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2008年7月

2008年7月25日 (金)

SHE CAME IN THROUGH THE BATHROOM WINDOW

・フェイバリット・オブ・フェイバリット

このアルバムは私が今までに聴いたアルバムの中で最も好きなアルバムだが、この曲はその中でもおそらく1番好きな曲かもしれない。
理由については自分でもよくわからないが、おそらく他の曲以上にバンド演奏らしさが残っており、その“熱”が感じられること、ポールのヴォーカル・スタイルが好きなこと、ジョージのディレイが深くかかったギターが好きなこと…総じて、セクシーであること、といったところだろうか。

またまたブートの話で恐縮だが、大昔にワクワクしながらブートの名盤“SWEET APPLE TRAX”を聴いた。ご存じない方のために簡単に言えば、映画“LET IT BE”のアウトテイクで、音質も良く、内容も充実しており、その中にこの曲のリハーサルも延々収録されていた。
蛇足ながら、今ではアンソロジー3でリハーサル・テイクを聴くことが出来るので、わざわざブートの話に迂回して書かなくともよかったのであるが、当時はこの曲の、リリース・テイクとの違いに驚いたものである。もっとスローなブルース、といった感じである。セクシーさはない。

68年10月17日に“WHITE ALBUM”の作業が終了すると、ポールはリンダとニューヨークへ飛んでいる。10月末には再びロンドンに戻っているが、3人でイエロー・キャブでJFケネディ空港に向かう途中、そのダッシュボードに取り付けられた運転証明書にポールはインスパイアされたらしい。

【Name : Eugene Quits (ex-policeman ) 】    (氏名:ユージン・クイッツ(元警官))

これが歌詞の“So I quit the police department~”(それで警察署を辞めて~)のラインとなったらしい。
(名前のquitをモジッたシャレになっている)

・ジョンからポール、そしてジョージとリンゴのブリッジ

“POLYTHENE PAM”の46秒あたり(繋ぎの部分)で、ほぼ同時に左チャンネルから“HEY”(ポール)、右チャンネルから“KLEIN!(アレン?)”(ジョン)のカウント・インがあり、30秒近くジョージのギター・ソロが入る。

このことについては“POLYTHENE PAM”の項で触れたかったが、この曲までガマンしていた。CDではジョンのカウント・インから“BATHROOM WINDOW”になるから、このブリッジは“POLYTHENE PAM”のトラックの一部になっており、それがCD化に際しての「ビートルズの解釈提示」とも言えるのだけれど、この曲がなければブリッジもないだろうから、私はあえてこの曲のイントロと解釈したい。

このアルバム中、“I WANT YOU”のソロはジョージが弾いたかどうか不明であり、“THE END”は企画っぽいので外せば、ジョージのコンストラクトされたギター・ソロは“SOMETHING”“OCTOPUS'S…”とこのブリッジの3ヶ所だけではないだろうか。いずれも、非常にいいギターである。実に巧いギターだと思う。
ジョンの曲からポールの曲のブリッジとして、バスドラ踏みまくりのリンゴのリズムをバックにジョージがギター・ソロを弾く、というのもなかなかシャレている。こういった細かいことが、実際にはバラバラであっても、このメドレーに一体感を与え、ビートルズ最後の輝きを見せていると言ってもよいと思う。

・誰かの声PARTⅡ

“I WANT YOU”でも書いたが、“POLYTHENE PAM”の56秒のところで左チャンネルから小さく“come on,”59秒手前で“hi,”というポールの合いの手が聞こえる。ポール、と断言するのは声質と、左チャンネルはだいたいポールだから(“だいたい”か…)。

さらに、7月30日のラフ・ミックスと称して(ブートで)出回っているテイクでは、今度はその後ジョンがカウントとなるべき合いの手、というか、おふざけに近い言葉を聞くことができる。1分4秒のところで“…paap”、同6秒で“…that's great”、同9秒で“…real(feel?) good luck,”、同11秒で“…feel good”、そしてリリース・テイクに唯一残っている“BATHROOM WINDOW”のアタマの“oh,*** out , hehe… , oh, look out!…(it's…)”のカウント・インになるわけである。ジョンも一生懸命やっているのだ。

ひょっとすると、“HEY ! KLEIN !”からずーっとジョンかポールがカウントを入れていた可能性もあることになるのではないだろうか。ぜひこれらのカウントインがすべて明瞭に聞こえるベーシック・トラックを一度聴いてみたいものである。

・ママ・ミス・アメリカ

ジョージのギターをベタ褒めしたあとで何だが、私の心の中では、ほんの少しだけ呵責を感じることがある。ブリッジからこの曲全編で聴かれるディレイのかかったギター、本当にジョージか?と問われると、100%そうだと断言する自信がない。

“McCARTNEY”に収録されている“MAMA MISS AMERICA”は途中から曲調が変化するが、変ってからのポールのギター・ソロをぜひ聴いて欲しい。サウンドがひじょーに“BATHROOM WINDOW”に似ている。
もっとも、こちらはセミアコ(カジノ)っぽいし、ソロのテクニックにしても“BATHROOM WINDOW”の方が一枚上に感じてしまう。恐らくはジョージだと思うのだけれど、いずれにせよ、恐るべしポール、である。

・THE“2ndヴァース”

何しろ、力作である。“MAXWELL'S”“OH ! DARLING”などと同様、ビートルズは半年以上も試行錯誤を繰り返してきている。この2曲に較べ、1月のヴァージョンから相当に変化している。

1.演奏スピード。

  私の大好きな“ONE AFTER 909”もそうだけれど、初期ヴァージョンからはかなりテンポアップしている。もっとも“TWO OF US”のように最終ヴァージョンがスローになる方が異例かも知れないが…。

2.バック・コーラス。

  ジョンとジョージが付けている、と記載されている書物もあるが、ポールが一人で何回か重ねている、としている書物もある。みなさんのご意見をうかがいたい。
  このコーラスは“OCTOPUS'S…”ほかこのアルバムの随所で聴ける美しいハーモニー・コーラスであるが、ブレイクで始まるこの曲のポールのヴォーカルの直後、スーッと入ってくるのが美しい。

3.ギター。

  1月のテイクでは、他のリハーサル曲と同じく、ずっとジョージがワウ(オート?)のかかったギターを  弾いている。リリースはディレイのかかったジョージのギターと、“POLYTHENE PAM”から連なるジョンのアコースティック・ギターがもっともこの曲の雰囲気を変え、印象付けている。

4.リンゴのフィル・イン。

  これはこの曲の随所で強烈なアクセントとなっている。

これだけではない。2ndヴァースは凄い。1stヴァースのあとのサビのエンディングでジョンのギターが一音多いところから始まっている。リンゴのフィル・インに続いて、1stヴァースと打って変わってポールのベースが暴れ出す。

また、2ndヴァースだけはコーラスを入れる替わりに“パシッ!”という何かを打ちつけるような音が入っている。これが何の楽器かはわからないが、1回目の音と2回目以降の音には違いがある。記録はないが、何となくリンゴがなにかを叩いたのか、あるいはムーグかもしれない。

面白いのは、3回目まで4拍の裏で入っていたのが4回目で1拍飛ばして1拍目の裏になり、次も1拍目の裏で、最後に4拍の裏に戻っている。ここでは非常にテクニカルなことをやっている。ビートルズは奥が深い。

また、2ndヴァースの“she worked at 15 clubs a day”の直後に誰かの声(おそらくポール?)で“…oooh”というエコーのかかったフェイク・ヴォーカルが入っているように聞こえる。前述の“come on”ではないが、偶然ベーシック・トラックの声がダビングの末薄れて残ったのかもわからないが、これもなかなか良い。

そして2ndヴァースのあとはサビにはいかずに3rdヴァースに移るが、まるでエアコンの吹き出し口口からの吹く冷風のように、再度1stヴァースで聴けたハーモニーが入ってくる。

率直に言って、1月のヴァージョンは単調である。この完成版は、単調にならないよう曲構成から随所にいろいろな試みがなされ、わずか1分57秒にテクニックが凝縮されている。そう考えると、パシッの拍がずれていたり、フェイク・ヴォーカルが聞こえたりするのも、あながち計算ではないとは言えないはずである。

なお、1月のリハーサルではピアノ・ヴァージョンがあり、またアップル・スタジオに移ってからはエレピ・ヴァージョンを聞くことができるが、「グランド・ピアノの方がサウンドがいい」とかポールが言っている会話も入っている。…最終的にはピアノもエレピも入れられたと記載されているが、派手なギターとドラムス、コーラスにかき消されていて、私には聞き取れない。

・サンデーちゃん?(いっぱい疑問形)

この曲はもともと、ポールの家にファンが侵入し、ポール自身がこんこんと説教したことが元となっているとも言われている一方、ジョンはこの曲を評してリンダのことを唄っているのかもわからない、と言っている。
さらには、“protected by a silver spoon”“didn't anybody tell her?”といった部分からヨーコのことを指している、とする書物もあるが、私はリンダを指しているとするジョン説に一票とする。

ちなみに英国では、子供が生まれると silver spoonを贈り、一生それを大切に使わせるという慣わしがあると聞いたことがあるので、歌詞となんらかの関係があるのかもしれない。また、“ silver hammer”はそのパロディである、とする説まであるが、どうだろう?

ところで、昔から“Sunday's on the phone to Monday,…”という歌詞は不思議であった。このSunday's のアポストロフィ、エスは何の略だろう?おそらくは“is”の省略形だと思うが、直訳すると「日曜日は月曜日に電話している」といったところだろうか。

“LADY MADONNA”では、やはり曜日の歌詞が現れる。こちらはもう少し写実主義的である。
ついでに、何曜日の歌詞が歌われていないか皆さんご存知でしょうか?土曜日?ピンポーン!マドンナ婦人の生活描写に較べると、“SHE CAME…”はもっとシュールである。

先にユージン・クイッツなる通りすがりの人物から“So I quit ~”のシャレを思いついた、と書いたが、イギリスの女性歌手サンデー・ショーや、ビル・ワイマンの元嫁のマンディといった曜日の女性名が存在する。ひょっとしたらこのくだりは、女性の名前にポールがインスパイアされたものかもわからない。

ところで、私は映画などでも、外国のバスルームで窓のあるものを見たことがない。
ロンドンで泊まったBed and Breakfastには、窓があった。確かに人が入れるような大きな窓だったが、しょせんB&Bである。バスルームと言えるような部屋ではなく、土間にバスタブをただ置いただけ、といった感じだった。もちろん、ホテルに泊まったときには浴室に窓はなかった。
“FREE AS A BIRD”のプロモには、梯子のかかった浴室(らしき)の窓が出てくるが。

ポールの豪邸の浴室は、いったいどんな浴室だったのだろうか。
どんな窓があったのだろうか。そして、何が飛び込んできたのだろうか。(01・9)

ちょっと珍しいジョンのボーカルで始まるおふざけバージョン。

ビートルズは、ここ2日で4曲を録音した。1週間後に“BECAUSE”のハーモニーを録るが、4人がバンドとしてベーシックトラックを録ったのはこの日が最後。このアルバムのスケッチはこれで完成し、あとは8月末まで、それぞれが自分の曲に納得が行くまで飾り付けを行っている。“POLYTHENE PAM~SHE CAME IN THROUGH THE BATHROOM WINDOW”はある意味、最後のビートルズのプレイ、なのだ。(08.7)

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POLYTHENE PAM

・ジョン・レノン、その二面性

彼の女性観に対する一面である。おそらく“WHAT'S THE NEW MARY JANE”はこちらの面で、もう一つの面は“WOMAN”で聴ける。
この歌詞を女性蔑視だ、ともし言うなら、そう言う見方自体が女性蔑視だと逆にお叱りを受けるかもしれない(何かどこかの国の首相答弁のようだが)。
Mr.Mustardの後だけに、この曲の刺激度がかなり減少しているけれど、この曲の魅力の一つにはこの内容をリヴァプール訛りで唄うことにある。それがかえって卑俗な印象さえ聴く者に与える。
例えば、リバプールの伝承歌“MAGGIE MAY”もビートルズによってレコーディングされているが、非常に即興的な要素を差し引いたとしても同様な印象がある、と言えばご理解いただけるだろうか。

自分に女性に対する二面性があることを、本人自身後年のインタビューでも語っている。
ここで私がわざわざそんなことを申し上げるのは、ジョン・レノンがどういった女性観を持っていたかを書くためではなく、この人は時としてある種の人物に向けられた、収集のつかない自分の感情を創作のパワーに利用することがある、ということを書いておきたいと思ったからである。
実際に、ポールに向けられた感情は“HOW DO YOU SLEEP?”となっているし、障害者に向けられた感情は「アンソロジー」の中でも触れられている。

この曲の歌詞内容、そしてリヴァプールのイントネーションで唄うこと、そして鋭いギター・カッティングは相乗的な効果を生み出し(ちなみにこのギター、ルウィソンは12弦と記しているが、間違いである可能性は高い。)、“COME TOGETHER”や“I WANT YOU”で聴けたクールでアグレッシブなジョンの曲に仕上がっている。
他のメンバーのプレイも素晴らしいが、とりわけリンゴのドラミングは壮絶である。バックでハーモニーを付けているのが誰かじっくり聴いてみるのも楽しい。

・サビ

ある書物で、この曲が“EVERYBODY'S GOT SOMETHING TO HIDE EXEPT ME AND MY MONKEY”に似ている、ということを指摘されている方がいた。この曲は“ホワイト・アルバム”セッションの際にすでに取り上げられていたようであるが、結果的にホワイト・アルバムやゲット・バックから漏れた理由というのはなんだろう。
アンソロジー・ヴァージョンを聴いてもわかるが、この曲もやはりサビらしいサビがない。思えば、ホワイト・アルバムでも明確なサビメロがあるのは“I'M SO TIRED”“YER BLUES”“REVOLUTION”の3曲くらいしかない。むしろゲット・バック・セッションで取り上げられた“DON'T LET ME DOWN”“DIG A PONY”“ACROSS THE UNIVERSE”なんかの方が曲構成が練られている、と言えるかもしれない。

1月24日のゲット・バック・セッションで聴くことのできる演奏では(…ということは、「ブートで聴くことのできる」と同意になってしまうが)、1stヴァースと2ndヴァースの間奏でジョン以外の誰かが長く、かつマズい(というかフザケたギター・ソロを延々と弾いているのが聞こえる(直前の曲が“TWO OF US”のようなので、ポールかもしれない)。
そのためにジョンが2ndヴァースに入れなくてイラっときているところがあるのだが、非常におもしろい。一瞬、この曲の魅力はスピード感にあることをジョンも意識しているように感じる。

もしもビートルズに勢いがあった時期であれば、…いつが勢いがあったのか、なかなか難しいが…この曲をもっとうまく仕上げることができたかもしれないとも思う。ホワイト・アルバムのような制作をやっていればそれぞれのエゴが出てしまってやはり完成は難しかったかもしれない。
裏を返せば、そのあたりを「メドレー」やら「ジョージ・マーティン」やら、または「短期制作」やら「8トラック」やらといった手法でクリアしているのがこのアルバムの奇跡であり…まるでと「だから野球は面白い」風の解説で、誠にもって申し訳ない。

あまりに上手く言おうとしているかもしれないが、むしろサビのないこのフレーズ、ジョンの3曲は“YOU NEVER ~”で始まるこのメドレーのサビの役割をきっちり果たしているのはないだろうか。
ちょうど“WE CAN WORK IT OUT”でジョンの作った“LIFE IS VERY SHORT~”のラインが決まるように…。
しかしながら、ゲット・バック・セッションでは“I'VE GOT A FEELING”のように1曲にする、というアイデアが実行されたのに、半年後にはあくまでも1曲は1曲とクレジットとしたうえでメドレー化するほかなかった、と考えると、グループとして末期症状にあったことも感じさせる。

ともあれ、この曲はビートルズの最後のアルバムで最後に聴けるビートル・ジョンの曲となっている。

・またしてもHER MAJESTY

それにしても、当初予定だった“MEAN MR.MUSTARD”“HER MAJESTY”“POLYTHENE PAM”の流れだけれど、編集したフェイクのブートもでているが、お持ちでない方も、MDで編集して試して聴いて欲しい 。アコースティック・サウンド、歌詞という部分で.は繋がりがあるかもしれないが、突如ギター一本の弾き語りが入ることで流れが一旦引っ込んでしまうのだ。「01-yattemita.wma」をダウンロード

それでポールは仮の編集テイクを聴いて、「“HER MAJESTY”が気に入らないな。捨てちゃえ」と言い、最終的にリリースされたのはさる曲を取り除いただけのもの、となったそうである。つまり、“MEAN”と“PAM”とは結果的に、偶然にメドレーとなった可能性もある。
ちなみに、最もこのメドレーの作業で“problemtic”だったのは“YOU NEVER~”と“SUN KING”のクロスフェイドだったそうである。(01・9)

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2008年7月24日 (木)

"NOW AND THEN"

アンソロジー・プロジェクトは極秘裏に進められたが、誰が一体、94年の2月に、ジョンのダコタ・デモに他の三人が音を被していると予想しただろう。かくして、゛゜FREE AS A BIRD゛゜REAL LOVE゜の2曲は世に出たわけだが、期待の高まったアンソロジー3には新曲の収録がなく、ジョージ・マーティン氏のストリングスでお茶を濁されてしまったわけである。

当時、一説には゛GROW OLD WITH ME゜が取り上げられたが完成に至らなかった、との噂があり、これを裏付けるように2年後、ジョン・レノン・アンソロジーにはマーティン氏プロデュースの゛GROW OLD WITH ME゜が収録された。
このプロデューズにあたりマーティン氏は、何とかベースをポールに弾いて欲しかったが叶わなかった、との記事を読んだことがあるが、完成テイクのベースはポールを彷彿とさせるものになっている。

しかし、先の2曲と同時にレコーディングされたのは、この曲のみならずジョンのダコタ・デモから゛NOW AND THEN゜も取り上げられて合計4曲あり、セッション日時まで詳細にネットで明らかにされていた(むろん非公式ですが)。後ろ2曲は何らかの理由でボツになり、陽の目をみることなく今日に至っている。

そしてまた、昨年あたりからこの曲が公開されるという情報が飛び交いだしたが、今回ブログのネタ探しにYOU TUBEを見ていたら見つけたのがコレ↓

うーん、よく出来ている。他のフェイクものに比べて出来が良すぎ。流出かも。でもオクラ入りしたのも何となく頷ける。ポールは「゜REAL LOVE゜は゜FREE AS A BIRD゛ほど楽しめなかった」と言っていた。

取り上げられたのは1曲、2曲じゃなく(その場で3人が作った“All For LOVE”という曲もレコーディングされた、らしい)、いろいろ試したんだろうけど、1曲目ほどの新鮮さは失われてしまい、「スリートルズ」としてどう関わったらよいのか途方にくれたというのが真相かもしれない。そこは30年以上のキャリアのある彼らだから、゜REAL LOVE゜は仕上げたが、「それ以上」の“何か”が生まれることもなく、「それ以上」続ける理由はなかった−というところだろうか。
それに゛NOW AND THEN゜にしても゛GROW OLD WITH ME゜にしても感傷的過ぎる。

ところで、私はこの゛GROW OLD WITH ME゜が好きだ。マーティン・バージョンにファンが重ねたフェイクだと分かっていても・・・そんな私こそ、「感傷的過ぎる」?(08.7)

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MEAN MR.MUSTARD

・「半端」なもの、そうでないもの
  
半端なやつをを全部一緒にしよう、というのがこのアルバムのコンセプトの一つであった。
作品数、という意味では、この時期のジョンは不振を極めている。

もっとも、ゲット・バック・セッションの記録などをみると、作品数のみならず内容的にも極めて乏しい。
1か月のセッションで、“ACROSS THE UNIVERSE”(これはフィルムが回っている時に少しプレイしただけであるが)、新曲としては“DON'T LET ME DOWN”“DIG A PONY”“ONE AFTER 909”“DIG IT”“CHILD OF NATURE”“GIMME SOME TRUTH”のほか、終盤“I WANT YOU”も完成したが、そのほかはこのメドレーの「半端な」3曲程度であるから、その後“IMAGINE”で陽の目を見た2曲以外はアルバム(“GET BACK”)に突っ込んだ、という感じである。

この状況はポールもほぼ変りはないが、曲数は多い。
驚くのはジョージで、“SOMETHING”はもとより“ALL THINGS MUST PASS”に収録される曲の多くがこの時披露されており、しかもまったく「半端」ではない。
もしもビートルズが本当に民主的なグループだったら、ジョージの曲中心のアルバムが作られてもおかしくないくらいに思えてくるラインナップである。それが結果“FOR YOU BLUE”1曲なんだから、誰だって途中で抜けるって…。

さらに脱線するが、最近、洋書“GET BACK~The Unauthorized Chronicle of the Beatles'LET IT BE Disaster” (1ヶ月に及ぶゲット・バック・セッションのフィルムからセッションの様子を起こした力作、以前に「DRUGS,DIVORCE AND A SLIPPING IMAGE」の題名でも出版されている。お勧めです。) の翻訳を読んだら、どうも69年の1月にジョージが抜けたのは、映画で見られるポールとのやりとりが主原因ではなく、その後のジョンとの諍いが決定的だったそうである。
その原因までは特定されていないが、ジョージは他の3人にデイリーミラ―紙に連名でギタリスト募集の広告を打てばよい、などと冷静に話していたようである。

確かに“WHITE ALBUM”で多くを放出したあとだけに、ジョンの新曲が少ないのはやむを得ないが、そのあとも本作までは実験音楽を除けば“THE BALLAD OF JOHN AND YOKO”と“GIVE PEACE A CHANCE”くらいだから、ジョンはヨーコ、及びイヴェントに夢中でポップ・ミュージックを等閑にしていたか、ビートルズに楽曲を提供することなどどうでも良かったのか、それともスランプだったのか。

“SUN KING”“MEAN MR.MUSTARD”“POLYTHENE PAM”の3曲は、いずれもはっきりしたサビがないという点では不完全である。ゲット・バック・セッションでのリハ等を聴くと、Bメロやサビを探っている様子が窺える。
この曲については、アンソロジーに収録されているデモ・ヴァージョンでも、“oh,mean mr.mustard,~♪”などとやっているし、ゲット・バック・セッションではエレクトリック・ピアノを導入して曲の雰囲気を変え、別メロで“~do you no harm,~♪”と展開を試している。

結果的には、メドレーのこの位置が非常に効果的で、曲が生きている。“SUN KING”のゆったりとした流れから、リンゴのドラムで始まり、ファズベースと相俟ってリズムの良く効いたミディアム・テンポの曲。
歌詞内容も自然の恵みを唄い上げて一転、非常に「個」的な一人の胡散臭い男のことを歌うが、ジョンはアンソロジー・ヴァージョンのように力むことなく、さらっと唄っているところが“YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY”にも通じる。そして2nd ヴァースは、ジョンとポール最後のハモリが聴ける。

もう少しアレンジに目を向けると、これはおそらくジョージ・マーティンとポールの仕事だと思うが、ファズ・ベース、レズリー効果のギター、途中から入るタンバリン、ポールがハモって、“Sleeps in a hole in the road~”の節のあとの上昇するダ、ダ、ダ、ダーン♪やエンディングの3拍子など、この曲の単調さを解決するアイデアが結構ふんだんに盛り込まれている。
決してビートルズ・フェイヴァリット・ソングの10位には入らない曲だけれど、本作には欠かせない重要な、「愛らしい」曲である。ジョンが言うほど、ゴミ箱行きの曲ではないと思う。

・“AIN'T SHE SWEET?”

この曲は7月24日のベーシックトラック・レコーディング時から、すでに“SUN KING”とメドレーで演奏されているが、実は、このレコーディングの直前と直後の演奏が、アンソロジー3に収録されている。

“直前”はポールの“COME AND GET IT”のソロ・レコーディングである。仮にこの曲が“FRAMING PIE”のアウトテイクだ、と言われても私なら騙されてしまうくらい、現在のポール・マッカートニーのヴォーカルやら作風やらを感じる曲だ。
逆に言えば、それだけスタジオの中で起こるビートルズ・マジックというのは凄く、ビートルズの一員としてのスタジオにおける緊張感や化学反応というのがあるのかもしれないし、また、一つにはポールが一番“ビートルズ・サウンド”というコンセプトに囚われ、それを固持しようとしていたメンバーだったからこそ、ソロの場合はサウンドに囚われがない、という見方もあるのかもしれない。

“直後”はジョンが歌う“AIN'T SHE SWEET?”である。これはBBCライブにも収録されているし、確かアンソロジー1にも収録されていたと思うが、ジョンの十八番である。
この69年テイクは非常に好きだ。リラックスした雰囲気がいいし、“SUN KING”の楽器の設定のままベースやギターを弾いていますよ、という感じがいい。

しかし一つ気になることがある。ジョンのヴォーカルに覇気がない。声が出て入ない。先ほど「さらっと唄っている」と書いたが、元気がないだけかもしれない。病み上がりだった、ヤク切れ状態だった、といろいろ考えられるのだが…。3日前の“COME TOGETHER”セッションでは気合いが入っているんだから、「病み上がり」なわけはないか。

ところで、ジョージ・マーティンは「ジョンはあのメドレーに不満だったが、ちゃんと力を貸してくれている。タペストリーにちょっとずつ音を織り込むアイデアを出してくれた」と言っている。この曲や、次の曲のことを言っているのだろうか。
この曲の歌詞では、あとの曲と繋がりがいいようにマスタードの妹の名前をシャーリーからパムに変えて唄っている。ひょっとしたら、これだけが彼の“アイデア”だったのかもしれないが…。
いずれにせよ、けっこう協力的なジョンであります…。

・HER MAJESTIY

当初“HER MAJESTY”がこの直後に繋がれていたことが判明している。
恐るべし、ポール、である。最終的には繋がりが気に入らなくて外されるが、この“MEAN MR.~”“HER MAJESTY”“POLYTHENE~”の流れは、ルウィソン氏の書物が出るまでまったく想像がつかないものだった。これにより、“HER MAJESTY”のイントロの大音響とアウトロの音が欠けている二つの理由が一挙に解決することとなった。

それにしても、どうしてこんなところにこんな曲を持って来ようとしたのか。
歌詞中、“takes him out to look at the queen”に引っ掛けると、“HER MAJESTY”の歌詞自体Mr.Mustardの独白になる。つまり、歌詞内容をメドレーにした、ということは充分に考えられる。
そうすると、浴室の窓から飛びこんだのはPam、ということに…。(01・9)

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SUN KING

・アルバトロス

さて、ここから3曲ジョン・レノン作品が続く。

“YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY”の虫の声のSEの向こうから、ゆったりとしたレズリー効果のかかったギターが聞こえてくる。この連結部は8月5日に完成されたもので、それまでの試験盤では“YOU NEVER~”のフェイド・アウトに続いてジョンのハモンド・オルガンの単一コードがフェイド・インしてきている。

左右に移動するギター、リンゴのバスドラ、それまでのビートルズにはないサウンドで、これ以前にもこれ以降のジョン・レノンにもこういったサウンドはみられない(強いて言うならば“JULIA”“LOOK AT ME”“YOU ARE HERE”あたり?)。“ABBEY ROAD”サウンドを印象付ける一曲でもある。ビートルズの全員が力を注いだ感がある。

“I WANT YOU”などはフリートウッド・マックの“BLACK MAGIC WOMAN”に、“SUN KING”が“ALBATROSS”にインスパイアされている、と言われている。インスパイア、どころか“まんま”である。
ジョージ(ハリスン)は、ちょうどその頃“ALBATROSS”が出たばかりだったんで、ジョンが「フリートウッド・マックの“ALBATROSS”をやろうぜ」と言って始めた、とまで言っている。著作権請求した方がいいぞ、ピーター。
“COME TOGETHER”といい、このアルバムに提供したジョンの楽曲はどうもそういう話が付いて回る。ほんと、ジョンにとってこの頃のビートルズは、「やっつけ」だったのだろうか。

・SUN KING/DON'T LET ME DOWN

GET BACK SESSIONの初日、69年1月2日のリハーサルでは、ずーっとこの曲のイントロの(ジョンオ得意の)アルペジオを奏でた挙句、“DON'T LET ME DOWN~♪”と唄っている。この試みが行われたのはこの日だけのようで、特に意味はないのかもわからないが、ジョン自身は“DON'T LET ME DOWN”のイントロを模索していたのかもわからない。
“DON'T LET ME DOWN”の、“nobody ever love me like she does~”のバックの変拍子のリズムは、“SUN KING”のそれに相通ずるものがある。

・ジョン・レノンとニュー・ロック

“SUN KING”をアルバトロスのパクリ、と言って終わってしまってはつまらない。
確かにこの2曲に何の因果関係もない、などと言うつもりはないが、1969年である。すでにクリームも、ジミ・ヘンドリックスも、レッド・ツエッペリンも世に出ている。今となっては死語、どころか遺跡のような言葉だが“ニュー・ロック”台頭の時代である。

面白いなあ、と思うのは、果たしてジョンがフリートウッド・マックを聴いていたか?というあたりである。話は逸れるが、ジョンはディランでさえ「ブロンド・オン・ブロンドのあとは両耳で聴くのをやめた」とまで言っているが、ウソつけ、このセッションの後もリンゴやジョージとワイト島に飛び、ライブを見ている。テニスまでしている。
ジョン・レノン・アンソロジーに収録された“SERVE YOURSELF”等を引用するまでもなく、終生、ディランを強く意識していたことは間違いないと思う。

そんなふうに、ジョン自身、「ジョン・レノンらしく」振舞おうとしていたと思える部分 ― 例えば他人の音楽を聞かないことを自称することなど ― と、本当にそうだったんじゃないか、と思える部分が絶えず同居しているように感じる。

詳しくはまた別の機会にするが、ビートルズ、特にジョンとポールは、音楽的な交遊関係が実は狭いのではないか、というのが私の仮説だ。
ジョージがニュー・ロックを聴いていたとしても何の不思議もないのだけれど、ジョンが聴いていて「やろうぜ」と言う、というのは非常に面白いなあ、と思うのである。
あれほど、やれロッド・スチュアートの“MAGGIE MAY”は“DON'T LET ME DOWN”のパクリだ、ストーンズの“MISS YOU”は“SCARED”のパクリだ、ビージーズはビートルズのパクリだ、B52はヨーコのパクリだ、“MY SWEET ROAD”は自分で蒔いた種だ、でも“COME TOGETHER”は“YOU CAN'T CATCH ME”じゃない、と言ってきたジョンが、である(←悪意はありません)。

確かに“WHITE ALBUM”以降のジョンの作品は、ニュー・ロックの影響が窺える。ゲット・バック・セッションでもその前月にロックン・ロール・サーカスで競演したフーの“A QUICK ONE WHILE HE'S AWAY”とか弾いている。
ヨーコと出会ってより実験的な方向に進みつつ、一方ではフリートウッド・マックをはじめとするブルース・ロックや、ニュー・ロックををジョンが聴いたりしていた、と想像できるであろうか?先に書いたとおり、そういうことを否定するジョン自身がいるとすれば、どちらが実像に近いのだろうか?

ジョンにせよポ―ルにせよ、ニュー・ロックに対応する言葉として「オールド・ロック」の信奉者であり、また60年代には自らもその旗手でもあったとも言えるわけである。
解散しなかったストーンズは、自分たちの音楽に流行を敏感に取り入れていく。ビートルズが解散しないでいたら、さらにその後のニュー・ロックやらパンク・ロックやらの時代をどう乗り切っただろうか。
例えば、“HELTER SKELTER”やら“I WANT YOU”の延長線上にある音楽をやっていたのか、それとも“FREE AS A BIRD”なのだろうか…。

・ロス・パラノイアズ

「僕らはよく、自分達のことをロス・パラ・ノイアズって呼んでたんだよ」とジョンは言っている。何となくスペイン語の響きと“パラノイア”を引っかけているのだろうが、“SUN KING”の原題はロス・パラノイアズだった、としている文献もあるし、この曲の後半にはスペイン民謡(!)「ロス・パラノイアズ」のメロディを借りている、としている文献もある。

ところが、アンソロジー2には“WHITE ALBUM”のレコーディング中にポールがギターでジャムっている曲が「ロス・パラノイアズ」として収録されており、クレジットはビートルズの4人となっている。しかしこれはスペイン民謡というより、もう少しR&Bっぽい。
YOU TUBEでも、このタイトルの曲はたくさんあり、どれもが何かスミスみたいな曲だった。誰か教えてください。(08.7)

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2008年7月23日 (水)

THE END

・"ENDING"

最近、アンソロジー3に収録されている、まだ冒頭のヴォーカルがなくリンゴのドラム・ソロにギターが被っている7月23日のテイクを聴いていてふと思ったのだけれど、これ、“SGT.PEPPER'S LONLEY HEARTS CLUB BAND(REPRISE)”になんか似てない?
そう思い始めると、リンゴのドラム・ソロが“GOOD MORNING,GOOD MORNING”の後のカウントに聞こえる。

今度はペパーズではなくて、「ビートルズの」リプライズであり、ショーのエンディングである。
ポールらしい非常にサービス満点の曲だ。極めて短い曲ながら、逆にこれを20分続けることもできる。ビートルズの最初にして最後の、オフィシャル・ジャムなのだ(“FLYING”もあったかも…)。

後述するが、そういう意味でやはりタイトルは“THE END”ではなくて当初の仮タイトルの“ENDING”がピッタリくる気がする。メドレーは“CARRY THAT WEIGHT”でおしまい、この曲はエンディングなのである。それを“THE END”に改題したのは恐らくポールだとは思うけれど、ポール以外のメンバーが「“THE END”にしようぜ」と言ったとしたら、ちょっと冷ややかではあるが…。

ちなみにアンソロジー3で聴ける、ポールの“love you!”シャウトや、ジョージ・マーティンの大袈裟なストリングスアレンジも最終的にはカットされ、ギターソロが終わるとポールのピアノだけになっている。シンプルかつストイックで、やはりこの方が良い。

・1分12秒?

マーク・ルウィソンによれば、7月23日のテイクは1分12秒しかない、とのことである。
完成ヴァージョンはトータル2分6秒ほどあり、スタートからリンゴのドラム・ソロが終わるまで約35秒、ピアノからエンディングまでが約50秒である。これだけで1分12秒を優に超えている。(つまり「ギターソロがなくても」、という意味である)

実は、7月23日のレコーディングではまだギター・ソロを録音していない。そうすると、リンゴのソロのあと、いきなりブレイクしてピアノになって、“and in the end…”になるわけである。悪くはない。
そうすると、この曲はますます、本当にメドレーの締めのためだけに作曲されたものらしくなる。
実際、リンゴのドラム・ソロにしたって、歌(“oh,yeah!~)”が始まる直前のちょっとばかし長いフィルインと然して変らない。このフィルインがなかなか良かったのでリンゴのドラムソロをやろう、ついでにギターソロもやろう、ということになったような気がしないでもない。

いやいやそうではなくて、実はギターソロは録ってはないがベーシックトラックがあったとしたら、、ギターソロが終わったところで唐突に終わるとどうか。つまりあの"and in the end~"のラインがなくて、そのあとストリングスがジャーン!で終わって1分12秒というのは。

…なにか、“A DAY IN THE LIFE”そっくりになってきた。冒頭、この曲が“SGT.PEPERS~(REPRISE)”に酷似していると書いたが、本当に構成が似てきた。ピアノも“…woke up,…”と始まりそうな勢いである。
さて、どちらがより真相に近いだろうか。

一応私の意見を述べておくと、やはりあとの方はムリムリだな。ギター・ソロは50秒近くある。後からこの箇所が入ったと考えるべきなのだろうか?

この件については、米村幸雄さんの力作、“UNDOCUMENTED RECORDING SESSIONS”(ビートルズ専門店「GET BACK」のみで販売)にも触れられており、ブートレッグで聴けるHUGE MEDLEY PART2に組みこまれているのがTAKE7で、1分12秒に一致する、とおっしゃっておられる。
しかし、私の持っている同テイクは1分58秒もある。アンソロジー・テイクにしても1分30秒近くある。私は何か大きな勘違いをしているのだろうか?

話はさらに飛ぶけれど、どうしてこの曲は、アンソロジー・テイクでアタマが切れているのだろう?マーク・ルウィソンは7月23日の第1テイクからすでに構想はほぼ固まっていた、と書いているのだから、リリーステイクと大きく異なるはずはないのである。
たぶん、繋げられるように唐突に演奏が始まるため、カウントインがあるのだろう。そこから収録してくれればいいのに‥。
アンソロジーは極悪の編集がされている、と一部マニアの間では不評を買っている。したがってこの曲も、何らかのつまらない理由で一部がカットされて、収録されたことは十分に考えられる。

・ギター・ソロは本当に持ち回りか

アンソロジー・テイクを聞くと、リンゴのドラム・ソロを上にギターの音(たぶん、大方はジョン)が被っている。この音は、最終ミックスでは消去されるのだが、消去されることを承知のうえで、リンゴのベーシックトラックの上にソロを重ねる際に、このあとのソロ・バトルが待ちきれなくて音を出しているように聞こえる。なんか、嬉しい。

さて、ギター・ソロについては、ポール、ジョージ、ジョンの順で3回ずつ弾いている、と言われている。こういうことを気にし始めるとキリがないのだけど、あえて疑ってかかって聞いてみたい。

アルバムがリリースされた際に、「持ち回りでソロを取った」とオフィシャルにコメントされた可能性があり、その後のメンバーのインタビュー(ジョン)でもそう語られているし、さらには89年のポールのツアーでこの曲を演奏した際、他のツアー・メンバー2人と弾きまくっていた様子があるので、疑う余地はほとんどない。

にもかかわらず、私が疑ってかかるのは、これを聴いて、ああ、はっきり3人が順番に3回ずつ弾いていますね、と聞き分けられるほどでもないところにあるのです。
もっとも何人で弾こうが、バラバラのフレーズを一つに編集したのであれば澱みない編集がなされなければならないわけで、これらのフレーズがあまりに分離した感じになってしまってもマズいはずである。

まず、どうしてポールのソロがギターで行われることになるのか?ポールなら、ベースのソロになると考えてもおかしくはないだろう。
えー、ベースでなんかいきなりダサくなってしまう‥かもしれない。ロックのソロで回す際、ベース・ソロがあまり入らないことは私も知っている。しかし、ビートルズの大団円である。
一度はそういったリハーサル(ベース・ソロありで)もあったかもしれないが、しっくりこなかったのでギターにしたのかもしれない。

しかし、この曲は「ポールの曲」である。どアタマからポールの強烈なヴォーカルが入ってすぐにリンゴのドラムソロへとなだれ込んでいる。ギターソロのあとはポールのピアノとヴォーカルによるエンディングが控えている。それだけでは十分じゃなくて、ジョンとジョージのギター・バトルに参戦する状況が今ひとつわからないだけなのだが‥。

また、百歩譲って(誰に?)ポールが演奏しているとして、どうして同じ小節数を順番に弾いていると断言できるのだろう?

ジョンの70年のインタビューで、3番目を自分が弾いていることを語っている。そしてこの曲に限らず、いつも自分が3番目であったことも言っている。
確かにこのギターソロの3番目のリフは、複数の弦をうまく使ったリズム・ギターっぽいフレーズで、エモーショナルなところがジョンぽいとも言えるから、疑いもなく3番目がジョンで、残りは上手い方の2番目がジョージ、1番目がポールとされているようである。

89年のポールのライブについての詳細な分析をしたわけではないが、少なくとも映画“PAUL McCARTNEY'S GET BACK”を見る限りにおいては、3人均等にソロを回し弾きしているわけではないようであるし、ポールもさほど弾いているようには見えない。

「ザ・ビートルズ・サウンドブック」(プロデュース出版)は少し興味深いことが書いてあった。
2回目のみ、ジョージ・ポール・ジョンの順だというのである。その根拠としては、ジョージのみレスポールを使用(他の二人はカジノ)しており、音の差異が明白であるということらしい。こんな風に、ちゃんと根拠を示した分析にここ30年近くではじめて巡り合えた。

一応、そちらに書かれていることには感動したので、それを私の中での“定説”としたうえで、さらに他の可能性についても言及してみたい。
今回の場合、たまたま私はギターも少しやるので、あれこれ言うより実際に演奏してみれば何かわかるのではないかと思って耳コピーしてみた。

・検証

まず、いわゆる「3人が3回ずつ弾いている」前提でソロを9つに分け、A1、A2、A3、B1、…C3とする。もし云われているとおりであれば1がポール、2がジョージ、3がジョンのパートということになる。

「A1」:非常に簡単なフレーズ。特徴、というほどのこともない。

「A2」:A1との繋がりは良い。ペンタ1発!のようなフレーズ。まるでクラプトンか、エース・フレーリー(古いか‥)のようだ。非常に1音が強いので、このニュアンスはこのアルバムで言えば…、“SHE CAME IN~”とかになるのだろうか。しかし、このフレーズ、非常に気になる箇所がある。一番最後の所だ。このスライド・リフ。

「A3」:A2との繋がりはよい。和音を上手く使ったフレーズであるが、まあフレーズと呼べるほどのものでもない。ブルースっぽいセンスを感じるが、なぜこのリフを弾いた人間がB1を弾いた人間ではない、と言えるのか?またはポールではない、と言えるのか?疑問が湧いてくる。

「B1」:A1に似ているといえば似ている。しかし気になるといえば気になることがある。実は、コピーはアタマから行ったのではなく、このフレーズから始めた。長年このフレーズはポールだと信じていたので、先の記述どおり、これがジョージかどうかをまず確認したかったからである。
しかし、他のフレーズに較べてこのフレーズのコピーには少し手間取った。久しぶりにギターを手に取り、最初の作業だったからかもわからない。しかしこのフレーズ、特に後半は装飾音をうまく入れる必要があり、短いながらもなかなかチャーミングなフレーズである。なるほど、これはジョージだというのは説得力がある。

「B2」:これは、前半は2音をかき鳴らした後、チョーキングのキメがある。使っているフレットが5-8Fなので(もし弦が違っていたら話にならないが)A3やこの後のC3と同じフレット使いも推測される。

ギター初心者なのでいちいち驚くが、このチョーキングのキメなど、ポールが弾いたにしてはうまいなあ、と思ってしまう。
私にはポールのギターに偏見がある。下手だ、というのではない。上手いけれど、いわゆるブルース・ギターのようなフレーズを弾く人ではない、と思っている。もしそうなら、ジョージのギターに注文を付ける、ということもないような気がする。

ジョン・レノンなどは後年、「今人々がやっていることの半分はビートルズ時代のポールのギタープレイを真似たものだ」とまで言っている。(その際、「(ポールは)自分のギター演奏だけについては引っ込み思案だ」とも言っている。)

ポールのギター・プレイというのは、例えばチョーキング一つにしても、このフレーズのように素早く短くキメる、というのではなく、割りとクドめにやる人ではないのかなあ。
どの本で読んだか忘れてしまったが、ポールのギター・プレイはベーシストならではの強いアタック感がある、とか書いてあった。ピアノ・プレイにおいては左利きらしく低音が極めて強い、と書いてあったことには同意するのだけれど、それはよくわからない…。

「B3」:5、6弦の開放弦を取り混ぜたフレーズ。これこそベース・プレイっぽいようにも思うし、いや待てよ、低音弦をベンドしたりするのがジミー・ペイジっぽくもあるなあ、ということはブルース・フレーズに長けたメンバーか?などと疑惑がますます広がる。

「C1」:今度は2、3弦を使った、B3に似たフレーズ。さて、この後半のフレーズ、A2の最後のスライド・リフに似ている。

「C2」:出ました!これぞジョージ!、と私は思っているが、「これぐらいポールやジョンでも弾けるだろう」といわれる方もあるだろう…。

「C3」:今度は逆に、これぞジョン!というようなフレーズ。私にはカジノを揺すりながら弾いているジョンの姿まで目に浮かぶ。

さて「私の耳だけ」結論。
A1:ジョージ A2:ジョージ A3:ジョン 
B1:ジョージ B2:ジョージ  B3:ジョン 
C1:ポール  C2:ジョージ C3:ジョン

うーん、やっぱり持ち回りか‥(←バカ野郎)。種を明かせば私の目論見としては、2パートずつジョンとジョージが取っているんじゃないか、と睨んでいたのだが…。
A2とC1が似てる、などと言ったにも関わらず、無難な結果である。しかも何か結論が導きだせたわけでもない。申し訳ございません。
たぶん、A1もB1もポールなのでしょう。

では気を取り直して、ギター・ソロが一連のものである、つまり一人で弾いている、と仮定してみた場合、少しでも不自然な箇所はどこか。
B1とB2の間。ちょっと似通りすぎ。ギタリストの常をして、最後に音が上がるパターンを2回重ねるだろうか?
B2とB3。ちょっと唐突。B1とB2にも言えることだが、どちらかと言うと一人で弾いた繋がりというよりも、前に弾かれたフレーズを後の人間がそれを受けるように弾いた、という感じがする。
あー、ダメだ、どうしてもBは全部バラバラになってしまう。結局妄想に過ぎなかった。

・「解散予告」

昔から、このアルバムは解散を意識して制作されたものである、と言われ続けている。
その根拠は、纏まりを欠いたLP“LET IT BE”よりも、それぞれの個性が感じられながらも極めて統一感が強く、それはサージェント・ペパーをも凌ぎ、ビートルズとしての仕事を感じさせるものとなっていることに起因するのだろう。
この期に及んで再度ビートルズが結束するとすれば、それは最期のアルバムで有終の美を飾って完成させるため以外の何物でもない、という文章も読んだことがあるが、そこまで行くといささか感傷的な発想に思えてならない。

悪化した空気はあった。これ以上続けられる自信がグループにはなかったかもしれない。しかしそれが、あたかもメンバー全員が「最後のアルバム」と意識して制作していたかのように言うのはミスリードしてしまうことになりかねないのでは、と思う。
アンソロジー・ブックなどを読んでみても、少なくともジョン・レノンとジョージ・マーティン以外の人間には、そういう意識があったとはあまり思えないのである。特にこのアルバムの制作にマーティンと並び力を注いだポール自身、翌月にジョンに「ビートルズの継続」について説いているのだ。

そして、解散を意識したとされるわかりやすい根拠の一つとして、この曲のタイトルが挙げられることもある。
当初、原題は“ENDING”であった。間違っているかもしれないが、“THE END"と"ENDING”の語彙の違いは、前者の方がより定点的な表現、と解釈している。
つまり、“ENDING”とするとB面メドレーのまさしくフィニッシュの部分を指し、今まさに終わろうとしている部分を指すのだろうが、“THE END”とすると違う。終わった状態を告げている。

これはポールの着想だろうと思っている。何よりポールの曲だし、それにあの人なら故意に憶測を招くようなタイトルに変更したに違いないと思う(←偏見)。
気になるのは、最後のヴァースに“and in the end,…”とあることである。このヴァースは、タイトル変更の前からあったのか。それとも、タイトルに併せて新たに付け加えたのか。
私は、タイトル変更の後、付け加えられたヴァースだと思っている。先に書いたとおり、ギター・ソロのあと、“A DAY IN THE LIFE”の如くジャーン!で終わることもできるのだから(できるけれども…やらないでしょう)。

因みに、“the love you take …”の歌詞に用いられる“take”と“make”は、“YOU NEVER ~”と“CARRY THAT WEIGHT”に繰り返し現れる“give”の着地点、という解釈はいかかだろう。

ライブ活動を止めて、「よりよいレコードのために」 コントロールされたレコーディングを行ってきたが、ホワイト・アルバムに至っては、レコードは完成しても、グループでいる意味を失ってしまった。
ビートルズは、グループとして、グルーブを取り戻すことを省みた。確かにゲット・バック・セッションはモチベーションが低く、リハーサルを撮影する、という企画は大失敗してしまうが、前のレコーディングから2ヶ月しか経っていないのに、新曲は湯水のように湧いている。しかもそのアプローチは、ライブ活動を行っていたころのアプローチ、‥ジョンとポールのハーモニーをはじめとする‥、で行われたことは、もっと評価されることではないのだろうか。最大の失敗は、オーヴァー・ダブを禁じたことではないだろうか。

公にされてはいないが、ビジネス上の理由から、映画の公開を待たずにビートルズは69年のニュー・アルバムを作る必要があったのかもしれない。
ポールがジョージ・マーティンにプロデュースを依頼して「昔ながらのやり方しかできない」と言ったとき、「もちろんそのつもりだ。ジョンも了承している」と答えた、というのが唐突ではないこともわかる。

サージェント・ペパーの当初のタイトルが、EMIとの契約を皮肉った“ONE DOWN , SIX TO GO”(一丁あがり、あと6枚)だった、という眉つばモノのエピソードが私は非常に好きである。
一応ホワイト2枚、サブマリン1枚、それといずれは世に出るであろうゲット・バック1枚とアビィ・ロードで5枚のノルマを果たしたことになる。“MAGICAL MYSTERY TOUR”のEPをどうカウントするかの問題があるが、カウントすれば6枚を達成したことになる。
やはりこのアルバムは契約上の“(CARRY) THAT WEIGHT”で、解散を意識しようがしまいがこの作品が仕上がったのだろうか…。

しかしながら、このアルバムに収められた各曲、またこのアルバム自体にもそれぞれのメンバーの、7年間のアビィ・ロード・スタジオでのキャリアが惜しみなく注ぎ込まれ、作品に結実している。
7月にスタジオ入りした段階でほとんどの曲が完成していたことを考えれば、その後のビートルズの7週間は、曲を完成させるということよりも、コンセプト・アルバムであるかどうかは別として、「アルバム」を完成させようと取り組んだ7週間だったに違いない。
非常に奥深く、そこに投入された彼らの才能、彼らのキャリア、そして彼らのグルーヴを聴くとき、これは紛れもなく彼らの最高傑作だと思う。これを聴こうとするならば、われわれはそれだけ聴こうとする力に応じて、彼らからのメッセージが聞こえる。そう考えると、このサイトを立ち上げるに要したささやかな時間もまた無意味ではなかったと思える。ポールもそう言っている。

And in the end , the love you take is equal to the love… you make.

(08・7)

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2008年7月21日 (月)

COME TOGETHER

・「2曲のうちの1曲」

このアルバムのレコーディングセッションが行われた69年の7月と8月に、ジョンの作品でレコーディングされた「新曲」はこの曲と"BECAUSE"の2曲のみである。

“I WANT YOU"はすでにその年の2月と4月に録音を終えていたし、"MEAN MR.MUSTARD""POLYTHENE PAM"に至ってはアンソロジー3に収録されているとおり、前年のホワイト・アルバム・セッションでデモが作られている。"SUN KING"についても、ゲット・バック・セッションで例のギターのアルペジオやら誰かのボーカルやらを聞くことができる。ジェフ・エメリックの回想によれば、7月にスタジオ入りしてから、ポールとジョージ・マーティンがジョンにメドレー曲の提供を要請して、"SUN KING""MEAN MR.MUSTARD""POLYTHENE PAM"が取り上げられたらしい。

実際、"SUN KING"~"POLYTHENE PAM"のようなかなり古い未完成のマテリアルを取り上げることと、この2曲のレコーディングはジョンの中で相当プライオリティが違うのかもしれない。ジョンはポールと違って、発想をすぐに形にしないとすまないタイプで、特にホワイトアルバム以降はその傾向が強い。"THE BALLAD OF JOHN AND YOKO"にしても、"INSTANT KARMA"にしても、そうである。そのときにいるメンバーで、時間をかけずに作ってしまう。

もっとも、他のメンバーの楽曲についてもマテリアル豊富な中から選んだ訳でもないし、6月の自動車事故のためレコーディングの参加も他のメンバーより遅かったこともあって新曲提供が少なかった、という説が一般的である。
不思議なのは、そういった状態でアルバム製作に入ることで、“MAGICAL MYSTERY TOUR”プロジェクトの時など“I AM THE WARLUS”1曲しか提供していない。スタジオに入るときは、何曲か持ってくるのが約束事だったのだろうか。それともスタジオに入ればいつも、何かが生まれていたのだろうか。

とにかくこの2曲こそが当時ジョン・レノンがすぐに形にしたかったタイプの曲であり、アルバムの中で放つ光は強烈なものになっていると思う。

・それにしても‥

この曲が作られたのは7月3日と断言している文献もあるが、根拠は不明である。7月6日にチャーター便でスコットランドから帰国したはずだから、7月3日なら病床にあったはずである。

ジョン・レノンがレコーディング・セッションに参加したのは7月9日(水)であるが、"COME TOGETHER"のレコーディングが開始する7月21日(月)まで、他のメンバーの楽曲でギターを入れたとかコーラスをつけたといった記録は見られない。この12日間、ジョンはスタジオでいったい何を考え、何をしていたんだろう。怪我のリハビリのためセッションの本格復帰に至っておらず、ヨーコも寝たきりだったから(第2スタジオで‥)、12日間はフルでスタジオにはいなかったのかもしれない。他の3人が自曲にオーバーダブを加えている間、この曲を含めて構想を練っていたのだろうか。

・「ロックンロール・リバイバル」

69年9月13日、つまり"ABBEY ROAD"の完成から1か月を経ないで、ジョンはトロントのバーシティ・スタジアムに立っている。この前日の9月12日に、チケットの前売りが芳しくない主催者が困ってアップルにオファーの電話を入れ、司会でいいからとジョンの出演を依頼したところ、ジョンがその場にいて出演のみならず演奏をオーケーし、飛行機の中でクラプトンらとリハーサルをやってその場に臨んだ…と伝えられている。

こういう史実は私はなかなか信用できないたちで、これもいわゆる「ジョン・レノン伝説」の一つではないか、と解している。
チャック・ベリーの盗作、と言われた曲のレコーディングから2ヶ月後に、当の本人と競演する、というのも偶然すぎる。それにクラウス・ヴーアマンは別として、いくら当時ヒマだったとは言え、翌日のクラプトンの予定を押さえたり、さらには帰国後直ちに“COLD TURKEY”のレコーディングに参加させたりというのも、何か俄かには信じられない。

実はもっと早い段階で「ロックンロール・リバイバル」のオファーがあって、その構想とプラスティック・オノ・バンドの構想が一致した、ということはないんだろうか。こういった伝説の裏側として、当時EMIとの契約交渉が控えていたことから、“ハプニング”にしてしまったんじゃないの?とかまで邪推する。
話を"COME TOGETHER"に戻して、ジョンがチャック・ベリーらとの競演決定にインスパイアされて、後に書く"YOU CAN'T CATCH ME”を「発想」にして"COME TOGETHER"が「着想」となったのではないのか?

それにしても、68年以降のジョンは「ロックンロール・リバイバル」している。"YER BLUES""COME TOGETHER""I WANT YOU"、そして同時期に作られたと思われるソロ1作目に収録される楽曲群は、彼の音楽活動の中でも突出して鮮烈なロックをかき鳴らしている。それは、ヨーコと実験的な取り組みを行う一方で、本来の作曲には実験的色彩がむしろ減少し、より純度の高いロックへ回帰しているかの如くである。さらにそのロックも、ヨーコという力強い伴侶を得、フラストレーション(主にビートルズに対する)を一気に吐き出すかのように聞こえるし、かえって孤独感の漂う攻撃的な音にも聞こえる。

・"COLD TURKEY”

"COME TOGETHER”と"COLD TURKEY"は似ているように思いますが、どうですか?
サビらしいサビもなく、ヴァースの最後の"come together,right now~,over me"と"cold turkey,has got me~,on the run"のくくりは、少なくとも似ている。

私の仮説は、
この2曲は兄弟曲で(ちなみに"I WANT YOU"と"BECAUSE"も?)、いつまでたっても完成しないティモシー・レアリーのキャンペーンソングに取り組む中で、ヴァージョン1、ヴァージョン2として完成する。どちらも気に入る。(GET BACK SESSIONではやってなかったよね?)

ところで、この曲をシングル・カットする際のジョン、あるいは他のメンバーの胸中はどうだったのだろう。
“GIVE PEACE A CHANCE”やら“TWO VIRGINS”やらは、まだ「ビートルズでは表現できない分野の実験」と抗弁できたとしても、この曲は完全なポップ・ソングである。先に書いたが、ジョンにとってはもうビートルズのレコードリリースなどには興味がなかったのだろうか?
しかも(B面ではあるけれど)カム・トゥゲザーのリリース前週である。翌年のポールのソロの際には、“LET IT BE”とリリースが被るため、リンゴがポールを訪ねて発売延期を申し入れたではないか。

・“YOU CAN'T CATCH ME”

“MY SWEET ROAD”盗作事件に対して、ジョンは「自分で蒔いた種」とか、「知っていたに違いない」「金だけ」「手間を惜しんだ」「神様はみのがしてくださるってジョージは思ったんだろう」って毒舌を全開だった。

同じインタビューで、「チャックの曲とは似ても似つかない曲だ」と言いつつ、その舌の根も乾かないうちに「チャックの曲そのままじゃないが、Here come old flattop he come という一行を残した。Here come iron face  he come にすることもできたの(そうしておけば訴えられることもなかった)」と言っているあたり、「やっぱりパクッとるやないか!」と思わずツッコミたくなってしまう。
これではなぜ“MY SWEET ROAD”が盗作で、"COME TOGETHER"が盗作ではないのかがわかりません。

それにしても、アルバム"ROCK'N ROLL"に収録されている“YOU CAN'T CATCH ME” (というか、裁判の結果リリースせざるを得なかった作品ではあるが…)を聴くと、とてもではないが「似ても似つかない」とは言えないことがわかる。原曲を聞いたことがないし、どうも訴訟結果のために、この曲にリスペクトして“COME TOGETHER風に”アレンジした可能性があるが、メロディだけではなく、曲構成、次のラインの頭まで歌う歌唱法など、全く独立してこれら2曲が成立したことは考えられないし、第一、そんなことは「ジョン・レノンも」言っていない。

・「テイク1」

“YOU CAN'T CATCH ME”や“COLD TURKEY”と決定的に違うのは、この曲が「ビートルズ作品」として仕上がっている、ということである。
一説には、あまりのファンキーさに他のメンバーからアルバム収録を反対された、とも言われるが、私はむしろ他のメンバーがこの曲を最初に聴き、またミックスが終了した段階においても、この曲のジョンの才能に打ちのめされたのではないか、と推測している。

脇道に逸れるが、四節からなるヴァースはそれぞれジョン、ポール、ジョージ、リンゴのことを歌っている、などとの説も、はたして根拠があるのかどうかは疑問である。3rdヴァースについて言えば確かに、“bag production”“warlus”“ono”など、ジョンに非常に近いキーワードが盛りこまれているが、それ以外は不明であり、なによりも、それほどこの時期に他のメンバーのことを唄う必要がジョンにあっただろうか、と思ってしまう。まあ、“HOW DO YOU SLEEP?”をポールに対する感情を利用して作った、ということだから、当時の他のメンバーに対する感情を利用したとしても不自然ではないのかもしれない。

この曲についてポールは、「“YOU CAN'T CATCH ME”からかけ離れた曲にするために」(ほら!やっぱり!)ベースとドラムスを押し寄せるようなサウンドにした、と言っている。またこの曲は、2ndバースから後はポールのバッキング・ボーカルが入っているが、彼はもっとジョンと二人で厚みのあるハーモニー・コーラスを行いたかったようである。彼はそれが出来なかったことよりも、お互い言い出せなかったことが寂しかった、と述懐している。ぜひ、そういったバージョンも聞きたかったものだ。

アンソロジー3には、この曲のテイク1が収められているが、完成バージョンと大きな違いがなく、アーティストが試行錯誤を繰り返した形跡が見つかりにくく、面白みはない。
こういうのを聴くと、ビートルズは、今更ながらであるがいずれのメンバーも才能と技術を持ち合わせたプレーヤーであることを実感する。佳曲はテイク1でほぼ8割方完成している。それはそれだけ短時間のリハーサルの際にアイデアをぶち込んでいるはずだし、レコーディングに備えて練習もみっちり積んでいるに違いないのだ。
それに基本的に、ジョン・レノンはメンバーの中でも、秀でるテイク・ワン・プレイヤーなのである。(08・7)

(これは珍しい「アビィ・ロード」レコーディング時のスタジオ入り待ち風景)

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2008年7月17日 (木)

OCTOPUS'S GARDEN

“ABBEY ROAD”

この曲も69年4月にベーシック・トラックが作られているが、4月29日のリンゴのヴォーカル・オーヴァー・ダブを除けば、4月26日の1日だけで完成をみている(といっても32テイクとっているが)。

リンゴの作品だから全員が一致団結して一気に仕上げられたのか、それともジョンやポールの作品に多くの時間を割くためなのか…。「セッション・データ」を横に見て欲しいが、やはり全体的にジョンやポールの作品に較べて手がかけられていない感は否めない。ただし、今回のジョージ2曲については、今までになく彼自身が自分で手をかけていることもみてとれる。

69年4月26日、ホワイト・アルバムのリミックスのために68年10月17日に使用してから、ビートルズがアビー・ロードのEMI第2スタジオに半年ぶりに帰ってきた。これは今回初めて知ったが、意外だった。
しかもこの後、アビー・ロード・セッションが始まる7月1日までまた2ヶ月以上も使用されていない。
第2スタジオ以外は“THE BALLAD OF JOHN AND YOKO”などでも使用しているし、ジョージが一人“SOMETHING”のデモを録音したりしている記録もあるが、一人でデモを録るためだけに広い第2スタジオを押さえたとは考え難い。

考えれば前年、5ヶ月も優先的に使用していたのである。その間、他のEMIアーティストの使用も建て込んだ筈であり、69年は少し遠慮しなければならない事情もあったのかもしれない。いくらトップ・アーティストで今まで優先使用が認められていた彼らでも、ひょっとしたら「7月までは使えない」お達しがあったかもしれない。

しかしビートルズは、そういった事情で7月まで休むわけには行かなかった。
“ライブをやりたい人”もいたのである。計画では、EMIの使用できない期間に合わせてアップルに自前のスタジオを造って、どうせ場所を変えてやるんだったらイベントにして映画を撮ろう、ということになっていた。
しかしアップルスタジオの完成が間に合わなかったので、マジック・クリスチャンで使うことになっていたトゥイッケナム・スタジオを使った…(そして失敗した)そう考えると分かりやすいことは分かりやすい。

4月26日は土曜日だ。土日は基本的にサラリーのスタッフは休みのはずで(実際この日、ジョージ・マーティンさえ休んでおり、プロデューサーの記載にビートルズが表記されている)、小人数で他の小さいスタジオを使うことはあったようだが、最大の第2スタジオを週末に使用するのは67年にビートルズがレコーディングに専念して以来はじめてである。
つまり、それだけの事情があってこの日のレコーディングに及んだわけである。

早い時間には“OH!DARLING”のヴォーカル録りやジョンとヨーコのテープ編集が行われているが、これらは単独の仕事として、この日は“OCTOPUS'S GARDEN”を完成させるためにEMIに無理を通したのかもしれない。いや、EMI-№.2が空いている日はここしかなかったのかもしれない。
実際、このセッションは非常に「愉快で創造的」(マーク・ルウィソン)らしく、ホームでの仕事としては上出来だったのではないだろうか。
“ABBEY ROAD”というアルバム・コンセプトとそのタイトルを考える時、メドレーの構想がいつ出来たかとか、解散を意識したアルバム作りだったかとかいうことの前に、その始点はまさにこの4月26日に行われたセッションにあったのではないか?第2スタジオこそ、彼らの“GARDEN”ではなかったのだろうか?ホームグラウンドに帰ってきた4人が、「ひょっとしたら、またいいアルバムが作れるかもしれない」という光が見えたセッションではなかったのだろうか。
そんな風に考えると、この曲がいとおしく感じてしまう。

ジョージの功績

映画“LET IT BE”を見ると、リンゴは詞を作りながらジョージと曲構成を決めている。ジョージがコード進行についてアドバイスしたりしているのだが、こういうシーンを見ると、この曲でジョージが果たした役割というのは、実際に大きかったのではないだろうか。

“I ME MINE”でも、「君が唄えよ。どう唄おうと文句は言わないからさ」(これは私は、ポールに対するすっごいイヤミにとれた…。だって少し前のシーンで、「君の言うとおりに弾くよ」と言ってたばかりだし…。)と言っているなど、リンゴに対して全面的に協力している風である。ちなみにブートで聞けるこの曲の他のセッションでも、ジョージが端々にアイデアを提供したりアドバイスしたりしているところが垣間見られる(聞かれる)。

ところで、このシーンは他に突っ込みどころ満載のシーンで、2人がリハーサルしているとジョンが入ってきてドラムスを叩いたりしているが、ポールが来るや否や演奏を終えたりしている。

映画の演出、かもしれないが(特にジョンのドラムスとか)、リンゴの曲については、ジョンやポールが来る前にやらなければいけないバンドの事情って、何だろう?
ジョンやポールが来たら、彼らの曲を仕上げることにかかりきりになってしまっていたのだろうか?

ポールは二人の演奏が終わったところへやってきて、(英語なので)何を言っているのかわからないけれど、まるで長嶋茂雄のようである。「そう、やってたの、そう~」てな感じである。何か“上から”な感じである。黙ってドラムに座って叩き始めるジョンの方が、仮に演技だったとしても、これは好感が持てる。

ちなみに、映画では二人が作曲に没頭している間にやってきたジョンが、そーっとドラムに座って驚かしてやろうとばかりに叩き始めた風に映画では見えるが、あれは編集である。実はブートを聞くと、ジョンが入ってきて談笑し、「ドラムを叩く」と言って叩き出し、そうとう長くやっている。ポールが入ってきてしばらくしても、「オッケー!」と言ってさらに倍の速度で叩いたり、非常にご機嫌である。

なお、ブートではジョンが入ってきて談笑したあと、ギターに合わせて“she's a little peace forever,~~well,put together♪”と唄うのだけれど、この曲が思い出せない。ビートルズの初期の曲だったか、ジョンがソロになってから録音した曲だったか…。お心当たりの方、メール下さい。

閑話休題話。というわけで、完成バージョンだけをすんなり聴いても、構成としてこの曲のイントロのギターといい、コール&レスポンスのようなテクニカルなギターといい、比較的単調なこの曲がこのアルバムの他の楽曲群と遜色がない素晴らしい出来となっているのは、ジョージの功績と言えるのではないだろうか。ブートなんか聴かなくてよいから、是非アンソロジーに収められている、コーラスや面白いピアノ(こういうの、ジャングル・ピアノっていうんでしたっけ?)、ブクブクが付けられる前のヴァージョンを注意深く聴いて欲しい。


“No one there to tell us what to do”

この曲は、英詞のもつニュアンスとかを肌で感じることができる人は別として、リンゴのボーカルで、海に関するテーマであること、曲調、効果音、どれをとっても“YELLOW SUBMARINE”と比較されやすい。

リンゴはこの曲を、スッタモンダのあった“WHITE ALBUM”が打ち上がり、サルディニア島での休暇中に書いた、と言われている。何かその際の心中とこの曲のイメージと合わないような気もするが、ジョージの“HERE COMES THE SUN”の創作逸話に似てなくもない。
いずれにせよ、聞けば聞くほど、“YELLOW SUBMARINE”とはあまり関係ない曲であることがわかる。

ジョージは、この曲を褒め称え、「表面的にはふざけた歌だが、注意して歌詞を見るとたいへん意義深い歌であることに気付く」と言っている。
この時期の彼らの置かれていた状況を鑑みると、“We would be warm below the storm”“In the little hide-away beneath the waves”といった歌詞が意味深である。(なお、この箇所の歌詞はアンソロジー・ヴァージョンのテイク2にはまだ出てきておらず、1番と同じ歌詞が用いられている。)

…当時のビートルズには、storm”や“waves”が絶えなかったのでしょう。ピーター・セラーズら映画関係者との休暇が、彼にとっての癒しだったのでしょう。そして“No one there to tell us what to do”-「私に命令する人は誰もいない」。


また、この曲展開やリンゴの歌唱、ジョージのギターまでも「カントリー調」と評する評論家もいるが、その言い方はちょっとキツくないだろうか?
私が言うのもナンだが、“DON'T PASS ME BY”は確かにC&Wの影響があると思うし、現にボークープス・オブ・ブルースというアルバムも出しているリンゴゆえ、この曲もそう聞こえなくもないが、だいたいこういうことを言う人自身本当にC&Wを聴いているのかすら疑いたくなる。(オマエはどうだ、というツッコミもあるが)

カントリー「調」とかカントリー「風」とかは、カントリーとどう違うのか?“I WANNA BE YOUR MAN”だって、リンゴがゆっくり唄えばカントリー「調」に聞こえるが、ストーンズが唄えばR&B「調」ということになるはずだ。

ま、私はそんなことが言いたいわけではない。ジョージの68年の音楽的交遊で成長したギターテクが、いい仕事している。ジョージとリンゴのコラボ曲だ。
例のセッションでジョージがこの曲を唄うのを聴くと、“WAH-WAH”や“THE BALLAD OF SIR FRANKY CRISP”、“IF NOT FOR YOU”(こいつはディランだが)のテイストさえ感じる。

さらに最終ヴァージョンには素晴らしいポールとジョージのコーラスも付いている。

この曲は聴けば聴くほど、噛めば噛むほどいい曲なのだ(タコだけに)。
特にこの歌詞と、リンゴのヴォーカルの温かみと、そしてジョージのギターのコール&レスポンスを噛み締めて聴いて欲しい。リンゴの趣味のC&Wではなく、この時期のビートルズの、楽曲を仕上げる力量に打たれるだろう。(01・2)

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OH! DARLING

“Oh,darling , don't let me down”

この曲も、“SOMETHING”ほかと同様、すでに69年の4月にベーシック・トラックが仕上げられていたナンバーである。

この歌詞。私は常々、この曲はポールのジョンに対するメッセージ・ソングではないか、と思っている。この説については誰かが言及したものを読んだことがないので、ぜひ権利登録したいと考えているが、あまりまわりからは相手にされていない(当たり前か)。

oh,darling ,please believe me,I never do you no harm
believe me when I beg you,I never do you no harm
((c)Lennon-Mccartney,以下同じ)

聞けば聞くほど、ジョンに対して唄っているように聞こえる。

(1)テーマの“oh,darling ,”は、“DON'T LET ME DOWN”や“HELP”のような他を圧倒するジョンの“テーマ一発!”パワーソングに対するオマージュ。

(2)“I never do you no harm”は、“HAPPINESS IS A WARM GUN”の“I know,nobody, can do me no harm”に対するアンサー。

oh,darling,,if you leave me,I'll never make it alone
believe me when I tell you,I don't ever leave me alone

(3)涙なくしては聞けないヴァース。この“make it”の itとは、レコードのことかえ?

when you told me,you didn't need me anymore
well you know,I nearly broke down and cried(died)

(4)ああ、ハンカチがいる…。“Paul, you don't need me anymore”って実際にジョンに言われてるのでしょうね。本編には収録されなかった流出映像で見れますが、ジョンが“LET IT BE”のリハで寝転がってベースを弾いたり、曲の演奏中なのにヨーコと帰ってしまうシーンを思い出します。

この時期、ジョン以外の
誰かが誰かに言われててもおかしくないし、言われたと感じていたとしてもおかしくない時期だけに…。

そして第4ヴァースの

oh, darling, please believe me, I'll never let you down

(5)“I'll never let you down”は“DON'T LET ME DOWN”に対するアンサー。
なお、編集されている可能性はあるものの、“GET BACK SESSION”のリハテイクではこの第4ヴァースが第1ヴァースとしてたびたび唄われている。

さてさて、(1)のとおり、ポールはかねてから、こういったオリジナルを短時間に書いて歌ってかつレコーディングを成功させる、ジョンの天賦の才能を羨んでいたからこそ、メチャクチャこの曲のヴォーカルを磨いたのではないんだろうか。
ジョンは後日「この曲は僕向きの曲で彼にセンスがあったら僕に歌わせてたさ」と言っているけれど、私の説であればジョンに歌わせるわけなんかないのだ。

ジョン、“Back in the U.S.S.R”のレコーディングの時、「ビーチ・ボーイズにコーラスをつけてもらえばいいのに」と言ったジュリアンに、「ビートルズがやるからいいんだよ」と答えたんだってね。



ピアノ=ジョン・レノン?

資料によれば、さらっと「ピアノ(ジョン)」とか書いてあるものがある。映画「レット・イット・ビー」をご覧の方なら、このピアノはポールが弾いていると信じて疑うことがない、と思う。そんなにテクニカルなピアノでもない。

もっとも、左手のメロディーとベースがユニゾンとなっているようで、かなりパワフルなピアノでもあることから、左利きのポールが自ら弾いたはずである、との説も有力である。

ただ、ゲット・バック・セッション終盤の1月27日の録音は、アンソロジーに収録されており、このテイクにはピアノが収録されていない。ビリー・プレストンがオルガンを弾き、ポールはベース、ジョンはギターを弾いている。したがって、すでにこの時点でポールの頭の中のアレンジでは自らピアノを弾く考えがなかったのかもしれない。
このことと、例のジョンの発言にみるとおり、またアンソロジー・ヴァージョンを聴いてみても、ジョンのテイクが存在する可能性もゼロではないかもしれない。

アンソロジー・ヴァージョンでは2ndヴァースからジョンが絡んできて、“ONE AFTER 909”のようなハーモニーを聴かせている。しかし“COME TOGETHER”では「ジョンとはもう昔のようにはハモれなかった」とこぼしていたポールだが、一方で最終的に自分の曲でジョンをハモらせていない。

セッション中、他のメンバーより先に来てこの曲のヴォーカル・レコーディングを行っていたのは有名な話だが、アラン・パーソンズが言うには、それも1日1回だけしかやらなかったそうである。というのは何度もやると声が変るので、粗削りな感じが出ないからである。
…大丈夫ポール、こいつは“DON'T LET ME DOWN”も“I'M DOWN”も超えているよ。


ダーリン=リンダ?

そうは言っても、この頃ちょうどリンダと出遭った頃だし、68年末にはリンダとニューヨークに行って楽しい時間を過ごしているからこそむしろ、こういった詞が書けたのかもわからないし、R&Bスタイルの曲作りもハーレムで着想したかも、と考えるのが真っ当かもしれない。

ヴォーカルに耳を奪われるが、演奏も素晴らしい。ピアノ、ドラムス、ベース、オルガンのようなギター(実際のオルガン・パートは削られている)、ストリングスようなコーラス…。すべてのパートが聞こえるのは、全部が“効いている”からである。


イントロの、ヴォーカルの最初のキーを確認するようなピアノのコードも素晴らしい。これがこの曲の詞やメロディが持つ甘美な感触を暗示し、際立たせる役割を果たす。
またエンディングも然り。リンゴの軽快なドラミングのあと、“ジャン、ジャーン”で終わることで余韻を生み、前曲以上にバンドっぽいと思う。

こういうアレンジは、レイ・チャールズを始めとする、R&B楽曲の影響なのだろうか…。(00・10)

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2008年7月15日 (火)

YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY

・核心

いよいよこのアルバムの核心とも言える部分である。
そして中でもこの曲は、“I WANT YOU”“SOMETHING”“OCTOPUS'S GARDEN”に対するポールの答えである。(今、気付いたが、“YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY”と“I WANT YOU SOMETHING”というのも示唆的ではある…)

控え目に言っても、ポール・マッカートニー全作品中、その全知全能が集約されている、極めて稀有な曲だと思っている。
同じ69年の作品である“LET IT BE”や“THE LONG AND WINDING ROAD”も好きだが、この曲は数段好きだ。これは好みの問題で、そうじゃない方もいるだろう。
しかしこのサイトは、“LET IT BE”よりもこの曲の方が好きだ!という人のために、頑張ってきた(誰も頼んでいないが)。



・“HOT AS SUN”セッション

この曲は、5月6日にオリンピック・サウンド・スタジオでベーシックトラックを完成させている。たった1日で、である。
この日は4月半ばから断続的に行われていた、通称“HOT AS SUN”セッションの最終日であり、その後ジョンがモントリオールでベッド・インを行うなど各自は休暇を取って再度7月に集結する。この間に、メンバー内では今後の活動について調整が取られたのだろう。

しかしこの5月6日の、アビイ・ロードではない場所でのセッションに、本当にすべてのメンバーが参加したのだろうか?
そもそも、このセッションの開始はジョンとポールの2人だけによる“THE BALLAD OF JOHN AND YOKO”のレコーディングであり、文献によれば、その2日後に行われた“OLD BROWN SHOE”セッションは、ジョージとリンゴ(キー・ボードはビリー・プレストン)の2人のみで行われ、あのシングルはAB面でビートルズになる、という説もあった。
確かにあの曲ではジョンとポールの存在感が薄く、あの特徴的なベースは自分が弾いた、とジョージが発言したと伝えられたこともあり、なかなか面白い話ではあると思う。

ちなみにこのセッションで録音されたのは“THE BALLAD OF JOHN AND YOKO”“OLD BROWN SHOE”“SOMETHING”“OH! DARLING”“OCTOPUS'S GARDEN”“YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY”の6曲(“I WANT YOU”“LET IT BE”“YOU KNOW MY NAME”の3曲にオーヴァー・ダブ)。このライン・アップを見ても、“OCTOPUS'S GARDEN”以外は4人揃ったかどうかが今ひとつ判然としない。

“HOT AS SUN”セッションというのは“WHITE ALBUM”セッションに近く、4人揃ってのレコーディングが少なくて、ジョージが“SOMETHING”、ジョンが“I WANT YOU”を仕上げている一方で、この曲はポールが他のメンバーに指図することなく、一つ一つ積み上げてレコーディングして出来あがった曲ではないのか、と想像する。

最近になって、この曲はジョンの“HAPPINESS IS A WARM GUN”に着想を得、これがのちの“BAND ON THE RUN”に繋がっていくのではないか、との評を読んだ。
それはジョンに対する称賛とコンプレックスからポールにこの曲を作らせ、3部形式であること、さらに細分化が可能というところ「まで」共通している、とおっしゃっている。
面白いし、こういう斬新な見方はたいへん好きだけれど、少し違和感があるな。

ジョンはのちに、“I NEED A FIX”“MOTHER SUPERIOR JUMPED THE GUN”“HAPPINESS IS A WARM GUN”という3つの曲が1つになって出来たものだ、と言っている。
ビートルズはそれまで、幾度となく2つの曲を1つにしてきている。3つの曲を1つにしたからってどうなのか?それに、“3部形式”ということと、“3つの曲を1つにする”ということとは違う、と思う。
ジョンが3部形式の曲を書こう、と“HAPPINESS IS A WARM GUN”を作ったのであれば俺も、と勇んだかもわからないが、デモやアウトテイクを聞く限りにおいては、非常に自由に思いのまま作曲し、それをそのまま残して完成させたのが結果的に3部か4部かになっているように思える。

ジョンの件の曲は、起承転結がくっきりとなされ、ドラマチックである。ダルな感じで始まって途中から傾斜がつき、そして絶唱型のエンディングは、緩急がはっきりついたリズムがリードしている。

この曲も、最初はまるで部屋の中で弾いているような、ピアノのそっとした弾き語りからはじまって、ピアノがジャングルになり、そしてもう少し伸びやかな展開があって、はっきりとしたバンド演奏の力強いロックン・ロール・ピアノになり、ヴォーカルも、ギターも、ドラムスもフルパワーで荘厳に漏りあがり、エンディングは決して燃え尽きることなくララバイで締めくくる。「起承転結」ではなく、「起承承承」である。スケールがどんどんどんどん広がっていく。
この曲は、制作最初からニ転三転する展開が練りに練られた作品であり、それぞれのパートが前後のパートとしっかりと繋がっているように感じる。途中に途切れることのない流れがあり、まさに一人“BOHEMIAN RAPSODY”である。
そして、このアルバムに試みられた“HUGE MELODY”と同じコンセプトがここにあり、ここにあるがゆえにこのB面が完成している。



・卒業制作

ピアノをやさしく爪弾いて、シリアスに、かつメロウに唄ったあと、“LADY MADONNA”のような、お遊びのようなジャングル・ピアノに声を変えてのせるあたり、非常に“ポール・マッカートニーらしい”。ナイジェル・ゴドリッチがプロデュースしたアルバムよりは、ずっとポールらしい。


“MAXWELL'S~”のところで、ポールの“遊び”はあまり好きではない、と書いたが、この遊びは統制が効いていてシャレてる。このパートがあるからこそ、この前の部分がソロウフルに聞こえるし、この後の“ALL THE MAGIC FEELING”が“NOWHERE TO GO”に聞こえるのである。残念ながら、ドライビング・レイン・ツアーで初めてこの曲をセットリスト入りさせたポールは、途中から歌詞を適当に歌い、「ツアーが終わるころには歌詞も思い出すだろう♪」とか歌っている。そこはこの人なりのジョークなんだろう。

ちなみに、この部分の歌詞は“out of college, money spent”なのに、私の所有する80年日本盤歌詞では、“out of job is money spent”に、“came true, today”は“it'you,today”になっている。このアルバムのみならず、当時の歌詞はひどいものである。

閑話休題。“NOWHERE TO GO”と言い切ったあと、“OCTOPUS'S GARDEN”のようなコーラスを挟み、非常に力強く、そういった状況に決別するようなロックンロール・パートが来る。ここは、悲しげな冒頭部と対になっていると解釈している。わずか4分2秒で、自己実現の過程を唄い上げている。
まさに“one sweet dream came true today”である。

この曲では、このアルバムのなかでも、ということは全ビートルズの曲の中でも、慎重に一音一音の単位で音が重ねられており、要所要所で絶妙のハーモニーをみせている。
イントロの“(funny paper~)”に当たる部分のピアノとエレキ・ギターのハモリ、2ndヴァースでは今度はベースとヴォーカルを加えてのハモリ。後半は多様なギターの音とベース、そして何よりリンゴのドラムスのタイミング、絶妙のタンバリン。

ブートを聴くと、5月6日ヴァージョンでは、通しでポールがピアノで弾き、それから1つずつ重ねていった様子が窺える。
ガンガンピアノを弾きまくり、“1,2,3,4~”の下りではまるでビリー・プレストンのように(だったりして…)かなり低音から一気に鍵盤をグリスしたりしているのがゾクゾクする。
このヴァージョンはこのヴァージョンで、かなり良い。“nowhere to go”の後、最終テイクではコーラスが入っているが、このヴァージョンではポールの伸びやかな“oh~”というヴォーカルである。これも良い。

これら途中のテイクを聴くと、いくつかのことに気がつく。リンゴのシンバルやフィル・イン、ポールのベース・ノートやジャングル・ピアノはあとから被せられたものである。
また、削除されたものとしては“out of colledge”のところにずーっとコーラスがあったが、最終テイクではなくなっている。

気になるのはギター・ノーツである。どれを誰が弾いているのかが興味深い。先ほど述べたように音質、フレーズともに絶妙である。
ただし“1,2,3,4~”以降のギターは“McCARTNEY”や“RAM”で聴けるポールのギター・フレーズに酷似している。下のyou tubeで聞いて欲しいが、ジョージが弾いたにしては後半ネタに詰まっている。ポールっぽいと言えばポールっぽい。

いずれにせよ、この曲及びメドレーは、ポールのビートルズ卒業制作である。抑制が効きながら、ビートルズ時代に得た表現をふんだんに炸裂させており、そして現在に至るまでのマッカートニー・サウンドを予告している。何より、メロディ、歌詞内容、アレンジ、演奏内容のすべてにおいてフルパワーである。
この曲は“HAPPINESS IS A WARM GUN”にではなくて、やはり“I WANT YOU”に屹立して対峙する曲である、と感じるのだ。



・メドレー構想

マーク・ルウィンソンを始め多くの評論が、本アルバムのメドレーの構想はこの曲の制作を機としている、と述べている。たぶん、メドレーの始まりとなり、リプライズがあるからということに起因しているだろう。

しかし、ルウィンソンは、5月6日のテイクはいずれも、それはあたかも他の曲を繋げるべく“1,2,3,4~”の手前で突然終わっている、と言っているが、私が聴いているこの日のテイク30は突然終わっていないばかりか、ピアノの強打を合図に短いジャムに発展している(さらに、“OH! DARLING”のガイドともなるギター・リフが最後に聴ける)。


ポール自身、ルウィンソンのインタビューに対し、メドレー構想については「僕らはいつだってそうできる時はそうしてきた」と答えている。
これは当時のことを正確に記憶していないポールの抗弁(?)かもしれないが、確かに前のゲット・バック・セッション自体、曲と曲との間に切れ目がないことが一つのコンセプトだったし(“We'll do Dig A Pony straight into I've Got A Feeling”)、ペパーズ以降、多くの曲間が効果的に埋められている。

メドレーが、ポールの発想であることはほぼ間違いないだろう。アルバムというものを、ただの曲の寄せ集めではなく、そこに何かを付加しようとする試みである。これも、私からすれば彼のサービス精神に近い部分にあると感じる。
ジョンが言うような、ロック・オペラのようなものを念頭においていたのかもしれないが、それにしては当時のビートルズはすでに時間も精力もなかった。他のメンバーはこういったことにたいして興味がなく、メドレーの編集作業はポールとジョージ・マーティンのほぼ二人で行われた、とされている。


このアルバムを一言で言い表すなら、「仕上げ」だと思っている。細切れのセッションでレコーディングしたベーシック・トラックをまとめて、一枚の統率のとれたビートルズ・アルバムに仕上げる。短期に一枚のアルバムを仕上げるために、レコーディングには至っていないが使えそうなマテリアルはぶち込む。これまでなら曲やアレンジが完成するまで寝かしておいて、次のアルバムに使うこともできたのだろうが、ビートルズには時間がなかった。

そうしてそのアルバムをリリースすることで、ビートルズも仕上げる。やっぱり「ロック・オペラ」とか、「メドレー構想」というのは幻想なのかもしれない。だとすれば、このアルバムは、奇蹟以外の何物でもない、そう思うのです。(01.9)(08.7)

・Her Majesty 
 
“You never give me your money~♪”の旋律は、この後、ジョンの2曲を挟み、“Didn't anybody tell her ~♪
 ”でもう一度変奏する。
Carry That WeightのBメロはもちろんだけれど、Goledn Slumbersの"Once there was away~♪"にもその意識があるのかもしれない。深い。(19.1)


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2008年7月11日 (金)

SOMETHING

・脅威?

“ABBEY ROAD”A面のうち“SOMETHING”“OH!DARLING”“OCTOPUS'S GARDEN”“I WANT YOU (SHE'S SO HEAVEY)”と、B面“YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY”は69年4月の中旬から約4週間に亘って行われたセッション(別名“HOT AS SUN”セッションとも言われる)でベーシック・トラックが完成している。
このアルバムは、短期にかつ集中して制作された傑作、とされているが、約1/3にあたる17曲中5曲は、ドラフトはすでに4月にできていたわけであり、7月には仕上げるだけだった、とも言えるわけである。
この曲も、5月2日にリメイクのベーシック・トラックが完成している。

インドから帰ってきてからレコーディングされたジョージの曲は、どの曲も立ち上がりがいい。(“IT'S ALL TOO MUCH”“THE INNNER LIGHT”“BLUE JAY WAY”とかも好きだけど…)なかなか言葉にすると難しいが、それまでの曲に較べて曲の輪郭がはっきりしてきているように思う。
それに、インドのみならず、交友関係の広がりを反映してアーティストとしての成長著しい時期であったのだろう。

この曲はジェームズ・テイラーの1stアルバムに収録されている「サムシング・イン・ザ・ウェイ・シー・ムーヴス」(是非、元歌を聴いてみたい…)に着想を得て、ピアノで書いた曲と云われており、またレイ・チャールズを思い浮かべて書いた、とも云われている。シナトラをして、「過去50年で最高のラヴ・ソング」と言わしめている。
68年9月に行われた“PIGGIES”のレコーディングの際に、初めてクリス・トーマスにこの曲を聞かせると絶賛したため、ジャッキー・ロマックスにこの曲を提供しようと考えたらしい。

ゲット・バック・セッションについてアンソロジーのインタビューの際、ジョージはこう言っている。「…(68年後半の)半年間は、ジャッキー・ロマックスのプロデュースとしたり、ディランやザ・バンドと演奏をしたり楽しかっただけに、(ゲット・バック・セッションは)惨めだった。」

そのゲット・バック・セッションでは、少なくとも“SOMETHING”“ALL THINGS MUST PASS”“FOR YOU BLUE”“HEAR ME ROAD”“I ME MINE”“ISN'T IT APITY”“LET IT DOWN”をリハーサルしている。ホワイト・アルバム終了から僅か2か月、「惨めだった」割に、これほどの新曲を提供している。
にもかかわらず、“FOR YOU BLUE”だけしかレコーディングせず、自分のプレイにケチをつけられたら誰だった腐る。腐って家に帰って書いた曲が“WAH-WAH”なのだから、この時期のジョージの創作意欲には目を見張るものがある。
極めてネガティブに考えれば、このことはジョンとポールを脅かす行為だったのではないだろうか。こういった楽曲をボツにしながら、片やネタに困って“ONE AFTER 909”を引っ張り出したりしているのに。

1月28日のリハーサル・テイクを聴くと、この時点でもほぼこの曲は完成している。
“~I,don't,know!”の後の印象的なフィルイン(で合ってますか?)のベースラインも、この際にジョージが口とギターで示している(相当「地味に弾いて欲しい」とポールに懇願したらしい)。ポールも「わかったよ、君の言うとおりにするよ」とか言えばシャレが効くが…。

あまり冗談が過ぎるとお叱りを受けるのでこの辺にするが、クリス・トーマスに絶賛されてから約10ヶ月、練りに練った完成品となった。
セッション終盤の8月15日、この曲のオーバーダブで指揮棒を振った後、再度ギター・ソロを録り直すまで行っている。(ジャズ・ベースを弾いている写真もあるので、やっぱりベースも自分で録り直した?)
こうした心血を注いだ結果、この曲は自他ともに認める彼の最高傑作となっている。

・“SOMETHING”

皆さんがこの曲で一番グッとくるところはどこだろうか?私は“I don't want to leave her now,you know I believe and how”だ、間違いなく。歌が始まって、ずーと盛りあがって、いきなりオクターブさがるようなしみじみ感。これはポールにはあまりなくて、やはりレノンやディラン系。

とりわけ“I don't want to leave her now~”の部分は、盛り上がるのではなく静かに引くところがよい。ここはジョージでなければだめ。この後にくるサビの“I don't know~”の部分が好きだ、という人の方が多いと思うが、そこの部分ならば、シナトラやシャーリー・バッシーがより情熱的にカバーしている。

曲作りもギター・テクもこの頃本当に向上しているように思う。これらは、やはりディランやクラプトンらの影響なのだろうか?私も長年のディラン・ファンだが、これはわからない。
ギターもベストだと思う。いわば、この人がクオーリーメンから弾いてきたギターの一つの完成形であり、極めて美しい。この後のジョージのソロで好きなのは、“HOW DO YOU SLEEP?”(ジョン)“REAL LOVE”かな。

私もときどきギターを触るが、ビートルズは難しいから弾かない。でもこのソロだけはぜひ弾けるようになりたいと思い、何度もギターを手にとってみたが、このニュアンスは結構難しい。
ギター以外のパートも、完膚なく素晴らしい。ベースも素晴らしいし、ギターも素晴らしいが、よく“効いている”のがドラム。はっと気がつくと、ドラムに合わせてノッてしまう。しかもこのアルバムでは、全体的にビートルズ独特のサウンドが非常に洗練されている。8トラックがフル活用されているのだろうか…。

そういったサウンドを含め、この曲の魅力はタイトルどおり、“SOMETHING”である。例えばタイトル一つとっても、こういう“漠然”としたモノの云い方は、ジョンとポールはしてきていないと思う(“WOMAN”“MY LOVE”とか)。
ポールもジョンも、このアルバムの中で一番いい曲である、と認めているが、一つには、この曲はこれまでビートルズの文脈にはあまり存在しなかった楽曲なのかもしれない。もっとも、この曲以外にも長いメドレー、ソロの回しあい、リズムトラックがほとんどない3声コーラス‥と、ビートルズは単にホワイトアルバムの延長にあるアルバムを作ろうとはしておらず、グループとして様々なトライアルを行っている。
しかしこの曲は、このアルバムの雰囲気を特徴づけ、このアルバムもビートルズの作品の中において超然とした位置を決定付けている、と言うと言い過ぎだろうか。
少なくとも、文字通り“ABBEY ROAD”に“何か”を付け加えた一曲、と言うことは許されるのだと思う。

・TAKE37

ブートの話で恐縮です。
7月11日に作られたリダクション・ミックスは、オーケストラが入っていないこととヴォーカルが少し違うことを除けば、ほぼ完成版に近い。オーケストラが入っていない分、それぞれのパートが生々しく聞こえ、このヴァージョンもなかなか捨て難い美しさがある。

しかし、このヴァージョンにはびっくりするようなオマケがついている。演奏時間は5分に及び、リリース・ヴァージョンのエンディングの後にさらに2分32秒のインストゥルメンタルが演奏されている。すでに5月2日に作られたTAKE36の段階で録音されたようだが、これは何だろう?

感じだけ説明すると、“MAGICAL MYSTERY TOUR”の曲後みたいな感じ、とでも申しましょうか。もっともあれはエンディングに向けてテンポを落とし、繋がっていますが…。あるいは“BACK SEAT OF MY CAR”の曲後、といったところだろうか。

ブートなどでは、“SOMETHING/REMEMBER”と表記されているものすらある。ジョンの“REMEMBER”のイントロやバックのピアノ・ストロークに似ているので、このリフがそのまま導入されている、と説明されているサイトもあるが、別にジョンのヴォーカルが始まって爆発しているわけではない(当たり前)。

このインストゥルメンタル・エンディングが付けられた理由は何だろうか。

(1) TAKE36のピアノはビリー・プレストンが弾いているらしいので、このエンディングのキッカケはピアノのなので、ビリーも入ってノッた演奏が出来たので、そのまま演奏を続けてしまった。
(2)ポール(かまたは誰かの)アイデアで、こういったコーダ部分を作り、ボーカルを入れるつもりだった。
(3)メドレーのブリッジとするつもりだった。

(1)について、私は否定的。というのは、お世辞にも「ノッた演奏」とは言えず、何かフェイドアウトできるようにだらだら演奏している、という感じ。
(2)について、5月2日のTAKE36では本編もヴォーカル録りしていないから、これもあり、か。
(3)これが実は一番濃厚なのかもしれない。その根拠は、セッション最終盤の8月19日のミックスでやっとこの箇所が削除されている。
というわけで、私としては(3)を支持します。

それにしてもYOU TUBEは凄い。このTAKE37の音が入っているものがありました。
前半は“GLASS ONION”のアウトテイクも入っています。

ともあれ、だらだらとなってしまいましたが、何よりもこの曲は完成した佳曲です。この曲を聴くと、もしこのアルバムにメドレーが一切なかったとしたら、といったことを考える。もし当時のビートルズに、そういったマテリアルと時間があったなら…なんて考える。(01・9)

何なら4分35秒まで送ってください。

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2008年7月 9日 (水)

MAXWELL'S SILVER HAMMER

“MAWELL'S”って何曲目?

A面3曲目にしてはじめてポールの曲である。
“I SAW HER STANDING THERE”“DRIVE MY CAR”“SGT.PEPPERS LONLEY HEARTS CLUB BAND”“BACK IN THE U.S.S.R”と華々しくアルバムのオープニングを飾ってきたポールが、3曲目まで出てこない。
今回は一歩引き、B面メドレーで勝負をかけたのだろうか。

ちなみに、この書き出しのためだけにオリジナル・アルバムの曲順を見直したのだが(笑)、初期のアルバムでポールが3曲目、とかいうのは意外に珍しくない。
もっとも、コーラスものもあるので一概には言えないけれど、驚いたのはアルバム“A HARD DAY'S NIGHT”で、このアルバムでは“AND I LOVE HER”“THINGS WE SAID TODAY”“CAN'T BUY ME LOVE”の3曲だけなんですよね。これはジョン大爆発、ってなアルバムです。

さて、“ABBEY ROAD”のアナログLPをお持ちの方は、すぐさま取り出して裏返して下さい。“MAWELL'S”って何曲目に書かれていますか?

私は74年と80年の2回、アナログを買っています。1枚目はドロボー猫にやられた(本当に悔しい…)ので手元にないけれど、曲順と表示が違うので驚いた記憶がある。
2枚目は、“SOMETHING”と位置が逆になり、“COME TOGETHER”の次で2曲目に書かれている(確か1枚目もそうだった…?)。
この由来は、最終的に曲順が変更となったためにジャケット訂正が間に合わなかった、とされていますので、私もそうかいな、と思っていた。

しかし、マーク・ルウィンソンの書物によれば、曲順はリリースと「“OCTOPUS'S GARDEN”と“OH!DARLING”の位置を逆にした」との記述もある。これはどういうこと?

二つは全く別の話で、A面の曲順は“COME TOGETHER”“MAXWELL'S SILVER HAMMER”“SOMETHING”“OCTPUS'S GARDEN”“OH!DARLING”“I WANT YOU(SHE'S SO HEAVY) ”ということなのか?ちなみに私はこの曲順に並べ替えて聞いてみた。

すると!これは面白い!
この曲が2曲目に来ることで、A面がグッと明るくなる。この曲自身も、“COME TOGETHER”のファンキーな感じから一転して、いっそう明るさが増し、非常にいい感じである。

ただし、である。“SOMETHING”について言えば、この曲と“OCTOPUS'S GARDEN”というオチャラケ2曲(ゴメンナサイ)に挟まれると、小曲になってしまう感じがする。もし“SOMETHING”を際立たそうとするのなら、これはまずい。
これが現行の曲順になった理由かどうかはわからないが、少なくともこのA面をストイックなものにするのなら、“COME TOGETHER”のあとには“SOMETHING”である。

ちなみにルウィソンの記述を無視して、“OH!DARLING”“OCTOPUS'S GARDEN”だけを現行曲順にすると、当然ながら現行曲順に印象が近づく。要は“SOMETHING”の位置が問題なのだ。

で、結局最終曲順がストイックな雰囲気となったために割りをくったのがコミカルな2曲のはずなんだけど、いかんせんリンゴはラッキーです。これはまた“OCTOPUS'S GARDEN”のところで書かせていただきます。
結局は、この曲だけが割りを食った形で、私がこの曲がなんか好きになれない、と思う理由の一つが曲順にもあったことが判明した。


ブルー・チーズ

みなさんは、こういったポールのシンプルなラブ・バラードでもない、ロックでもないお遊び感の強い曲はいかがでしょうか?
“HONEY PIE”とかどうですか?“ROCKIE RACOON”とか。このテの曲は、ブルー・チーズのようなもので、好き嫌いがはっきりする曲かも。

私はこの曲はもともとジョンの“THE CONTINUING STORY OF BUNGALOW BILL”のポール風解釈じゃないか、とも思ったりするが、やっぱりあんまり愛着がわかないのはポールが“奇を衒っている”
のように聞こえてしまうのである。じゃあジョンの“メリー・ジェーン”
はどうだ、と言われると困るのだが‥。


映画“LET IT BE”の中で、ポールが“THE LONG AND WINDING ROAD”をジャズっぽく歌ったり、さらに本意気で唄ったにもかかわらず、誰もノッてこないのでまたふざけて唄って結局止めちゃったりするシーンがあるが、妙に“スベった”感が出てしまう。
当の本人はいたってまじめに取り組んでいるにもかかわらず、昔からサービス精神が旺盛すぎるだけに、こういう曲をやるとますますその一環に聞こえてしまったりするのは、こういった音楽に聞き馴染みがなく、歌詞のユーモアやウィットが理解できないからだろうか?

サービス精神が多すぎる、というと、70年代のライブの際、決まって“YESTERDAY”やら“THE LONG AND WINDING ROAD”やら観客大期待の曲の前に、わざと全然違う歌詞を歌ってみたりして「焦らす」ことがあった。後年になって、久しぶりに大衆の前で演奏しはじめたら、またそういうことをやっていた。89年日本公演の記者会見上では、確か“MATCH BOX”なんかをやっていた。
それは、彼の照れ隠しか、プライドの高さか、サービス精神か、遊び心か、その全てかである。

悩み多きこの曲の完成形は?

ジョンのインタビューによれば、この曲はポールが何とかシングルにしようと努力した曲だそうである。いろいろと試みたが結局ダメだったようで、「アルバムの中で最も金と時間を費やした曲」と言っている。

ビートルズの場合、テイク1からアレンジがほとんど変らない曲もあれば、リリース・ヴァージョンがぜんぜん趣きを換えてしまう曲がある、と思われる。つまり、テイクを重ねるごとに、少しずつ完成して…というのはむしろ少数なのではないだろうか。
この曲や、“OB-LA-DI OB-LA-DA”や“YOU MOTHER SHOULD KNOW”(但し成功例。いずれもアンソロジー・ヴァージョンを聞いてください)などは、この後者に属する曲だったのではないか?

1月7日に行われたセッションでは、40分近くもこの曲のリハをやっている。そのテイクでは倍の速度で演奏してみたり、1月10日には冗談半分だけどジョンにボーカルをとらせたりしてて、本当にアレンジに苦しんでいるのがわかる。さらにはその半年後、7月9日に録音されたアンソロジー収録ヴァージョンでも後半フェイク・ヴォーカルみたいなことをやっているが、ここまで来てもまだ悩んでいる…。

ポールの頭の中では素晴らしいメロディが流れているはずなのだけれど、どうアレンジするか四苦八苦するのは、バンドの結束が緩んでしまったからか、それとも…もともと他のメンバーをインスパイアするだけの楽曲の力がなかったのか。曲の途中で笑っているのも、かえってアイロニーを感じる。

彼のソロアルバム「フレイミング・パイ」のセルフライナーノーツで、「…アンソロジー・プロジェクトをやって、昔は非常に楽しんでレコード作りをしていたことを思い出した。」とポールは言っている。裏を返せば、彼のソロ活動は表向き以上に「生みの苦しみ」は多かったのではないだろうか。

話を戻して、個人的には実はこの“GET BACK SESSION”の頃のラフな演奏が一番この曲の持ち味を出しているようにも思う。リンゴも“砂袋”ドラムだし、ベースもギターもブンチャカやっているだけで、かえって非常スワンプっぽい。
あ、ブートなんか買わなくても、映画“LET IT BE”で見ることのできるリハの状況とそんなにサウンド的には変わりません。

完成ヴァージョンはやや緊張した感じのヴォーカルではじまっていて、そのためかよくこの曲が「残酷な内容をサラっと歌っている」と評されるけれど、映画で見るように本来は非常にラスワンプっぽくて、歌詞内容と物語性、演奏からしてもともとこの歌の成り立ちは、“MAGGIE MAY”のようなエログロ伝承歌のようなものを念頭においていたのかも。
結局完成に苦しんだのも、そもそもラフ、口笛、鼻歌、スキャット、そういうのがピッタリくるスワンプっぽい曲を、洗練されたアルバムの中に持ち込もうとしたり、シングル化しようとしたことに無理があったのかもしれない。

控え目にみても、完成ヴァージョンは磨き過ぎ、かな?ムーグやジョージのリードギターのソロも要らないなあ、私は。
ただし、2ndヴァースからボーカルの裏で静かに聞こえるムーグの音色は魅力的である。
主に右側から聞こえるが、3rdヴァースに入って、一層素敵である。この音に集中してこの曲を聴くと、この曲がもともと持っている素晴らしいメロディー・ラインに私は心奪われるのである。


・イントロ?

“ABBEY ROAD”の最後のセッションは、8月25日(月)に行われたこの曲と“THE END”の短縮作業である。
あのティッテンハーストの“暗い”フォトセッションの後でも、ポールはこの曲にまだ納得いかず、イントロを触っている。いくつものイントロ用のサウンドエフェクトが作成されたが、結局どれも使用されなかったとのことである。

また、短縮された秒数は7秒で、どこが短縮されたのかはわからないが、もともとあったイントロ(アンソロジーでも一部聞ける)は10秒程度だったから、イントロがカットされた可能性は高い。このアルバムの曲のイントロやアウトロには変ったものが多く、この曲もいきなり始まっているので“HER MAJESTY”のようにメドレーから切り取った可能性もあるかもしれないが、最後までイントロがあったのならこれは薄い。

曲調的にも、ある変った人物について唄っている歌詞的にも、“MEAN MR.MUSTARD”に近いものを感じる。“
WHITE ALBUM”のサイド2(アナログで言えば)に“BLACK BIRD”“PIGGIES”“ROCKY RACCOON”と動物モノを並べた前科もあるので、ひょっとしたら“HER MAJESTY”が入る前に“MUSTARD”“MAXWELL”“PAM”の並びが頭にあったのかも分からない。繋がりもよい。

ところで、「クイズカルなジョーン」って本当にジョンのことではなく、マックスは本当にマッカートニーじゃないの?(00・11)

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2008年7月 7日 (月)

HERE COMES THE SUN

B面1曲目の儀式

このアルバムのCD化に際し、非常に残念に思うことの一つが“I WANT YOU”とこの曲の繋がりである。
絶望的で、荘厳で、長大で、ジョン・レノンが全力を尽くした作品が突如として終わり、さまざまな思いで聴く者はレコード盤を裏返すのである。半分聴いただけでもわかるビートルズの傑作アルバムの、あと半分はどんな展開となるのかとの厳かな気持ちで針を降ろした後、このジョージの爽やかなアコギのイントロが始まるのである。

それが、CDではなんの儀式もなく、“I WANT YOU”のカットアウトから約4秒後に自動的に始まる。
私はこれだけのためにでも、このCDを2枚組にして欲しいくらいである。(ウソ)

2NDアルバム“WITH THE BEATLES”のB面1曲目は“ROLL OVER BEETHOVEN”だった。“SGT.PEPPERS”では、“WITHIN YOU WITHOUT YOU”だった。他にもリンゴの曲がB面1曲目となっているアルバムが2枚ある。
CD化してしまった今となっては無効であるが、彼らの曲は“面”の途中でポールやジョンの作品の間に置くよりも、聴く側に非常に新鮮で印象を強く残す効果があるかもしれない。
ビートルズは(というかジョンとポール、ジョージ・マーティンは)非常に効果的にこれまでジョージやリンゴの曲を配置してきている。

もっとも、こういうのはいまだにライヴではお決まりで、観客をダレさせない定番の演出ではある。
「次はリンゴが唄うぜ!」といった趣向である。

しかしもしも、幻のアルバムと云われている“GET BACK”をお聞きになった方がいらっしゃったら思い出して欲しい。あのB面1曲目もジョージの曲で、“FOR YOU BLUE”だった。この“HERE COMES THE SUN”の印象は“ROLL OVER BEETHOVEN”よりはこの“FOR YOU BLUE”に近い。(イントロが生ギターだけで出るところだけが?)

しかしすでに“SOMETHING”を聴いてしまった今、この曲には「次はジョージが歌うぜ!」よりはもっと、強烈な存在感がある。それは、メインのように堂々としている。


解放!

この曲の発想は、“OCTOPUS'S GARDEN”に似ているようである。

何でも、アップルの仕事に行きが詰まったジョージが無断欠勤してクラプトンの家の庭で書いた曲、ということだけれど、この頃のビートルズの曲はどのメンバーの曲にせよ「ビートルズから離れた解放感から生まれた」曲が多いようである。残念ながらその方がインスパイアされるようだ。

“SOMETHING”にしてもそうだが、このアルバムに収められているジョージの2曲は極めてその交遊関係とそこから受けた影響が顕著に現れており、いずれも“ALL THINGS MUST PASS”に収録されていたとしても違和感のない楽曲である。が、レコードとしては、いずれの曲もビートルズならではの仕上がりになっている。

また歌詞についても“OCTOPUS'S GARDEN”と相通ずるところがある。“IT'S BEEN A LONG COLD LONLEY WINTER ”とか。…ジョージもリンゴも、辛い立場に置かれていたのですね。

“THE BEATLES ANTHOLOGY BOOK”にこの曲の歌詞をジョージが書いたメモが掲載されていた。
日本盤歌詞では、長年“IT SEEMS LIKE YOU”とされていたが、このメモで“YOU”ではなく“YEARS”であったことを確認した。ジョージ・ファンの方なら旧知の事実かもわからないが、訳詞者は一体何を“ LIKE YOU”としてきたのか。(今は訂正されているかもしれないが)


マイナス・ワン

“OCTOPUS'S GARDEN”にせよこの曲にせよ、どちらの曲も、レコーディングが和やかな雰囲気で行われたことが偲ばれる。
特にこのアルバムで、ジョンが参加する7月9日までに録られたベーシック・トラックは、いずれ劣らぬ伸びやかさである。
(と言ってもあとは“HER MAJESTY”“GOLDEN SLUMBERS/CARRY THAT WEIGHT”だけだけど)

末期のビートルズは、4人全員が揃うことも以前より難しくなっていた、という状況もあるが、4人じゃない方がリラックスした演奏が聞ける。“THE BALLAD OF JOHN AND YOKO”しかり。アンソロジーで聞けるポールやジョージの一人デモしかりである。この時期のビートルズ内の緊張感は著しく、うまくいくのは3人まで、という感じである。
特にポールは、以前のようにジョンと絡みたいと思っていたはずである。
“GET BACK”問題とマネージャー問題の後、セッションでは忍耐を強いられていたことはよく言われている。
(それでもこのレコーディングの最中、“MAXWELL'S”1曲のレコーディングに時間を割き過ぎだ、と他のメンバーと諍いになったらしいが)

ジョージの曲のところでポールの話もなんだが、今回のレコーディングでどうしてもジョージ・マーティンにプロデュースを依頼しなければならなかったのは、メンバー以外で4人の緊張関係に割って入る人間が必要だったのではないか。これはまた「ABBEY ROADの周辺」に書くこととする。


ジョンとポール、そしてジョージ

かなり先入観のある見方ではあるが、“SOMETHING”もこの曲も、ベーシック・トラックには「ジョージの曲をきちんと仕上げよう」というメンバーの意気込みが感じられる。それは他のメンバーが自発的にそうなったのか、あるいはジョージの発言力が強くなり妥協を許さない姿勢があったのかもしれない。

お蔵入りになった“NOT GUILTY” のリハや、“GET BACK SESSION”で行われた“ALL THINGS MUST PASS”のリハを聴くと(いずれもアンソロジーで陽の目を見るが)、メンバーに本当に仕上げる気があるのか、と疑いたくなるくらい、ルーズである。

いつもジョージは、「ジョンとポールの曲を何十曲もやってから、はじめて僕の番になるんだ」と言っていた。
“WHILE MY GUITAR GENTRY WEEPS”では皆が真剣に考えてくれなかったし、演奏すらしてもらえないので、エリック・クラプトンを連れてきてはじめてバンドに緊張感が生まれ、ポールがあのピアノのイントロを弾いてくれた…とジョージが後年語ったらしいが、“GET BACK”セッションのダレた雰囲気を締めたビリー・プレストンのケースとは異なり、あの程度のソロならジョージは自分で弾けるのだから、まんざら彼の被害妄想でもなかろう。

もっとも、そういう非難をすべてジョンやポールに投げかけるのはお門違いで、どちらかというとジョージが新しい交遊関係から得た着想を、そもそもビートルズにおいて具体化することが困難を極めた、という方が真実に近いのかもしれない。

ジョンとポールは、絶えず相手が曲作りやアレンジに困っているとアイデアを提供していたし、またそれがこの二人はお互いに痒いところに手が届いた。しかしジョージとリンゴに至っては、なかなかそういうわけにはいかなかったのではないのだろうか。

リンゴなら「このアレンジで」とある程度押し付けることもできたのだろうし、リンゴもジョンやポールのアレンジに不平は言わなさそうではある。

しかしジョージは、特にはっきりと自分の音楽を意識しているこの頃であれば、もう自曲の中途半端なレコーディングは許されないだろう。さきほど「本当に仕上げる気があるのか」と書いたが、むしろジョンとポールの方に、ジョージに対して遠慮があるように聞こえなくもない。

こういったメンバーの努力に加え、“SOMETHING”でも書いたが、このアルバムではジョージは自分の2曲に対して非常に手を掛け、自分のイメージを他のメンバーに伝えようと努める一方で、他のメンバーに頼ることなく、満足のいく結果が得られるまで自分で録音を続けた様子がうかがえる。
もちろん、これは“WHITE ALBUM”からジョンとポールがとってきた方法であり、ジョンに至っては勝手にレコードを出そうとまでしていた‥。

ハーモニウム

ここいらでサウンドのことを書いておかないといけない。こういうサイトをお読みになる方の興味は、むしろサウンドにあるのだろう。私だってそうである。しかし私の書けることは知れている。

このアルバムのどの曲もドラムスは素晴らしい。リンゴ曰く、ヘッドを新しくしたからタムタムをよく使っている、とのことであるが、タムがよく拾えている、というのは8トラックの成果ではないだろうか。
もちろん4トラックの時代から、ビートルズはドラムスの音には凝っている。ドラムスに2トラック割いたのはビートルズがはじめてである、とも云われている。

イントロのギターは12弦だろうか。ジョンはこの曲を“IF I NEEDED SOMEONE”とよく似たフォーク・ソング、と評したとされているが、あまり当を得ているとは思えない。しかし、リッケンバッカーの12弦との共通はどこかにあるかもしれない。

このアコギとドラムスのアンサンブルが非常に心地よい。ポール(と思われる)のベースも、でしゃばらないで非常に良い。

思わず、“Mother Sperior jump the gun~♪”と唄ってしまいそうな、間奏の頭の2フレーズでオクターブ下で降りていくアルペジオ(3フレーズ目からはムーグが被る)も美しい。
のちにジョージはあとからムーグを被せたことについて、(使い慣れていないので)子供っぽいサウンドである、と評しており、確かに録音から30年を経ると、今はむしろアコースティックの響きが流行っていることもあるので頷いてしまう。
しかし、非常に控えめなムーグである。ギリギリの使用だ。
91年の来日公演でのヴァージョンも、クラプトンのサポートに加えて素晴らしい。機会があれば“LIVE IN JAPAN”はず聴いて欲しい。この曲のみならず、ジョージのすべてがあると感じている。

そしてオーケストラ。このアルバムでは“CARRY THAT WEIGHT”“GOLDEN SLUMBERS”“THE END”“SOMETHING”とこ曲の5曲に対し、8月15日のたった一日ですべての曲にオーヴァー・ダブがなされている。
特にジョージの2曲は、ジョージ・マーティンらしく抑制の効いた、すばらしいスコアである。
今だったら、キーボードでやってしまえそうな効果なのだが、お金も手間もかける成果はあるのだ。

イントロで、ムーグのポルタメントがすーっと降りてきて、弦楽とジョージのボーカルが始まるの出だしは、とても美しいし、大好きだ。“SOMETHING”といいこの曲といい、これほどジョージの曲に手を掛けたのはおそらく初めてではないだろうか。

この曲では、オルガンとハーモニウムが使われている“らしい”が、私にはよく聞き取れない。オルガンに至っては2ndヴァースの2回目の“here comes sun,”の前から左チャンネルでそれらしい音が少し聞き取れるくらいであるが、レコーディング・セッションではオルガンを使用したとの記録はない(ハーモニウムはある)。
はっきり言って、弦楽とムーグとハーモニウムとオルガンが聞き分けれない。2ndヴァース以降のジョージの歌の裏で、ある時はジョージの歌をなぞるように、ある時は違う旋律をまるで口笛のように聞こえる高い音や、“sun,sun,sun~”のヴァースが終わった後、人の声のように少しピッチのずれた楽器の旋律があるが、あれらがムーグなのかハーモニウムなのか、はたまたオルガンなのかはわからない。いずれにせよ、この曲は短時間でレコーディングされ、また一見シンプルに聞こえるものの、結構手の込んだことをしていることには違いないのである。

ちなみに、オルガンはジョージ・マーティン、ハーモニウムはポール、ボンゴはリンゴ(!)、マラカスはジョン(!!)だとの説もある。さっきのジョージの歌裏を取っているメロディがハーモニウムなら、結構テクニカルなのでポールらしいとも言えるが、この時期のジョージなら自分で弾いているのかもしれない。
…ちなみにボンゴとマラカスは聞き取れません。

・気になること

一つ気になることがある。この曲、“YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY”“CARRY THAT WEIGHT”、“MEAN MR.MUSTARD”の4曲のそれぞれ曲のエンディングを聴いて欲しい。どれも基本的には3音を降りてくるエンディングである。ついでに言ば“POLYTHENE PAM”のリフだって3音下降である。
これは誰のアイデアだろうか?意識して繰り返し使っているのだろうか?あるいは、メドレーを考える上で残ったものだろうか?

もう一つ、驚くことがある。後述の“YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY”と“SUN KING”のクロスフェイドを虫の声などのSEで解決したのは8月5日で、ポールが自宅で制作してきたテープ・ループをいくつかもってきてテープ・コピーしたらしいが、その際、ポールが持参したテープ・ループの中には、“HERE COMES THE SUN”用にポールが作ったものがあったが、使用されなかったというのである(「レコーディング・セッション」)。

1週間ほど前、すでに“YOU NEVER ~”から“THE END”までのメドレーを編集しているにもかかわらず、まだこの曲をどこかに繋げようとしていたのだろうか。真っ当に考えるならば、“BECAUSE”とのクロスフェイドを考え、さらには「B面完全メドレー構想」が練られていたのかもしれない。

それにしても、いったいどの曲とのクロスフェイドを考えていたのだろう…?(00・11)

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2008年7月 2日 (水)

CARRY THAT WEIGHT

コーダ

コーダ、である。まだこのあとに大団円が待っているが、紛れもなくこの曲が“HUGE MELODY”のコーダとなっていると思う。

第1楽章である“YOU NEVER …”のフレーズがジョージ・マーティン渾身のストリングスによって豪奢にリフレインされ、ジョージの絶妙なリードギターとポールのベース、ジャジーなピアノが一体となって“YOU NEVER…”とはまた一味違ったリリカルな味わいを出し、再びタイトル・コールを力強く歌ったあと、同曲のエンディングや“MEAN MR.…”や“PAM”、“HERE COMES THE SUN”で聞かれた3音下降で閉じる。非の打ちどころのない、最終楽章である。

この曲は、1月6日または翌7日のリハーサルで聞けるテイクでは、リリーステイクよりはもう少し明るい感じの曲である。中間の“YOU NEVER…”のリフレインがないからかも知れない。
この際の中間部はいろいろ試行錯誤されており、どちらかと言えば“LADY MADONNA”や“OB-LA-DI…”のノリに近いような曲調である。少なくともリリース・テイクで私が感じるような、悲しみに立ち向かう力強さ、みたいな空気は微塵もない。

で、結局、最終的にはこの1月のリハーサルからはワンフレーズだけしか残っていない。プラス“YOU NEVER~”のリプライズである。
やはりかなりこの曲は、コーダ的な役割がかなり強く意識されて完成したのではないか、とも考えさせられる。


リンゴ用の曲

“GET BACK~The Unauthorized Chronicle of the Beatles'LET IT BE Disaster” (1ヶ月に及ぶゲット・バック・セッションのフィルムからセッションの様子を起こした力作、以前に「DRUGS,DIVORCE AND A SLIPPING IMAGE」の題名でも出版されている)を読むと、なにぶん、英語力がおぼつかないので誤解も多いことと思うが、この曲についてもたいへん興味深い記述がみられる。1月6日の記述と、1月6日の音源と言われているものを聴きながらコメントしてみる。

1月6日の昼前、ポールはリンゴにオルガンでこの曲を弾いてみせて、なんとこの曲をリンゴ用に作った、と言っているようである。…私の英語力では。

ジョンの、“GOOD NIGHT”の半年後である。この二人は、自分のキャラではない曲を書いてしまった時、リンゴに、というかリンゴの“キャラ”に歌わせている。
“CARRY THAT WEIGHT”という命令形のメッセージは、ポールがジョンをはじめとする他のメンバーと、そして自分自身に向けて発したものと受け取られかねないわけで、これをポールがリキ入れて歌うわけにもいかないだろう。

69年1月6日に、こういったポールの申し出にもかかわらず、この曲はリンゴの関心をうまく惹いたとはいえなかったようで、逆にこのタイミングで自作の“OCTOPUS'S…”をポールに披露している。まるで、自分が歌いたいのはこっちだ、という感じである。
そうすると、ポールもすぐさまオルガンでサポートするが、そのフレーズは“CARRY THAT WEIGHT”のままである。
そしてまた、このリンゴの作品もポールの関心を惹くことはなく、再びポールは自分の曲に戻って自ら歌い出している。…ようである、私の聞いた限りでは。議論ではなくて音楽で互いに言いたいことを主張しているようにも感じる。

1月6日のトピックスはこれだけではない。ポールとリンゴはこのやりとりの後、この曲をデュエットで歌うのだが、これが素晴らしいのだ。
リリース・テイクのように力強く歌うのではなく、もっと優しく、優しく歌っている。まるで母親が自分の子供達に諭すように。童謡のように。もちろん、“YOU NEVER~”のリプライズはまだなく、ずっと平和的なメロディ(OCTOPUSに似ているが‥)が続く。
この曲の一つ前の子守唄“GOLDEN SLUMBERS”と、“Boy,”が繋がっている理由が、何となく推測されるようなリハーサルであった。

ヴォーカルと詞作

これまで何度も言ってきているが、このアルバムで聴けるポールのヴォーカルは凄い。
“OH!DARLING”や“GOLEDEN SLUMBERS”は言うまでもなく、“MAXWELL'S…”で聴かせた、感情を抑えたヴォーカル、“YOU NEVER…”の変幻自在、“BATHROOM WINDOW”の少しフィルターが掛ったような一人ダブル・トラック、“THE END”の絶叫、“HER MAJESTY”のアコギ1本のヴォーカル。
このアルバムの魅力の秘密でもあると思う。

それを言うなら“WHITE ALBUM”の方が多種多様ではないか、とのご意見もあると思う。
しかし、このアルバムにおけるポールのヴォーカルはもう少し統制がとれている。はっきりと、ヴォーカルに対する真剣なアプローチを感じる。

先に書いた通り、この曲をリンゴに披露したときには非常に優しい唄い方であったが、レコードでポールは非常にパワフルな歌唱を聴かせている。
特に、コーラスを重ねる前のテイクを聴くと、これだけポールがリキ入れて歌っていたらコーラスもラウドにいくしかないわな、と思えるようなものである。

また、詞作についても力が入っている。

I never give you my pillow
I only send you my invitation
And in the middle of the celebrations
I break down

(C)Lennon-McCartney

pillow(枕)は別として、invitation(招待状=レコード?)はcelebration(祭典=ビートルズ?)のものだろうか。celebrationの最中にbreak downなんて、なかなか“不健康”でよろしい。

しかし、celebrationはcarry outしなければならないのだ。“YOU NEVER…”のnegotiationやinvestigationは、実際のビートルズの内幕の話だけれども、celebrationはわれわれファンの幻想である。that weight をlong timeにcarryしなければならない…(わけわからないが…)。(00・12)

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GOLDEN SLUMBERS

ソロの始点

90年に行われた、ポールの初来日公演の曲目リストを見て愕然とした。
アンコール前の本編ラストは“GOLDEN SLUMBERS/CARRY THAT WEIGHT~THE END”とある。

…何ということだ!自称“ABBEY ROAD”オタクの私としたことが、目の当たりにこの曲をポール自ら演奏するのを見聞きするチャンスがあったにも関わらず、逃してしまった。

来日の前月にも、もう一つ、日本の音楽シーンにとって歴史的なことがあった。
ストーンズが初来日した。こちらの方は、2回も見に行ったのに…。
はっきり言って、90年ごろのポールには私はまったく興味がなかった。いくらビートルズ・ナンバーのオン・パレードと言われても、東京に住んでいたわけではない私はストーンズに加えてさらに有休休暇をとることは思いも寄らぬことだった。
しかし…みなさん、福はこんなところにあるのですよ。気をつけましょう。

ポール自身もこのストーンズとのバッティングに業を煮やし、追加公演をキャンセルするという荒業に出た。このあたり、また別のところでも書くつもりだが、またしても恐るべし、ポール、である。
25年に亘ってポールを見ていると、稀にではあるが、あの柔和な表情とメロウな曲作りから想像もつかないような、ある種の傲慢さを覗かせるようなところがある。


さて、ポール曰く、このツアーのリハーサルをスタジオで行った際、このメドレーをスタッフのリクエストに応えて演奏したところ、ブースの向こうで若いスタッフが泣いたそうである。若いスタッフでなくても、私でも泣く。

このツアーでの演奏はオフィシャルのライブ盤で今も聴くことができるし、映像も劇場公開されビデオ化された“Paul McCartney's Get Back”(この“Paul McCartney's”、というのがなかなかシャレている)で見ることが出来るので、ぜひお聴きになったことがない方は聴いていただきたい。
20年近く封印されていただけあって、“YESTERDAY”やら“GET BACK”やら“LET IT BE”やらと違いライブ汚れしておらず、非常にビートルズ時代の唄い方に近い唄が聴ける。特にこの曲はそうであった。

90年のポールは紛れもなく、69年の7月3日にこの曲をEMIスタジオで歌った人に違いない。
しかしこのライブ・テイクをよく聞くと、“GOLDEN SLUMBERS”は“MY LOVE”や“EBONY & IVORY”、“C'MON PEOPLE”などのヴォーカル・スタイルと変わりないことに気付く。“YOU NEVER~”がポールにとってビートルズの卒業制作である、と書いたが、この曲はまさしくソロの始点となっている曲なのである。


アマチュア・バンドの皆さんへ

それにしても、シンプルな曲である。ストリングスが入る前のヴァージョンをブートで聴くことが出来るが、リリースされたテイクと較べて極めてショボい、とかそういったことは全くない。この曲は、いわゆる「ヴォーカル曲」なのである。

この曲に限らず、このアルバムでのポールの曲はいずれも(“MAXWELL'S”でさえ!)ヴォーカルに苦心の跡が見られる。ぜひじっくり聴いて欲しい。
ピアノについて言うと、ニュアンスは別として、非常に簡単なピアノである。“LET IT BE”並みである。ベースとドラムスについても本当に簡素な演奏であるが、ピアノよりはテクニカルである。

ここで言いたいことがある。もし、これからアマチュア・バンドを結成しようとされる方たちが読んでいて下さってたら、是非“LET IT BE”とかそういった曲をやる前に、この曲をきっちり練習して欲しい(ギターの人には休んでもらって…)。

このゆったりとしたリズムをキチンと取りながら、ベースに装飾音を入れたり、ドラムスでフィル・インやクラッシュを入れたり、そしてそして、おそらく一番難しいであろうヴォーカルに挑戦して欲しい。
これが出来るようになれば、ストリングスなんかなくても素晴らしいパフォーマンスができると思うし、何よりバンドのパフォーマンス自体が向上すること間違いなし、である。
私ももう一度バンドを組むことがあれば、毎回ウォーミング・アップにこの曲をやりたい、そう思う。

・ジョージ

さて、このレコーディングはジョンが参加する前のセッションの早い時期に行われており、いかにもポールがピアノ、ジョージがベース、リンゴがドラムスという3人の一発録りがベーシック・トラックとなっているようにも思えるし、文献にもそう書いてある。
実際、ジョージがサングラスをかけてジャズ・ベースを弾いているフォト・ショットも残っているし、音的にもポールが愛用しているリッケンバッカーやヘフナーの音とは違う、という意見もあるからほぼ間違いないのだろうけれど、シンプルだからこそ難しい、ということがある。ポールはどうも、音数の多いジョージのソロに拒否反応があるようなのに、この曲で果たして自分のパートであるベースをジョージに頼むだろうか?そんな疑問も湧く。

(これを書いた数年後、アンソロジーDVDボックスが発売された。その特典映像で、スリートルズがコントロールルームでこの曲を聴く場面がある。ジョージはこの曲がどのアルバムに入っていたかも思い出せず、ポールとリンゴからからかわれているが、この人、おそらく当時は他人の曲など本当にどうでもよかったのだ。おろらく、ビートルズというものにも何の興味もなかったのだろう。
そのシーンで、この曲のベースは誰が弾いていたのか、という会話になる。ピアノとベースが入っている以上、ポールのオーバー・ダブだということでいったんは収まるが、「テイク1なのに?」というジョージ・マーティン氏の鋭いツッコミにジョージが、「ひょっとしたら弾いたかもしれない」と言っている。もっともベーシックトラックは、後日差し替えられているかもしれないけれど‥)

詩作

最近、テレビやイベントによく登場し、まるで自分がビートルズを育てたかのような振る舞いをしている、異母兄妹のルース・マッカートニーさんの唄本にあったトーマス・デッカーの詞にインスパイアされてこの曲を書いたのはよく知られていることである。
ちなみルースさん、CDを出すらしい。

1月7日のゲット・バック・セッションでこの曲が披露された際の歌詞は、以下のとおりであった。

Once there was a way to drive homeward
Once there was a way to get back home
Sleep pretty darling , don't you cry
I will sing a lullabye

Golden slumbers fill your eyes
Smiles awake you when you rise
Sleep pretty darling , don't you cry
And I will sing a lullabye

でこれを2回繰り返したあと、“Boy, you're going to carry that weight,Carry that weight a long time
,Boy, you're going to carry that weight,Carry that weight a long time”と唄ったあとにまた1回唄い、そのあと“Boy, you're going to~”と鼻歌で唄って終わった後、“THE LONG AND WINDING ROAD”(!)を演っている。

これもどこでも言われていることで、“Once there was a way~”といった歌詞をもって“GET BACK”や“THE LONG AND WINDING ROAD”などと同じく、グループの末期状態を唄った曲である、というのがあるが、私はまた別の感慨をもっている。
実は、仕事上の行き詰まりとは別に、ポール自身、リンダと、ヘザーと自分との3人の生活は非常に充実していたのではないだろうか。そう考えると、この唄は非常に愛に溢れた唄であるように聞こえてくる。
そうすると、この次の“CARRY THAT WEIGHT”こそビートルズに対する唄で、この曲と対になっている気さえしている。なによりも私は、ビートルズの末期状態のことなど考えないで聴く方が、この小曲がいとおしく、切なく、胸に響く。

後日談

おそらく、サイト立ち上げ後はじめての追加コラムで、まさかこの曲で行うとも思っていなかったが…。
サイトを立ち上げてちょうど1か月後に子供が生まれた。独身生活が永かったことと世間知らずで来たこともあって、子育てがこんなにたいへんだとは思わなかった。
2時間置きの授乳、外出、入浴、トイレ…。子供は待ってくれない。そして、泣く。なぜかはわからない。だって喋れないのだから。眠かったのかもしれないし、腹が減っていたのかもしれないし、オムツが気持ち悪いのかもしれないし、どこか痛いのかもしれない。一応全部やってみる。ゆすって、おっぱいやって、オムツ替えて、体を擦ってやる。ダマシ、ダマシであるが、そうこうしているうちに向こうが疲れて眠ってくれれば、結局原因が掴めないままながら、息子の本当に安らかな屈託のない寝顔を見て、こっちは勝利感に酔う。

誰が言ったか知らないが、ゴールデン・スランバーズとは言ったものだ。本当にゴールデンである。
シルバーでもなければ、ダイヤモンドでもスーパーでもない。ビューティフルは近いが、やはりゴールデンである。太陽の輝きのような、陽射しの暖かさのような、安らぎが訪れる。
Sleep pretty darling do not cry…だ。ジョンのように、Cry baby cry と言える父親は強い。しかしジョンに訊いてみたい。ショーンの子育てを経て、やはりそう言えましたか?

・その他

さて、B面メドレーはこの曲の前にいったんブレイクがあり、メドレーが二分されることとなるのであるが、結果的には、“YOU NEVER~”で始まったメドレーⅠは、どこかしら悲観的な要素があるものの、“GOLDEN SLUMBERS”で始まるメドレーⅡはもう少し明るい予感があるものとなっているようにも思える。

また、“YOU NEVER~”とこの2曲も、ある意味で対になっている。歌詞においても“MONEY”といった即物的なものと、同じく“GOLDEN”ではあるが“SLUMBERS”といった抽象的なものが対になっている。
もっとも、ポールがこういったことを意識していたという裏付けは何もない。(02・2)

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2008年7月 1日 (火)

HER MAJESTY

ロング・ヴァージョン

リリース後、20年も経ってから、マーク・ルウィンソンによってこの曲が当初、“MEAN MR.MUSTARD ”“POLYTHENE PAM”の間に挿入されていたことが明らかにされた。これにより、この曲のイントロが大音量で始まっていることと、最後の1音が欠けている理由も明らかになった。

1月のゲット・バック・セッションでも、すでにこの曲を聴くことができる。もちろん、23秒ではない。
どのように演奏されているかというと、最後の“…someday I'm going to make her mine. ”の後、ギターでボン、ボン、ボンと爪弾いて、再び“Her Majesty's a pretty nice girl,…”と戻るのである。これを延々やっている。時折スキャットしたりもするが、基本的に歌詞は同じである。
こうやって延々聴かせられると、“RAM”に収録されている“HEART OF THE COUNTRY”そっくりだ。ひょっとしたら同曲は、“HER MAJESTY”の完成ヴァージョンかもしれない。

またこういう曲調は、ポールが現在に至るまでこよなく愛してきている曲調である。こういうのは他のメンバーからは出てこない。
いつも思うことではあるが、ボーカルとギターを絡ませる彼の小曲のルーツは、カントリー・ミュージックではなくて、むしろ彼が好きだったアメリカのポップスやエルビスを彷彿とさせる。

さて、どうして23秒にしたのか?先にメドレーのコンセプトがあったため、要所で繋ぎに使えるこの曲を引っ張り出して23秒に縮めた…のだろうか?

Mpl

・“JUNK”と“HER MAJESTY”

“McCARTNEY”に収録されている“JUNK”をお聴きになっただろうか。あのアルバムでも最も美しい曲だと言われ、あの1曲を聴くためだけでもアルバムを買う意義がある、と言われたこともある。

アンソロジー3の発表で、同曲はすでにホワイト・アルバム・セッションの際にほぼ完成していたことが判明している。ここで単純に疑問に思うのは、“ABBEY ROAD”になぜ、より完成度の高い“JUNK”を収録せずにこの曲を収録しようとしたのか、ということである。
その理由は、このアルバムに収録されている他のマッカートニー・ソングに較べて“JUNK”が劣っていたからではないだろう。彼としては、おそらくアルバム・コンセプトが先にあり、それに沿った楽曲を提供したのだと思う。

では、なぜ彼は“HER MAJESTY”に固執したのか。エンジニアには「捨てちゃえ」と言ったのだから固執は言いすぎかも知れないけれど‥

アビー・ロード・セッション初日の7月1日は“YOU NEVER~”のボーカル録りだから、7月2日の朝にレコーディングされたこの曲が、このセッションで真っ先に取りかかって完成をみた作品、ということになる。
ちなみに、すでに4月の“HOT AS SUN”セッションでベーシック・トラックが完成していたマッカトニー・ソングは、“OH! DARLING”と“YOU NEVER~”の2曲だけであった。

こういったレコーディングの経緯を考えると、この曲を真っ先にレコーディングした理由は「未完成であること」、また、「他のメンバーの力を借りずに短時間で完成することができること」にあったのでかもしれない。
まさに、「ジョンの居ぬ間に」である。ホワイト・アルバムを省みれば、“WILD HONEY PIE”“WHY DON'T YOU DO IT IN THE ROAD?”“CAN YOU TAKE ME BACK?”といった未完成曲が満載である。
完成曲の“I WILL”にしたって、“ROCKY RACOON”だって、“BLACK BIRD”だって、他のメンバーがいる時にレコーディングしたとは限らない。
こういった作品群と並べれば、“HER MAJESTY”はまったく遜色ないのである。何となくではあるが、当時のポールが向かっていた音楽的方向がうかがえるのである。

にも関わらず、本アルバムの制作に当たってはその方向を再びふんだんに盛りこめるほどの“余裕”はなかった。本アルバムは、短期にメンバーが力を合わせて完成することを目標としていたのである。
しかし、ポールは他のメンバーが集まる前にやった。“OH! DARLING”のヴォーカルやら、“COME AND GET IT”のデモ作りやら、あるいは自分の曲の手直しやらと一緒に、この曲をやった。メドレーにそぐわないので捨てることにしたが、自分の主張ではなくてエンジニアのミスで自曲が1曲マスター・テープにくっついていた。


ポール・ファンの人には申し訳ないが、作品の出来不出来に関わらず、こういったちょっとしたことに私はポールの自己主張を感じたりするのだ。
“ABBEY ROAD”の完成には、メンバーの中でポールが最も貢献したことは間違いないであろう。でもこういった形であれ、“WHY DON'T YOU DO IT IN THE ROAD?”や“THE BALLAD OF JOHN AND YOKO”に、参加しなかった他のメンバーが不快感を示したにも関わらず、23秒とはいえ、この期に及んでソロ・レコーディング曲を持ってくる、というのが私には理解できないのである。


ギリギリ

そういったことも含めて、この曲は“ギリギリ”である。まるで全盛時代、ホテルの窓から手を振って見せたように、“THE END”でビートルズ渾身の大団円をやってきっちり終わったにもかかわらず、オート・リターン・プレーヤーなら針が上がる寸前にこんな曲をギター1本でやってみせる。もうワン・コーラスやったらクドイ。しかも最後の1音が欠けているので“THE END”が最後の曲であることには変わりはない。

曲の前後に肉声を入れたり、別の曲の一節を入れたりするのはビートルズ、というかポールが得意とするところで、“GET BACK”セッションで曲間を設けない、などという発想はその極にあると思う。
…しかし、他の場合は別として、このアルバムの、他のアルバムにはない極めて高い緊張感や神妙さが、この23秒で解放されるのも事実だと思う。そして“THE END”が終わったとき、誰もが連想する“解散”に、わずかな希望を与えるかもしれない。ファンの未練と、ポールの未練が一致するアイデアである。

また歌詞内容も然り。よくこの歌詞の話題やら、このアルバムのファースト・プレスを王室に贈ったところ感謝状が返ってきたとかいう話題でイギリス王室と日本の皇室を準えられるが、準えてよいものか?と思う。
もちろん、制度や成り立ちの違いもあるが、MAJESTYは一般名詞で、皇室の場合は固有名詞なのではないか、とすら思ってしまう。だってストーンズなんか「サタニティック・マジェスティーズ」ですよ。
だからといって日本以上に皇室が一般人に近いかどうかはわからない。下野康史氏の本によると、英国では本当のお金持ちが乗るのがフェラーリで、成金が乗るのがポルシェと「決まっている」のだそうである。貴族は自然にフェラーリに乗り、たとえフェラーリが買えたとしても、「庶民」はポルシェに乗るのだそうである。厳然とした階級社会は未だにあるようである。したがって、皇室と王室を準えて
ギリギリ、ではあるけれど、英国人にとって皇室ネタというのは「ベタ」なのであろう。まあポールはだいたいベタベタではある。

とまあ、ここまでこの曲についてあまりよく語ってこなかったが、それは、この曲をこれまで曲として聴くことができないできたからかもしれない。この曲はビートルズ最後の曲である。この四半世紀、何度も何度も聴いた。そこにメッセージを探した。
しかしあまりに唐突で、残酷な最後である。(01・9)





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ABBEY ROAD REVIEW

Abbyrd3

2001年、子供の誕生を1ヶ月後に控えて、何か自分の人生を総括するようなことをしたいと、アビィ・ロードについてのHPを作ってみた。実際、私の人生などアビィ・ロードをよく聴いてきた、ぐらいのことでしかないのである。
子供も生まれて忙しくなり、サイトの更新もままならず、掲示板はスパムの餌食となった。それでも、ブログのような流れがあるメディアの中で、もう一度サイトを復活させたいな、と考えてはいたのである。

子供は小学生となり、私は体を壊し、社会人となってはじめて、6月は1ヶ月も仕事を休んでしまった。社会復帰とともに、ネットにも復活したい。1969年、アビィ・ロード・セッションが開始した7月1日から、コンセプトはそのままで、またあの道を戻ってくることにしました。





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