本当は7月20日に書こうとしたネタを、2ヵ月遅れで。
69年7月20日、アビィ・ロード・セッションの合間であるが、映画“LET IT BE″の試写があってジョン以外の3人は参加したようである。
どんな感想をもったかはわからないが、“LET IT BE″伝説の始まりだ。あの映画が公開されなければ、アルバム“LET IT BE″は、もっと先入観なく聞けたかもしれない、と思うのだ。
私はこうして、アビィ・ロードバンザイ!を書いているが、“LET IT BE″は日本で最も売れたビートルズのアルバムらしいし、さらに一つ前の“WHITE ALBUM″だって本当に素晴らしいアルバムに違いないのだ。現にビートルズは自身のバンド名をタイトルにしている。
その前の“SGT″がビートルズ・ファン以外の人間を巻き込んで絶賛されたために、以降出すアルバム出すアルバムがグループの内情と絡めて話される、というのは音楽そのものに先入観を与えてしまいかねないと思うのだけれど、どうだろうか。
実際、アルバム“LET IT BE″の裏表紙には「ビートルズの新しい局面」と書かれていたのだ。
ホワイト・アルバムのレコーディング終了からわずか2ヶ月とは思えない新曲の質と量は、アビィ・ロードを凌いでいる、と言っても過言ではないだろう。こんな時期にも関わらず、"LET IT BE""THE LONG AND WINDING ROAD"はもとより、どの曲も秀逸だ。"DON'T LET ME DOWN"も含めていいだろう。
LP時代には「さようならビートルズ!哀愁感漂うビートルズ最後の音と映像の世界」とか「アカデミー賞受賞レコード」(なんか世界モンドセレクション受賞みたい‥)といった帯が付けられており、今もEMIミュージック・ジャパンのサイトでは、以下のような表現が見られる。
「余計なアレンジや音響技術を排除しようとした音づくりはシンプルで、ライヴ・レコードのような迫力が伝わってくる。当時の4人の心情を反映しているせいか、アルバム全体に哀感が漂い、聴く者は感傷的にならざるを得ない。とくに「レット・イット・ビー」と「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」を歌うポールには、ついに解散に行きついてしまったやるせない寂しさと虚無感さえ感じる。」
このアルバムを聴いて私は、「哀愁感」や「哀感」を感じることはないし、「4人の心情を反映している」とも思わないし、ポールに対して「やるせいない寂しさや虚無感」を感じることなんて言語道断だ。
たぶん、“Here, There And Everywhere ”や“Girl”のレコーディング風景や、ジョンやポールのソロアルバムのレコーディング風景が撮影されていれば、哀愁漂っていたのではないか。
先入観である。だってこのアルバム制作は、ホワイト・アルバムの反省から原点に立ち戻り、オーバー・ダブを排したレコーディングを行うことで、バラバラになってしまったバンドにもう一度グルーブを取り戻すのが目的で、それにメンバー全員が同意し、纏まろうというコンセプトだったのだから。
ホワイトやアビィ・ロード以上にバンド感もある。"ONE AFTER 909""I'VE GOT A FEELING""TWO OF US"…。
私はこのアルバムがビートルズが一致団結して制作した最高傑作だ、などと言うつもりはない。仕上げる術は確かに迷走したし、コンセプトにも関わらず、誰もがそのコンセプトはアザースリーがすること、と思っていたかもしれない。でも結果は一つである。このアルバムが“Let It Be”“Get Back ”あるいは“Naked”としてリリースされるのであれば、それぞれに評価を行う必要がある。今は知らないが、私の持っている日本盤CDには、ブックレットにAppleの破綻やら制作の難航について延々と書かれており(それはアーカイブとしては評価されるものであるが)、こういった帯やらコメントやらを前にしながらこのアルバムを聴く日本人って、その姿こそ哀感を禁じえないのではないかとさえ思ってしまう。
冒頭映画が公開されなければ、とまで言ったが、しかし、ラスト30分はベスト・ロック・パフォーマンスにも選ばれている。
私は声を大にしたい。69年は高い水準の作品が制作された、でいいんじゃないんだろうか。音にサブタイトルは無用なだけでなく、害悪であると思うのだが、いかがでしょうか。
では街頭インタビューの入らない、ドント・レット・ミー・ダウンを。
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