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2008年9月

2008年9月26日 (金)

アビィ・ロードの夏

今年の夏は一念発起してブログを始めたが、サイトの立ち上げに較べれば本当に楽だ。当時と違うのは、ケータイが使えること。これは大きい。

今年は奇しくも(?)39年前と日付と曜日が同じであった。週の始めにこんなセッション、こんな曲を取り上げたんだという発見もあった。その日のセッション日とブログのアップ日をできるだけ合わせるようにしたが、印象としては、これまでのビートルズのレコーディングがわりと一曲完成するまで延々と時間をかけたのに対し、さっさとベーシックトラックを録るとあとは自分の曲は自分でたっぷりと時間をかけて完成させ、8月はほとんどそれに時間が割かれていたように感じた。

もうここに来て誰も「ライブを映画に撮って…」とか馬鹿なことは言わない。(エベレストに行って…というのはあったが、ここでいつもこういうことを言うメンバーがはっきり分かった。39年前の今頃、小さなクラブ回りをすべきだ、と言ってジョンからバカ扱いされた人だ、と思う。)

そう考えると、ビートルズはおそらく最後のアルバムをレコーディングしているという意識はなく、「新しいレコーディングのやり方」だったんじゃないだろうか。
もちろん、僕らはそれが最後になったことを知っている。

ビートルズのアルバムの中で、唯一の街中でのジャケットだ。全盛期を知る人間としては、こんなふうに4人揃ってロンドンを歩く、なんて69年でも到底無理だったろうと思うし、横断歩道を渡るなんて日常的なことが、かえってとても非現実的に感じる。

スタジオに向かっていく写真ではなく、出ていくものを選んだ、と云われるが、そのことより私は非現実となった日常を取り戻すため、非現実的となった(と感じた)ビートルズから一歩を踏み出した開放感を感じる。66年にライブをやめ、篭ったスタジオのすぐ外で撮ったジャケットは、開放的で、解放的だ。いつまでもあの夏の空は終わらない。

そしてどんなに暑い夏の日も、終わる。リリース日の9月26日には、秋風が吹いている。
9月26日はいつも、“SUN KING″の前の虫の音が聞こえてくる。

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2008年9月24日 (水)

ふざけるにもほどがある

Stevie_riks

ビートルズでYOU TUBEネタを探していると、必ずこれにぶつかる。

いやあ、凄い。ついにイギリスのセンス・オブ・ヒューモアも日本のベタと融合した感じ。コージー富田と言うよりも、コロッケに近いような。フレディ・マーキューリーやビージーズ、コステロなんか軽い悪意も感じる。

ビートルズで言えば、うーん、ジョンがHOW DO YOU SLEEP?を歌っている横でポールが聞いているバージョンかな。あとポールが歌うレディ・マッカートニーの歌詞とか(さすがにこれは公式HPには入れていない)。

ミックとキースも似てるが、一番ツボに入ったのはボウイの笑い方。
何度も観てしまうのはなぜ?

これならモリッシーも出来るのに、と思ったらもうやってました‥。

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2008年9月20日 (土)

“LET IT BE”と言っているじゃないか

本当は7月20日に書こうとしたネタを、2ヵ月遅れで。

69年7月20日、アビィ・ロード・セッションの合間であるが、映画“LET IT BE″の試写があってジョン以外の3人は参加したようである。

どんな感想をもったかはわからないが、“LET IT BE″伝説の始まりだ。あの映画が公開されなければ、アルバム“LET IT BE″は、もっと先入観なく聞けたかもしれない、と思うのだ。

私はこうして、アビィ・ロードバンザイ!を書いているが、“LET IT BE″は日本で最も売れたビートルズのアルバムらしいし、さらに一つ前の“WHITE ALBUM″だって本当に素晴らしいアルバムに違いないのだ。現にビートルズは自身のバンド名をタイトルにしている。

その前の“SGT″がビートルズ・ファン以外の人間を巻き込んで絶賛されたために、以降出すアルバム出すアルバムがグループの内情と絡めて話される、というのは音楽そのものに先入観を与えてしまいかねないと思うのだけれど、どうだろうか。
実際、アルバム“LET IT BE″の裏表紙には「ビートルズの新しい局面」と書かれていたのだ。

ホワイト・アルバムのレコーディング終了からわずか2ヶ月とは思えない新曲の質と量は、アビィ・ロードを凌いでいる、と言っても過言ではないだろう。こんな時期にも関わらず、"LET IT BE""THE LONG AND WINDING ROAD"はもとより、どの曲も秀逸だ。"DON'T LET ME DOWN"も含めていいだろう。

LP時代には「さようならビートルズ!哀愁感漂うビートルズ最後の音と映像の世界」とか「アカデミー賞受賞レコード」(なんか世界モンドセレクション受賞みたい‥)といった帯が付けられており、今もEMIミュージック・ジャパンのサイトでは、以下のような表現が見られる。

「余計なアレンジや音響技術を排除しようとした音づくりはシンプルで、ライヴ・レコードのような迫力が伝わってくる。当時の4人の心情を反映しているせいか、アルバム全体に哀感が漂い、聴く者は感傷的にならざるを得ない。とくに「レット・イット・ビー」と「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」を歌うポールには、ついに解散に行きついてしまったやるせない寂しさと虚無感さえ感じる。」

このアルバムを聴いて私は、「哀愁感」や「哀感」を感じることはないし、「4人の心情を反映している」とも思わないし、ポールに対して「やるせいない寂しさや虚無感」を感じることなんて言語道断だ。
たぶん、“Here, There And Everywhere ”や“Girl”のレコーディング風景や、ジョンやポールのソロアルバムのレコーディング風景が撮影されていれば、哀愁漂っていたのではないか。

先入観である。だってこのアルバム制作は、ホワイト・アルバムの反省から原点に立ち戻り、オーバー・ダブを排したレコーディングを行うことで、バラバラになってしまったバンドにもう一度グルーブを取り戻すのが目的で、それにメンバー全員が同意し、纏まろうというコンセプトだったのだから。
ホワイトやアビィ・ロード以上にバンド感もある。"ONE AFTER 909""I'VE GOT A FEELING""TWO OF US"…。

私はこのアルバムがビートルズが一致団結して制作した最高傑作だ、などと言うつもりはない。仕上げる術は確かに迷走したし、コンセプトにも関わらず、誰もがそのコンセプトはアザースリーがすること、と思っていたかもしれない。でも結果は一つである。このアルバムが“Let It Be”“Get Back ”あるいは“Naked”としてリリースされるのであれば、それぞれに評価を行う必要がある。今は知らないが、私の持っている日本盤CDには、ブックレットにAppleの破綻やら制作の難航について延々と書かれており(それはアーカイブとしては評価されるものであるが)、こういった帯やらコメントやらを前にしながらこのアルバムを聴く日本人って、その姿こそ哀感を禁じえないのではないかとさえ思ってしまう。

冒頭映画が公開されなければ、とまで言ったが、しかし、ラスト30分はベスト・ロック・パフォーマンスにも選ばれている。
私は声を大にしたい。69年は高い水準の作品が制作された、でいいんじゃないんだろうか。音にサブタイトルは無用なだけでなく、害悪であると思うのだが、いかがでしょうか。



では街頭インタビューの入らない、ドント・レット・ミー・ダウンを。

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2008年9月12日 (金)

Chaos And Destruction In the Backyard

ドライビングレイン・ツアーで来日したとき、ポールはNHKのインタビューに、今でもYesterdayを超える楽曲を産みだしたいと努力している、と答えており、インタビュアーが「それが実現するのはいつ頃になりそうですか?」との質問に「(It's)Yesterday!」と言っていたのを覚えている。
ジョーク自体はややスベリ気味だったが、ポールの想いは真実だったのだと思う。

このアルバムを2曲ぐらい聴いたとき、「…これは傑作かもしれない」と感じたが、聴き終えるころに私は、本当に息苦しくなってしまった。
このアルバムは、ある目的のために極めてコントロールされて製作されたものであり、いわば「ポールらしく」作ったためにかえって「ポールらしく」なくなってしまった、という感じがどうも拭えないのである。

もっとも、各所では絶賛されていて、私みたいなのはたぶん少数派なのだから、嫌なら聞かなければいいだけなのだが、ブログネタにするのは「あまりに切ない」からで、しかも、切ないのは曲調ではなく、ポール自身、という、ポールの全アルバム中このアルバムのみに感じる違和感故だ。
ポールの歌には、いつもハッピーがあった。

ポールはナイジェル・ゴドリッチのスケジュールに合わせて「オールモスト・フル」のレコーディングを切り上げ、ツアー・メンバーとレコーディングに臨もうとしたらゴドリッチに拒否され、おまけに「あなたは逃げを打ってはいけない」とまで言われて作ったアルバムは、確かに無駄な音はなく、一つ一つの音も磨き抜かれている。ポールのヴォーカルもその一つだ。ゴドリッチはいい仕事をしている。「English Tea」は「Martha My Dear」を彷彿とさせる、といった評が、端的に表している気がする。ポールに時々みられる、とっちらかり感もない。
それがかえって、なんかカルトな若いファンが、爺さんを狭いスタジオに監禁して、20代のころのヒット曲を唄わせているような痛々しさを感じてしまうのだ。

ゴドリッチ一人に理由を求めるつもりはない。ヘザー・ミルズとの不和、そして一人でのアルバム作り。

少数でも、私のようにポールにハッピーを求めるファンは一体全体どうしたもんだろう。せっかく「オフ・ザ・グラウンド」以降安心して聞けるアルバムが続いていたのに。ヘザー・ミルズとの恋にまた創造力を取り戻した快作「ドライビング・レイン」のセールスは、大規模なワールドツアーにもかかわらずイギリス国内で46位だった。

結局、ケイオスを最後に、ビートルズ時代から40年以上籍を置いたEMIから離れている。

ソロになって開花、という言葉はジョージにしか似合わないが、ポールをはじめどのメンバーも開放感を聴くことができる。ラフになることがあるが、いつもハッピーだった。
「ロック・ショウ」の第二期黄金期の後、悪戦苦闘して、やっと肩の力が抜けてきたのに、ゴドリッチは心地良さを封印し、ポールもEMIも、Yesterdayの上をまだ諦めてはいなかった。

でもポール、自分でもう言ってしまったはず。

…それが実現するのはいつ頃になりそうですか?

で、この曲はケイオスではなくてドライビングレインから。とっくにイエスタデイ超えてるよ。

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2008年9月 4日 (木)

Momentary Lapse of Reason

Images David

かねがね似ていると思っていた二人。右が露鵬で左がギルモア。

いやいや、右がやっている人で、左がやっている反応の出た人。

(いやいや、右もやっていないか‥。)

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