし、個体差(聴く人の可聴領域)の比較もできない。少なくとも、「PCにヘッドフォンを繋いだ音だけでも24bitと16bitの差は歴然」と書いている人は、私より相当可聴領域が広い人だろう。また、「はっきり言って大差なかった」と書いている人の中には、相当数上記条件のどこかでミスチョイスがありそうだ。さらに「歴然」とコメントしている人の中には、「リマスターCDは未聴だが」と書いている人もいる。もう、何がなんだかわからない。

ずいぶん長い前置きだったが、私の極めて個人的な体験を書くと、まず、フツーにいつも聴いている安物のアクティブPCスピーカーから音出しをした。FLACを聴くためにfoobar2000を導入して再生した。特に、どうということはない。これはマズイ、と思い、ヘッドフォンで聴いてみる。すると、24bitにせよ16bitにせよ、いつも聴いているリマスターCDをXアプリに取り込んだ音よりも、相当素晴らしい。
この時点で、様々な要素が介在する。PCで音楽を聞き始めて7、8年になるが、その間XP→7に変わり、マザボも変わった。私はその変化に気がついていない。
まず、リマスターCDからリッピングしたOPEN MGよりもMP3のほうが断然音がいい。これはXアプリで聴いても同じことなので、ATRACでのリッピングに問題があったとは思えない(もちろんレートは同じ)。
最も濃厚な線は、CDからリッピングしたMP3よりも、USBのMP3のほうが音がいい、ということだ。よりジェネレーションが高いということもあるかもしれないし、どこかで損失が発生して(させて)いる可能性は高い。
しかしこの後、モノボックスをMP3でリッピングし直したところ、音質が向上したのだからよくわからない。

次に、高価なDACが欲しいところだが、「高価なアンプ」も「高価なスピーカー」もないので(ちなみに「高価なヘッドフォン」も持っていない)、それよりは安価なオーディオインターフェースを中継した。ま、外付けのサウンドカードみたいなもの。
残念ながらDAC機能は24bit/44.1Khzに対応していないので、48Khzにアップサンプリング。そしてアナログ出力をアンプに繋ぐ。比較のため、インターフェースから光出力でアンプに繋ぎ、DAC機能は10年前のアンプに委ねる。
すると、DDC機能でステレオに光出力をしたほうが、このインターフェースの高音質化機能をショートカットするにもかかわらず、明らかに音がいい。ジッター軽減とか、一部機能が有効なのか。
おまけに、私が持っている10年前のアンプのDAC部は、ネットで「クソ」とまで言われているので、私の耳が「クソ」の可能性は高い…。
光出力した場合には、インターフェースでDACしたものよりも、出力自体は低いように感じるが、周波数帯は均一に広い(ように感じる)。耳に心地いい。

このあと、スピーカーを取っ替え引っ替えしたり、設定をいろいろ弄ってみたりしたが、結局インターフェースをDDCとして使用するのが一番いい。
どこまでいっても、音質が向上している理由がわからない。24bitと16bitの違いはまだまだ微妙だ。16bitのほうが少しドンシャリだ、と言われたらそんな気もするし、24bitのほうが出力は低いが、周波数帯は均一に出力している、と言われればそんな気もする。
あ、24bitと16bitと間違えて出力してた!と気がついてもわからないかもしれない。
ともかく、おかげで再生環境がよくなり、今まで聴こえなかった音も聴こえるようになったのだから、よしとしよう。実は、何曲かレビューも書いてみたが、以下のエピソードにより、書くのをやめた。「もう他のものが聴けない」は手に入れることができた。


その昔、イマイのサンダーバード秘密基地が欲しかった。子供のプラモデルは500円が標準だった時代に、2000いくらした。今ならなんとない金額だが、小遣いをもらっていない小学生が親にねだれる金額ではなかった。
しかし、小遣いももらっており、かつ、家も持ち家で金持ちの子供の家には、あった。もちろん、そんな家には、秘密基地以外にも、贅の限りを尽くした玩具が転がっていた。
今から7、8年くらい前、子供の玩具をトイザらスに買いに行った時、アオシマから再発したものを見つけて、思わず衝動買いした。衝動買いというより、「衝撃」買いという感じだった。価格は当時とさほど変わらないものであったが、ほぼ40年を経て秘密基地と対峙することになった。
家に帰って、このラッカーと、あのラッカーと、このモーターが必要だとわかり、近くの模型店で売っていることも確認した。でも、作ることができない。もったいないのだ。2つ買っておけば良かった。しかたないので、ミニ秘密基地を買って、こちらを組み立てることにした。しかしこれも、手をつけることができない。
思えば、私は「秘密基地が欲しかった」のであり、作りたかったのではなかった。作らないことには秘密基地ではなく、「欲しかった」を満たすことはないのでは、との意見もあると思うが、私が作った秘密基地は、手に入れたいと空想した秘密基地ではないかもしれない。何より、「秘密基地が欲しい」と思うとき、瞼に浮かぶのはイマイの「箱」であり、完成したプラモデルではないのだ。

安敦さんのブログで、半年間親にねだって買ってもらったオモチャは捨てても、雑誌の広告ページが擦り切れるほど物欲をほとばしらせた物というのはその後も脳裏をよぎる、というようなことを書いておられたことを思い出した。
幻想の中に悶えつつ私は、高価なオーディオを入手し、うわっ!全然24bitは違う!と歓喜に打ち震えている自分を想像する。秘密基地への道は、まだまだ続くのであった。

Himitsu_3

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老人手帳

論評に対して反論を試みるのではなく、私が世間知らずなために何か疑問が湧き上がったことをとりとめなく書きとめる「世間知らずな話」。

伊藤和子さんが「女性手帳」に強い違和感を感じる、と書いていたので、読んでみた。なぜ読んでみたかと言えば、私も強い違和感を感じているからだ。

論評はざっくり分けると2部構成となっていて、国家の上から目線について、ざっくりと言えば前半は社会問題を解決しないで女性に自覚を求めることについて、後半は個人の生き方に国家が干渉しようとすることについて。

私が抱いていた違和感は、まさにこの後半の部分であった。「まして、適齢期を啓蒙して、「晩婚・晩産化に歯止めをかける狙い」というのはいったいどういうことなのか? 職場で上司が実施したらセクハラに該当するであろうことを国が行って良いのか?」  そのとおり!セクハラだよ。「メタボ健診」とか、「後期高齢者医療制度」と同じ発想だと思う。

ただし、前半部分については、違和感の原因に私はさらに違和感があった。「少子化は決して、女性の意識の問題ではない。男女ともの問題であるし、もっといえば社会の問題である。」 そのとおり。

「女性が子どもを産み、育てづらい社会の責任は政治にあるのだから、国こそ責任を感じて、根本にある社会問題を解決すべきなのに、その責任を棚に上げ、女性たちに責任を転嫁して、女性たちに産み育てる自覚と責任を痛み入らせて、問題を解決しようなんて、まさに本末転倒である。」

…ここなんだけど、育てづらい社会の責任は政治にあると言っていいのだろうか。そんなに「国」と「政治」を一緒くたにして他者化して、あなたが悪いんだから、あなたが解決すべき、と言っていいのだろうか。
たぶん伊藤さんは、いやいやそうではなくて、そんなことを言う立場にはないでしょう「国」は、ということがおっしゃりたいのだろうと思う。無責任であること、本末転倒であることに重点が置かれているのだろう。

「少子化の原因は今の社会にあることは既に明らかではないか」そのとおり。
待機児童を速やかになくさないと(保育の質を下げないで)、女性たちは仕事に復帰できない。

「多くの女性たちは、非正規・不安定雇用に従事していて、育休も取れないような職場環境に置かれている。非正規・不安定雇用についている厳しい規制をかけて、働きながら子育てが安定してできる生活を保障しないといけない。」 …。「いけない」けれど、それが少子化問題解決の必須条件だとは思わない私には、よくわからない。

「男女ともに若い世代が抱える将来不安と貧困を解消しない限り、子どもを産むのは難しく、雇用と貧困をめぐる状況を解決しないといけない。」
将来不安はわかるのだけれど、貧困という言葉を使われると、違和感がある。たぶん、今の日本で結婚をしたり、出産・子育てができるような経済条件がないことを指しているのだろう。私は、もし求人倍率と賃金水準が上昇し、バブル時ぐらいの状況になったとしても少子化問題は解決しないと思っているので、理解できない。因みに将来不安はわかると言っても、そのことと少子化問題との因果関係についてはわかりません。

「諸外国・特にヨーロッパ諸国に比べてあまりに高すぎる日本の教育費をどうにかしないといけない。 」まあ、あまりにもよく言われる話なので水掛けになるけれど、諸外国・特にヨーロッパ諸国に比べてあまりにも低すぎる日本国民の社会負担をどうにかできるならばどうにかなるんじゃないでしょうか。「埋蔵金はなかった」って民主党も言っているし。他国比較は容易じゃないですよ。

だから、直後に「ヨーロッパ並みの従事した(充実した?)子育て支援・少子化対策を包括的に手厚く実施しているならともかく、そうしたことをきちんと実施もせずに、『少子化は女性の責任』と言わんばかりの政策に違和感はつきない。 」手厚く実施していても、違和感はつきないのですが、ようするにそんなこと国から言われたくはない、ということに解釈します。

ここから以下は伊藤さんの論評から離れる。
結局、一緒にしてしまうといけないかもしれないけれど、「女性手帳」とか「メタボ健診」とか「後期高齢者医療制度」とかはセンスの問題かもしれない。センス悪い。差別意識も含めて、政治家や官僚のセンスが悪い、古い。だから馬脚が現れる。
ただ私は、違和感がありながらもこれまでと違い、政府の問題意識は伝わってくる。社会保障費の増加をなんとかしなければいけない、とか。
蛇足だが、「国民総背番号制」というのはマスコミの造語かもしれないが、「マイ・ナンバー」とか言い換えたあたり、少しはセンスに変化の兆しもあるのかもしれない。

人はどんなときに結婚したいとか、子どもが欲しいとか思うのだろう。深淵なる問題だ。
金がないから、それは一理ある。私は金がないのでフェラーリが欲しいとは思わないし、最近では若者に車が売れないそうだ。しかし、金があるから結婚しようとか、子どもを作ろうとか、そんなふうには思わないだろう。
晩婚化が不妊の可能性を高め、晩婚化の原因は女性が生活するために働かなければならないからで、「そこんとこよく考えて働けよ」なんて国から言われたくないというのはもっともなのだ。そうすると、女性が出産の可能性を低めながらも、働かなければならない状況をなんとかするべきである、という主張になるのだけれど、センスの問題がじゃまするなら、このようにまじめに「女性手帳」に応戦する必要はないのかもしれない。
ただ、女性は晩婚化や少子化の問題を制度の問題と思っているのだろうか。私は出産の経験がないのでわからない。欧州なみに充実した制度があれば、私だって20代で結婚して出産して子育てするわ、と思っている人が、本当にたくさんいるのだろうか。

男の立場から言うと、私が結婚適齢期の頃と比べて、今のほうが結婚、だけではなくて、女性と交際することよりもはるかに楽で、リスクもコストも少なく、魅力的なものがいっぱいある。ひょっとしたら女性もそうなのでは?経済的なもの、制度的なものが阻害するのであれば、何とかそこを乗り越える方法がありそうなものなのだが、結婚自体に魅力がないのならば、議論が成立しない気がする(「経済成長」と、「愛の結晶」)。結婚が、人と直接接触しないメディアを越えていくのは、結構難しいのかもしれない。

少子化についてはどうだろう。個人的な経験は本当にサンプルとはなり得ないが、子どもを持つのかどうか、不妊治療を続けるのかやめるのか、あるいは何人子どもを持つのかなどは…基本的には2人の意見が一致しなければならない、と思う。これだけ価値観が多様化する中、夫婦といえども、価値観の一致をみることは容易ではない。例えばうちの夫婦がなぜ子どもが少ないのか、と問われても、「産むのは妻ですから」としか答えようがない(「育てるのも」などと言うつもりは毛頭ない)。
将来の不安や貧困が理由ではないのが幸いではあるが、2人以上の子どもがいる世帯が貧困に見舞われない家族像というものについて、みなさんどのようなビジョンをお持ちなのだろうか。ビッグダディのような絵なのだろうか。私は、あれは貧困とは言わないと思うのだけれど…。

今の若い人は、結婚にどんなビジョンを描いているのだろう。いや、ビジョンというよりファンタジーに近いかもしれない。少子化が進んで国家を支えきれなくなる前に、年寄りは「老人手帳」に書いてあるとおり、できるだけ長く働いて、「安楽死法」に基づき、自分の死の時期を決めてさっさと死ぬ、という時代がそう遠くない将来来るかもしれない。世間を知らない人間の妄想なんて、落ち着くところはこんなところかな。

あ、ちなみに「安楽死法」はヨーロッパの一部の国から、「さっさと死ぬ」は麻生財政金融担当大臣から引用しました。

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2013年5月10日 (金)

『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』リマスター記念 ポールのアルバムについて 第9回「バック・トゥ・ジ・エッグ」

Egg_2グレイテスト・ヒッツがポールが考えていたほど売れず、アメリカではレコード会社を移籍した。このアルバムはお金かかってますよ。ジャケットからもわかる。
メンバー2人招集して、クリス・トーマスも呼んで、ロケストラも企画した。ロケストラのギャランティも高いよ。

ヴァーナス・アンド・マースもう一度、といった感じがジャケットからも、そして内容も香りたっている。“Getting Closer”から全開だ。どの曲も、悪くない。ただ思うのは、オーヴァー・アメリカから3年、ポールの音楽は若者にとって、ぬるく、丸くなってしまった。ただそれだけのことかもしれない。

いろいろ反省して、節制もして金もかけて作った結果がこれか、という感じがウィングスパンDVDのインタビューから感じる。ロケストラにはペイジ、ベック、クラプトンが参加するというデマもあったが、このアルバムは買いましたよ。今となっては、いいアルバムだと思うんだけどなあ。

蛇足ながら、リリースから半年後に始まったツアーは“Got To Get You Into My Life”で幕を開け、“Getting Closer”でぶっ飛ばしたと思ったら、次は“Every Night”なんかをやる。オーヴァー・アメリカとは違うもんね、というポールの意向だろうか。そこから地味は曲が5,6曲続く。そのあとの“Maybe I'm Amazed”で歓声があがり、ビートルズを2曲ほどやったあと、また“Hot As Sun”なんていうマニアックな曲をやる。新曲を挟んで“Twenty Flight Rock”なんかやるが、こんな曲やらなくてもウィングスのヒット曲があるだろう、と思ってしまう。次の“Go Now”で歓声が上がる。やっぱり観客は、オーヴァー・アメリカの再現を望んでたんじゃないの?そのあともよくわからない。“Wonderful Christmastime”“(まだ未発表の)Coming Up”“Goodnight Tonight”をやる。彼のムラっ気が出ている気もする。そこそこ評判のいいライヴだったようだが、やっぱりオーヴァー・アメリカにはかなわず、そこには時代の風もあったんだな。

9回に亘ってお送りしてきましたリマスター記念ですが、調子に乗ってマッカートニーⅡ以降もやるかもしれません。やらないときの保険で先に言っておけば、私が好きなアルバムはオフ・ザ・グラウンドとフレイミング・パイとドライヴィング・レインです。以上。

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『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』リマスター記念 ポールのアルバムについて 第8回「ロンドン・タウン」

Londonオーヴァー・アメリカ以降はやめてもよかったけれど、調子がいいのでもう少し続ける。
うーん、なかなかシャレオツなジャケットが数枚続いたのに、なぜかデニー・レインだけ合成画像みたいなジャケット。大減点。象徴的だね。

オーヴァー・アメリカで頂点を極めて、少し腰据えてアルバム作りをしただけあって、音はなかなかよい。でもオーヴァー・プロデュース、かもしれない。
やっぱり、前作から2曲ぐらいはこっちに入れて、ロンドン・タウンのコンセプトを統一すればよかったのに、と思ってしまう。そこはかとなーくバンド・オン・ザ・ランみたいなアルバムを狙った、というか最終的に3人になったからかもわからないが、ポールで行きたいのか、ウィングスで行きたいのか、でも結局ポールでしょ?というツッコミも予想される中、そこを混ぜてしまうとレッド・ローズ・スピードウェイやワイルド・ライフのようなことになってしまう気がする。

前作でいうところの“ Warm And Beautiful ”や、本作の“I'm Carrying”なんかはなあ…。“Famous groupies”や“Name and address”なんかは前作に入れたほうがいい気がする。そのかわり、“San Ferry Anne”と“She's My Baby”をこっちに入れて欲しい。タイトルに「ロンドン」を入れながら、“Children children”“Deliver your children”“Don't let it bring you down”のような土の匂いのする曲が散りばめられているし、“Cuff Link”なんか収録してはいけません。それ以外の曲は抜群にいいです。

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2013年5月 9日 (木)

『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』リマスター記念 ポールのアルバムについて 第7回「ウィングス・アット・ザ・スピード・オブ・サウンド」

At日本盤よりも1ヶ月以上前に輸入盤が出回って、バンド・オン・ザ・ラン、ヴィーナス・アンド・マースと来て、ニュー・アルバムが悪いわけがないとの確信のもと、 待ちきれずに買った。

前作に較べると、インスタントな感じは否めない。本人もドメスティック・アンド・スピード・オブ・サウンドだと言っていた。バンド・オン・ザ・ランの頃に較べれば、ずいぶんポールも肩から力が抜けている。聴くほうも、力を抜いて聴けるが、その分、またまたポールの癖が見え隠れする。

前作がライヴを意識して作ったアルバムであったことを考えると、このアルバムはその反動がうかがえる。ライヴで取り上げている曲調、前作で取り上げているような曲調や手法は重複していないように思えるが、これはある意味新生ウィングスの方向性、正確にはポールがウィングスでやろうとしている方向性がはじめて現れており、次作や次々作に繋がっている。

“Let 'Em In ”“The Note You Never Wrote”と、なかなかいい流れでくる。“Silly Love Songs”も力作で、ほかの曲も力を抜いて聴けるとなれば、これで及第点だろう…。しかし。

前作のところで“Medicine Jar”を入れた試みを散々持ち上げたが、今回、“Cook Of The House”“ Must Do Something About It ”でその試みは失敗している。特に後者は、次の“San Ferry Anne”を潰している。“Time To Hide ”から繋げれば自然だが、無理やり入れたためにこの後の2曲は疲れてしまう。これは入れるべきではなかった。
“San Ferry Anne”と“She's My Baby”は次のアルバムに入っていてしかるべき曲なので、よけいにそう思う。“ Warm And Beautiful ”なんてマッカートニーにでも、ワイルド・ライフにでも入っていたらいい曲。何となく、次作でまたバンドが分解する予兆が現れている。たぶん、ワン・ハンド・クラッピングの頃のノリはなくなってきてたのだろう。

 

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2013年5月 8日 (水)

『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』リマスター記念 ポールのアルバムについて 第6回「ヴィーナス・アンド・マース」

Venusイロイロ揉めたが、ジミー・マカロックの影響というのは大きかったのではないだろうか。60年代後半からのニュー・ロックの影響をもろに受けた世代と一緒に仕事をするのは初めてのはず(何よりその前の世代は自分たちなのだから)。

ジェフ・ブリットンはこのアルバムでは“Love In Song ”“Letting Go ”“Medicine Jar ”の3曲に参加して辞めているが、その前の“Junior's Farm”から参加している。私はこの曲のPVが大好きで、この曲が大好きだ。やっと、ポールがバンドしている感じ。映画「レット・イット・ビー」の頃の感じ(…まあ「ワン・ハンド・クラッピング」ももう一度同じことをやっているような感はあるが)。本人もこの曲が好きなようで、何度かライブで試みてはうまくいかずに諦め、今年のライブでもやっている。
前々作までは、ポールとリンダ以外はセッション・ゲスト、みたいだったが、バンド・オン・ザ・ランの成功と若い2人のバックアップで、やっとビートルズの向こうを張るべく、バンドしている。もう完全に自信を取り戻して、「次はライヴだ!」という空気が伝わる。この曲にしても「ワン・ハンド・クラッピング」にしても、ライヴのリハーサルだ。
「若い2人のバックアップ」は本当に大きく感じる。前作が落ち着いてからのツアーになるので、もういっちょアルバムを作らなければいけないが、ポールがやりたいツアーのイメージがそのままアルバム製作となっている。そのイメージを具体化したのは、この2人だと思う。残念ながら健康志向のジェフと、ヤク中のジミーは合わずにジェフは抜けたが、イメージができればあとは録音するだけだったのではないか。

1曲1曲はどれも、シングルカットできるぐらいよく出来ており、前作に引き続いてアレンジも工夫されている。その中で注目するのは“Medicine Jar ”なのだが、冒頭ジミーの影響が大きかったのでは、と書いたのは、昨日今日加入した一回りも下の若造の、しかも自分が書き下ろしたのでもない曲をボーカルを取らせてアルバムに入れている、というのは驚く。ポールのバンド志向と言えばそうなのだが、これはギャンブルだったのではないか。
時代は、“Rock Show ”の歌詞に出てくるとおり、ハードロック後期である。ポールはここに「寄せて」いっている。それが浮き上がらないようにする工夫(アレンジ)もしているので、前作以上にアルバムにグラデーションが付いている。この1曲は効いている。
ちなみに、A面では自ら“Letting Go ”をやっているが、シングルはポールが期待したほどヒットしなかったことに落胆したらしい。このほかにもポールは、アルバムでこの若造に真っ向勝負をしている。“Magneto And Titanium Man ”や“Call Me Back Again ”とか聴くと、「どうだ、俺の引き出し」と言っている(気がする)。

あとは、このアルバムを中心にライブをやり、ところどころに過去のヒット曲を散りばめれば、大成功は約束されたも同然なのであった…。

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2013年5月 7日 (火)

『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』リマスター記念 ポールのアルバムについて 第5回「バンド・オン・ザ・ラン」

タイトル曲Band_3から、前作ではあまり上手くいかなかったと思う、複数曲の合体に大成功している。2曲目にベタベタのキャッチーな曲を持ってきている。
A面曲を2曲続けたあとに、間髪いれずにイントロもなく“Bluebird”のようなバラードを持ってくる。計算されている。
次の“Mrs Vandebilt”にせよ、“No Words”や“Picasso's Last Words ”にせよ、一つ間違えると前作のようにだらだらと聞かされるような曲だが、アレンジもよく、非常にアクセントが効いている。“1985”に至ってはダメ押しだ。

それに、前作のように聞き疲れしないのは、エンジニアにジェフ・エマリックを起用したことも大きいかもしれない。どの曲も音がスッキリしている。
彼曰く、73年にアラン・クラインが首になって、ようやく彼に声がかかったらしく、解散後ポールが相当苦労した様子がうかがえる。
前2作が不評で、おまけにこのアルバムのリハーサルが上手くいかず、レコーディング直前にバンドメンバーが2人抜けている(アルバムタイトルはそのことを皮肉ったもの)。さらに、アフリカでは災難続出である。

ただ、かえってそのことがポール自身にとっては良かったのかも知れない。そういった悪条件の下、自分と音楽の距離を取り直したかのようだ。このアルバム発表以降はもう一度一から、大学を回ろうなどとは言い出さない。
何より、楽曲の完成度にもかかわらず、肩に力が入ってない。上記の災難でマスターテープを失い、思い出しながら再度録音し直したらしい。この話が本当なら、予期せず十分にリハーサルをやった、ということである。
3人のコーラスも前作より格段の進歩がうかがえる。プレイもいい。実質上このアルバムでバンドは解体しているのに、かえって纏まりがある。ベタ誉め状態。「ウィングス」のサウンドができた、ということだろうか。

しかししかし、直感的には一曲一曲の完成度が高いのがこのアルバムであっても、アルバムとしては私は次作の方を私は評価している。

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2013年5月 6日 (月)

『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』リマスター記念 ポールのアルバムについて 第4回「レッド・ローズ・スピードウェイ」

Redほとんどリアルタイムのアルバムで、相当聴いたはずにもかかわらず、私自身アルバムとしての印象が薄いのはなぜだろうか。
“My Love”以外に強烈な曲が見当たらないのも理由の一つだ。

その“My Love”以降は、ピアノ主体の曲が続く。前作が酷評されたことから、もっとマッカートニー色を強く打ち出しつつ、本人はバンド色を打ち出したいとした折衷が表れている気もする。
単純に、アレンジが良くない。1曲目の    “Big Barn Bed”から、TV「ジェームス・ポール・マッカートニー」のバージョンのほうがいい。テレビを見てからこのアルバムを聴いたから、余計にそう思ったのかもしれない。他のワイルドめの曲も、前作みたいなテイストにならないように、似たようなエコーがかかっている。なぜか聞き疲れする。

話は逸れるがポールのシングル曲は、“Another Day ”から“Coming Up”ぐらいまで、どの楽曲も完成度が極めて高い。それから言えば、このアルバムの収録曲はどれもB面曲のグレードだ。“Little Lamb Dragonfly”やWhen The Nightもいい曲だけれど長い。コーラスが酷い。たぶんビートルズでやってたら、もっとコンパクトにメリハリが効いていただろう。
デモのレベルだ。“Ram On”みたいに割り切って1分の曲にしたりもない。後半はメドレーにしているが、これもかえって散漫さを増す。アビィ・ロードや、“Uncle Albert / Admiral Halsey”のようにそれぞれの曲の個性生きる仕上がりとなっていない。“Loop”のように単調で長いインストが入っている。

結局、アソートが悪い、という印象。どうも、このアルバムにポールの仕上がりが間に合っていなかったのではないか?ポールのアルバム、というだけで売れるのだから、ジョージ・マーティンやビートルズのメンバーのように、制作時にダメ出しをしてくれる人間がいなかったのではないか?
もちろんポールでしか書けない秀逸なメロディーであり、そのレベルは平均を大きく凌駕するのだけれど、完成度はもっと上げられるはずなのに、と思ってしまう。
曲順か?例えば、

1. One More Kiss
2. Get On The Right Thing
3. Single Pigeon
4. Medley: Hold Me Tight/Lazy Dynamite/Hands Of Love/Power Cut
5. Big Barn Bed
6. When The Night
7. Little Lamb Dragonfly
8. My Love
(Loupはボツ)

趣味の問題だが、こうすると私はグッと聴きやすい(だからと言って、次作に匹敵するわけではないが…)。曲数が足らないなら、最後に "The Mess"でも入れておけばいい。
このアルバムは前作よりも好成績だったが、結構厳しい評価にも晒されたようであった。後に続く数作はこのあたりが改善されているので、本人も制作にやや不満があったのではないだろうか。

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2013年5月 5日 (日)

『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』リマスター記念 ポールのアルバムについて 第3回「ワイルド・ライフ」

Wlワイルド・ライフを聴いたのは少し後になってからだったかもしれない。バンドのデビューアルバムで、ラフだ、ラフだとのレビューを読んでから聴いているので、そんなに驚きはなかった。
最初に印象に残ったのは“Love Is Strange”だった。時代だね。レゲエ。たぶん、ストーンズの“Cherry Oh Baby ”とか聴いていた時代とシンクロするのかも。

CDになって情緒がなくなったのだけれど、力作“ワイルド・ライフ”でA面を聞き終えたあと、裏返して“Some People Never Know”で和む、というのがある。この曲がラムの流れを一番引いている気がする。ヘッドフォンで細かくポールのピアノ・ワークを聴いていると癒される。

でも、出だしは“Mumbo”の勢い(どこが「マンボ」なんだ?)で新しいバンドの息吹を感じるけど、はっきり言って、結局B面はビートル・ポールなので、どんどんアルバム“マッカートニー”のテイストに傾いていくのが、あらら~と思ってしまう。だから私は“Tomorrow”とか“Dear Friend”とかはあまり好きではない。(“Bip Bop”もマッカートニー・テイストだけど…)

本編ではないが、“アイルラインドに平和を”は好きです。

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2013年5月 4日 (土)

『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』リマスター記念 ポールのアルバムについて 第2回「ラム」

Ramこれとヴィーナス&マースは、思い入れありすぎで何から書いたらいいかわからない。

友人から借りた。私はNHKでTV「ジェームズ・ポール・マッカートニー」なんかを見た後からポールのアルバムを聞き始めたので、レッド・ローズ・スピードウェイぐらいまでのアルバムには必ず知っている曲が数曲あったので、このアルバムで言うと、“Uncle Albert”と“Heart Of The Country”は借りる前から知っていた。ある意味、聞きやすかった。

これは明らかに前作と違い、アルバムを作る気で作っている。いや、完成度とバリエーションが前作とはまったく違う。ウクレレ一本の曲からストリングスまで入っている。ロックからバラードから、この人の才能が余すところなくつぎ込まれている。捨て曲がない。
ニューヨークでのレコーディングはそんなに順調なものではなくて、あらためて自分がリーダーシップを取ってアルバムを作ることの困難さを当時出会ったジミー・ペイジに話している。

どの曲も手が掛かっている。オーバー・プロデュースぎりぎりかもしれないが、いろいろな仕掛けがしてあり、技術的に凄いなあと思う。ビートルズ並みだ。それでいて、以降のポールにあるような、やり過ぎたり、ラフ過ぎたりというムラっ気がみられない。

“The Back Seat Of My Car”を聴いても、この力作はゲット・バック・セッションでも取り上げられていて、当時のビートルズにやる気があればビートルズの作品として世に出ることもあったかもしれない曲だが(ジョンは嫌いだったろうなあ…)、結局前作でも発表しなかったところを見ると、マッカートニーというアルバムの経緯や、この曲をポールが大切に仕上げようとしたことなど、いろいろ想像が広がって面白い。

“Dear Boy”のコーラスの重ね方やボーカルのエフェクト、ピアノ、ドラムス、キーボード、ギターの音の入れ方。最後のピアノのミストーンみたいなものまで計算されているように聞こえる。元ネタはあるんだろうけど、こういう試みはビートルズ時代に案外ない。
このアルバムのクレジットが唯一ポール&リンダ・マッカートニーとなっていて、リンダの下手なりのコーラスがこの曲や“Uncle Albert”ではビートルズではなかったテイストを醸し出しているが、なによりポールも久しぶりに「歌って」いる。各曲微妙だが、それぞれボーカルを変えているようにも思う。
リンダの故郷のニューヨークでレコーディングする前に、相当アイデアを練って、準備して臨んだのではないだろうか。ニューヨークのスタジオでゲストニュージシャンやらオーケストラやら、お金もかかっている。どこかで本人も言っていた気がするが、本当の意味での彼のデビューアルバムなのかもしれない。

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2013年5月 3日 (金)

『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』リマスター記念 ポールのアルバムについて 第1回「マッカートニー」

Mac久しぶりに更新しようと思ったら、ココログの入り方すらわからなくなっていた。危ない。

このアルバムを買ったのは今から40年近く前で、“John Lennon/Plastic Ono Band ”と同時に買った。今思えば、ジョンとポールのソロ第一作を同時に買って聴く、というのは、その後の自分の40年の人生を振り返ると示唆的ではある。

“Junk ”1曲のためだけにでも買う価値はある、とのレコード会社の喧伝もあり、ともかく、アビィ・ロードの痕跡を見つけたいという衝動で、当時の私としては大枚を叩いて、LP二枚買いをした。
このアルバムを入手するまえに、すでに“Maybe I'm Amazed ”は「ジェームズ・ポール・マッカートニー」で、“Momma Miss America ”はビート・オン・プラザのテーマ曲で知っていた。でも「問題の」“Hot As Sun ”や“Teddy Boy ”はビートルズの未発表曲として知っていたから、興味津々だった。

なんか唐突に始まって唐突に終わる“The Lovely Linda ”でいきなりズッコケたが、まあ、これがすべてではある。40年間にいろいろブートやらオフィシャルやら聴いてきて、ずいぶん印象も変わったものの、結局デモテープなんだな、これは。前にも書いたが、“All Things Must Pass ”が出るまでは、誰もビートルズとカブるようなことは意識的に避けていた感がある。このアルバムにアビィ・ロードの痕跡を発見しようとすることに無理があったが、それでも、“You Never Give Me Your Money ”や“She Came in Through the Bathroom Window ”の匂いはそこここにプンプンする。ひょっとしたら逆に、この2曲のほうが「マッカートニー臭」がするのかも知れないが…。

いずれにせよ、アルバムを完成させなければいけない脅迫観念で作ったアルバムではなく、何曲か録音してたら「ジョンもリンゴもジョージも出してるしなー(ヨーコとの実験、センチメンタル・ジャーニー、電子音楽の世界)、もういいや、アルバムにしちゃえ」って何曲かインストやら足して形にした感がある。でもそれでもこの水準のものができる、っていうのは凄い。プラシーボ効果かもしれないけれど。

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