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2009年5月17日 (日)

茅ヶ崎に背を向けて

ここ一月ほど、ウォークマンには桑田佳祐とサザンを入れてシャッフルしている。甘酸っぱい想い出も、その都度浮かんではシャッフルされるのだけれど、また一生懸命、自分の「青春」はいつ頃だったのか特定しようとしても、やはりシャッフルされてしまうのである。

「熱い胸騒ぎ」や「10ナンバーズカラット」の頃は自分も不安を抱えていたし、サザンもちょっと不安定な感じだった。
ちょうど彼らがTV出演をやめ、「タイニイ・バブルス」を出した時、ちょうど私の青春も「黎明期」だったように思う。ここまでの3枚は少ない小遣いの中から買っていた。

訳あって、ここから「ステレオ太陽族」「NUDE MAN」「綺麗」「人気者で行こう」は遅れ遅れ聞いている。レンタルが普及し始めたこともある。
しかし桑田佳祐のANNはずっと聞いていたような気がする。「KAMAKURA」のタイトルあてクイズもあった。

ちょうど「ふぞろいの林檎たち」が放映されていたのもこの頃だったし、「モーニングムーンは粗雑に」も公開されて、「BGMとしてのサザン」の側面も顕著てなっていた。

ここである意味第一期が終わる。次は「サザンオールスターズ」(稲村ジェーン)「世に万葉の花は咲くなり」「YOUNG LOVE」までが第二期。第一期よりも喪失感が強いが、「若気の至り」はない。

「さくら」以降を第三期と呼んでいいかどうかはわからないが、桑田佳祐の音楽の完成度は極めて高い。以前はネタ元がわかる…ように造られていたのだろうが、今はセルフ・パロディをやってもこの上ない完成度を感じる。YOU TUBEで「FIRST LOVE」のカバーを聞いたが、まんま「真夏の果実」だった。エンディングでギターがフレーズをちらっと弾くので、彼も確信犯なんだろうと思う。つまり、洋楽を取り込んでいった彼の音楽は、ずいぶん前から邦楽に取り込まれていたことに今更気付く。

「桑田佳祐のやさしい夜遊び」の中で、時折古い自曲をかける時に「(アレンジを)考えすぎなんだよな」と彼が言うことがある。確かに、「TSUNAMI」以降の曲は本当に肩から力が抜けていて、2007年に彼がリリースした4枚のシングルなんかは聞き惚れる。曲調は昔と変わっていないように思うのに…。
この変化の兆候は小林武史あたりと仕事をして以降だと思うが、「YOUNG LOVE」で小林から離れたのに、決して「KAMAKURA」以前に戻ったりはしなかった、というあたりからに思う。あと歌詞も凄くいい。名実ともに「ニッポンのロック」No.1だ。

話が逸れたが、「さくら」と「キラー・ストリート」がサザンなのか、という疑問はある。ビクター救済策、と言われることもある。
「TSUNAMI」で完全なるセルフカバーをして、しかもサザンのNo.1シングル売り上げを達成し、「波乗りジョニー」(これもセルフカバー?)でサザンとソロの境界を取り除き、「キラー・ストリート」に既発シングルとソロ用の曲をふんだんに投入して完成させた今、サザンとソロアーティスト桑田佳祐の差異は確かにない。

何をダラダラ話しているのか、と思われるかもわからないが、これは桑田佳祐のことではなく、私のことなのだ。青春は、「ふぞろいの林檎たち」のように私のある時期のBGMとしてサザンがあったのではなく、彼の音楽そのものが青春だったことに気がついた。
そして、彼の音楽の中で夢想している時間こそ、私の青春だったのだと思う。

「C調」でも「果実」でもなく、ぶっちぎりで私の一番好きな曲。

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