お知らせ!
次週フジテレビ「桑田佳祐の音楽寅さん」(2009年5月4日23:15~23:45)は空耳風ABBEY ROADです!このところカバー絶好調の桑ッチョですが、予告を見ても仕上がり具合はハンバなかったので乞うご期待!
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次週フジテレビ「桑田佳祐の音楽寅さん」(2009年5月4日23:15~23:45)は空耳風ABBEY ROADです!このところカバー絶好調の桑ッチョですが、予告を見ても仕上がり具合はハンバなかったので乞うご期待!
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草彅剛、藤原紀香ときて北野誠ということに他意はありません。
たった一言。われら一緒に楽しんでたサイキッカーも同罪です。まこっちゃんごめん。そして本当にありがとう。必ず戻ってきて欲しい。
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結婚は、他者との関係の中である役割を与えられる点で、就職の一形態である、と思う。
好きなことを続けていて食えるようになる人もいれば、気がついたら今の職場、という人もいる。転職を繰り返す人もいれば、フリーターもいる。何を指しているかおわかりかと思う。
就職活動略して「就活」に準え、「婚活」という言葉が昨今用いられるが、さもありなん、と思う。
陣内智則と藤原紀香については、なぜか結婚前から離婚する予感があったが、多数の人もそうなのだろう。こんな感じ、IZAMと吉川ひなの以来かもしれない(少し古いかも)。
もう再婚までして子供を設けている人の話を持ち出すのもなんだが、あの時、IZAMはひなのを守ろうとしていた、ように見えた。半ば意地になって。
たいていこういう時、男は守ろうとする。陣内も離婚会見では、藤原紀香をすごく守ろうとしていた。
ただIZAMと違うのは、芸人としてそこに居なければいけないし、これからも居続けなければいけない。そして人前では、「紀香」の話題に触れずにやり過ごすわけにはいかない。
一方紀香も、モデルであり続けなければならない。しかしそれは、「自分らしくあるため」であり、それは陣内のそれとは少し違う。
陣内の度を越した浮気が原因であるかのように報道されているが、藤原紀香のいくつかの発言から私は、そこに何か特別な離婚理由が求められるのではなく、そもそも前提においたもの…藤原紀香が「藤原紀香らしくありながら」結婚生活を続けること…に無理があったのではないか、と思う。
私はサラリーマンであり、会社は私と同じ労働を提供する者なら誰であれ、私のサラリーと同額又はより低額のサラリーを払うだろう。会社は私でなくてもいいのだ。
もし私が職場で「私らしさ」を主張したらどうなるだろう。組織の側からすれば、その主張が組織に有用であるかどうかが重要であり、さもなくば放逐されるだろう。
しかし藤原紀香は違う。「藤原紀香」であるところからギャランティが発生し、後はどんどんオプション料金が増えていく。「自分らしく」あるかどうかはわからないが、世間が持つ「藤原紀香」らしいイメージを保ち、育むことを生業としている。
社会での役割のみならず、一見プライベートな結婚生活においても、「自分らしくあること」など出来ないのではないか、というのが私の仮説だ。たとえば卑近な例で恐縮だが、私の結婚生活には、私でなくても「夫」としてであればたぶん、誰でもいいことがゴロゴロある。ゴミ出しから、妻の親族との付き合いに至るまで、ゴマンとある。このことに私または妻が疑問を持つなら、結婚生活は成り立たない。
ではそういう前提の結婚生活を、「私らしくあるために」離婚したという、藤原紀香は送ることはできなかったのだろうか。いや寧ろ、陣内の交遊関係には「妻として」積極的に務めてきたように伝えられている。
でも紀香は、結婚時に「一緒にお墓に入る」だの「芸人さんの嫁になる」だのといった発言が私の耳には残っていて、どうも彼女は「形」への意識が強かった気がしてならない。
結婚生活においても年数を経ると、いよいよ「私らしさ」を保つことは難しい。○○さんのご主人、○○ちゃんのお父さん、○○さんの次男坊…。例え嫌でも、その役割は引き受けなければならない。なぜなら結婚は社会制度なのだから、嫌なら結婚しなければいいだけなのだ。「新しい結婚の形態」なんて言葉は最近聞かれなくなったが、あるとしたら「しない」ことである。
幻想かもしれないが、その役割を引き受けたうえで、一人では成し得ない「何か」を成し得、分けあえるような気がする。
藤原紀香が欲しかったものは何だったのか。陣内は会見で「今思えば気持ちだけで(先を考えずに)結婚に踏み切ったのかもしれません」とレポーターの残酷な誘導に答えていたが、気持ちだけで結婚に踏み切って何がいけないのか?
「五体不満足」の著者、乙武洋匡が今から七年ぐらい前に結婚した際に披露した奥さんのエピソードが今もって忘れられないのだが、「ギャンブルみたいでわくわくする」と言ったそうである。すごい。これはすごい。
藤原紀香にとって「自分らしくあること」とは、所謂「藤原紀香らしく」あることだったのか、「芸人さんの嫁らしく」あることだったのか、それとももっと別のことだったのか。少なくとも私には、「陣内とともに生きる人らしく」ではなかったように思えてならない。だからこそ、早い時期から不吉な予感を抱いたのかも知れない。
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草彅剛が逮捕されて、総務相以外の著名人のコメント、及び一般人のブログは須らく「かわいそう」が多い。テレビ欄を見ると「草彅剛さん涙の会見」などと、まるで被害者の会見のような見出しまである。
ところで私は、「かわいそう」かどうかは別に、久しぶりのスキャンダルだ、そう思った。
もし仮に、これが中居正広だったらどうだったろう。2回目の、稲垣吾郎だったらどうだろう。一人全裸で暴れる、そして誠実な記者会見を行う、そのイメージがあるのは彼しかないのだ。
スマッブと言えば、他の追随を許さないトップタレントである。その一人が、東京のど真ん中で、一人酒を飲み、一人服を脱ぎ、一人大声を上げた。この間、誰も彼を制することなくである。
世間は何を「かわいそう」と言うのか?どの立場から「かわいそうか」なのか?今回、非常にこの点に興味が湧いた。
家の前に公園があって、時々酔っ払いが騒ぐところに住んでいる人、全裸を見せられた人なら、「かわいそう」とは言わないだろう。
つまり、あくまでも視点はまず草彅側からの「かわいそう」だとか「気持ちはわかる」なのだ。誰もいない公園で深夜裸で大声を出すことは、受忍の範囲だ、と言うことである。
仮に彼が記憶を無くすほど飲んで、あの公園ではなく路上で、通りがかった女性に抱きついたとして、同じように拘留され、同じ記者会見を行っても、「かわいそう」という声が上がる気もする。被害者がインタビューに応じ、不用意なことでも言おうものなら、コメンテーターやら週刊誌やらネットやらでバッシングされかねないかもしれない。
因みにネット以外の2者は、何が世間に「受ける」か熟知しており、確信犯な感じもする。
私はそもそも、スマッブのメンバーに私などが「かわいそう」と言えるのだろうか、と思っている。
彼らはイメージを売っている。今回の事件は一見、イメージを逸脱したように見えて、実は前述のとおり逸脱してはいない。だから必要以上の責めは「かわいそう」なのだ。「彼らだってストレスやプレッシャーに押し潰されてるんだ、たまには酒飲んで大声上げたり、嵌めを外したくなるさ、普通の人間なんだから」、そういうことなのだろう。
しかしどうなんだろう、通りすがりの女性に抱きついたのではなく、酔って誰もいない公園で裸になって叫ぶ、というのは多分に劇場的に思う。カメラがあれば、ワン・シーンだ。考えようによっては、彼はこれまでも歓喜と興奮に酔い、裸同然にプライバシーを見つめられ、ドームか檜町公園かは別として、大声を発することがスマップとしてすでに経験してきたことなのかもしれない。
それにしても、記者会見は感動した。彼らしい、誠実さが伝わってくる会見だった。たった一つの取りこぼしもなかった。普通、ついうっかり受け答えを間違えることがあるが、それもなかった。逮捕時の会見、というのもあまり聞かないが、たいてい事前に事務所で詰めて、本人にリハーサルさせるのだが、彼の場合はそんな必要もなかったのかもしれない。
生中継を事務所が拒み、NHKと揉めたのはその点にあったのかもしれない。
唯一取りこぼしがあるとしたら、彼が酩酊して言った「裸になって何が悪い」だろう。彼の記憶にないこの言葉にこそ、スマッブではない彼の声が聞こえる気がする。
私もできれば、酒飲んで檜町公園で裸になって大声で叫び、スマッブでいたい。そう思うのはたぶん、私だけではないだろう。
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もう二年ぐらい前から噂されていた、ビートルズ全アルバムのリマスターがプレスされた。
いくつか驚く点があるが、まずもっていつもギリギリまで情報統制を引いているアップルが、発売の5ヶ月前に公表したことである。アンソロジーがあったじゃないか、とツッコまれるかもしれないが、大体はクリスマス商戦を見込んで10月から11月に発売されてきた。私は「世界的不況」を背景に…CD業界は前から不況だけれど…前倒した感がある。しかも、今回公表ではご丁寧に「既存のCDを出荷停止にする」と宣言している。煽って在庫一掃も図りたいのだろう。
・「ステレオアルバムズ」と「ビートルズ・イン・モノ」の二つのボックスセット発売
「ステレオ」では4枚目までオリジナル・ステレオ・ミックスをリマスター、とあるが、ということはあのボーカル右、演奏左のこと?
・「ステレオ」は全部ステレオ
ということは、“YOU KNOW MY NAME″はじめステレオ・ミックスがなかったもの、処分されたものも新たに作られた?
・それぞれのアルバムにまつわるレア映像、スタジオでの会話等から構成されたボーナス映像付き
モノボックスには紙ジャケがつくらしいが、あいかわらずボーナスがショボい。
うーん、このブログから言えば「アビィ・ロード」は期待できない。ティッテンハーストの数十秒しか映像ないもんなあ。「サムシング」のプロモと、アンソロ本の写真に会話を重ねてお茶を濁すんだろうなあ。
・モノはボックスのみ
モノ・ボックスは今回、価格が発表されなかった。
「ヘルプ!」「ラバー・ソウル」は65年当時のオリジナル・ステレオ・ミックスが追加収録される。ラウド・カット、1st Matrixの再現はなかった。
そもそも、この4枚目までは買う価値があるのか?バラ売りされない、ということは、22年ぶりに4枚目までもステレオが標準になるのということ?
さて、問題の“音″はどうなのか。こればかりは聞くまでわからない。また評価に個人嵳もあるだろう。
一つ示唆があるとすれば、2年前の“ LOVE″ではないか。あそこに収められた数曲は、デジタルリマスタリングされている。しかし、うーん。
あと、“NAKED″か。うーん。
公表資料によると、“修復″“最小限のノイズ除去″“適切なリミッティング″がキーワードである。うーん。
さっきからうんうん唸っているのは、これまでのプロジェクトにあまり感心していないからだ。“NAKED″の“ONE AFTER 909″みたいにジョージがイントロで失敗したところを修復したりするのは好きではないのだ。揚げ句「あらためてフィル・スペクターの凄さを知った」などと言われる(何もそこだけを捉えてではないが…)。
キャピトルもよかったが、マニアの間では「偽モノ」という新語も誕生した。実にお粗末である。
プロジェクトで評価しているのは、“1″の“A HARD DAY'S NIGHT″だ。最初の一音が衝撃的だった。違う曲かと思った。
ジョン・レノンも「魂」のリマスターが出た時、「マザー」の最初の一音、と言っても鐘だけど、ちょっとびっくりした。しかし後は…。アルバム間のレベルは一様になったのだけれど。
それに、キャピトルを入れるとすれば、“1″“NAKED″“ LOVE″“SONGTRACK″、それに紙ジャケで出たホワイトアルバム30周年エディションはリマスタリングされていたはずだから、そうすると“新しい音″になっていないのは、リボルバーとペパーとマジカル、アビィ・ロードの大半ぐらいではないだろうか。
あと、個人的には容量が増えると困るなあ(仕方ないけど)。これまで全アルバムをウォークマンにいれても200MBぐらいだったけど、キャピトルやネイキッドは大きかったもんな。うーん。やっぱり本国公式サイトのサウンドから推測するしかない。
それからそれから、
・なぜ特設サイトに“GETBACK″のムービーが設けられているのか
これも最大級の謎の一つ!
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