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2008年11月

2008年11月29日 (土)

Things Have Changed

引き続き、ボブ・ディランで。

偶然だが、やっと“NO DIRECTION HOME″を見たのと、“TELL TALE SIGN″を聞いたのがほぼ同時だった。

ディランについては、いつも疑問に思うことがいくつもある。そのうちの一つが、「この人のマネジメントは、一体誰がやっているのか」ということだ。
今回の“TELL TALE SIGN″は4種のリリースがあるが、2枚組と3枚組の価格差が1万円以上というアンリーズナブルな 価格設定がされており、当初発売を予定していた国内販売は見送られている。
ディランのリリースに纏わる話は、“BLOOD ON TRCKS″の差し替えや“UNPLUGGED″の回収、二十数年ぶりの“GREATEST HITS″などなど、枚挙に暇がない。何か、伝説を作らんがためにわざとやってるの?とさえ思えてしまう。だから、リリースされなかったものが数多く、ブートレッグ・シリーズが8本目になっても、内容はどうかするとリリースされたものよりも素晴らしい。だからアンリーズナブルであっても数万円を注ぎ込んだりする…という循環が成立するのかもしれない。

先の映画“NO DIRECTION HOME″を見ても、オッサンは昔から好きなようにやっている、ようにしか見えない。
でも業界はそんなに甘いものではないはずだ。ビートルズにしろ、他のレジェンドにしろ、ビジネスに囚われる。前回書いた伝説の数々を、すべてプロモーションだと言ってしまうことだってできるのだが、まあ、あの歳になって年間あれだけの数のライブをこなし、毎年何らかのリリースを認めていれば、何も問題はないのかもしれない。

今回の“TELL TALE SIGN″だって、本人がどれだけ関わっているかはわからない。山のように持ち込まれる企画、オファーの一つであり、そのなかに映画やDJもあったのだろうが、最初からディランがほとんど関わることはなく完成し、最終段階でディランが“NO″と言えばどれだけ完成していようと、…発売した後ですら、ボツになる可能性があるのかも知れない。

そんな訳で、われわれはアウトテイクを先に買わされ、後ほどオリジナルをまた買わされる(言い過ぎですが)のだが、考えれば考えるほど凄いことだ。この人の死後はどんなリリースがされるのか。

ツアー数もハンパではない。中山康樹は「ギャラが安いから」だと言う(「ディランを聞け!」より)。確かにステージは質素で何の演出もないが、チケットは7年前でも1万円だった。

聞くところによると、ギャランティ以外が結構大変で、ことに宿泊先に相当神経を使うらしい。市井の暮らしに触れるべく、街中に泊まらないで外れのモーテルに行くだとか、急にスイートに泊まるだとか、またキャンセルするだとか、いつもベロベロに飲んでるだとか、このあたりも伝説に事欠かない。

しかし何より伝説は、「ライブの中に自らを見出だした」とされる、もう20年も続いている“NEVER ENDING TOUR″だ。
アレンジを変えるどころか、歌詞も間違えるし、毎日演奏曲は変わるし、メンバーですら当日渡されるキューシートを見るまでわからない。好き放題のソロ。はっきり言おう。もう声も出ていない。ステージはグダグダもいいところだ。
しかし、ライブを目撃した者は、紛れも無く伝説に立ち会っている。

彼が人生を終えたと知る時、私は深い喪失感に襲われるだろう。そして気付く。奇跡はたった一度起こったのだ、と。

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2008年11月21日 (金)

Forever Young

ボブ・ディランについて何か書く、というのはビートルズやツェッペリンと違って緊張する。だからこれまで書いたことがない。

この30年間、これほど驚かされるアーティストはほかにない。

・ザ・バンドとやった復活ライブ。伸びやか~。

・「ハード・レイン」の原曲をまったく崩しながら、しかも強烈なインパクトで訴求するパフォーマンス。あれで私の心は完全にわしづかみにされた。

まったく表情を変えた“ONE TOO MANY MORNINGS”。何かをしながら聴く、なんてことはできない。

・その直後の来日公演。打って変わる大編成ライブ。しかも松下電器(現パナソニック)がスポンサーとなったため、大阪公演は松下電器の体育館(正確には「工学館」という多目的ホール)。

・85年ライブ・エイドの極端に地味なパフォーマンス。

・その後やや下火になるも、トム・ペティとのジョイントで見せる怖いものなしのライブ・パフォーマンス。今日でも、“LIKE A ROLLING STONE″と“IT'S ALL RIGHT,MA″“TRUE CONFESSION TOUR″が最高だと思っています。

・好調なライブと裏腹に、才能も枯渇したかと思わせるようなアルバム群の後、突如世に出た傑作、オー・マーシー。捨て曲なし。
枯れきった声、ヒキガエルのような声。今までとは違って語りかけてくるるようなディラン。1番好きなアルバムだ(ちなみに2番はプラネット・ウェイブかハード・レイン)。どこかジョン・レノンを彷彿させもする。

・いきなりの、公式ブートレッグ3枚組。詰め込み過ぎのため、初回盤はエラーが多く、すぐには再発されなかった。
素晴らし過ぎて、どうしてこれらがボツになったかわからない。

・91年グラミー賞受賞時のパフォーマンス、怒涛の“MASTERS OF WAR″。痺れるほどカッコイイ。

見よ聴けこの勇姿。クラプトンがTVで観てて泣いたという、91年のグラミー。

・一転、スラッシュのギターで始まるアンダー・ザ・レッド・スカイで酷評。「いずれ新曲が聞きたくても聞けなくなる時がくる」と不穏な発言。しかし私は、タイトル曲だけは絶対に捨ておけない。

・いきなりの、公式ブートレッグ3枚組。詰め込み過ぎのため、初回盤はエラーが多く、すぐには再発されなかった。
素晴らし過ぎて、どうしてこれらがボツになったかわからない。

・アンダー・ザ・レッド・スカイ後の発言を裏付けるべく、トラディショナルのカバーアルバムばかり2枚出す。またこれがいいんだ。“BROKE DOWN ENGINE″とか。

・30周年記念コンサート。並み居るビッグ・アーティストの競演にも関わらず、ソロ・ステージの“IT'S ALL RIGHT,MA”“GIRL FROM THE NORTH CONTRY”で全部持っていってしまう凄さ。

・93年、アンプラグド企画を遂行すべく、サパークラブで4回のショウを行うが全部ボツに。

・94年来日。アナウンスとともに始まる“JOKERMAN″。砕け散るウィストン・ワトスンのドラムスティック。今日まで体験したライブの中で、最もインパクトの強かったライブ。後日、ブートを捜し回ったものだ。

・その3ヶ月後突如再来日、「東大寺GMEあおによしコンサート」。幻想的な雰囲気のなか、マイケル・ケイメンのオーケストラと、大仏殿をバックに“HARD RAIN″“BELLS″“RELEASED″とこの上ない3曲を披露。名演。

・Greatest Hits vol.3発売。 VOL.1とVOL.2の間隔が4年、次のVOL.3が何と23年ぶりに発売される。なぜ?

・ソニースタジオでアンプラグド収録。CD発売後、すぐ回収。テイクや曲の差し替えではなくて、オーディエンス・ノイズの差し替え。

・4度目の来日。“61″や“FOREVER YOUNG″は忘れられない。

伝説のデビッド・レターマン・ショウ。

・ローマ法王御前コンサート。ヨハネ・パウロ2世に“FOREVER YOUNG″(!)を歌う。

・98年グラミーでのパフォーマンス。“SOY BO(M)B″乱入。

・ブートレッグ・シリーズVOL.4「ロイヤル・アルバート・ホール」。実はマンチェスターでのライブなのに、ブートレッガーが騙ったのを、そのままタイトルに。
仙台公演を「武道館」と言って売るようなものだが、パクり返すところがいい。

・2001年再来日。初日の大宮公演では、ライブ終了後、ホールから大宮駅まで何と徒歩で向かっため、ファン大喜び。

・2002年8月、37年ぶりにニューポート・フォーク・フェスティバルに出演。ヅラとヒゲを付けて出る。

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・また同年10月よりギターをほとんど弾かず、キーボードをメインに弾いてライブを行う。ギターには表現力に限界があると判断した、とのことだが、あなたの40年間は何だったのですか。

・また同年、映画出演。「ボブ・ディランの頭のなか」本当に頭のなかを知りたい。

・2004年、初めてのCM出演。商品は「女性下着」。本当に頭のなかを知りたい。

・2007年、ディスクジョッキー(!)を始める。孫の幼稚園で唄う。ここ数年、ネタっぽいことばっかりだが。時系列を無視した、初の自伝も出版。(続く)

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