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2008年12月

2008年12月26日 (金)

M-1ぐらんぷり2008ですが。

今年もM-1が終わった。チュートリアルの優勝以来、なぜか怖いぐらい予想通りの展開となり、今年も終わった。

ダイアン…もう、不運以外の何物でもない。トップバッターでなければ、優勝とはいかないが、もっと健闘しただろう。今年はその不利が自明なため、心なしかネタ前に盛り上げが長かった気もするが、それでも不利だった。彼らのキャラは、爆発するようなそれではない。それでも昨年からは随分修正を加えてきており、個人的には彼らの実力を感じたが、前半引っ張りすぎたのも痛い。

笑い飯…冒頭の自虐ネタは笑えた。スロースターターの彼らが冒頭で笑いを取れたのに、ちょっともったいなかった。
たぶんNONSTYLEだ、と思いながらも、今年笑い飯が一皮剥けて優勝したら感動的なM-1になるだろう、とも思ったが、届かなかった。一見いつもどおりダラダラやっているように見えても、哲夫のツッコミとか見てると彼ら今年は本気でM-1を取りにいった、と感じた。おもしろかったが、彼らはもっと受けると思っていたのではないか。残念。

モンスターエンジン…「にのうらご」から一人抜けて身軽になった彼らの漫才は、ネタの意外性という点で正直今回一番面白かった。技術点はまだまだなのかもしれない、というところが今回の結果か。

ナイツ…古臭ーいのだが、最初に見たときは笑った。楽しんでやれた、と言いながらもそれは塙弟のプライドが言わせた言葉であり、実は相当M-1の空気に飲まれたのでは、と見た。独自のテンポが出てきたのはだいぶ後半だった。
演芸場でやっていることを誇りにしているが、吉本の舞台でやり続ける力も馬鹿には出来ない。下ネタなんかやらなくても十分笑いは取れたはす。
サンドイッチマンは去年、キンタ○というネタをやめて優勝している。めちゃめちゃ怒られるかもしれないが、派手なM-1出場者に比べると、なんかこじんまり感が芸を小さく見せてしまう気がする。

U字工事…凄かった。ゴメンネゴメンネ~だけかと思っていたが、違った。あのキレ方。素晴らしかった。サンドイッチマン伊達さんのブログでは、普段の力以上の漫才だったそうだが、それって凄いことだ。

ザ・パンチ…予想通り、というか、M-1向きのコンビではない、と思っていた。急激に不調になったが、裏を返せば彼らの面白さは間を外してしまったりすると出てこない。お茶の間で慣れてしまった気持ち悪さも、審査員には伝わらなかった。すると強烈なツッコミも効かない。どちらかというとツッコミボケみたいな感じだけど‥。

NON STYLE…もともと実力のあるコンビで、しかもレッドカーペットとかそういうネタ見せ番組にほとんど出ておらず初出場というのは、会場のインパクトは強いと思った。裏を返せば、ナイツ、U字工事、ザ・パンチはネタがわかるのである。ダイアン、笑い飯、キングコングは去年を踏襲しなければ優勝は難しいだろう。モンスターエンジンのネタの着想は大好きだが、4分間の技量は‥。そうすると、NON STYLEしかないのだ。
ただナイツもキングコングもそうだが、ボケが多すぎて辛かった。

キングコング…周辺でM-1への思い入れが報道され、西野の表情を見ているのが辛くなるほどなのだが、去年の反省を踏まえて今年は!といってはじまったネタは、この1年が長い前フリだったのか、と思ってしまった。
「ヒーローインタビュー」って、去年の洋服屋の店員や、気象予報士と同じだ。‥古い。一つ前のNON STYLEの「子供が溺れていたらどうする?」「二度見する」のほうが、話に付き合おう、と思う。
巨人師匠は、一つ一つのネタフリが長い、ということと、思い入れだけでは、と言っていた。カウス師匠もハートが‥と言っていた。いや、ハートはあった、と思う。ハートがあるからこそ、自分たちを追い込んで、あそこの場所に今年も立ったのだと思う。
ただ、ブラマヨもチュートも、今年のNON STYLEも、そして獲れなかったダイアンも、みんな以前の自分たちの漫才スタイルを修正した。確かに去年と変えてきたところはわかったが、もしM-1に固執するなら、もっと根本的なところ、「ハート」かもしれないが、そこを変えないと難しいのかもしれない。NON STYLEも井上のイキリネタでは今年獲れなかっただろう。梶原のキャラも、もう少し変えていっても面白いのでは、と思うのだけれど‥。

オードリー…若手の非大阪非吉本コンビって、本当にツッコミが綺麗だなあ、と思う。もともと面白いなあ、と思っていたが、M-1向きではないのでは?と今も思っている。
巨人師匠がナイツとオードリーは「同類項の真逆のコンビ」と称されていて、なるほど、と思ったが、ナイツは間違いだらけをしゃべっていくボケにちょこちょこツッこんでいくコンビ、オードリーは真面目なことをしゃべっていくちょこちょこ邪魔をするボケにツッこんでいくコンビ。一回目のネタは凄く、去年のサンドウィッチマンを彷彿とした。NON STYLEの優勝には、ナイツどころではなく大きな脅威に感じた。

さて、こう考えてくるとやっぱりNON STYLEしかないのだ。だいたい大筋を外さないM-1ながら毎年感動するのだが、もう、来年が楽しみになってくる。

2007「ピザ」

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2008年12月21日 (日)

対岸のPOP

2年越しで読みたいと思っていた角田光代の「対岸の彼女」を読んだ。
読んで、この小説のキャッチコピーと内容にすごくギャップを感じた。

《30代、既婚、子持ちの「勝ち犬」小夜子と、独身、子なしの「負け犬」葵。性格も生活環境も全く違う二人の女性の友情は成立するのか!?「負け犬」という言葉が社会的に認知されたいま、ついに書かれるべくして書かれた小説が登場しました!
独身の女社長・葵と、夫と子供を持つ主婦の小夜子は共に三十四歳。性格も育った環境も違う二人の女性に、真の友情を築くことはできるのか――。働く女性が子育て中の女性と親しくなったり、家事に追われる女性が恋愛中の女性の悩みを聞くのは難しいもの。既婚と未婚、働く女と主婦、子のいる女といない女。そんな現代女性の“心の闇”がリアルに描かれます。》(文芸春秋 内容紹介より引用しました)

他の書籍紹介でもそんなに変わらない。私の読み間違いがあるのかもしれないが、少なくとも立場の違う女性の間に存在するものがテーマになっている、と解せる。そんなことは書かれていなかった、というつもりはないのだが、私にとってはそれは小説の「仕掛け」であり、もっと大切なことが主題であり、それが感動させるのではないか、と思うのだ。

対岸の彼女」発表のちょうど10年前、芥川賞候補となった「もう一つの扉」は、本作と非常に共通するモチーフがあるように思う。

「もう一つの扉」の主人公のOLは幼なじみと2人でルームシェアを行うが、幼なじみが出て行ったあとも数人の女性とルームシェアをし続け、ある日その女性が失踪する。女性を訪ねて「眼鏡男」が訪ねてくるが、主人公は失踪した女性のことをほとんど知らない。「眼鏡男」は女性の帰りを待つべく、女性の持ち物が残された部屋で生活を始める。

主人公は幼なじみの彼と寝たり、また現在も会社の友人の彼氏とつきあっていたり、失踪した女性の服を着て出社したりする。ふとしたことから頻繁に葬式が行われる寺のすぐそばに引越すが、「眼鏡男」も女性の荷物と一緒に引越してくる。そこは、夜の9時になると決まって、どこからか「おーい、おーい」と人を呼ぶ声が聞こえる。

会社は欠勤しがちになり、つきあっていた彼氏に別れを告げられ、そして「眼鏡男」も女性の持ち物をすべてフリーマーケットで処分し、主人公のアパートを何も言わずに去る。
ラストシーンでは、一人「おーい、おーい」と叫ぶ声を追って川に出るが、その対岸には「眼鏡男」らしき男性ともう一人の歩く姿が見える。主人公は声を限りに叫ぶ。おーい、おーい。彼らは振り向かない。何度も何度も叫ぶ。おーい、おーい。

この話は「存在」をテーマにしている。幼なじみにはじまったルームメイトはどんどん縁が薄くなる。どこの誰なのかもわからなくなっていく。会社でも、最近入った女子社員が退社しており、名札のなくなったロッカーが空いている。欠勤が続く自分も、いずれそうなるのではないかと漠然と感じている。幼なじみの彼も、今の彼氏も、そして袖を通したルームメイトの服も「人のモノ」であり、ある時間、空間や何かを共有したとしてもそれはいつまでも続くものではなく、ある日突然、まるでそれはいままでの存在すらなかったように、主人公だけを置いて忽然と消えてしまう。
存在した証について、毎日寺の葬式の前を通るのは象徴的である。此岸から彼岸へ、どれだけ声を振り絞っても届かない川の向こうのように、自分を置いて‥自分の存在がなかったように、時は流れていく。

「対岸の彼女」のラストでも、小夜子は空想をしている。対岸の2人の女子高生がこちら側の女子高生姿の自分に気付き、手を振り、何か言っている。何を言っているかわからないが、橋を指差し、お互いに橋に向かって駆け出す。
「もう一つの扉」と「対岸の彼女」、この二つの作品の相違点は、まさにここなのかもしれない。「対岸の彼女」の対岸にあるのは、「もう一つの扉」にある「自分と関わる他人」だけではなくて、「過去の自分」も対岸に置いている点にあるのではないか。
重大な役割を果たしているナナコの存在(現在の葵が昔のナナコのようであり、昔の葵が小夜子のようであるのも、“仕掛け”だと思う)や、小夜子の予備校時代の友人、あるいは葵と小夜子を取り巻く多くの人々以外に、例えば小夜子ならばOL時代の自分、公園デビューで悩む自分、葵ならばいじめを受けていた自分、ナナコといた自分、人と関わることに疲れていた自分。しかし葵は「信じる」こと、小夜子は「選んだ場所に自分の足で歩いていく」ことを決める。

そして葵は「まったく別のルートからいつか同じ丘の上で、着いた着いたと手を合わせ」、小夜子は上記のとおり橋に向かって走りだすことを夢想する。
それは、「勝ち」「負け」や「友情の成立」が主題ではなく、ましてや「立場の違う女性の悩みを聞く難しさ」や「現代女性の“心の闇”」の解決ではないのだろう、と思う。でも著者自身がこういった書籍紹介を認めておられるのだろうから、やはり私の誤解なのだろうか。

そのことはさておいて、たぶん、それまでの角田作品と比べても、「存在の喪失」から一歩踏み出した、静かで明るい予感がある。おすすめします。

2年前、毎週東京を往復していた頃、新幹線の中では角田光代と重松清ばかり読んでいた。

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2008年12月10日 (水)

あると思います

早いもので、もう12月だ。12月の楽しみの一つに、関西地方で見る「オールザッツ漫才」がある。
この番組は奇跡を産み続けている。誰が去年の今頃、今年天津木村がブレイクする、と予測しただろうか?天津は好きだったが、特に木村のツッコミが秀逸、とわけでもないオタク漫才だったが、いまいち伸び悩んでいる感があったが、去年は漫才ではなく、オタクの形態模写VSエロ詩吟で勝ち抜いた。モンスター・エンジンが爆笑を取って優勝したが、エロ詩吟は番組中に表現不適切のお詫びが出た。まさか、あれがゴールデンやプライムで出来るはずもなく、萎むと思われたが、違った。実は、本当はもっとエロい、というフリが先行した。彼のキャラが良かったのかもしれない(キモ系ではなかった)。
その前年は、なだぎ武のディラン・マッケイだ。共演したなかやまきんに君が爆笑してしまってゲームができなかった(そのなかやまきんに君も、この番組でUSAキャラを立ち上げている)。 どうも、漫才番組でありながら優勝者よりも繋ぎのゲームやコントが面白く、深夜の長時間生番組という状況が生み出すマジックなのかもしれない。
ところで、この間普通に深夜、エロ詩吟大喜利をやっていたが、ひどかった。エロは言えても、詩吟は誰でも吟じることができるものではなかった。簡単そうにみえて、実は技術がいるのだ。「実はエロ」「実は技術」このあたりがブレイクの背後にあるのかも知れない。
今年は、どんなオールザッツになるのだろう‥。

これは懐かしい、13年前のもの。何人わかるかな?

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I REMEMBER JEEP

久しぶりに原ネタでも。

“ABBEY ROAD″にジョージの果たした役割は大きい、そう言うと“SOMETHING″や“HERE COMES THE SUN″の貢献を指すが、実はギター・プレイが随所に効いている。“SUN KING″のところでも書いたが、時代はニュー・ロックである。そしてジョージのみならず、ジョンやポールも影響が出ている(最後にはギター・バトルもやっている)。

この傾向はホワイト・アルバムぐらいからあるが、“ゲット・バック・セッション″は如実であり、注文を付けたポールに「わかったよ、君の言う通りに弾くよ」と言い放ったのは象徴的だ。以降、どのソロもブルージーで、印象に残るものとなっている。
“ABBEY ROAD″で言えば、“OCTOPUS'S GARDEN″が白眉かな。

ところが、ソロに入ると音が細くなる。スライドを多用する。ジョージ・ハリソン・サウンドの典型としては、こちらになるし嫌いではないのだが、私としては69年のプレイが心地よい。なんかプレイヤーとして自信に満ち溢れている。
やっぱりデレク&ドミノスとジャムやったから…(以外略)。

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2008年12月 7日 (日)

My Back Pages

ボブ・ディラン3部作になりますがお付き合いを。
疑問に思うことの一つに、どういうファン層なのか、と思うことが多い。もちろんサンプルが少ないことと、私の思い込みなのでご容赦いただきたい。

今から30年前、初来日の頃、私の周辺で俄かにディラン・ファンが判明した。少なくとも彼らは、ツェッペリンや、ビートルズや、あるいはチープ・トリックやまたはプログレ傾向にある種族とは異なっていた。往々にして、「日本のフォーク」ファンの中から露出した。多くは、兄がいる弟層。

ディランとしてはやや低迷期に入ったこともあってか、その後しばらくファンに出会わなかった。が、次に出会ったのは濃かった。そんなに自分を語るヤツではなかったが、急に「偉大なる復活」の「ライク・ア・ローリング・ストーン」がいい、だの抜かしやがったので、それもいいけど「トゥルー・コンフェッション・ツアー」のもいい、と言ってやったら、それから私のファンになった、と言う。やはり、弟タイプだった。そうそう、書いていたら思い出したが、最初吉田拓郎がいい、と言ったので、拓郎もいいけどディランもいいよ、と私がフッたのだった。

その次は幅広く洋楽を聴くタイプで、几帳面に今でも年賀状だけくれている。やっぱり兄のいる弟、だった。

次は94年の来日で知り合った人たち。共通するのは、どこかライブにさめていて、他のライブのように「わー、ワクワクするね!」といったノリが全くない人たちだった。俺、忙しいんだけどな、ディランが7年ぶりに来るっていうから来たよ、仕方ねぇし。みたいなノリである。
大阪公演なんか、前日の大雪で新幹線が遅れ、終演近くに追っかけてる一団がゾロゾロ入ってくると「よっ、ボブ!」みたいな掛け声をひとしきりかけて客電が点くと、「まっ、こんなもんでしょう」とか呟きながら会場を後にしていた。
余談だが、この夜のライブは私の人生を変えるほどの経験となった。

97年のライブはリハーサルが延びたので、会場前に長い列ができた。観察していると、意外に若い人が多い。当時、再評価ブームでもあったのだろうか。そのわりにノリは悪かった。

2001年、私はジャパン・ツアー初日の大宮を福岡の男性にネットで譲ってもらった。ヤオクではない。西村位津子さんの掲示板の書き込みに応じたのだが、今なら怖くてできない。ちなみに西村位津子さんも、GMEコンサートをテレビで見てからディラン・ファンになって、おそらく日本でもっとも充実したディラン・サイトを続けておられる「最近の」方である。

福岡の男性は最近ディランを好きになって、今度のツアーは全部追っかけようとチケットを取ったのだが、初日だけはどうしても仕事で行けない、ということだった。
この行動からして、彼の「最近」は「ブロンド・オン・ブロンド」以降なのかも知れない。どうやら、先の「仕方ねぇし」っぼい。気持ちのいいヤツだったので、行けない彼の代わりに、ライブ・レポートをメールしたら感激してくれて、これを機にトレードとかしましょう、と言ってくれたけど、それきりになってしまった。(ディラン・ファン、というより、九州人っぽいかも)。

その大宮は、盛り上がった。2001年のツアーはどこも盛り上がったようだが、4年前より客はずっと大人だったように感じた。
これも余談だが、2001年のライブは世間が言うほど私は評価していない。ラリーとチャーリーという、若手ギタリストのギターとコーラスが卒ないが、それがかえって毎日平均的であり、えーっ!という意外性がなかった。それだけ私がディランのライブに慣れたのかも知れない。

なんかいつもの如く脱線脱線だったが、ディラン・ファンはやや潜伏傾向にあり、かといってマニアックでもなく、他人への依存傾向もあまり見られないのかな、と私は感じている。年齢に関わらず、そういった人達が、ディランをカッコイイと思うのだ、ろう‥。

ここに写っている人は全部ディラン・ファンだと思う、一人を除いて‥

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