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2009年3月20日 (金)

テイスト。

味には、「うまい」「まずい」しかないのだろうか。

外食が不況と言われて久しいが、「気持ちよく食事ができる店」というのがあると思う。スナックなんかほとんど、出されるものは「うまい」と感じてしまうからその部類に入るし、マクドだって、煩わしくないから居心地がいい、ということがあるかもしれない。

あそこのラーメンが旨い、と言われても困る。その佇みに居心地を感じないと、味を評価することができない。正当かどうかは別として。

だから夜景の見える店、というのが味は二の次であるのは当たり前として、ラーメン店には普通眺望を求めないのだから、汚いなら汚いなりの居心地を意識して欲しい。(ラーメン店が須らく汚い、と言っているわけではない。)

実名を挙げたほうがわかりやすければ、旧大勝軒や東京ラーメンなんかは、寧ろ「古色」と言うに相応しいかもしれない。

今はどうか知らないが、中華街の某店なんかはいつも狭い店で家族ゲンカをしている。というかお父さんが言われっぱなしである。
随分前にネットでも「料理は美味しいんだけど…」ていう投稿を見て笑ってしまった。だがしかし、それが居心地いいのである。まさか人のケンカが居心地いいとは。
虎ノ門の、某イタリアンでもそうである。名物ママがいて、しょっちゅう店員に怒鳴ったり、無理言ったり、時には客を説教したりする。
先の中華にせよこのイタリアンにせよ、出される料理の味は須らく「温かい」。ママがいなかったりすると、どうしたんだろう、と思う。料理を食べに行ったのに。

久しぶりに有名ラーメンの支店に行った。オープン当初は札幌本店からスタッフが来ていて、今まで食べたことのない感動を味わった。その後も何度か行ったが、久しぶりに行くとあれっ、と思った。店内ががらがらなのだ。かつては行列だったのに。案の定、味もサービスも落ちていた。もう行かない。
これだから食べ物商売は怖い。私は同じ店に何度も行くほうで、最近は店を出る時、明確に「また来よう」あるいは「もういいな」と自己確認するようになっている。

味は単体で存在するものではなく、行列に並んだ時の店員の気配りや、美味しいものを出そうとする熱意や、居心地の良さや、「感動」というと仰々しいけれど心を震わせる何かのことを指すに違いないと思うのだが、如何だろうか。

(写真と本文は一切関係ありません)
Hungrytiger_2

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