Chaos And Destruction In the Backyard
ドライビングレイン・ツアーで来日したとき、ポールはNHKのインタビューに、今でもYesterdayを超える楽曲を産みだしたいと努力している、と答えており、インタビュアーが「それが実現するのはいつ頃になりそうですか?」との質問に「(It's)Yesterday!」と言っていたのを覚えている。
ジョーク自体はややスベリ気味だったが、ポールの想いは真実だったのだと思う。
このアルバムを2曲ぐらい聴いたとき、「…これは傑作かもしれない」と感じたが、聴き終えるころに私は、本当に息苦しくなってしまった。
このアルバムは、ある目的のために極めてコントロールされて製作されたものであり、いわば「ポールらしく」作ったためにかえって「ポールらしく」なくなってしまった、という感じがどうも拭えないのである。
もっとも、各所では絶賛されていて、私みたいなのはたぶん少数派なのだから、嫌なら聞かなければいいだけなのだが、ブログネタにするのは「あまりに切ない」からで、しかも、切ないのは曲調ではなく、ポール自身、という、ポールの全アルバム中このアルバムのみに感じる違和感故だ。
ポールの歌には、いつもハッピーがあった。
ポールはナイジェル・ゴドリッチのスケジュールに合わせて「オールモスト・フル」のレコーディングを切り上げ、ツアー・メンバーとレコーディングに臨もうとしたらゴドリッチに拒否され、おまけに「あなたは逃げを打ってはいけない」とまで言われて作ったアルバムは、確かに無駄な音はなく、一つ一つの音も磨き抜かれている。ポールのヴォーカルもその一つだ。ゴドリッチはいい仕事をしている。「English Tea」は「Martha My Dear」を彷彿とさせる、といった評が、端的に表している気がする。ポールに時々みられる、とっちらかり感もない。
それがかえって、なんかカルトな若いファンが、爺さんを狭いスタジオに監禁して、20代のころのヒット曲を唄わせているような痛々しさを感じてしまうのだ。
ゴドリッチ一人に理由を求めるつもりはない。ヘザー・ミルズとの不和、そして一人でのアルバム作り。
少数でも、私のようにポールにハッピーを求めるファンは一体全体どうしたもんだろう。せっかく「オフ・ザ・グラウンド」以降安心して聞けるアルバムが続いていたのに。ヘザー・ミルズとの恋にまた創造力を取り戻した快作「ドライビング・レイン」のセールスは、大規模なワールドツアーにもかかわらずイギリス国内で46位だった。
結局、ケイオスを最後に、ビートルズ時代から40年以上籍を置いたEMIから離れている。
ソロになって開花、という言葉はジョージにしか似合わないが、ポールをはじめどのメンバーも開放感を聴くことができる。ラフになることがあるが、いつもハッピーだった。
「ロック・ショウ」の第二期黄金期の後、悪戦苦闘して、やっと肩の力が抜けてきたのに、ゴドリッチは心地良さを封印し、ポールもEMIも、Yesterdayの上をまだ諦めてはいなかった。
でもポール、自分でもう言ってしまったはず。
…それが実現するのはいつ頃になりそうですか?
で、この曲はケイオスではなくてドライビングレインから。とっくにイエスタデイ超えてるよ。
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