YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY
・核心
いよいよこのアルバムの核心とも言える部分である。
そして中でもこの曲は、“I WANT YOU”“SOMETHING”“OCTOPUS'S GARDEN”に対するポールの答えである。(今、気付いたが、“YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY”と“I WANT YOU SOMETHING”というのも示唆的ではある…)
控え目に言っても、ポール・マッカートニー全作品中、その全知全能が集約されている、極めて稀有な曲だと思っている。
同じ69年の作品である“LET IT BE”や“THE LONG AND WINDING ROAD”も好きだが、この曲は数段好きだ。これは好みの問題で、そうじゃない方もいるだろう。
しかしこのサイトは、“LET IT BE”よりもこの曲の方が好きだ!という人のために、頑張ってきた(誰も頼んでいないが)。
・“HOT AS SUN”セッション
この曲は、5月6日にオリンピック・サウンド・スタジオでベーシックトラックを完成させている。たった1日で、である。
この日は4月半ばから断続的に行われていた、通称“HOT AS SUN”セッションの最終日であり、その後ジョンがモントリオールでベッド・インを行うなど各自は休暇を取って再度7月に集結する。この間に、メンバー内では今後の活動について調整が取られたのだろう。
しかしこの5月6日の、アビイ・ロードではない場所でのセッションに、本当にすべてのメンバーが参加したのだろうか?
そもそも、このセッションの開始はジョンとポールの2人だけによる“THE BALLAD OF JOHN AND YOKO”のレコーディングであり、文献によれば、その2日後に行われた“OLD BROWN SHOE”セッションは、ジョージとリンゴ(キー・ボードはビリー・プレストン)の2人のみで行われ、あのシングルはAB面でビートルズになる、という説もあった。
確かにあの曲ではジョンとポールの存在感が薄く、あの特徴的なベースは自分が弾いた、とジョージが発言したと伝えられたこともあり、なかなか面白い話ではあると思う。
ちなみにこのセッションで録音されたのは“THE BALLAD OF JOHN AND YOKO”“OLD BROWN SHOE”“SOMETHING”“OH! DARLING”“OCTOPUS'S GARDEN”“YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY”の6曲(“I WANT YOU”“LET IT BE”“YOU KNOW MY NAME”の3曲にオーヴァー・ダブ)。このライン・アップを見ても、“OCTOPUS'S GARDEN”以外は4人揃ったかどうかが今ひとつ判然としない。
“HOT AS SUN”セッションというのは“WHITE ALBUM”セッションに近く、4人揃ってのレコーディングが少なくて、ジョージが“SOMETHING”、ジョンが“I WANT YOU”を仕上げている一方で、この曲はポールが他のメンバーに指図することなく、一つ一つ積み上げてレコーディングして出来あがった曲ではないのか、と想像する。
最近になって、この曲はジョンの“HAPPINESS IS A WARM GUN”に着想を得、これがのちの“BAND ON THE RUN”に繋がっていくのではないか、との評を読んだ。
それはジョンに対する称賛とコンプレックスからポールにこの曲を作らせ、3部形式であること、さらに細分化が可能というところ「まで」共通している、とおっしゃっている。
面白いし、こういう斬新な見方はたいへん好きだけれど、少し違和感があるな。
ジョンはのちに、“I NEED A FIX”“MOTHER SUPERIOR JUMPED THE GUN”“HAPPINESS IS A WARM GUN”という3つの曲が1つになって出来たものだ、と言っている。
ビートルズはそれまで、幾度となく2つの曲を1つにしてきている。3つの曲を1つにしたからってどうなのか?それに、“3部形式”ということと、“3つの曲を1つにする”ということとは違う、と思う。
ジョンが3部形式の曲を書こう、と“HAPPINESS IS A WARM GUN”を作ったのであれば俺も、と勇んだかもわからないが、デモやアウトテイクを聞く限りにおいては、非常に自由に思いのまま作曲し、それをそのまま残して完成させたのが結果的に3部か4部かになっているように思える。
ジョンの件の曲は、起承転結がくっきりとなされ、ドラマチックである。ダルな感じで始まって途中から傾斜がつき、そして絶唱型のエンディングは、緩急がはっきりついたリズムがリードしている。
この曲も、最初はまるで部屋の中で弾いているような、ピアノのそっとした弾き語りからはじまって、ピアノがジャングルになり、そしてもう少し伸びやかな展開があって、はっきりとしたバンド演奏の力強いロックン・ロール・ピアノになり、ヴォーカルも、ギターも、ドラムスもフルパワーで荘厳に漏りあがり、エンディングは決して燃え尽きることなくララバイで締めくくる。「起承転結」ではなく、「起承承承」である。スケールがどんどんどんどん広がっていく。
この曲は、制作最初からニ転三転する展開が練りに練られた作品であり、それぞれのパートが前後のパートとしっかりと繋がっているように感じる。途中に途切れることのない流れがあり、まさに一人“BOHEMIAN RAPSODY”である。
そして、このアルバムに試みられた“HUGE MELODY”と同じコンセプトがここにあり、ここにあるがゆえにこのB面が完成している。
・卒業制作
ピアノをやさしく爪弾いて、シリアスに、かつメロウに唄ったあと、“LADY MADONNA”のような、お遊びのようなジャングル・ピアノに声を変えてのせるあたり、非常に“ポール・マッカートニーらしい”。ナイジェル・ゴドリッチがプロデュースしたアルバムよりは、ずっとポールらしい。
“MAXWELL'S~”のところで、ポールの“遊び”はあまり好きではない、と書いたが、この遊びは統制が効いていてシャレてる。このパートがあるからこそ、この前の部分がソロウフルに聞こえるし、この後の“ALL THE MAGIC FEELING”が“NOWHERE TO GO”に聞こえるのである。残念ながら、ドライビング・レイン・ツアーで初めてこの曲をセットリスト入りさせたポールは、途中から歌詞を適当に歌い、「ツアーが終わるころには歌詞も思い出すだろう♪」とか歌っている。そこはこの人なりのジョークなんだろう。
ちなみに、この部分の歌詞は“out of college, money spent”なのに、私の所有する80年日本盤歌詞では、“out of job is money spent”に、“came true, today”は“it'you,today”になっている。このアルバムのみならず、当時の歌詞はひどいものである。
閑話休題。“NOWHERE TO GO”と言い切ったあと、“OCTOPUS'S GARDEN”のようなコーラスを挟み、非常に力強く、そういった状況に決別するようなロックンロール・パートが来る。ここは、悲しげな冒頭部と対になっていると解釈している。わずか4分2秒で、自己実現の過程を唄い上げている。
まさに“one sweet dream came true today”である。
この曲では、このアルバムのなかでも、ということは全ビートルズの曲の中でも、慎重に一音一音の単位で音が重ねられており、要所要所で絶妙のハーモニーをみせている。
イントロの“(funny paper~)”に当たる部分のピアノとエレキ・ギターのハモリ、2ndヴァースでは今度はベースとヴォーカルを加えてのハモリ。後半は多様なギターの音とベース、そして何よりリンゴのドラムスのタイミング、絶妙のタンバリン。
ブートを聴くと、5月6日ヴァージョンでは、通しでポールがピアノで弾き、それから1つずつ重ねていった様子が窺える。
ガンガンピアノを弾きまくり、“1,2,3,4~”の下りではまるでビリー・プレストンのように(だったりして…)かなり低音から一気に鍵盤をグリスしたりしているのがゾクゾクする。
このヴァージョンはこのヴァージョンで、かなり良い。“nowhere to go”の後、最終テイクではコーラスが入っているが、このヴァージョンではポールの伸びやかな“oh~”というヴォーカルである。これも良い。
これら途中のテイクを聴くと、いくつかのことに気がつく。リンゴのシンバルやフィル・イン、ポールのベース・ノートやジャングル・ピアノはあとから被せられたものである。
また、削除されたものとしては“out of colledge”のところにずーっとコーラスがあったが、最終テイクではなくなっている。
気になるのはギター・ノーツである。どれを誰が弾いているのかが興味深い。先ほど述べたように音質、フレーズともに絶妙である。
ただし“1,2,3,4~”以降のギターは“McCARTNEY”や“RAM”で聴けるポールのギター・フレーズに酷似している。下のyou tubeで聞いて欲しいが、ジョージが弾いたにしては後半ネタに詰まっている。ポールっぽいと言えばポールっぽい。
いずれにせよ、この曲及びメドレーは、ポールのビートルズ卒業制作である。抑制が効きながら、ビートルズ時代に得た表現をふんだんに炸裂させており、そして現在に至るまでのマッカートニー・サウンドを予告している。何より、メロディ、歌詞内容、アレンジ、演奏内容のすべてにおいてフルパワーである。
この曲は“HAPPINESS IS A WARM GUN”にではなくて、やはり“I WANT YOU”に屹立して対峙する曲である、と感じるのだ。
・メドレー構想
マーク・ルウィンソンを始め多くの評論が、本アルバムのメドレーの構想はこの曲の制作を機としている、と述べている。たぶん、メドレーの始まりとなり、リプライズがあるからということに起因しているだろう。
しかし、ルウィンソンは、5月6日のテイクはいずれも、それはあたかも他の曲を繋げるべく“1,2,3,4~”の手前で突然終わっている、と言っているが、私が聴いているこの日のテイク30は突然終わっていないばかりか、ピアノの強打を合図に短いジャムに発展している(さらに、“OH! DARLING”のガイドともなるギター・リフが最後に聴ける)。
ポール自身、ルウィンソンのインタビューに対し、メドレー構想については「僕らはいつだってそうできる時はそうしてきた」と答えている。
これは当時のことを正確に記憶していないポールの抗弁(?)かもしれないが、確かに前のゲット・バック・セッション自体、曲と曲との間に切れ目がないことが一つのコンセプトだったし(“We'll do Dig A Pony straight into I've Got A Feeling”)、ペパーズ以降、多くの曲間が効果的に埋められている。
メドレーが、ポールの発想であることはほぼ間違いないだろう。アルバムというものを、ただの曲の寄せ集めではなく、そこに何かを付加しようとする試みである。これも、私からすれば彼のサービス精神に近い部分にあると感じる。
ジョンが言うような、ロック・オペラのようなものを念頭においていたのかもしれないが、それにしては当時のビートルズはすでに時間も精力もなかった。他のメンバーはこういったことにたいして興味がなく、メドレーの編集作業はポールとジョージ・マーティンのほぼ二人で行われた、とされている。
このアルバムを一言で言い表すなら、「仕上げ」だと思っている。細切れのセッションでレコーディングしたベーシック・トラックをまとめて、一枚の統率のとれたビートルズ・アルバムに仕上げる。短期に一枚のアルバムを仕上げるために、レコーディングには至っていないが使えそうなマテリアルはぶち込む。これまでなら曲やアレンジが完成するまで寝かしておいて、次のアルバムに使うこともできたのだろうが、ビートルズには時間がなかった。
そうしてそのアルバムをリリースすることで、ビートルズも仕上げる。やっぱり「ロック・オペラ」とか、「メドレー構想」というのは幻想なのかもしれない。だとすれば、このアルバムは、奇蹟以外の何物でもない、そう思うのです。(01.9)(08.7)
・Her Majesty
“You never give me your money~♪”の旋律は、この後、ジョンの2曲を挟み、“Didn't anybody tell her ~♪ ”でもう一度変奏する。
Carry That WeightのBメロはもちろんだけれど、Goledn Slumbersの"Once there was away~♪"にもその意識があるのかもしれない。深い。(19.1)
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