HERE COMES THE SUN
・B面1曲目の儀式
このアルバムのCD化に際し、非常に残念に思うことの一つが“I WANT YOU”とこの曲の繋がりである。
絶望的で、荘厳で、長大で、ジョン・レノンが全力を尽くした作品が突如として終わり、さまざまな思いで聴く者はレコード盤を裏返すのである。半分聴いただけでもわかるビートルズの傑作アルバムの、あと半分はどんな展開となるのかとの厳かな気持ちで針を降ろした後、このジョージの爽やかなアコギのイントロが始まるのである。
それが、CDではなんの儀式もなく、“I WANT YOU”のカットアウトから約4秒後に自動的に始まる。
私はこれだけのためにでも、このCDを2枚組にして欲しいくらいである。(ウソ)
2NDアルバム“WITH THE BEATLES”のB面1曲目は“ROLL OVER BEETHOVEN”だった。“SGT.PEPPERS”では、“WITHIN YOU WITHOUT YOU”だった。他にもリンゴの曲がB面1曲目となっているアルバムが2枚ある。
CD化してしまった今となっては無効であるが、彼らの曲は“面”の途中でポールやジョンの作品の間に置くよりも、聴く側に非常に新鮮で印象を強く残す効果があるかもしれない。
ビートルズは(というかジョンとポール、ジョージ・マーティンは)非常に効果的にこれまでジョージやリンゴの曲を配置してきている。
もっとも、こういうのはいまだにライヴではお決まりで、観客をダレさせない定番の演出ではある。
「次はリンゴが唄うぜ!」といった趣向である。
しかしもしも、幻のアルバムと云われている“GET BACK”をお聞きになった方がいらっしゃったら思い出して欲しい。あのB面1曲目もジョージの曲で、“FOR YOU BLUE”だった。この“HERE COMES THE SUN”の印象は“ROLL OVER BEETHOVEN”よりはこの“FOR YOU BLUE”に近い。(イントロが生ギターだけで出るところだけが?)
しかしすでに“SOMETHING”を聴いてしまった今、この曲には「次はジョージが歌うぜ!」よりはもっと、強烈な存在感がある。それは、メインのように堂々としている。
・解放!
この曲の発想は、“OCTOPUS'S GARDEN”に似ているようである。
何でも、アップルの仕事に行きが詰まったジョージが無断欠勤してクラプトンの家の庭で書いた曲、ということだけれど、この頃のビートルズの曲はどのメンバーの曲にせよ「ビートルズから離れた解放感から生まれた」曲が多いようである。残念ながらその方がインスパイアされるようだ。
“SOMETHING”にしてもそうだが、このアルバムに収められているジョージの2曲は極めてその交遊関係とそこから受けた影響が顕著に現れており、いずれも“ALL THINGS MUST PASS”に収録されていたとしても違和感のない楽曲である。が、レコードとしては、いずれの曲もビートルズならではの仕上がりになっている。
また歌詞についても“OCTOPUS'S GARDEN”と相通ずるところがある。“IT'S BEEN A LONG COLD LONLEY WINTER ”とか。…ジョージもリンゴも、辛い立場に置かれていたのですね。
“THE BEATLES ANTHOLOGY BOOK”にこの曲の歌詞をジョージが書いたメモが掲載されていた。
日本盤歌詞では、長年“IT SEEMS LIKE YOU”とされていたが、このメモで“YOU”ではなく“YEARS”であったことを確認した。ジョージ・ファンの方なら旧知の事実かもわからないが、訳詞者は一体何を“ LIKE YOU”としてきたのか。(今は訂正されているかもしれないが)
・マイナス・ワン
“OCTOPUS'S GARDEN”にせよこの曲にせよ、どちらの曲も、レコーディングが和やかな雰囲気で行われたことが偲ばれる。
特にこのアルバムで、ジョンが参加する7月9日までに録られたベーシック・トラックは、いずれ劣らぬ伸びやかさである。
(と言ってもあとは“HER MAJESTY”“GOLDEN SLUMBERS/CARRY THAT WEIGHT”だけだけど)
末期のビートルズは、4人全員が揃うことも以前より難しくなっていた、という状況もあるが、4人じゃない方がリラックスした演奏が聞ける。“THE BALLAD OF JOHN AND YOKO”しかり。アンソロジーで聞けるポールやジョージの一人デモしかりである。この時期のビートルズ内の緊張感は著しく、うまくいくのは3人まで、という感じである。
特にポールは、以前のようにジョンと絡みたいと思っていたはずである。
“GET BACK”問題とマネージャー問題の後、セッションでは忍耐を強いられていたことはよく言われている。
(それでもこのレコーディングの最中、“MAXWELL'S”1曲のレコーディングに時間を割き過ぎだ、と他のメンバーと諍いになったらしいが)
ジョージの曲のところでポールの話もなんだが、今回のレコーディングでどうしてもジョージ・マーティンにプロデュースを依頼しなければならなかったのは、メンバー以外で4人の緊張関係に割って入る人間が必要だったのではないか。これはまた「ABBEY ROADの周辺」に書くこととする。
・ジョンとポール、そしてジョージ
かなり先入観のある見方ではあるが、“SOMETHING”もこの曲も、ベーシック・トラックには「ジョージの曲をきちんと仕上げよう」というメンバーの意気込みが感じられる。それは他のメンバーが自発的にそうなったのか、あるいはジョージの発言力が強くなり妥協を許さない姿勢があったのかもしれない。
お蔵入りになった“NOT GUILTY” のリハや、“GET BACK SESSION”で行われた“ALL THINGS MUST PASS”のリハを聴くと(いずれもアンソロジーで陽の目を見るが)、メンバーに本当に仕上げる気があるのか、と疑いたくなるくらい、ルーズである。
いつもジョージは、「ジョンとポールの曲を何十曲もやってから、はじめて僕の番になるんだ」と言っていた。
“WHILE MY GUITAR GENTRY WEEPS”では皆が真剣に考えてくれなかったし、演奏すらしてもらえないので、エリック・クラプトンを連れてきてはじめてバンドに緊張感が生まれ、ポールがあのピアノのイントロを弾いてくれた…とジョージが後年語ったらしいが、“GET BACK”セッションのダレた雰囲気を締めたビリー・プレストンのケースとは異なり、あの程度のソロならジョージは自分で弾けるのだから、まんざら彼の被害妄想でもなかろう。
もっとも、そういう非難をすべてジョンやポールに投げかけるのはお門違いで、どちらかというとジョージが新しい交遊関係から得た着想を、そもそもビートルズにおいて具体化することが困難を極めた、という方が真実に近いのかもしれない。
ジョンとポールは、絶えず相手が曲作りやアレンジに困っているとアイデアを提供していたし、またそれがこの二人はお互いに痒いところに手が届いた。しかしジョージとリンゴに至っては、なかなかそういうわけにはいかなかったのではないのだろうか。
リンゴなら「このアレンジで」とある程度押し付けることもできたのだろうし、リンゴもジョンやポールのアレンジに不平は言わなさそうではある。
しかしジョージは、特にはっきりと自分の音楽を意識しているこの頃であれば、もう自曲の中途半端なレコーディングは許されないだろう。さきほど「本当に仕上げる気があるのか」と書いたが、むしろジョンとポールの方に、ジョージに対して遠慮があるように聞こえなくもない。
こういったメンバーの努力に加え、“SOMETHING”でも書いたが、このアルバムではジョージは自分の2曲に対して非常に手を掛け、自分のイメージを他のメンバーに伝えようと努める一方で、他のメンバーに頼ることなく、満足のいく結果が得られるまで自分で録音を続けた様子がうかがえる。
もちろん、これは“WHITE ALBUM”からジョンとポールがとってきた方法であり、ジョンに至っては勝手にレコードを出そうとまでしていた‥。
・ハーモニウム
ここいらでサウンドのことを書いておかないといけない。こういうサイトをお読みになる方の興味は、むしろサウンドにあるのだろう。私だってそうである。しかし私の書けることは知れている。
このアルバムのどの曲もドラムスは素晴らしい。リンゴ曰く、ヘッドを新しくしたからタムタムをよく使っている、とのことであるが、タムがよく拾えている、というのは8トラックの成果ではないだろうか。
もちろん4トラックの時代から、ビートルズはドラムスの音には凝っている。ドラムスに2トラック割いたのはビートルズがはじめてである、とも云われている。
イントロのギターは12弦だろうか。ジョンはこの曲を“IF I NEEDED SOMEONE”とよく似たフォーク・ソング、と評したとされているが、あまり当を得ているとは思えない。しかし、リッケンバッカーの12弦との共通はどこかにあるかもしれない。
このアコギとドラムスのアンサンブルが非常に心地よい。ポール(と思われる)のベースも、でしゃばらないで非常に良い。
思わず、“Mother Sperior jump the gun~♪”と唄ってしまいそうな、間奏の頭の2フレーズでオクターブ下で降りていくアルペジオ(3フレーズ目からはムーグが被る)も美しい。
のちにジョージはあとからムーグを被せたことについて、(使い慣れていないので)子供っぽいサウンドである、と評しており、確かに録音から30年を経ると、今はむしろアコースティックの響きが流行っていることもあるので頷いてしまう。
しかし、非常に控えめなムーグである。ギリギリの使用だ。
91年の来日公演でのヴァージョンも、クラプトンのサポートに加えて素晴らしい。機会があれば“LIVE IN JAPAN”はず聴いて欲しい。この曲のみならず、ジョージのすべてがあると感じている。
そしてオーケストラ。このアルバムでは“CARRY THAT WEIGHT”“GOLDEN SLUMBERS”“THE END”“SOMETHING”とこ曲の5曲に対し、8月15日のたった一日ですべての曲にオーヴァー・ダブがなされている。
特にジョージの2曲は、ジョージ・マーティンらしく抑制の効いた、すばらしいスコアである。
今だったら、キーボードでやってしまえそうな効果なのだが、お金も手間もかける成果はあるのだ。
イントロで、ムーグのポルタメントがすーっと降りてきて、弦楽とジョージのボーカルが始まるの出だしは、とても美しいし、大好きだ。“SOMETHING”といいこの曲といい、これほどジョージの曲に手を掛けたのはおそらく初めてではないだろうか。
この曲では、オルガンとハーモニウムが使われている“らしい”が、私にはよく聞き取れない。オルガンに至っては2ndヴァースの2回目の“here comes sun,”の前から左チャンネルでそれらしい音が少し聞き取れるくらいであるが、レコーディング・セッションではオルガンを使用したとの記録はない(ハーモニウムはある)。
はっきり言って、弦楽とムーグとハーモニウムとオルガンが聞き分けれない。2ndヴァース以降のジョージの歌の裏で、ある時はジョージの歌をなぞるように、ある時は違う旋律をまるで口笛のように聞こえる高い音や、“sun,sun,sun~”のヴァースが終わった後、人の声のように少しピッチのずれた楽器の旋律があるが、あれらがムーグなのかハーモニウムなのか、はたまたオルガンなのかはわからない。いずれにせよ、この曲は短時間でレコーディングされ、また一見シンプルに聞こえるものの、結構手の込んだことをしていることには違いないのである。
ちなみに、オルガンはジョージ・マーティン、ハーモニウムはポール、ボンゴはリンゴ(!)、マラカスはジョン(!!)だとの説もある。さっきのジョージの歌裏を取っているメロディがハーモニウムなら、結構テクニカルなのでポールらしいとも言えるが、この時期のジョージなら自分で弾いているのかもしれない。
…ちなみにボンゴとマラカスは聞き取れません。
・気になること
一つ気になることがある。この曲、“YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY”“CARRY THAT WEIGHT”、“MEAN MR.MUSTARD”の4曲のそれぞれ曲のエンディングを聴いて欲しい。どれも基本的には3音を降りてくるエンディングである。ついでに言ば“POLYTHENE PAM”のリフだって3音下降である。
これは誰のアイデアだろうか?意識して繰り返し使っているのだろうか?あるいは、メドレーを考える上で残ったものだろうか?
もう一つ、驚くことがある。後述の“YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY”と“SUN KING”のクロスフェイドを虫の声などのSEで解決したのは8月5日で、ポールが自宅で制作してきたテープ・ループをいくつかもってきてテープ・コピーしたらしいが、その際、ポールが持参したテープ・ループの中には、“HERE COMES THE SUN”用にポールが作ったものがあったが、使用されなかったというのである(「レコーディング・セッション」)。
1週間ほど前、すでに“YOU NEVER ~”から“THE END”までのメドレーを編集しているにもかかわらず、まだこの曲をどこかに繋げようとしていたのだろうか。真っ当に考えるならば、“BECAUSE”とのクロスフェイドを考え、さらには「B面完全メドレー構想」が練られていたのかもしれない。
それにしても、いったいどの曲とのクロスフェイドを考えていたのだろう…?(00・11)
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