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2010年2月

2010年2月27日 (土)

僕たちの失敗

若い頃、言いようのない敗北感を味わった時、例えば森田童子を聞くことで癒され、「言いようのな」かった敗北感を歌という形にすることができたかも知れない。
私と同年代の人は、こういった表現に少しは理解を示してくれると思うが、今の若い人はどうだろうか。若い人の敗北感は、どんなアーティストによって癒されるのだろうか。
あるいは「敗北感」と一口に言っても、みんな異なっているのだろうか。

音楽を聴くのは何も敗北感だけではない、と言う人もいるだろうが、私が言いたいのは、私の時代には私の敗北感を結晶化するのに、たとえば森田童子がいたのだが、今から十数年前に、「ぼくたちの失敗」がドラマで使われてリバイバルしたのは、私よりずいぶん後の世代が、やはりその世代の敗北感を結晶化したのではないか、と思ったのだ。

たぶん、今の若い人の敗北感は、森田童子で癒されるのではなく、YUIや私の知らない多くのアーティストで癒されるのかも知れない。

……………

タイトルからして意味ありげな、森田童子の「ぼくたちの失敗」は、彼女のか細い声で歌われるが、春の木漏れ日/君のやさしさ といった歌詞の後、「弱虫」と自認する。

森田童子は83年に活動停止して、リバイバルヒット時にも復帰をしなかった。が、2003年のリ・リバイバル時に、20年ぶりにたった1曲だけ新曲をベストアルバムに提供している。
厳密には「新曲」とは言えないが、「海が死んでもイイヨって鳴いている」を「ひとり遊び」というタイトルで再録音している。

http://www.youtube.com/watch?v=2bxhlVOeBd8
(埋め込み無効なので、URLで紹介します。)

20年ぶりの歌声は、やはり20年の時間の経過を感じさせる。ビアノもハーモニカも本人とのことだし、この音の悪さやボーカルが消えかけているところなど、普通ならリテイクだと思う。しかしそのままになっているのは、ひょっとしたらホームレコーディングではないか?と思ったりする。現役時から素顔さえ曝さないで活動をしていた人なので、レコード会社やスタジオに足を運ぶことがないことを条件に、オファーを受けたのかもしれない。

もう一つ、選曲なのだけれど、森田童子はこの歌に思い入れがあったのだろう。今もう一度この歌を歌うことと、そしてわずかに歌詞を変えることの二つが、聞き手に向けられたメッセージである(あるいは、この歌の歌詞を変える、という単一のメッセージかも知れない)。

歌詞が変えられたのはたった一カ所で、しかもタイトルが歌詞になっている箇所である。

「海が 僕と一緒に 死んでも いいョって呼んでます」

相当字余りながら、森田童子は歌いきっている。もちろん原曲はタイトルをなぞるべく、

「海が 死んでも いいョって鳴いてます」

となっていた。
この違いは、原曲が海が“僕″の自殺を赦す歌、そしてその絶望を感じるのに対し、再録音により、海が赦すのではなく、心中を了解している、あるいは死への誘惑を歌っているように感じる。直後に「誰か僕に話しかけてください」と歌われるのも、この部分との対比があると思う。
長い間この曲には誤解があったのか、あるいは創作者としての後悔があったのだろうか。

また最初と最後に繰り返されている歌詞は、父母の期待を裏切ったことを「許して」ほしいと歌い、「僕」はひとりで「生きて」いく、と歌う。「死んで」いくのではないのだ。

結局この歌は「遺書」ではなく、「訣別」を歌ったものなのだ、というメッセージなのだろうか。

ともあれ、タイトル部分の歌詞を変えた以上、タイトルも変えたのだろう。「ひとり遊び」とは意味深だ。20年ぶりに発表されたたった1曲にこめられたメッセージ、これらのメッセージは、往年のファンと新しいファン、そして彼女は「森田童子」にも向けて発せられたものではないのだろうか。それは「訣別」なのか。「遺書」なのか。

実は歌詞以外に、変更している箇所がある。2番と3番を入れ替えている。また、3番のあとにはモノローグがあったが、これもなくなっている。が、ここには何かメッセージが含まれているようには思えない。入れ替えたほうがしっくりくる、としたのか、あるいは単純なミスか、また以前あった「僕の声に驚いて目を覚ましました 僕は夢の中で泣いていたようです」というモノローグを、あらためて収録する必要は感じなかったのだろう。

「敗北感の結晶」などと「イタイ」言葉使いかも知れないが、森田童子が歌っていた時代に私が抱えていた、あてどころのない無力感や失望感は、ずいぶん歌に励まされた。歌の内容は励ましていなかったかもしれないが、私の「弱さ」に共通する情景を垣間見せてくれ、君は一人ではないんだよ、そう語りかけてくれた。

冬の終わりの頃になると、そんなことを思う。

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アビィ・ロード・スタジオ、売却危機から一転重要文化財に

Stjohnswood2_3
一応なんかこんな名前のブログをやってますので何かコメントしてみますが、

「別に横断歩道が売却されるわけではないし」。

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