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2008年12月 7日 (日)

My Back Pages

ボブ・ディラン3部作になりますがお付き合いを。
疑問に思うことの一つに、どういうファン層なのか、と思うことが多い。もちろんサンプルが少ないことと、私の思い込みなのでご容赦いただきたい。

今から30年前、初来日の頃、私の周辺で俄かにディラン・ファンが判明した。少なくとも彼らは、ツェッペリンや、ビートルズや、あるいはチープ・トリックやまたはプログレ傾向にある種族とは異なっていた。往々にして、「日本のフォーク」ファンの中から露出した。多くは、兄がいる弟層。

ディランとしてはやや低迷期に入ったこともあってか、その後しばらくファンに出会わなかった。が、次に出会ったのは濃かった。そんなに自分を語るヤツではなかったが、急に「偉大なる復活」の「ライク・ア・ローリング・ストーン」がいい、だの抜かしやがったので、それもいいけど「トゥルー・コンフェッション・ツアー」のもいい、と言ってやったら、それから私のファンになった、と言う。やはり、弟タイプだった。そうそう、書いていたら思い出したが、最初吉田拓郎がいい、と言ったので、拓郎もいいけどディランもいいよ、と私がフッたのだった。

その次は幅広く洋楽を聴くタイプで、几帳面に今でも年賀状だけくれている。やっぱり兄のいる弟、だった。

次は94年の来日で知り合った人たち。共通するのは、どこかライブにさめていて、他のライブのように「わー、ワクワクするね!」といったノリが全くない人たちだった。俺、忙しいんだけどな、ディランが7年ぶりに来るっていうから来たよ、仕方ねぇし。みたいなノリである。
大阪公演なんか、前日の大雪で新幹線が遅れ、終演近くに追っかけてる一団がゾロゾロ入ってくると「よっ、ボブ!」みたいな掛け声をひとしきりかけて客電が点くと、「まっ、こんなもんでしょう」とか呟きながら会場を後にしていた。
余談だが、この夜のライブは私の人生を変えるほどの経験となった。

97年のライブはリハーサルが延びたので、会場前に長い列ができた。観察していると、意外に若い人が多い。当時、再評価ブームでもあったのだろうか。そのわりにノリは悪かった。

2001年、私はジャパン・ツアー初日の大宮を福岡の男性にネットで譲ってもらった。ヤオクではない。西村位津子さんの掲示板の書き込みに応じたのだが、今なら怖くてできない。ちなみに西村位津子さんも、GMEコンサートをテレビで見てからディラン・ファンになって、おそらく日本でもっとも充実したディラン・サイトを続けておられる「最近の」方である。

福岡の男性は最近ディランを好きになって、今度のツアーは全部追っかけようとチケットを取ったのだが、初日だけはどうしても仕事で行けない、ということだった。
この行動からして、彼の「最近」は「ブロンド・オン・ブロンド」以降なのかも知れない。どうやら、先の「仕方ねぇし」っぼい。気持ちのいいヤツだったので、行けない彼の代わりに、ライブ・レポートをメールしたら感激してくれて、これを機にトレードとかしましょう、と言ってくれたけど、それきりになってしまった。(ディラン・ファン、というより、九州人っぽいかも)。

その大宮は、盛り上がった。2001年のツアーはどこも盛り上がったようだが、4年前より客はずっと大人だったように感じた。
これも余談だが、2001年のライブは世間が言うほど私は評価していない。ラリーとチャーリーという、若手ギタリストのギターとコーラスが卒ないが、それがかえって毎日平均的であり、えーっ!という意外性がなかった。それだけ私がディランのライブに慣れたのかも知れない。

なんかいつもの如く脱線脱線だったが、ディラン・ファンはやや潜伏傾向にあり、かといってマニアックでもなく、他人への依存傾向もあまり見られないのかな、と私は感じている。年齢に関わらず、そういった人達が、ディランをカッコイイと思うのだ、ろう‥。

ここに写っている人は全部ディラン・ファンだと思う、一人を除いて‥

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