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2009年2月

2009年2月17日 (火)

特に、竹やぶが。

ひょんなことから、「パンダコパンダ」を数十年ぶりに見た。近くの映画館にゴジラシリーズを見に行った時の併映で、今となってはゴジラシリーズの何だったかも思い出すことが出来ないが、こちらの方が数十年後の今なお強烈なインパクトを心に残している。おそらく、他の子供たちもそうだったろう。映画館が沸いたのである。

その時私は、なぜか号泣してしまった。今なら分析できるかもしれないが…。
ご存知ない方のためにストーリーをかい摘まむと、一軒家におばあちゃんと二人暮らしの小学生ミミちゃんには、両親がいない。でもおばあちゃんが法事のために田舎に帰ったので、一人暮らしになってしまった。
そこに訪ねてきたのが近くの動物園を抜け出してきた、言葉を話せて人間のようなパパンダと、母親のいないコパンダ。パパンダはミミちゃんのお父さんになり、ミミちゃんはコパンダのお母さんになり、楽しい生活が始まるが…。
今回数十年ぶりに見たにも関わらず、当時私が感極まった箇所がわかった。ラストである。動物園に戻ったパパンダは、5時になると着替えてタイムカードを押し、ラッシュアワーの電車に乗り込む。駅を降り、家に帰るとパパンダの鞄からはコパンダが飛び出す…。この画像のバックでは、ミミちゃんがおばあちゃんに事の次第を手紙に書いている体(つまりこの話はすべてミミちゃんが田舎のおばあちゃんに宛てた手紙の追想の形)をとっている。
中盤、パパンダらには懸賞金が賭けられ、大捜索が行われるので、悲観的な結末を予想してしまう。

DVD特典として、高畑勲の20分に亘るインタビューが収められているが、その序盤でこのラストに触れている。「当初、(宮崎駿は)ミミちゃんが動物園の園長に掛け合って泣くシーンを考えていたが、僕はいらないと思っていた。せっかく見る方もノってくれているんだから、ラストは唐突でもいいんじゃないか。」
もう少し説明すると、「ルパン三世」の経験から、見る方は多少飛躍があっても、テンポ良く展開することを喜んでくれる。この物語は冒頭からファンタジーであり、ミミちゃんの日常生活の設定さえきちんとしておけば、あとは飛躍しても見る方は付き合ってくれるのだから、ラストにリアリティを持ち込む必要はない、といったことだった。

極めて“大人な″パパンダは、極めて“大人な″園長の説得を受けると、コパンダが行方不明で、と答える。脱走の理由も語られないし、拒否もしない。それはたいへんだと、たくさんの大人が捜索を行う。今なお驚いたのは、無事にコパンダが救出されると、大喜びの捜索隊全員が水門の作業用通路から川に飛び込むところだ。私はかつて、水難救助の後に、嬉しさのあまり警察官が川に飛び込むなど、フィクションも含めて見たことがない。登場人物はすべて、善人である。

ミミちゃんは「すてき!」を連発し、誰にも淋しくない、と主張する。しかしパパンダが両親がいないことを良くないことだと言っても、「淋しくない」「いないよりはいたほうがいい」などと素直ではない。パパンダが父代わりになる、と言った時、一呼吸置いて、ミミちゃんは感激する。私、ずっとお父さんが欲しかったんだ。この一呼吸までが、どれだけ彼女にとって大切な申し入れなのかを強調している。製作者は確信犯である。今なら、このあたりの描写はすっ飛ばされるところである。この伏線が結局ラストに繋がっているのである。

当時の私はすでに思春期の入口に立っており、もう誰かに「淋しい」とも言えなかった。本当は誰かに、守られたかった。パパンダ、ミミちゃん、コパンダが象徴する全てのものが、本当は欲しくて、私は号泣したのかも知れない。

「日本一つよい女の子。」なんていうキャッチが‥ん?
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2009年2月 5日 (木)

“DON'T LET ME DOWN″が聞こえる場所

昨日神田の駅前を歩いていたら、いきなりどこかの店先から“DON'T LET ME DOWN″が聞こえてきた。そうか、ちょうど今から40年前の今日、ルーフトップ・コンサートがあったのだな、と気付いた。

それに、ちょうど2年前にも、閉店を間近に控えた百貨店で、ビートルズのコピー・バンドによる屋上ライブがあった。今思えばたいした演奏でもなかったが、屋上はアラフォー、アラフィフで大盛り上がりだった。
覚えているのはその時の演奏よりも、あの日の空や空気の冷たさである。その時のMCも、69年もこんな感じだったのだろう、と言っていた。

ウッドストックは真夏の朝で、ルーフトップは真冬の午後でなければならない(ウッドストックをジミヘン限定にしていいのか、という議論はある)。
私が旧アップル本社を訪れたのは86年の2月だったが、やはり相当寒かった。映画で見た印象よりはずっと低層で、接面する道路もこれは一通だ、という幅員に感じた。低いからこそ、映画のように登ろうとする人がいるのである。そしてなぜ映画ではもっと高い建物に感じたかということもわかった。周りもさほど高い建物がなく、同じぐらいの高さなのだ。さしずめ日本の4階建てぐらいに感じたが、さらに錯覚があるかも知れない。

手前だよ~
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左だよ~
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だいぶ最近になって、といっても20年になるが、マーク・ルウィソンの本が出版されてから、それぞれの曲を2回ずつぐらいやって、映画ではうまく編集してあることがわかった。つまりルーフトップ・コンサートというのは映画のために行われたものであり、ライブ・パフォーマンスを目的としたものではない、ということになる。

しかしそれにしても、誠にもって魅了されるライブ・パフォーマンスである。わずか2年半なのだけれど、ライブ・パフォーマンスをやめていたビートルズの「解放」感が伝わってくる。

特に、この歌はなんだ?なんてパワフルでいて、なんてチャーミングな歌なんだろう。ジョンのシャウトはあのロンドンの暗い空に放たれる。ベスト・パフォーマンスは“ONE AFTER 909 ″推す私だが、この曲の持つ唯一無二感は何にも代えがたいのである。

なぜか突然画像が良くなり、また悪くなる、あえて映画編集バージョン。

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