COME TOGETHER
・「2曲のうちの1曲」
このアルバムのレコーディングセッションが行われた69年の7月と8月に、ジョンの作品でレコーディングされた「新曲」はこの曲と"BECAUSE"の2曲のみである。
“I WANT YOU"はすでにその年の2月と4月に録音を終えていたし、"MEAN MR.MUSTARD""POLYTHENE PAM"に至ってはアンソロジー3に収録されているとおり、前年のホワイト・アルバム・セッションでデモが作られている。"SUN KING"についても、ゲット・バック・セッションで例のギターのアルペジオやら誰かのボーカルやらを聞くことができる。ジェフ・エメリックの回想によれば、7月にスタジオ入りしてから、ポールとジョージ・マーティンがジョンにメドレー曲の提供を要請して、"SUN KING""MEAN MR.MUSTARD""POLYTHENE PAM"が取り上げられたらしい。
実際、"SUN KING"~"POLYTHENE PAM"のようなかなり古い未完成のマテリアルを取り上げることと、この2曲のレコーディングはジョンの中で相当プライオリティが違うのかもしれない。ジョンはポールと違って、発想をすぐに形にしないとすまないタイプで、特にホワイトアルバム以降はその傾向が強い。"THE BALLAD OF JOHN AND YOKO"にしても、"INSTANT KARMA"にしても、そうである。そのときにいるメンバーで、時間をかけずに作ってしまう。
もっとも、他のメンバーの楽曲についてもマテリアル豊富な中から選んだ訳でもないし、6月の自動車事故のためレコーディングの参加も他のメンバーより遅かったこともあって新曲提供が少なかった、という説が一般的である。
不思議なのは、そういった状態でアルバム製作に入ることで、“MAGICAL MYSTERY TOUR”プロジェクトの時など“I AM THE WARLUS”1曲しか提供していない。スタジオに入るときは、何曲か持ってくるのが約束事だったのだろうか。それともスタジオに入ればいつも、何かが生まれていたのだろうか。
とにかくこの2曲こそが当時ジョン・レノンがすぐに形にしたかったタイプの曲であり、アルバムの中で放つ光は強烈なものになっていると思う。
・それにしても‥
この曲が作られたのは7月3日と断言している文献もあるが、根拠は不明である。7月6日にチャーター便でスコットランドから帰国したはずだから、7月3日なら病床にあったはずである。
ジョン・レノンがレコーディング・セッションに参加したのは7月9日(水)であるが、"COME TOGETHER"のレコーディングが開始する7月21日(月)まで、他のメンバーの楽曲でギターを入れたとかコーラスをつけたといった記録は見られない。この12日間、ジョンはスタジオでいったい何を考え、何をしていたんだろう。怪我のリハビリのためセッションの本格復帰に至っておらず、ヨーコも寝たきりだったから(第2スタジオで‥)、12日間はフルでスタジオにはいなかったのかもしれない。他の3人が自曲にオーバーダブを加えている間、この曲を含めて構想を練っていたのだろうか。
・「ロックンロール・リバイバル」
69年9月13日、つまり"ABBEY ROAD"の完成から1か月を経ないで、ジョンはトロントのバーシティ・スタジアムに立っている。この前日の9月12日に、チケットの前売りが芳しくない主催者が困ってアップルにオファーの電話を入れ、司会でいいからとジョンの出演を依頼したところ、ジョンがその場にいて出演のみならず演奏をオーケーし、飛行機の中でクラプトンらとリハーサルをやってその場に臨んだ…と伝えられている。
こういう史実は私はなかなか信用できないたちで、これもいわゆる「ジョン・レノン伝説」の一つではないか、と解している。
チャック・ベリーの盗作、と言われた曲のレコーディングから2ヶ月後に、当の本人と競演する、というのも偶然すぎる。それにクラウス・ヴーアマンは別として、いくら当時ヒマだったとは言え、翌日のクラプトンの予定を押さえたり、さらには帰国後直ちに“COLD TURKEY”のレコーディングに参加させたりというのも、何か俄かには信じられない。
実はもっと早い段階で「ロックンロール・リバイバル」のオファーがあって、その構想とプラスティック・オノ・バンドの構想が一致した、ということはないんだろうか。こういった伝説の裏側として、当時EMIとの契約交渉が控えていたことから、“ハプニング”にしてしまったんじゃないの?とかまで邪推する。
話を"COME TOGETHER"に戻して、ジョンがチャック・ベリーらとの競演決定にインスパイアされて、後に書く"YOU CAN'T CATCH ME”を「発想」にして"COME TOGETHER"が「着想」となったのではないのか?
それにしても、68年以降のジョンは「ロックンロール・リバイバル」している。"YER BLUES""COME TOGETHER""I WANT YOU"、そして同時期に作られたと思われるソロ1作目に収録される楽曲群は、彼の音楽活動の中でも突出して鮮烈なロックをかき鳴らしている。それは、ヨーコと実験的な取り組みを行う一方で、本来の作曲には実験的色彩がむしろ減少し、より純度の高いロックへ回帰しているかの如くである。さらにそのロックも、ヨーコという力強い伴侶を得、フラストレーション(主にビートルズに対する)を一気に吐き出すかのように聞こえるし、かえって孤独感の漂う攻撃的な音にも聞こえる。
・"COLD TURKEY”
"COME TOGETHER”と"COLD TURKEY"は似ているように思いますが、どうですか?
サビらしいサビもなく、ヴァースの最後の"come together,right now~,over me"と"cold turkey,has got me~,on the run"のくくりは、少なくとも似ている。
私の仮説は、
この2曲は兄弟曲で(ちなみに"I WANT YOU"と"BECAUSE"も?)、いつまでたっても完成しないティモシー・レアリーのキャンペーンソングに取り組む中で、ヴァージョン1、ヴァージョン2として完成する。どちらも気に入る。(GET BACK SESSIONではやってなかったよね?)
ところで、この曲をシングル・カットする際のジョン、あるいは他のメンバーの胸中はどうだったのだろう。
“GIVE PEACE A CHANCE”やら“TWO VIRGINS”やらは、まだ「ビートルズでは表現できない分野の実験」と抗弁できたとしても、この曲は完全なポップ・ソングである。先に書いたが、ジョンにとってはもうビートルズのレコードリリースなどには興味がなかったのだろうか?
しかも(B面ではあるけれど)カム・トゥゲザーのリリース前週である。翌年のポールのソロの際には、“LET IT BE”とリリースが被るため、リンゴがポールを訪ねて発売延期を申し入れたではないか。
・“YOU CAN'T CATCH ME”
“MY SWEET ROAD”盗作事件に対して、ジョンは「自分で蒔いた種」とか、「知っていたに違いない」「金だけ」「手間を惜しんだ」「神様はみのがしてくださるってジョージは思ったんだろう」って毒舌を全開だった。
同じインタビューで、「チャックの曲とは似ても似つかない曲だ」と言いつつ、その舌の根も乾かないうちに「チャックの曲そのままじゃないが、Here come old flattop he come という一行を残した。Here come iron face he come にすることもできたの(そうしておけば訴えられることもなかった)」と言っているあたり、「やっぱりパクッとるやないか!」と思わずツッコミたくなってしまう。
これではなぜ“MY SWEET ROAD”が盗作で、"COME TOGETHER"が盗作ではないのかがわかりません。
それにしても、アルバム"ROCK'N ROLL"に収録されている“YOU CAN'T CATCH ME” (というか、裁判の結果リリースせざるを得なかった作品ではあるが…)を聴くと、とてもではないが「似ても似つかない」とは言えないことがわかる。原曲を聞いたことがないし、どうも訴訟結果のために、この曲にリスペクトして“COME TOGETHER風に”アレンジした可能性があるが、メロディだけではなく、曲構成、次のラインの頭まで歌う歌唱法など、全く独立してこれら2曲が成立したことは考えられないし、第一、そんなことは「ジョン・レノンも」言っていない。
・「テイク1」
“YOU CAN'T CATCH ME”や“COLD TURKEY”と決定的に違うのは、この曲が「ビートルズ作品」として仕上がっている、ということである。
一説には、あまりのファンキーさに他のメンバーからアルバム収録を反対された、とも言われるが、私はむしろ他のメンバーがこの曲を最初に聴き、またミックスが終了した段階においても、この曲のジョンの才能に打ちのめされたのではないか、と推測している。
脇道に逸れるが、四節からなるヴァースはそれぞれジョン、ポール、ジョージ、リンゴのことを歌っている、などとの説も、はたして根拠があるのかどうかは疑問である。3rdヴァースについて言えば確かに、“bag production”“warlus”“ono”など、ジョンに非常に近いキーワードが盛りこまれているが、それ以外は不明であり、なによりも、それほどこの時期に他のメンバーのことを唄う必要がジョンにあっただろうか、と思ってしまう。まあ、“HOW DO YOU SLEEP?”をポールに対する感情を利用して作った、ということだから、当時の他のメンバーに対する感情を利用したとしても不自然ではないのかもしれない。
この曲についてポールは、「“YOU CAN'T CATCH ME”からかけ離れた曲にするために」(ほら!やっぱり!)ベースとドラムスを押し寄せるようなサウンドにした、と言っている。またこの曲は、2ndバースから後はポールのバッキング・ボーカルが入っているが、彼はもっとジョンと二人で厚みのあるハーモニー・コーラスを行いたかったようである。彼はそれが出来なかったことよりも、お互い言い出せなかったことが寂しかった、と述懐している。ぜひ、そういったバージョンも聞きたかったものだ。
アンソロジー3には、この曲のテイク1が収められているが、完成バージョンと大きな違いがなく、アーティストが試行錯誤を繰り返した形跡が見つかりにくく、面白みはない。
こういうのを聴くと、ビートルズは、今更ながらであるがいずれのメンバーも才能と技術を持ち合わせたプレーヤーであることを実感する。佳曲はテイク1でほぼ8割方完成している。それはそれだけ短時間のリハーサルの際にアイデアをぶち込んでいるはずだし、レコーディングに備えて練習もみっちり積んでいるに違いないのだ。
それに基本的に、ジョン・レノンはメンバーの中でも、秀でるテイク・ワン・プレイヤーなのである。(08・7)
(これは珍しい「アビィ・ロード」レコーディング時のスタジオ入り待ち風景)
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