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2009年9月

2009年9月27日 (日)

モノこそはすべて

他の人のブログを読むと、リマスターについては概ね高評価である。「概ね」なんていうレベルではなく、辛口レビューには出会っていない。
そんな中、UKモノとリマスターの比較試聴会をされた方がいて、そのうちリマスターをかけずにUKモノだけをかけるようになった…という話が興味深かった。

去年の今頃、「モノ思う、夏の終わりに」に書いたが、どうして未だに40年前のUKモノがいい音がして、魅了されるのだろう。
「ビートルズが目指した音だったから」とはよく言われることだが、それは勘弁して欲しいのだ。「ジョンが生きていたら、きっとそうしてたと思うの。」と同じ理屈になる。
具体的に何がいいのか、それをもたらしたのはアーティストのプレイなのか、プロデューサーの采配なのか、エンジニアの卓技術なのか、機材やスタジオの性能なのか、それとも「盤」の性質なのか。

BBC制作の「ライブ・フロム・アビーロード」という番組を見た(聴いた)が 、凄くいい音だった。それは、今回のリマスターにも通じる音だった‥ような気がする。
エンジニアのジェフ・エマリックによれば、ビートルズはオリンピックやトライデントといった、EMIよりは格段に「快適な」スタジオを使用しても、結局アビィ・ロードに戻ってきたのは、自分たちの欲しい音が出せなかったからではないのか、と言っている。

私が当初予想していたのは、ビートルズの抽象的なオーダーに対し、卓の上での悪戦苦闘があり、革命的なミックスを生み出したのではないかと考えていたが、エマリックの自伝をよく読むと、卓より寧ろオーダーを実現するための録音方法、例えばマイク・セッティングやダイレクト・イン、テープの利用など、録音そのものでオーダーの音が録れるよう苦心した話が多い。少し考えれば思い付いたが、何せトラックは基本4つの昔の卓だから、卓の上で出来ることは限られているのだ。
だが「限られている」からこそ、最初に録音する際、後でミックスで音が消えないよう音色や音域や遠近感を変えて録音をしているのだ。(今なら卓の上でできることかもしれないが)

同じことは、ジョージ・マーティンの著書「耳こそはすべて」でも触れられている。最初に音を録る際、非常に試行錯誤を繰り返したことに加え、この著で興味深かったのは、彼の持論として、マイクにせよレコードにせよ、入力限界ぎりぎりのところが最大性能を引き出せるのであり、カッティングの仕上がりまでがレコーディング・プロデューサーの仕事だ、と言い切っている。

ビートルズがモノのアセテート盤の試聴まで立ち会ったのは、仕上がりが不満ならすぐに録り直しをしなければならず、そのことは即ち、例えばマイクのセッティングからやり直さなければならないことを意味している。楽器のバランスもミックスの前に、ほぼ決まっていたのだ。当時卓ではEQとエコー(リバーヴ)、リミッター程度の補正しかできなかったのだ。

それと、モノの方が音がどっしり聞こえるのだが、単に同じテープ幅で2トラックより1トラックの方がノイズも低減し、再生能力も向上すると考えられることに加え、先のカッティングの試みがなされ、さらにエマリックによれば、アビィ・ロード以外は真空管のコンソールが使用されていたらしい…と書けば、俄然モノがいい、とする根拠は、もう十分な気もする。

一方、ステレオは当初、臨場感もさることながら二つのスピーカーからそれぞれ違う音が出ることが“ウリ″だったに違いないのだ。エマリックも「フェーダーで遊んだ」と言ってるし。また、だからこそ片チャンネルで聴いた時にミスが目立つ迫力あるモノテイクは採用出来なかったし、無難なテイクや分離の良いテイクに差し替えられ、テイク違いが生まれたのでは?

ところで私がこの件にこだわるのは、実は最近1964年8月23日のハリウッド・ボウルのモノ・ミックス(発売中止になった)と「全く編集に手を加えられていないのステレオマスターミックス」(もとが3トラックなのだから、ミックスダウンしているのに"全く編集に手を加えられていない"と言えないと思うが‥)を聴いたからである。
ライブを録るのに、「最初に音を録る工夫」なんて一層限定的なのに、モノ・ミックスが俄然良いということは、やっぱり卓の上のマジック(なんか崖の上のポニョみたいだが)があったのか?と思ったのだった(エンジニアはキャピトルのエンジニアのようだけど)。

もう一度繰り返すが、モノは「ビートルズが目指した音」だから素晴らしかったわけでも手間をかけたわけでもなく、当時はモノでモニターせざるを得ず、また卓の上でのミックスよりもレコーディング時のバランスとさまざまな試みが結実したものであり、ステレオはステレオ化が目的であったため幾分見劣り(聴き劣り?)せざるを得なかったということではないのだろうか。

「ビートルズが目指した音」であるならば、ラスト2枚もモノ・ミックスを作ったはずだ。
ということは裏を返せば、ステレオ・ミックスしか作成されなかった“アビィ・ロード″こそ、レコーディングからミックスに至るまで「ビートルズが目指した音」であり、それまでのステレオ・ミックスとは一線を画するサウンドに仕上がっている唯一のアルバムではないだろうか。
皮肉なことに、今回のリマスター効果が一番感じられないにも関わらず、最も売れているようである。

キャピトルだ、なんて言わないの…

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2009年9月12日 (土)

箱から取り出す作業、箱にしまい込む作業

舌の根も乾かないうちに、リマスターに触れて置きたい。

ともかく一旦それぞれの箱から取り出して音をPCにぶち込むと、すぐに元に戻した。したがってそれぞれ一度ずつしか箱から出していない。
全曲をシャッフルしたり、アルバムごとに聴いたり、ある曲を取り出したりして、だいたい全曲を網羅した今の印象として、ポールのベースが際立つのは下馬評通りだが、ジョンのミュートや、リンゴが刻むカウントや、オルガンの音、ストリングスのきっかけまで聞こえる。また、これまでの1、ソングトラック、ネイキッド(ラブは‥)といった音の提示と比較しても、最も曲本来のイメージを損なわないように神経と敬意が払われている。

よりビートルズが目指した音に近付いたかどうかは別として、楽器、ヴォーカルの音がそれぞれリアルになる、ということはライヴ感が出る、ということである。これはもう、諸手を挙げて賞賛したい。何せ、マイナーな曲でも少なくともこの35年間に何百回は聞いてきた音が、コラージュやリミックスではなくて、新鮮さやダイナミズムを得た、のだ。おそらく、この35年で、一番興奮しているかも知れない。

一方で発売された“モノ″。わざわざ、モノである。この最新ステレオ・リマスターと同時に、当時ビートルズがこだわったモノ・ミックスを、CDでマスタリングする。
一部には「音がこもる」とか言う輩もいるようだが、これはモノなんだから、「ステレオ」で聴いてはいけない。モノなんだから。ヘッドフォンもNGだ。できれば大きいスピーカーで、セパレートタイプではないできるだけ大きいスピーカーで聴いてほしい。

‥このモノの素晴らしさは、ステレオの素晴らしさを超えてしまうかもしれない。さよなら、Dr.Ebbets。こんなに素晴らしかったんだ。サージェントのリプライズなんかチビッてしまった。

ともかく書き出すときりがない。が、今回私にとって何が素晴らしかったかと言えば、ステレオとモノの両方が同時リリースされたことである。すでに述べたとおり、ステレオは40年以上前のマスターテープから、ひとつひとつの音を取り出して丁寧にレストアし、ビートルズが現役時代にはなし得なかった、音の再現を行った。これはステレオ・リマスターの作業。

そしてビートルズは現役時代、自分たちがいろんなミックスを試みて、またリダクション・ミックスを繰り返し、最終的に一つのトラックに収める作業を行っていた。ステレオよりモノを選んだというよりは、ビートルズの音楽性は当時収斂されなければならず、トラック数もそうだったし、演奏時間もそうだった。なんとか自分たちの音楽を詰め込んだ。その音の再現もまた、図られた。モノ・リマスターのチームは、すでに箱にしまい込まれた音にリミッティングは行わず、丁寧にリストアを施した。

今回のリマスター作業は結局、箱から丁寧に取り出す作業と、箱にしまい込まれたものを一旦取り出し、丁寧にしまい直す作業だったのかもしれない。そのいずれにもビートルズの煌きがあり、両方の作業を見せることで、この狭間に存在したのがビートルズであることを教えてくれた。しかも、この仕事にはスタッフの愛情が感じられる。
2009年の秋は深く、長くなりそうだ。

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夏の終わりとイン・スルー・ジ・アウトドア

世間はリマスターで賑やかで、当サイトもビートルズ・サイトとしては何か盛り上げないといけないのかもしれないが、新作でもないし、音をイジリ倒しても新しい解釈が生まれる訳でもないので、今回はあえて別の30周年を。

高校生だった僕は、夏休み中の部室に顔を出した後、駅前の寂れたレコード屋に行った。わざわざそこに行ったのは、予約もしていないのにあわよくば予約特典の便箋が貰えるかも、と踏んだからだった。

案の定、「あの、特典の便箋は…」と言うと、おっちゃんは「えーと、はいはい」と言って特典をくれたのだった。
私のために、特典が受けられなかった予約者がいたかもしれない。

バスに乗って、部屋の雨戸を締め切り、レコードに針を落としてボリュームをいつもより大きく上げた。
約3年半ぶりで、発売まで放送も解禁されなかったその“音″は、まるで映画の“幻惑されて″の弓セクションのような音からフェイド・インしてきた。

ツェッペリンの最期のアルバム、“イン・スルー・ジ・アウトドア″である。
ツェッペリンのアルバムとしては、前作の“プレゼンス″や“フィジカル・グラフィッティ″と較べると必ずしも評価は高くないが、毎年、夏疲れと一瞬の秋風が吹くこの時期が来ると、あの日を思い出す。

中学からツェッペリンは聞いていたが、レス・ポールを弾き、ブートまで聞くようになってからの私にとって、初めての、そして最後の、彼らの新作だった。

未だに、「スケールの大きな」アルバムだと思う。だからこそ、未だにこの時期が来るとあの夏を想うのだと思う。

“プレゼンス″のような緊張感はない。曲にバリエーションがある、と言っても“フィジカル・グラフィッティ″のようではない。私なんか、“イン・ジ・イブニング″から“サウス・バウンド・サウルス″の流れは4枚目の“ブラック・ドッグ″の流れを連想するが、後者が異なるのは音が抜群にいいことと、それからボーカルとギターが引っ込んだことだ。
このアルバムの評価が今一つなのは、よくジョン・ポール・ジョーンズ主導だから、とか言われるが、直接的には以前のような超人的なハイ・トーン・ボイスに対峙する超絶(?)ギター、ではないところに帰結するのではないだろうか。
それは“プレゼンス″で極めたのかも知れない。…“プレゼンス″より、時間もお金もかかっているのに。

ギターは以前のようにボーカルまたはドラムスまたはベースを追撃したり、あるいは率いたりするのではなく、どちらかと言うとよりアンビエントな役割を果たしている。何となーくロバート・プラントのその後のソロ・アルバムに近いテイストも感じる。

キー・ポイントは、“ウエアリング・ティアリング″のようなもろロック の秀作を収録しなかったことだ。実は79年のネブワースで披露して、併せてリリースも予定していたから、と言われているが、結局アルバムの持つコンセプトにしっくりこなかったのだろう。“サウス・バウンド・サウルス″を優先したのは、プラントだろう。

このアルバムの後ペイジは、「ジョン(ボーナム)とは、次はもっとロック色の強いものをやろうと話していた」と言っている。プラントやジョーンズとではないところがミソだ。

相次ぐ不幸に見舞われたボーカルの意向を尊重したアルバムだったが、翌80年にバンド・メンバーは髪を短くして、初心に帰って“トレイン・ケプト・ア・ローリン″でショウを始めている。その矢先、ジョン・ボーナムの死でバンドは終わった。

ツェッペリンの12年は、ちょうど私の6・3・3に当たる。ひょっとしたら、このアルバムへの思い入れは、私のそんなノスタルジーなのかもしれない。

さらに11年後、ネブワースで因縁の曲を演奏するPP。何思う。

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