僕たちの失敗
若い頃、言いようのない敗北感を味わった時、例えば森田童子を聞くことで癒され、「言いようのな」かった敗北感を歌という形にすることができたかも知れない。
私と同年代の人は、こういった表現に少しは理解を示してくれると思うが、今の若い人はどうだろうか。若い人の敗北感は、どんなアーティストによって癒されるのだろうか。
あるいは「敗北感」と一口に言っても、みんな異なっているのだろうか。
音楽を聴くのは何も敗北感だけではない、と言う人もいるだろうが、私が言いたいのは、私の時代には私の敗北感を結晶化するのに、たとえば森田童子がいたのだが、今から十数年前に、「ぼくたちの失敗」がドラマで使われてリバイバルしたのは、私よりずいぶん後の世代が、やはりその世代の敗北感を結晶化したのではないか、と思ったのだ。
たぶん、今の若い人の敗北感は、森田童子で癒されるのではなく、YUIや私の知らない多くのアーティストで癒されるのかも知れない。
……………
タイトルからして意味ありげな、森田童子の「ぼくたちの失敗」は、彼女のか細い声で歌われるが、春の木漏れ日/君のやさしさ といった歌詞の後、「弱虫」と自認する。
森田童子は83年に活動停止して、リバイバルヒット時にも復帰をしなかった。が、2003年のリ・リバイバル時に、20年ぶりにたった1曲だけ新曲をベストアルバムに提供している。
厳密には「新曲」とは言えないが、「海が死んでもイイヨって鳴いている」を「ひとり遊び」というタイトルで再録音している。
http://www.youtube.com/watch?v=2bxhlVOeBd8
(埋め込み無効なので、URLで紹介します。)
20年ぶりの歌声は、やはり20年の時間の経過を感じさせる。ビアノもハーモニカも本人とのことだし、この音の悪さやボーカルが消えかけているところなど、普通ならリテイクだと思う。しかしそのままになっているのは、ひょっとしたらホームレコーディングではないか?と思ったりする。現役時から素顔さえ曝さないで活動をしていた人なので、レコード会社やスタジオに足を運ぶことがないことを条件に、オファーを受けたのかもしれない。
もう一つ、選曲なのだけれど、森田童子はこの歌に思い入れがあったのだろう。今もう一度この歌を歌うことと、そしてわずかに歌詞を変えることの二つが、聞き手に向けられたメッセージである(あるいは、この歌の歌詞を変える、という単一のメッセージかも知れない)。
歌詞が変えられたのはたった一カ所で、しかもタイトルが歌詞になっている箇所である。
「海が 僕と一緒に 死んでも いいョって呼んでます」
相当字余りながら、森田童子は歌いきっている。もちろん原曲はタイトルをなぞるべく、
「海が 死んでも いいョって鳴いてます」
となっていた。
この違いは、原曲が海が“僕″の自殺を赦す歌、そしてその絶望を感じるのに対し、再録音により、海が赦すのではなく、心中を了解している、あるいは死への誘惑を歌っているように感じる。直後に「誰か僕に話しかけてください」と歌われるのも、この部分との対比があると思う。
長い間この曲には誤解があったのか、あるいは創作者としての後悔があったのだろうか。
また最初と最後に繰り返されている歌詞は、父母の期待を裏切ったことを「許して」ほしいと歌い、「僕」はひとりで「生きて」いく、と歌う。「死んで」いくのではないのだ。
結局この歌は「遺書」ではなく、「訣別」を歌ったものなのだ、というメッセージなのだろうか。
ともあれ、タイトル部分の歌詞を変えた以上、タイトルも変えたのだろう。「ひとり遊び」とは意味深だ。20年ぶりに発表されたたった1曲にこめられたメッセージ、これらのメッセージは、往年のファンと新しいファン、そして彼女は「森田童子」にも向けて発せられたものではないのだろうか。それは「訣別」なのか。「遺書」なのか。
実は歌詞以外に、変更している箇所がある。2番と3番を入れ替えている。また、3番のあとにはモノローグがあったが、これもなくなっている。が、ここには何かメッセージが含まれているようには思えない。入れ替えたほうがしっくりくる、としたのか、あるいは単純なミスか、また以前あった「僕の声に驚いて目を覚ましました 僕は夢の中で泣いていたようです」というモノローグを、あらためて収録する必要は感じなかったのだろう。
「敗北感の結晶」などと「イタイ」言葉使いかも知れないが、森田童子が歌っていた時代に私が抱えていた、あてどころのない無力感や失望感は、ずいぶん歌に励まされた。歌の内容は励ましていなかったかもしれないが、私の「弱さ」に共通する情景を垣間見せてくれ、君は一人ではないんだよ、そう語りかけてくれた。
冬の終わりの頃になると、そんなことを思う。
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