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2009年4月28日 (火)

スタアの恋 (草彅 剛編)

草彅剛が逮捕されて、総務相以外の著名人のコメント、及び一般人のブログは須らく「かわいそう」が多い。テレビ欄を見ると「草彅剛さん涙の会見」などと、まるで被害者の会見のような見出しまである。

ところで私は、「かわいそう」かどうかは別に、久しぶりのスキャンダルだ、そう思った。
もし仮に、これが中居正広だったらどうだったろう。2回目の、稲垣吾郎だったらどうだろう。一人全裸で暴れる、そして誠実な記者会見を行う、そのイメージがあるのは彼しかないのだ。

スマッブと言えば、他の追随を許さないトップタレントである。その一人が、東京のど真ん中で、一人酒を飲み、一人服を脱ぎ、一人大声を上げた。この間、誰も彼を制することなくである。

世間は何を「かわいそう」と言うのか?どの立場から「かわいそうか」なのか?今回、非常にこの点に興味が湧いた。
家の前に公園があって、時々酔っ払いが騒ぐところに住んでいる人、全裸を見せられた人なら、「かわいそう」とは言わないだろう。
つまり、あくまでも視点はまず草彅側からの「かわいそう」だとか「気持ちはわかる」なのだ。誰もいない公園で深夜裸で大声を出すことは、受忍の範囲だ、と言うことである。

仮に彼が記憶を無くすほど飲んで、あの公園ではなく路上で、通りがかった女性に抱きついたとして、同じように拘留され、同じ記者会見を行っても、「かわいそう」という声が上がる気もする。被害者がインタビューに応じ、不用意なことでも言おうものなら、コメンテーターやら週刊誌やらネットやらでバッシングされかねないかもしれない。
因みにネット以外の2者は、何が世間に「受ける」か熟知しており、確信犯な感じもする。

私はそもそも、スマッブのメンバーに私などが「かわいそう」と言えるのだろうか、と思っている。
彼らはイメージを売っている。今回の事件は一見、イメージを逸脱したように見えて、実は前述のとおり逸脱してはいない。だから必要以上の責めは「かわいそう」なのだ。「彼らだってストレスやプレッシャーに押し潰されてるんだ、たまには酒飲んで大声上げたり、嵌めを外したくなるさ、普通の人間なんだから」、そういうことなのだろう。
しかしどうなんだろう、通りすがりの女性に抱きついたのではなく、酔って誰もいない公園で裸になって叫ぶ、というのは多分に劇場的に思う。カメラがあれば、ワン・シーンだ。考えようによっては、彼はこれまでも歓喜と興奮に酔い、裸同然にプライバシーを見つめられ、ドームか檜町公園かは別として、大声を発することがスマップとしてすでに経験してきたことなのかもしれない。

それにしても、記者会見は感動した。彼らしい、誠実さが伝わってくる会見だった。たった一つの取りこぼしもなかった。普通、ついうっかり受け答えを間違えることがあるが、それもなかった。逮捕時の会見、というのもあまり聞かないが、たいてい事前に事務所で詰めて、本人にリハーサルさせるのだが、彼の場合はそんな必要もなかったのかもしれない。
生中継を事務所が拒み、NHKと揉めたのはその点にあったのかもしれない。

唯一取りこぼしがあるとしたら、彼が酩酊して言った「裸になって何が悪い」だろう。彼の記憶にないこの言葉にこそ、スマッブではない彼の声が聞こえる気がする。
私もできれば、酒飲んで檜町公園で裸になって大声で叫び、スマッブでいたい。そう思うのはたぶん、私だけではないだろう。

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