Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again
行ってきました、Zepp大阪。
チケットは高かったし、こんなに満杯のスタンディングは初めてだし、「巨木」が眼前に立ちはだかるし、来るんじゃなかった…と少し後悔したが、例のアナウンスに続いて「メンフィス・ブルース・アゲイン」が始まった時、全部飛んでしまった。9年前のツアーの際、次回は全公演追っかけたい、と思ったのに、なぜ今回は今日一日なんだ、そう思った。9年ぶりに水面に出て、呼吸したような気持ちになった。
演奏は、これはブートで聞いてきたのにわからなかったが、ネバー・エンディング・ツアーの悪弊だったボブの延々とやるギターソロがなくなり、キーボードをやることで、演奏に締まりが生まれていた(笑)。
私が行った、94年、97年、01年と比べても、今回が一番元気だった気がする。それに客も元気だった。絶対に見えないと思うのだが子連れのスタンディングもいたし、私より年配と思しき方々ももちろんいた。しかし平均すると、20代から30代なのではないだろうか。ということは、彼らはオー・マーシー以降の世代で、サンボマスターとかの影響で聞くようになったのだろうか。「メンフィス・ブルース・アゲイン」が始まると、一斉に前へと押し寄せて行った。私は、前回公演から今回までに子供が生まれ、遠近両用眼鏡をかけるようになった。
ディランのことを書くと、知らない間に大絶賛してしまうのでいけない。妻に、今日のライブに来た客は、たぶん2000人が2000人とも満足して帰っただろうと言うと、2000人にとってまさしくディランは神であり、Zepp大阪に舞い降りたのであって、なんら不思議なことではない、と言った。彼が9年ぶりに私の眼前に現れ、「メンフィス・ブルース・アゲイン」を歌ったたという事実が奇跡なので、歌ではないのかもしれない。
立川談志が自身の独演会に行かなかった時、客がさすが談志、洒落てると満足して帰った、という逸話があるが、その域なのだろうか。
ともかく、ディランは私を含めたあそこに集まる人間のために膨大なレパートリーの中から9曲を選び、レギュラー5曲と合わせてパフォーマンスを行ったのだ。
私は今回、フロア中央の手摺りに寄り掛かっていた。冒頭のように巨木が立ち塞がる中、場所移動も気が重かったので開演までそのままだったが、ふと振り返ると白杖の男性が立っていた。彼には失礼だが、座席指定ならいざ知らず、オールスタンディングのライブハウスに躊躇がなかったのだろうか、と一瞬思った。彼に声をかけて手摺りの一部を譲ると、彼はずっとこの日を楽しみにしてきていたと話し、私は初めてなら、ディランのライブは曲が始まっても何だかよくわからないですよ、と水を差すようなことを言ってしまったが、彼は、大丈夫、ずっと聞いてきてますから、と答えた。
私は自分を恥じた。彼はここへ、ディランを“聴きに″来たのだ。前が巨木で見えないとか、立ちっぱなしは疲れるとか言う前に、ディランを聴くことに集中するのだ。私は2時間の間、目を凝らしてディランを見た後、目を閉じてディランを聴くことができた。実際、彼の方が曲に気付くのは早かった。
今回、おそらく最後の来日になると覚悟して会場に向かった。
でもオッサンまた来るよ、きっと。
会場の空気はまったく損なわれている。あるいはこれが現実か?
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