OCTOPUS'S GARDEN
・“ABBEY ROAD”
この曲も69年4月にベーシック・トラックが作られているが、4月29日のリンゴのヴォーカル・オーヴァー・ダブを除けば、4月26日の1日だけで完成をみている(といっても32テイクとっているが)。
リンゴの作品だから全員が一致団結して一気に仕上げられたのか、それともジョンやポールの作品に多くの時間を割くためなのか…。「セッション・データ」を横に見て欲しいが、やはり全体的にジョンやポールの作品に較べて手がかけられていない感は否めない。ただし、今回のジョージ2曲については、今までになく彼自身が自分で手をかけていることもみてとれる。
69年4月26日、ホワイト・アルバムのリミックスのために68年10月17日に使用してから、ビートルズがアビー・ロードのEMI第2スタジオに半年ぶりに帰ってきた。これは今回初めて知ったが、意外だった。
しかもこの後、アビー・ロード・セッションが始まる7月1日までまた2ヶ月以上も使用されていない。
第2スタジオ以外は“THE BALLAD OF JOHN AND YOKO”などでも使用しているし、ジョージが一人“SOMETHING”のデモを録音したりしている記録もあるが、一人でデモを録るためだけに広い第2スタジオを押さえたとは考え難い。
考えれば前年、5ヶ月も優先的に使用していたのである。その間、他のEMIアーティストの使用も建て込んだ筈であり、69年は少し遠慮しなければならない事情もあったのかもしれない。いくらトップ・アーティストで今まで優先使用が認められていた彼らでも、ひょっとしたら「7月までは使えない」お達しがあったかもしれない。
しかしビートルズは、そういった事情で7月まで休むわけには行かなかった。
“ライブをやりたい人”もいたのである。計画では、EMIの使用できない期間に合わせてアップルに自前のスタジオを造って、どうせ場所を変えてやるんだったらイベントにして映画を撮ろう、ということになっていた。
しかしアップルスタジオの完成が間に合わなかったので、マジック・クリスチャンで使うことになっていたトゥイッケナム・スタジオを使った…(そして失敗した)そう考えると分かりやすいことは分かりやすい。
4月26日は土曜日だ。土日は基本的にサラリーのスタッフは休みのはずで(実際この日、ジョージ・マーティンさえ休んでおり、プロデューサーの記載にビートルズが表記されている)、小人数で他の小さいスタジオを使うことはあったようだが、最大の第2スタジオを週末に使用するのは67年にビートルズがレコーディングに専念して以来はじめてである。
つまり、それだけの事情があってこの日のレコーディングに及んだわけである。
早い時間には“OH!DARLING”のヴォーカル録りやジョンとヨーコのテープ編集が行われているが、これらは単独の仕事として、この日は“OCTOPUS'S GARDEN”を完成させるためにEMIに無理を通したのかもしれない。いや、EMI-№.2が空いている日はここしかなかったのかもしれない。
実際、このセッションは非常に「愉快で創造的」(マーク・ルウィソン)らしく、ホームでの仕事としては上出来だったのではないだろうか。
“ABBEY ROAD”というアルバム・コンセプトとそのタイトルを考える時、メドレーの構想がいつ出来たかとか、解散を意識したアルバム作りだったかとかいうことの前に、その始点はまさにこの4月26日に行われたセッションにあったのではないか?第2スタジオこそ、彼らの“GARDEN”ではなかったのだろうか?ホームグラウンドに帰ってきた4人が、「ひょっとしたら、またいいアルバムが作れるかもしれない」という光が見えたセッションではなかったのだろうか。
そんな風に考えると、この曲がいとおしく感じてしまう。
・ジョージの功績
映画“LET IT BE”を見ると、リンゴは詞を作りながらジョージと曲構成を決めている。ジョージがコード進行についてアドバイスしたりしているのだが、こういうシーンを見ると、この曲でジョージが果たした役割というのは、実際に大きかったのではないだろうか。
“I ME MINE”でも、「君が唄えよ。どう唄おうと文句は言わないからさ」(これは私は、ポールに対するすっごいイヤミにとれた…。だって少し前のシーンで、「君の言うとおりに弾くよ」と言ってたばかりだし…。)と言っているなど、リンゴに対して全面的に協力している風である。ちなみにブートで聞けるこの曲の他のセッションでも、ジョージが端々にアイデアを提供したりアドバイスしたりしているところが垣間見られる(聞かれる)。
ところで、このシーンは他に突っ込みどころ満載のシーンで、2人がリハーサルしているとジョンが入ってきてドラムスを叩いたりしているが、ポールが来るや否や演奏を終えたりしている。
映画の演出、かもしれないが(特にジョンのドラムスとか)、リンゴの曲については、ジョンやポールが来る前にやらなければいけないバンドの事情って、何だろう?
ジョンやポールが来たら、彼らの曲を仕上げることにかかりきりになってしまっていたのだろうか?
ポールは二人の演奏が終わったところへやってきて、(英語なので)何を言っているのかわからないけれど、まるで長嶋茂雄のようである。「そう、やってたの、そう~」てな感じである。何か“上から”な感じである。黙ってドラムに座って叩き始めるジョンの方が、仮に演技だったとしても、これは好感が持てる。
ちなみに、映画では二人が作曲に没頭している間にやってきたジョンが、そーっとドラムに座って驚かしてやろうとばかりに叩き始めた風に映画では見えるが、あれは編集である。実はブートを聞くと、ジョンが入ってきて談笑し、「ドラムを叩く」と言って叩き出し、そうとう長くやっている。ポールが入ってきてしばらくしても、「オッケー!」と言ってさらに倍の速度で叩いたり、非常にご機嫌である。
なお、ブートではジョンが入ってきて談笑したあと、ギターに合わせて“she's a little peace forever,~~well,put together♪”と唄うのだけれど、この曲が思い出せない。ビートルズの初期の曲だったか、ジョンがソロになってから録音した曲だったか…。お心当たりの方、メール下さい。
閑話休題話。というわけで、完成バージョンだけをすんなり聴いても、構成としてこの曲のイントロのギターといい、コール&レスポンスのようなテクニカルなギターといい、比較的単調なこの曲がこのアルバムの他の楽曲群と遜色がない素晴らしい出来となっているのは、ジョージの功績と言えるのではないだろうか。ブートなんか聴かなくてよいから、是非アンソロジーに収められている、コーラスや面白いピアノ(こういうの、ジャングル・ピアノっていうんでしたっけ?)、ブクブクが付けられる前のヴァージョンを注意深く聴いて欲しい。
・“No one there to tell us what to do”
この曲は、英詞のもつニュアンスとかを肌で感じることができる人は別として、リンゴのボーカルで、海に関するテーマであること、曲調、効果音、どれをとっても“YELLOW SUBMARINE”と比較されやすい。
リンゴはこの曲を、スッタモンダのあった“WHITE ALBUM”が打ち上がり、サルディニア島での休暇中に書いた、と言われている。何かその際の心中とこの曲のイメージと合わないような気もするが、ジョージの“HERE COMES THE SUN”の創作逸話に似てなくもない。
いずれにせよ、聞けば聞くほど、“YELLOW SUBMARINE”とはあまり関係ない曲であることがわかる。
ジョージは、この曲を褒め称え、「表面的にはふざけた歌だが、注意して歌詞を見るとたいへん意義深い歌であることに気付く」と言っている。
この時期の彼らの置かれていた状況を鑑みると、“We would be warm below the storm”“In the little hide-away beneath the waves”といった歌詞が意味深である。(なお、この箇所の歌詞はアンソロジー・ヴァージョンのテイク2にはまだ出てきておらず、1番と同じ歌詞が用いられている。)
…当時のビートルズには、storm”や“waves”が絶えなかったのでしょう。ピーター・セラーズら映画関係者との休暇が、彼にとっての癒しだったのでしょう。そして“No one there to tell us what to do”-「私に命令する人は誰もいない」。
また、この曲展開やリンゴの歌唱、ジョージのギターまでも「カントリー調」と評する評論家もいるが、その言い方はちょっとキツくないだろうか?
私が言うのもナンだが、“DON'T PASS ME BY”は確かにC&Wの影響があると思うし、現にボークープス・オブ・ブルースというアルバムも出しているリンゴゆえ、この曲もそう聞こえなくもないが、だいたいこういうことを言う人自身本当にC&Wを聴いているのかすら疑いたくなる。(オマエはどうだ、というツッコミもあるが)
カントリー「調」とかカントリー「風」とかは、カントリーとどう違うのか?“I WANNA BE YOUR MAN”だって、リンゴがゆっくり唄えばカントリー「調」に聞こえるが、ストーンズが唄えばR&B「調」ということになるはずだ。
ま、私はそんなことが言いたいわけではない。ジョージの68年の音楽的交遊で成長したギターテクが、いい仕事している。ジョージとリンゴのコラボ曲だ。
例のセッションでジョージがこの曲を唄うのを聴くと、“WAH-WAH”や“THE BALLAD OF SIR FRANKY CRISP”、“IF NOT FOR YOU”(こいつはディランだが)のテイストさえ感じる。
さらに最終ヴァージョンには素晴らしいポールとジョージのコーラスも付いている。
この曲は聴けば聴くほど、噛めば噛むほどいい曲なのだ(タコだけに)。
特にこの歌詞と、リンゴのヴォーカルの温かみと、そしてジョージのギターのコール&レスポンスを噛み締めて聴いて欲しい。リンゴの趣味のC&Wではなく、この時期のビートルズの、楽曲を仕上げる力量に打たれるだろう。(01・2)
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