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2008年7月 1日 (火)

HER MAJESTY

ロング・ヴァージョン

リリース後、20年も経ってから、マーク・ルウィンソンによってこの曲が当初、“MEAN MR.MUSTARD ”“POLYTHENE PAM”の間に挿入されていたことが明らかにされた。これにより、この曲のイントロが大音量で始まっていることと、最後の1音が欠けている理由も明らかになった。

1月のゲット・バック・セッションでも、すでにこの曲を聴くことができる。もちろん、23秒ではない。
どのように演奏されているかというと、最後の“…someday I'm going to make her mine. ”の後、ギターでボン、ボン、ボンと爪弾いて、再び“Her Majesty's a pretty nice girl,…”と戻るのである。これを延々やっている。時折スキャットしたりもするが、基本的に歌詞は同じである。
こうやって延々聴かせられると、“RAM”に収録されている“HEART OF THE COUNTRY”そっくりだ。ひょっとしたら同曲は、“HER MAJESTY”の完成ヴァージョンかもしれない。

またこういう曲調は、ポールが現在に至るまでこよなく愛してきている曲調である。こういうのは他のメンバーからは出てこない。
いつも思うことではあるが、ボーカルとギターを絡ませる彼の小曲のルーツは、カントリー・ミュージックではなくて、むしろ彼が好きだったアメリカのポップスやエルビスを彷彿とさせる。

さて、どうして23秒にしたのか?先にメドレーのコンセプトがあったため、要所で繋ぎに使えるこの曲を引っ張り出して23秒に縮めた…のだろうか?

Mpl

・“JUNK”と“HER MAJESTY”

“McCARTNEY”に収録されている“JUNK”をお聴きになっただろうか。あのアルバムでも最も美しい曲だと言われ、あの1曲を聴くためだけでもアルバムを買う意義がある、と言われたこともある。

アンソロジー3の発表で、同曲はすでにホワイト・アルバム・セッションの際にほぼ完成していたことが判明している。ここで単純に疑問に思うのは、“ABBEY ROAD”になぜ、より完成度の高い“JUNK”を収録せずにこの曲を収録しようとしたのか、ということである。
その理由は、このアルバムに収録されている他のマッカートニー・ソングに較べて“JUNK”が劣っていたからではないだろう。彼としては、おそらくアルバム・コンセプトが先にあり、それに沿った楽曲を提供したのだと思う。

では、なぜ彼は“HER MAJESTY”に固執したのか。エンジニアには「捨てちゃえ」と言ったのだから固執は言いすぎかも知れないけれど‥

アビー・ロード・セッション初日の7月1日は“YOU NEVER~”のボーカル録りだから、7月2日の朝にレコーディングされたこの曲が、このセッションで真っ先に取りかかって完成をみた作品、ということになる。
ちなみに、すでに4月の“HOT AS SUN”セッションでベーシック・トラックが完成していたマッカトニー・ソングは、“OH! DARLING”と“YOU NEVER~”の2曲だけであった。

こういったレコーディングの経緯を考えると、この曲を真っ先にレコーディングした理由は「未完成であること」、また、「他のメンバーの力を借りずに短時間で完成することができること」にあったのでかもしれない。
まさに、「ジョンの居ぬ間に」である。ホワイト・アルバムを省みれば、“WILD HONEY PIE”“WHY DON'T YOU DO IT IN THE ROAD?”“CAN YOU TAKE ME BACK?”といった未完成曲が満載である。
完成曲の“I WILL”にしたって、“ROCKY RACOON”だって、“BLACK BIRD”だって、他のメンバーがいる時にレコーディングしたとは限らない。
こういった作品群と並べれば、“HER MAJESTY”はまったく遜色ないのである。何となくではあるが、当時のポールが向かっていた音楽的方向がうかがえるのである。

にも関わらず、本アルバムの制作に当たってはその方向を再びふんだんに盛りこめるほどの“余裕”はなかった。本アルバムは、短期にメンバーが力を合わせて完成することを目標としていたのである。
しかし、ポールは他のメンバーが集まる前にやった。“OH! DARLING”のヴォーカルやら、“COME AND GET IT”のデモ作りやら、あるいは自分の曲の手直しやらと一緒に、この曲をやった。メドレーにそぐわないので捨てることにしたが、自分の主張ではなくてエンジニアのミスで自曲が1曲マスター・テープにくっついていた。


ポール・ファンの人には申し訳ないが、作品の出来不出来に関わらず、こういったちょっとしたことに私はポールの自己主張を感じたりするのだ。
“ABBEY ROAD”の完成には、メンバーの中でポールが最も貢献したことは間違いないであろう。でもこういった形であれ、“WHY DON'T YOU DO IT IN THE ROAD?”や“THE BALLAD OF JOHN AND YOKO”に、参加しなかった他のメンバーが不快感を示したにも関わらず、23秒とはいえ、この期に及んでソロ・レコーディング曲を持ってくる、というのが私には理解できないのである。


ギリギリ

そういったことも含めて、この曲は“ギリギリ”である。まるで全盛時代、ホテルの窓から手を振って見せたように、“THE END”でビートルズ渾身の大団円をやってきっちり終わったにもかかわらず、オート・リターン・プレーヤーなら針が上がる寸前にこんな曲をギター1本でやってみせる。もうワン・コーラスやったらクドイ。しかも最後の1音が欠けているので“THE END”が最後の曲であることには変わりはない。

曲の前後に肉声を入れたり、別の曲の一節を入れたりするのはビートルズ、というかポールが得意とするところで、“GET BACK”セッションで曲間を設けない、などという発想はその極にあると思う。
…しかし、他の場合は別として、このアルバムの、他のアルバムにはない極めて高い緊張感や神妙さが、この23秒で解放されるのも事実だと思う。そして“THE END”が終わったとき、誰もが連想する“解散”に、わずかな希望を与えるかもしれない。ファンの未練と、ポールの未練が一致するアイデアである。

また歌詞内容も然り。よくこの歌詞の話題やら、このアルバムのファースト・プレスを王室に贈ったところ感謝状が返ってきたとかいう話題でイギリス王室と日本の皇室を準えられるが、準えてよいものか?と思う。
もちろん、制度や成り立ちの違いもあるが、MAJESTYは一般名詞で、皇室の場合は固有名詞なのではないか、とすら思ってしまう。だってストーンズなんか「サタニティック・マジェスティーズ」ですよ。
だからといって日本以上に皇室が一般人に近いかどうかはわからない。下野康史氏の本によると、英国では本当のお金持ちが乗るのがフェラーリで、成金が乗るのがポルシェと「決まっている」のだそうである。貴族は自然にフェラーリに乗り、たとえフェラーリが買えたとしても、「庶民」はポルシェに乗るのだそうである。厳然とした階級社会は未だにあるようである。したがって、皇室と王室を準えて
ギリギリ、ではあるけれど、英国人にとって皇室ネタというのは「ベタ」なのであろう。まあポールはだいたいベタベタではある。

とまあ、ここまでこの曲についてあまりよく語ってこなかったが、それは、この曲をこれまで曲として聴くことができないできたからかもしれない。この曲はビートルズ最後の曲である。この四半世紀、何度も何度も聴いた。そこにメッセージを探した。
しかしあまりに唐突で、残酷な最後である。(01・9)





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