アビィ・ロードから。
えーっと、ブログ引っ越すかもわかりません。
これを機会にやめてしまってもいいのですが、実は結構好きなんです。
また書けるかどうかはわかりませんし、ひょっとしたら使いづらくてこっちに戻ってくるかも、ですが。
とりあえず、ホームページ時代からニフティさん、20年ありがとうございました。
えーっと、ブログ引っ越すかもわかりません。
これを機会にやめてしまってもいいのですが、実は結構好きなんです。
また書けるかどうかはわかりませんし、ひょっとしたら使いづらくてこっちに戻ってくるかも、ですが。
とりあえず、ホームページ時代からニフティさん、20年ありがとうございました。
振り返って。
〇体力
出発時に、まず心配したのは体力。
たぶん誰しも思うことだろう。
これが意外に大丈夫。歩くだけだからね。
確かに箱根や日坂はきつかったが、それ以外は知れている。
2~3時間置きに休憩していれば歩き続けることは全然大丈夫。
一日何キロ歩けるか。計画を立てるのは難しい。
今日はどこまで行けるのか。どこに泊まるのか。
歩き始めは悩んだけれど、だんだんうまくなった。
体調とも相談だけれど、だいたい日の出から日没までなら30キロは歩ける。
最後のほうは、ガイド本1ページ30分、で測っていた。
宿泊は快活クラブ(ネカフェ最大手)一択だった。
初日の東戸塚でノックアウトされたのと、沼津でやむなく泊まった別系列がひどかった。
耳栓さえあればこんなに快活なところはない。
ビジネスなんか馬鹿らしい。
しかし、予約はできないので、2度ほど満室をくらっている。
すぐに空いたので事なきを得たが、あのまま沼津の夜に放り出されたらどうしたろう。
静岡から島津まで快活がないので、藤枝あたりでビジネスを探したものの空きはなかった。
〇靴
2日目からマメができたが、箱根を降りてからはひどかった。
水を抜いても、結局穴は塞がってまた水ぶくれができるのだから、4日目ぐらいからはあきらめた。
マメだけではなくて、多くの爪が内出血した。
左足は突出している第二趾が内出血、右足は第二趾は大丈夫なのに、第一趾と第四趾とか、わけがわからない。
日増しに朝は靴に足を入れるのがたいへんになり、痛みもひどいが、それでも一時間ぐらい歩くとたぶんマメに体重がかかって広がるからか痛みがマシになったが、再開時には絶対靴対策を決心した。
いろいろ調べたところ、東海道を歩かれた「さいちー」さん(ブログ再開してください)は、スポーツ用品店でちゃんと足を測って靴を買ったらマメができなった、とのことなので私も倣った。
春はネットで買った横幅D、サイズ大きめのスニーカーだった。
足を測ったところ、自分の足でDという選択は間違いではなかったらしい。
ただし、サイズがジャストより1センチ大きいので前後に動いたはず、とのこと。
結局もう少し軽く、5ミリ小さいランニングシューズにしたが、内出血は今回もしたし、ジャストサイズだったらもっとひどくなったか、あるいは軽減されたかはわからない。
・ ガーニーグーとインソール
ガーニーグーはグレートトラバースの田中陽希さんがマメ対策に使っているとのことで試しに購入。
トレランしてる人には常識かもしれないが、臭うけど、気持ちいいよー。
足が靴の中で滑る感じ。
でも歩きにくいわけではない。
それからアマゾンで1,000円のインソールを買った。
結論から言うと、靴は買い替えずインソールだけでも良かったかもしれない。
それも足を測ったからわかったことだけどね。
今は新しい靴のソールを買ったものと取り替え、新しい靴のソールを大き目の古い靴のソールの上にさらに入れて詰め、どちらも履き心地よくなった。
これも店員さんに教えてもらった。
結果、春とは比べ物にならないほど足のトラブルはなくなった。
左足など無傷と言ってもいいぐらい。
さらにガーニーグーをケチらず使えば完全に防御できたかも。
〇暑さ対策
街道では、まったく日光を遮るものがない幅広の道を何キロも歩く箇所ある。
日坂では深刻なダメージを受けたし、秋の部は(秋の部と言いながら)ほぼ真夏だっ
た。
気温よりも日差し。
傘をさす、帽子、笠を被る。これが基本。
春に気付いたが、気化熱を利用するのがもっとも有効。
ところどころの休憩場所では水を被ったし、秋の部ではペットボトルに水を入れ、30分置きに腕やら首筋を濡らした。
「歩かない」という選択も有効。
〇荷物
長時間歩くので、軽いに越したことはない。
幸い東海道は都市を歩くので、店もある。
なんでも買える。
携帯バッテリーは重いだけ。
登山の場合は必要だけど、東海道は不要。
〇服装
モンベルのウィンドブレーカー最強。
軽く、くるくると巻けば小さくなるし、暖かくて通気性もある。
秋は、途中でGパンと薬セットを実家に送り返した。
カッパは後処理が面倒だし、どのみち靴は濡れてしまう。
雨の日は歩かないのが正解。
秋には持っていかず、折り畳み傘で過ごした。
〇トイレ
これが一番の問題かもしれない。
暑いときは水分補給が必要だし、補給すると排出する。
今は公衆トイレが激減しているので、「ちゃんと歩ける」の地図表記はあてにならない。
原則コンビニだけれど、コンビニが適当な間隔であるわけでもなく、いつもトイレが空いているとは限らない。
都市部は開放されている商業施設や公共施設がある。
バイパスはGSを使わせてもらう。
山の中は自然還元できる。
困るのは住宅街や集落が続いているところで、たぶんそういうところの距離が一番長い。
鉄道と並走していれば必ず駅を借りた。
「そういうところの距離が一番長い」ということを意識してトイレ休憩を設定するだけでも、だいぶ違うかもしれない。
〇感想
「思っていたよりも(昔の東海道が)ずっと残っていた」と最初は思っていたが、そうではなくて、今も江戸時代を踏襲した集落の連続が残っている、って言うほうが正確だろう。
今から5年ほど前に京都から大阪まで歩いたが、その景色が12時間続き、さらにそういう日が2週間続いた、という感じ。
大阪の枚方あたりの風景は、神奈川でも、静岡でも同じ。
東海道を再認識するつもりが、むしろ街道は均一化していることに気付いたのは静岡中盤あたりだった。
東京、神奈川、静岡、愛知、三重、滋賀そして京都と7都府県を跨ぎ、それぞれの趣きもあったが、東海道とは静岡県のことである。16日間のうち、5日間を体験すればよい。
十返舎一九の描いた世界を体験してみたい、歌川広重の描いた風景を見てみたいと思って実現した旅だったけれど、前者は難しかった。
7日目ぐらいからは歩くことが自己目的になったと感じた。
秋は、それでもいいと思った。
何を見つけたかは、その人の目的による。
私は、歩き終えて自分がまだ歩けるという自信と、広重の絵がいかに素晴らしいかということを再認識した。
後悔、ということでもないけれど、八丁畷から神奈川新町、藤沢本町から平塚、宮から桑名までは歩いていない。
今後歩くつもりもない。
藤沢、金谷、舞阪の写真は撮影方向を東西逆にしてしまっている。
できれば取り直したい。
江尻はまったく撮影場所のあてどころがないが、高台からなら撮れそうな気もしている。
旅は、3回楽しみがある。
一つ目は、計画の楽しみ。
二つ目は、実際に旅に出ている楽しみ。
三つ目は、旅を終えてから追想する楽しみ。
一つ目に50年をかけて、二つ目に16日をかけ、三つ目が一か月の今のところ、まだ「また旅に出たい」という気持ちしかない。
2019年9月20日 (金) 滋賀県大津市
1:45に目が覚めてブースを出ると、ほとんど誰もいない。
あんなに賑わっていたのに。
3:24まで今日のルーティングをして、そのままツイッターをチェックしたり大相撲ダイジェストを見て、4:30まで少し寝る。
5:25出発。
5:42膳所発。
草津で草津線に乗るが、発車が少し遅れる。
6:19手原駅到着。
さあ、最終日だ。
Bトイレを済まして歩き出す。
「東海道ほっこりまつり」ののぼりが目立つ。
調べると、毎年極めて短い区間の交通を制限して、地元のイベントを開催しているみたい。
行ってみたいなあと思って調べてみると、
「シャトルバス送迎 なし」
「駐車場 なし」
「JR草津駅から徒歩30分」
…って、「よそ者は来るな」というメッセージ…?
7:08、石部。
広重の絵には右手に金勝川が写っているので、堤防にも上がってみる。
残念ながら家が建っているので写真は撮らなかったが、たぶん、もう少し遠景なので次の交差から橋が架かっているところから伊勢屋があった方向を見てみたりする。これがいけなかった。
地図を見ると、この交差で右折して草津方面に行くが、地図にはないコンビニが出てくる。
腹も減っているので(昨晩は結局食べなかった)、立ち寄ってパンを食う。
そのまま歩いていても、ガイド本には書かれている史跡がまったく出てこない。
そんなことはこれまでもあったので、ずんずん進んでいって、1号線と交差するところで道を間違えたことに気付いた。
さあ、どうしよう?
これだけ進んで気付くのは藤沢以来だ。
ここはさんざん逡巡した。
距離にして約1㎞、時間は1時間ぐらいロス。
時間もともかく、旧街道と並走した一本東の道を通ったことで、戻る意味があるのか。
あきらめる。
これまで地元感がまったくなかったが、唯一感じたのは、たまに民家に京都新聞の新聞入れがかけられているところ。
余談だけれど、政治家のポスターの変化で選挙区を跨いだことを知る。
草津駅前は朝の通勤通学だ。人の流れとは逆方向に街道をずんずん進んでいく。
8:08、草津。
写真ではわかりづらいが、五葉松の右の石柱が追分道標。
ここから琵琶湖へ出て船に乗り、大津中心部に渡るというショートカットは江戸時代からあったらしい。
今の近江大橋あたり。
明るいうちに京都に帰りたいのでこのルートも検討したけれど、趣きもなさそうだし、時間もそんなに短縮にならない感じなので却下。
それにしても無粋な瀬川ひろみ。
9時、狼川のほとりのベンチで少し休憩。今日もいい天気。
世間は仕事。
いよいよ大津市に入る。
月輪だの、大江だの、昔大津で仕事をしたことがある自分としてはなじみ深い地名だけど、
歩いていてもどうもピンと来ないのは、それだけ旧街道が昔の面影を残している、ということだろうか?
建部大社の門前町に出ると、うなぎの山重という店の前を通る。
今回気付いたのは、大きな神社前には鰻屋があり、ハズさないということだ。
鰻は浜松だけのものではなく、国民食だったのだ。近いのでまた食べに来よう。
10:17、瀬田川を渡る。
渡ると、明らかに大津宮だ。
街並みが違う。
少し前に大江で保育園児が自動車事故に会う事件があった。
この日も保育士さんが園児をたくさん連れて瀬田川の公園で遊ばせていたが、道すがら、やはりガードレールはなかった。
道はだんだんと、湖畔沿いの工場街に入っていく。
11時、今日も気温が上がってきた。疲れもだいぶ出ている。
休憩場所が、ない。
誰もいないようなので、街道に面した中ノ庄自治会館の玄関に座り込む。
ほんのわずかだが、気が付くと少し寝ていた。
寝つきは悪いほうだけど、座ったまま寝れるぐらい疲れている。
ふらふらと歩いていると、見覚えのあるネットカフェの裏を通る。
これ、今日出てきたところじゃないか。
街道は本当にメインの1本裏を走っている。
県庁前まで来ているのに、まったくわからない。
しかし中央通りを越えて、京町1丁目まではすごく趣きのある町並み。
東京から歩いてきて、最終日にこんなに魅力的な場所があるなんて。
必ずまた来ようと思った。
13時、トイレ休憩がしたいところだけれど、場所がないので赤十字病院に。
昔このへんに西友があったのだけど、今はフレンドマートになっている模様。
ずいぶんロスタイムだ。
いよいよ逢坂の関へ。
安養寺前の石段で昼食。
なんか虫が寄ってくるので、食べたらまた歩き出す。
しばらく一号線の側道を歩くと、大谷。
13:21、大津。
広重の絵は、実際にあり得ないのかもしれない。
東海道名所図会を基にしたであろうとされている。
背景は、比叡山だろうか。
それとも逢坂山だろうか。
そしてほんの少し中央が白くなっているのは、湖だろうか。
それとも摺り残しだろうか。
なにより気になったのは、坂が右上から左下に下るところ。
走井茶屋跡はは現在の月心寺だというが、絵を描くとすれば京都方面に向かって坂は左上から右下に下る。
絵とは逆方向になる。
ちょうど大谷のあたりは今でも店屋が数件あり、坂も右上から左下に下っている。
東海道名所図会を見ると、「走井:逢坂大谷町茶店の軒端にあり…」とある。
旧走井餅本家もここにあった。
創作だとしたらどうでもいいのだけれ、私はこちらの風景を採用。
それにしても、どこにも鰻屋はある。
藤尾まで下りてくる。
実は、藤尾から伏見までは以前歩いている。
でも三条までの道は残しておいた。
山を下りたら京都、と思っていたら藤尾はまだ大津市。
だいぶ先まで大津市。
この辺の小中学生はバスに乗って山を越え、皇子山の学校に行っていると聞いたことがある。
14時、それでもやっと山科に入る。
京津線と、旧の国道1号に挟まれて並行に走る道。
本当に町並みが街道筋だ。
大津でも思ったが、こんなご近所まで来ているとは。
14:36、山科駅をかすめ、鉄道からも旧国道からも離れて御陵の集落を歩くとのどかな風景。
日ノ岡の山に入ると、ポツポツ雨が。予報どおり。
本当、こんな狭い道を歩いていると、ここがうちから直線距離で2キロぐらいのところなんて思えない。
まだ三重か、静岡あたりを歩いているよう。
旧1号に再合流して、さあ、いよいよもう一息。
15:06、蹴上まで来ると京都(今の)、という感じがする。
雨が降ったりやんだり。
そんなに強くはないけれど、止むわけでもない。
15:30、三条着。
出迎えに来てくれる人がいるというので、出迎えに来てくれる人を出迎えるべく、三条大橋を渡らず、東詰で待つ(?)。
よく東海道踏破しました!という京都の写真は東詰めから撮っているが、東山や八坂の塔が描かれているのでそれは間違い。
広重の絵の通りに撮影しようとするなら、スタバのビルの2階から撮ればよかった。また行って来よう。
9月20日(金) 15:54 三条大橋着。
31.2キロ 52,596歩
合計 489キロ 834,823歩 16日
2019年9月19日 (木) 三重県亀山市
0時30分から2時20分まで、今日のルーティング。
ネットで調べると水口の先の三雲あたりにネカフェがあるらしい。そこでもいい。
大相撲動画を見て、4:15まで横になる。
5:35出発。
途中ローソンで朝食を買い、6:02加茂行きに乗る。
車中は蒸し暑く、2両編成のワンマン車両だ。
ボーッと外を見ていると、車内放送でワンマンがどうの、イコカがどうのと言っている。
ちょっと気になって、関に着いた時に運転手に聞くと、嫌そうにカバンから小さい紙と印鑑を出し、乗車区間と時間を書いて渡される。
それをどうしろ、とかいう説明もない。
関は無人駅で、ICタッチもなかった。
昨日、関からはJRで亀山に戻る予定だったので、コミュニティバスに乗らなければその時に気付くことができた。
6:08に関駅を出ると空腹でアップルパイを食べる。
昼間の関宿は静かだったが、早朝も変わらず静か。
7:03、坂下。
出典では宿場よりずっと手前の茶屋からの風景。またまた逆光申し訳ありません。
ちょっと道の屈曲とかが合っていない。
さほど険しくはないが、関~坂下間は山道で、これが静岡にあったような山あいの集落、という感じともまたちょっと違う。
山~集落~山というのではなく、ぽつぽつ小さい集落があり、比較的若い人も住んでいる。
国道1号がすぐそばを走っているからだろうか。
昭和に入って尋常高等小学校がこんな場所に出来たりする、というのは当時もっと人がいたということだし、それが保存されて周囲が市の文化施設になっていたりする、という経緯も知りたいものだ。
7:46、坂下宿。
ここからの山の風景のほうが広重の絵に近い、という方もいる。
ここまでざっと2時間。
ということは昨日歩いていればバスの終点のここには15時頃に来れている。
関に戻るバスは終バス16時なので、バスがちゃんと来れば距離は稼げた。
新居の失敗があるので、終バスが来ない恐怖には耐えられない。
それに仮に戻って翌日始バスに乗っても、ここに到着するのは9時半なので結局距離は稼げても時間は稼げなかった。
亀山で風呂に入ってて正解。
いよいよ峠に入る。ちょっと緊張。熊鈴は付けている。片山神社前でピーナッツのランチパックも食べる。
8:22、峠。地道を歩いたのは20分ぐらいだったろうか。
まったく峠ではなかった。
8:30、滋賀県入り。国道に沿って歩く。
9:53、土山。この絵もダイナミックだ。
すぐ近くの道の駅(あいの土山)でトイレ休憩。
なぜ「あい」と言うかはこちら参照。
いったいいくつ説あるんだ。
ここまで関から4時間で来れるなら、昨日日が暮れる前に到着している。
それにしてもすごい旅籠跡の数。
野洲川の橋の架け替えのために迂回するが、この「迂回」って何の意味があるのだろう。
旧街道をなぞるために、歩道橋を渡ったり、バイパス沿いに歩いたり、迂回したりする。
要は、今は道がないからということなんだけど、歩いていると「俺はいったい何のためにこんなところを歩いているのだろう」と思ってしまう。
興が削がれる。
いやいや、あなたは旧東海道を歩きたいんでしょう?と言われるとそうなんだけど。
部分的に電車とか使うことには全く抵抗ない。
でも迂回には抵抗がある。
昔の道を短く体験する、ことに抵抗なくても。
でも今回、5月と2回に分けて実行したことには後悔がある。
何をルールとするかは、人によって違う。
サタデーナイトウォーキングののぼり。
(よれてしまってすみません)
地元の力の入れようが伝わるわりにはググっても何も出てこない。
なにか興味あるー。
11時、少し早めの昼食でおにぎりを食べる。
12時、市場区自治会館前で休憩。
地図を見ると近くに「日本一のたい焼き」があったので、買いに行ってみる。
結構お客さんが来ていて、バイトもマニュアル化していたが、肝心のたい焼きは普通だった。
鳴海のほうがうまい。
宿場町だった大野村を抜けてひたすら長閑な田舎道を2時間歩く。
この標語の意味を誰か教えてください。
14時、やっとこさ、水口宿に入る。電車がある。これで帰れる。
それにしても、城下町の地図はちょっと雑でかなり迷った。
14:50、水口。背後の山の形などを参考に。
さあ、そろそろ歩き疲れたので休憩場所を探す。
しばらく歩くと、休憩場所がある。
左の道が街道で、右が休憩所だけれども…。
ここでは休憩できない。
どうしてかわかりますか?
もう少しモノを作るなら、役所は考えてほしい。
気を取り直して15時、北脇公民館前の階段で休む。
横になっていると下校の小学生が「オッサンが寝てる!」と盛り上がっている。
バイクのおまわりさんが「大丈夫?」と声をかける。
ああ、どこも居づらい。
15分ほど休んで、歩き出す。
16時、三雲のセブンでガリガリくんを食べる(トイレを借りたので)。
ネカフェに入るにはまだ早いので、もう少し歩こう。
ノンストップで18時までは歩ける。
となると石部か。
いずれにせよ、明日ゴールできそう。
明日夕方に雨が降るらしいので、なら少しでも今日稼いでおきたい。
手原…。遠い。
ひたすら平坦な道を歩く。途中、隊道のトンネルをくぐって、また歩く。
だいぶ薄暗くなってきた。
18時前、石部宿に入り、駅近くまで来た。
ここで上がるか、と思ったけど、気が付いたら駅を行き過ぎてしまった。
ままよ、こうなったら手原まで歩くか。
道は上道と下道に分かれるが、もちろん下道。
寝ぐせのような小山がかわいい。
下道は草津線に沿って走っている。
民家はなく、雑草が高く生い茂っている。
車から見えにくいはず。
薄暮だしね。
結構怖い思いをしながら20分ほど歩く。
夜道を歩かないという原則にもかかわらず、島田以来の夜道になってしまった。
なんとか19時前、稲荷神社を右折すると手原駅。
スマホを触ると19時過ぎに草津行きがある。
慌てて駅階段を登り、女性駅員さんに関駅でのトラブルを話そうとすると、疲れからか声がでない。
それでも途切れ途切れ話し、ICOCAを処理してもらって構内に入ると、時刻表を見間違えたようで行ったところ。
30分ほど待たないといけないので、トイレに行き、またアミノサプリを飲んで時間を潰す。
近くの栗東高校の女生徒だろうか。声大きすぎ。耳ガンガンする。
19:32に乗り、草津駅で19:43発琵琶湖線に乗る。
19:54、膳所着。駅からネカフェまで10分ほど歩くが、なぜか寒くて震え出す。やばい。
慌てて上着を着る。
20:08、入店。
ナイトパックの時間なので、混んでいるかな…と思ったら危機一髪だった。
20:52までストレッチしたあとシャワー。
しかしまったく食欲なし。
21:45から1:45まで4時間爆睡する。
2019年9月19日 (木) 46キロ 74,789歩
(距離、歩数ともレコード)
2019年9月18日 (水) 三重県亀山市
1時から2時20分までツイッター見たり大相撲をみたり。
2:20からウトウトするが、4:20起きる。
外は暗く、雨が降っている。
これはこれで、「庄野」に最適。
加佐登行きの始発は4:54だけれど、今日はどのみち関までしか行けないだろうし、もう少し小やみになるまで見送ることに。
トイレに。
時間ができたので、久しぶりにネカフェの無料朝食を食べる。
東戸塚で一度食べたきりだが、あいかわらずだった。
6:15出発。雨は止んでいる。
途中ローソンでGパンほかを発送し、ぶらぶら駅まで歩くと6:32の電車に間に合ってしまう。
6:41加佐登着。6:53庄野。
この坂道は、昨日さつき温泉に行く際、渋々登った坂だ。
絵の風景を探している方は、庄野には坂はなく1号から宿場に降りる坂に言及されている。
本当は、この坂の写真を撮ってさっさと引き上げようと思った。
が、改めてこの宿場の入口に立って、昨日上った坂を見たとき、「あっ」と思った。
ここからは私の仮説だけれど、庄野宿は暴れ川で知られる鈴鹿川と安楽川の合流部にあり、氾濫はひどかったと思う。
河川整備と併せ、1号を整備する際にも一定の高さは土留めとしても必要だったに違いない。
だから当時、ここに坂があったかどうかはわからないが、比較的最近整備されたものだと思う。
一方、山側に上る坂は、庄野宿と高台にある加佐登の集落を結ぶ道であり、雨の氾濫時には旧街道ではなく、確実に加佐登側を通って亀山方面に抜けた可能性はないだろうか。
絵に写っている上る駕籠かきと、下る農夫が、そのことを示しているのでは。
何より、宿場のどこからでもこの坂が見える。ちょっと確信に近い。
さて再び歩き出すと、庄野宿は短い。
せっかく有名な絵があるのに、その場所を特定できないので、鳴海宿のように打ち出すこともできない。
雨が降ったこともあって、今日は久しぶりに涼しい。
7:42常念寺。
寺に掲げられた詩をのぞき込んでいると、寺の子が不思議そうに見てる。
雨がまた降ってくる。
ちょうど井田川小学校の集団登校と重なり、不審がられる。
8:17井田川駅の待合室で休憩。
8:45まで休んで、またまたキリンアミノサプリ。
亀山市に入り、栄町のファミマでたまごサンドを買う。
街道は高台になっており、城下町の様相。
右も左も仏壇屋や蝋燭屋。
カメヤマローソクは有名だけれど、これも昭和以降。由来はよくわからなかった。
それと、なぜ市の中心部が高台にあるのか。
関西本線は鈴鹿川と並行して走っているが、高台に城ができ、城下町ができた随分あとに、線路沿いが開発されたのかも。
東町ふれあい広場でトイレを拝借。
それにしても、ここ10年ぐらいで公衆トイレが少なくなった。
犯罪対策と、手間がかかるのが主な理由だと思うけれど、これは何を反映しているのだろうか。
犯罪が増えているのだろうか。
トイレが必要とされていないのだろうか。
10時、亀山城址がよく見える、たまり坂のベンチで休憩。
20分ほど休憩して城址を眺めると、ひょっとしたらここが広重の絵の場所じゃないかという気がしてくる。
珍しく街道を外れて、城址のそばまで歩いてみる。
また雨が降ってくる。10時40分、京口坂。ここは何も見えない。
11時、昼寝観音という名の寺を通過。
なんでも、西国三十三観音霊場の会合(?)に寝過ごして選から漏れた、というのが由来らしいが、トイレの提供までしてくれる。
ありがたい観音さま。
雨も上がり、関西本線を越えると、鈴鹿川沿いを延々と歩く。周りに川しかないので、これはこれで心細い道。
12時、関宿入口。
亀山と同じく、少し高台に上がっていく。
関宿の整備は東海道でも絶賛されているが、ここ、両側は確かに街道っぽいけど、ほんとにここ?
行けども行けども、いつもの街道筋。
10分ほど歩いて一里塚を越えると、電線は地中に埋められ、美しい町並みが出現する。
それにしても、平日の正午に人はいない。
週末前後以外は閉めている店も多い。
このあたり、考えさせられるところだ。
12:20、腹も減ってきたので、一旦高台を降りてミニストップに行く。
イートインでサンマ寿司を食べるが、イートインもさながら社食状態だ。
車の移動中にここに寄り、車の中ではなくここで食べていく。
再び街道に戻る。12:40、関。
このあたりまで来るとちらほら人影が出てくる。
3、4人連れの学生と思しきグループが店を回っている。
13時、休憩しようと街道を少し離れ、観光用駐車場の前で管理の方に写真を撮ってもらう。
関支所まで足を延ばす。
バス停の時刻表を見ると、13:17に総合保健福祉センター行きのコミュニティバスがある。
センターは今日の最終目標地だ。
今日、鈴鹿峠を越えるつもりは毛頭ない
(関から水口までは最寄の交通機関がないので、途中で引き返すか、あるいは水口まで歩ききるかしかないから)
だからと言って代替案があるわけではなかった。
できればもう少し距離を稼ぎたかったが、鈴鹿に備えて今日はこれで上がることにする。
30分ほどバスに揺られたが、ほぼ記憶がない。爆睡してたようだ。運賃100円。安い。
センターには「白鳥の湯」という温泉施設がある。
昨日のさつき温泉よりは小ぶりで屋内と露天の2つだけだが、これはこれで寛げた。
ほとんど地元の年寄りの寄合場所になっている。
風呂が熱いのと、日焼けで5分浸かっては上がり、5分浸かっては上がりを繰り返す。
時間はまだ2時台だ。なんと贅沢。
露天に7~80代の年寄りが4~5人でどこの医者に行っただの、そういう話を大声で20分ぐらいやっている。
これが面白かった。
15:07、これ以上いると茹るので出る。
ロビーで九月場所を十両の終わりまで見て、15:55のバスで駅前方面に向かうが、ほぼ満席。
これはコミュニティ「の」バスだ。
16:18、亀山エコーに帰ってくる。
16:30、1回のコインランドリーに洗濯物を放り込み、2階のテレビ売場に行く。
4Kで「京都人の密かな愉しみ」とか大相撲をやっている。
17時からは外のベンチでツイッターをチェックしたりして時間を潰す。
17:30、洗濯物を回収し、初日のインパクトがまだ残る王将に。
オーダーは初日と同じ炒飯と餃子だが、ここのは油っぽくて胃がもたれた。
17:52、昨日と同じネカフェに入店。
昨日と同じ一番手前のブースに案内される。
もう一度フロントに行って昨晩虫が出たことを言い、今度は一番奥のブースに気持ちよく変更してもらう。
(結局虫はまた出たが)
管理上の理由だと思うが、ブースはメインの通路に近い席から埋めていくみたい。
平日の夜はガラガラだもんね。
最初に泊まった東戸塚の店員さんはいい人だった。
「お約束はできませんが」と断ったうえで、「奥のブースのほうがドリンクコーナーとかから離れてて静かかもしれません」と言ってくれた。
たっぷり風呂に浸かったのもあって、18:30から21時頃まで寝る。
一旦トイレに行くが、再び23時頃まで寝る。そのあと0時30分まで振り返り。
2019年9月18日 (水) 22キロ 33,122歩
2019年9月17日 (火) 愛知県名古屋市中区
0時頃、酔客で起きる。
ツイッターを確認したあと、今日のルートを振り返り2時20分。
あとはネットを見て3:30から1時間ほど寝る。
トイレを済まし、5:20出発。
地下鉄5:34の始発を待つが、地下ホームの蒸し暑さったらない。
たぶん、関東や関西では経験したことがないので、関東や関西では終電後に冷房を切ってないのではないだろうか。
極めて不快な状態ではあるが、ホームでは昨晩遊び疲れた始発待ちの若い人で溢れている。
久しぶりに電車に乗ると、少し胸焼けがする。
私は顔面神経のごく一部が切れていて、そのごく一部は未だに動かない。
医者曰く、切れた直後の対応が重要で、しばらくたってからでは修復のしようもない、とのことである。
美醜を気にする年齢でもないので致し方ないが、気のせい、に違いないのだけれど、こうやって毎日歩いていると、以前よりは少し動く「気がする」。
たぶん、逆側の神経も疲れているから、両方同時に動いていないだけかもしれない。
しかし皺の寄り方とか、わずかにいつもと違う気がする。
6:10桑名着。平日の6時だけれど、駅から浜まで人がいない。
しいて言えばゴミ出しの人に会うのだけど、このあたりのゴミ出しはゴミの種類ごとに曜日が違うのではなく、一度に出して収集場所でコンテナごとに分別をしている。面白い。
6:40、七里の渡し口。誰もいない。
7時過ぎ腹が減る。
思えば昨日の夕方マックから食べていない。
しかしガイド本によると、街道筋のコンビニはこのあと鈴鹿の手前までないようなので、Googleマップで探すと5分ぐらい街道を外れたところにある。
久しぶりのセブンでおにぎりと飲み物を買う。
8:45、さすがに歩き疲れたので関西本線朝日駅で休憩。
しかしここは無人駅で休憩できるようなところはない。
マップで探すと、駅を抜けて山側に行くとすぐに公衆トイレ付きの公園がある。
早く言ってよ。
このあたり、旧街道沿いは古くからの集落だけど、山側はニュータウンだ。
一時間に2~3本だけど、電車が近付くと、主婦や学生さんが結構集まってくる。
どんな地元なんだろう。
ずいぶん休憩して、9:20にリスタート。
あいかわらず今日も暑い。
毎日4本も5本もポカリか、水かと飲んでいたが、さすがにそれも飽きてきた。
10時頃、自販機で「キリンアミノサプリ」を買ってみる。これがうまい。
11時、2度目の休憩。海蔵川手前の多度神社横にあったベンチに座る。
気が付くと、少し座ったまま寝ていた。
思えば、毎日日の出とともに歩き出し、日没まで歩き、ネカフェでは3時間ぐらいの睡眠しかとっていない。
今回は特に暑さにやられている。
体の疲労もたまりつつある、4日目だ。
20分ほど休み、11:24広重の四日市ポイント。
この広重の絵は、なかなか趣き深い。
寒々とした川と浦の合流点で、強い風に煽られ、旅人は外套を強く纏い、笠を飛ばされている。
今では浦は見えないけれども、情緒がある。
実は上の写真、三滝橋ではない。海蔵橋だ。
実際の三滝橋からの風景はこちらだけど、どちらが趣きがありますか?
どちらも一緒?
12時、四日市中心部を通過する。四日市は子入道くん押しである。
ミニストップをやり過ごした際、しまった、ソフト食べればよかった!と後悔したが、すぐにまたミニストップが出てきてソフトゲット。
さらに1時間歩くが、さすがに暑さと疲れに参る。
13時、南日永のカヨーのそばに来る。
あそこには冷房も、昼食もトイレもある。少し寄り道しよう。
そう思ったが、カヨーは大型センター過ぎた。
もう、道路から駐車場を横切り、建物まで歩く元気もない。
しかたないのでその手前のシャディの自販機で水を買い、その駐車場で少し休む。
店の人、お客さんから不審な目で見られるので、少し休んでまた次の休憩できる場所を探す。
疲労はさらに困憊。
さらに30分後、近鉄四日市線の泊駅の待合室で休憩。
騙し騙し歩を進める。
13:49、追分。
ここで弥次喜多は左へ行ったのか。
今回の旅で迷ったのは、ここを右へ行くのか、左へ行くのか、だった。
広重を追うなら右、十返舎一九を追うなら左である。
しかし京都に帰る、という目的がある。
そこで今回は右に進路を取る。
日本橋から、広重の絵の場所プラス膝栗毛の描写を追ってみたが、後者を追うことは次第になくなった。
結局あの本の面白さは東海道を背景にした風俗の面白さなので、場所を追っかけてもしかたがないのだ。
さて、今日は追分で逗留する予定だったが、まだ4時間歩ける。
アミノサプリで補給しながら、歩を進めることにしよう。
でも次のネカフェはシャワーのない亀山になる。
ここから先、風呂に入れるのは鈴鹿までない。
何とか庄野まで歩けば、近くにJAが営業している銭湯がある。
しかしここからは本当にスパルタンだった。
道がバイパス沿いを歩くことが多く、ざらに30分ぐらいは休憩するところがない。
14:30、マックスバリュ采女店で少し涼む。
またアミノサプリを買う。
しばらく歩くと杖突坂という坂が出てくる。汐見坂以来だ。
なかなかの坂で、足が三重に折れる、という由来から三重県の語源とも言われている。
しかしこれでも、バイパス沿いを歩くよりはまし。
このあと、鈴鹿市に入るまでバイパス沿い。
しばらく地道を歩き、15:20、オークワ鈴鹿木田店でまた休憩を取る。
マックスバリュでも、店内では休めないようになっているので、涼んだ後は人気のない日陰のバックヤードで20分ぐらい休む。
16:10、石薬師。だいぶ暮れてくる。
宿場町の様相はまったくない。
写真の左側は駐車場になっていて、子供を迎えに来た車が長らく停まっていたが、動き出すのを待って撮影した。
すごくのどかな田畑を歩く。
なぜか露出が暗くてすみません。
しかしそれも束の間、またバイパス歩き。
おまけに歩道は雑草だらけ。
この夏、誰も東海道を歩いてないらしい。
終盤のバイパスは最悪。
20分ほど歩いて、16:48庄野着。
宿探索と写真は明日。一路銭湯を目指す。
ところが!ここで盲点があった。
マップでみると、ここから900メートルで12分の場所に温泉がある。
…しかし、誰も「平地」だとは言っていない。
しまった。しかしもう後戻りできない。
杖突坂よりキツい坂を登っていくが、坂のキツさよりも地元の車はカーブからビュンビュン飛ばしてくる。
車なら、わずか1分の区間だ。これ、帰り真っ暗になったら、大丈夫か?
17:10、何とか鈴鹿さつき温泉に到着。
到着するなり受付で「駅への交通手段は何かありますか?」と尋ねる。
「ない」。
おまけに、
「歩いて歩けないこともない」とのこと。
あんた、歩いたことあんの?
ここに来る人は、みんな車で来ている。せめて、タクシーの有無ぐらい教えて欲しかった。
ともかく、暗くなる前にと、急いで風呂に入る。
設備は良かったが、帰りが気になって仕方がない。
サウナで一緒になったおじさんに、JRへ出る方法を尋ねてみる。
受付よりは親切だが、やっぱり方法はないとのこと。
私の下心として「乗っていくかい?」を期待していたが、どうもダメっぽい。
ともかく暮れないうちに降りていくことだ。
17:37、駐車場で誰かに声をかけることも考えたが、無理そう。
薄暮の山中、すれ違う車はみな「人が歩いているよ!」という感じだった。
黒っぽい恰好をしていたので、運転手から早く気づいてもらうように手ぬぐいを振り回したり、あまり道端に寄り過ぎないようにした。
私よりも、私に気づいた運転手のほうが怖かったかもしれない。
何とか、峠を降りた。
そこからでも駅まではずいぶん大回りで、学生がトボトボ歩いている。
この辺はたいへんだ。
18:09加佐登駅を出て、18:19に亀山着。
すると、駅を降りたところにタクシーが。
今回は迷わずに乗り込む。
18:24、ネカフェイン。
ああ、たいへんな一日だった。
じっくり足を揉む。
重い荷物はもう限界なので、鈴鹿越えの前にGパンとか着ない服は送り返してしまおう。
荷造りをしていると睡魔が襲ってきて、19:30から22時まで寝てしまう。
おっと、晩飯を忘れていた。すぐそばの吉野家で鰻丼を食べ、またブースに戻る。
それから明日のルーティング。
庄野から始めてどこまで行くか。
関までは確実に行けるが、そこから山の中に入って戻ってこれるだろうか。
坂の下まで行ってバスで戻る手あるが、これも本数の少ないコミュニティバスだ。
新居の失敗もある。
今度は、歩いてカバーすることも難しい。
ふと、手元を虫が走ったような気がするが、気のせい?
23時、さっき荷造りした衣服類を持って受付に。
コンビニから発送するが、ガムテは貸してくれないらしいので、ネカフェに頼むと気持ちよく貸してくれる。
そこから今日の振り返り。
2019年9月17日 (火) 33.5キロ 58,768歩
2019年9月16日 (月) 愛知県岡崎市
0時から2時まで振り返りと今日のシミュレーション。
3時半までツイッターをチェックし、1時間ほど寝る。
5:43出発する。昨日の大きな月がまだ出ている。
5:53、愛知環状鉄道の始発に乗る。
5:58、中岡崎駅からリスタート。八丁味噌の味噌蔵の中を歩く。なかなか壮観。
6:18、矢作橋からの岡崎。
橋は架け替えたものとして無視。
うまく写っていないけれど、絵の山の形を追うとこんな感じ。
7:15、ファミマでパンケーキとポカリスエットを買い、朝食。まだ7時台なのに日差しは強く、嫌々帽子を被る。
8:20、新安城に入って体調に異変が。
取り合えず、何とかしなければいけない。
こういう時には冷静な判断ができない。
しばらく街道を外れ、ともかく状況を確認するためには屋外では無理なので、どこか場所を探すと、運よくコインランドリーが見つかる。
コインランドリーで応急処置。
再び街道に戻るとローソンがあった。
冷静に考えれば街道を一区画戻ればローソンがあったのだった。
ローソンに寄ってさらに処置をする。
何とか応急処置をして歩きに戻るが、暑い。
知立市に入り、国道を越えたところのローソンに立ち寄り、ミックスサンドを買って知立の松並木の入口で休憩。
まだ9時半だというのに、本当に暑さにやられる。
20分ほど休憩したあと、松並木を抜けて知立。
今は馬の代わりに車が集う。
10時、御林地下道。
しばらく歩くと、富士松跨線を渡ったところで中年女性が向こうからリュックを背負って来たので挨拶を交わす。
この方は紛れもなくトウカイダーだったが、それにしても暑さで相当参っておられる。
12時、名電豊明駅そばの高架下で20分ほど休む。
気温は36℃!とてもじゃないけど日の当たるところは歩けない。
しかし知立を過ぎて、豊明市まで来てしまった。
ここまで来たら、今日は名古屋まで行きたい。
またよろよろと、日陰を選んで歩き出す。
前後駅通過。
珍しい地名だけれど、由来を調べると結構恐ろしい由来。ググってください。
13時、名古屋市入り。
そろそろ昼休憩。
というか、1時間以上は歩けない。
中京競馬場前のドラッグユタカにコインランドリーが併設されており、ちょうどネカフェでは洗えない洗濯物も溜まっている。
おにぎりを食べながら、洗濯が終わるのを待つ。冷房も効いているし、いい感じ。
それにしても、コインランドリーって大して汚れが落ちない。
洗濯量が多いわけではない。
結構男性が入ってくる。
この人たちは、単身赴任なんだろうか。独身には見えない。
14時、再スタート。熱風がすごい。
14:20、松根野橋という小さな橋を渡り、Y字路を折れるといきなり街並みが変わり、両側が有松の町並みになる。ここはすごい。
東海道の街道だから、というより有松の町並みを残そうという熱心な取組みが感じられる。
広重の鳴海は、この有松を描いている。
似たような風景は多いが、ここはどこを撮っても絵になる町並み。
15時に旧鳴海宿になんとか到着。
まったく宿場の雰囲気はない。
さて、日没まであと3時間。宮まではたぶん2時間から2時間半。休憩を取ったらギリギリぐらいか。
15:30、ちょうど中環道を越えたところにマックがある。
トイレを借りるつもりだったが、休憩して、ついでにちょっと早い夕食にする。
13時におにぎりを2つ食べたので、示されたセットメニューから一番ベーシックなハンバーガー、チーズバーガー、フィレオなど探すがない。
「一番量の少ないセットはどれですか?」と聞くと、バイトさんは固まっている。
困らせるつもりはないので適当にエッグチーズバーガーのセット、と言うと、
マニュアルに戻って
「ポテトはLに変更できますが、いかがですか?」
コラ、「一番量の少ない」ものって言ってるだろ。
久しぶりにマックでゆっくり食事をするが、日曜の夕方、女性が多い。
みんな何か勉強やら仕事やらしている。
表に出ると、風が強くて帽子が被れない。
でもその分、暑さはいくらか凌げる。
いよいよ名古屋市中心部に入る。
宮の絵は熱田神宮なので、熱田神宮にも立ち寄らなければならない。やや焦る。
17時、松田橋交差点に出る前に、目印となるコンビニがない。
トイレ休憩もしたかったが、ないので先のデイリーヤマザキをうかがうと、どうもトイレは借りれなさそう。伝馬町駅でトイレ。
17:20、熱田神宮。宮。
喪中なので鳥居をくぐるわけにいかないから、鳥居の外側から境内に入り撮影(意味ないかも)。
門前には今も、装束店やあつた蓬莱軒がある。
急いで七里の渡しへ。
途中、あつた蓬莱軒の本店があり、たくさんの人が行列しているが、なぜさっきの門前店に行かないのだろう?
空いているのに。
17:30、七里の渡し。はあ、間に合った。
ここはひとつの区切りだし、日没までに間に合った。
今日はいろいろあったけど、浜松から名古屋まで3日で来れるとは思っていなかった。
祝杯代わりにコーラでも飲もうと自販機を見ると売り切れなので、これも何十年ぶりかに三ツ矢サイダーで一服。
ついでに蓬莱軒でひつまぶしが食べたかったが、行列はさらに長く、並んだり門前店まで歩いたりする気力はない。
そもそもマックで夕食も終わっている。
1756、伝馬町駅。休日の夕方の地下鉄は、こんなに間引き運転なのか。
18:18、栄町ネカフェ。
ブースのパソコンを操作しても、クリックが効かない。
こんなトラブルは想像もつかないので、ブース交換か?とか思うが、店員さんに声をかけるとすぐに飛んできてくれて、涼しい顔でマウスを交換して終了。
そうか。こういうところで多いトラブルはまずマウスを疑う、ということか。
19時にシャワーに入ったあと、ルート確認するが21:30頃に寝てしまう。
体調不良と暑さでたいへんな日だったが、充実感のある一日だった。
2019年9月16日 (月) 35.1キロ 57,409歩
2019年9月15日 (日) 愛知県豊橋市
1時から3時までツイッターをチェック(2時間も?)。
3時から4時半までうたた寝をしたあと、5:15出発。
さすがにまだ暗い。
昨日から感じているが、浜松にしても豊橋にしても、大都市にもかかわらず人が少ない。
誰にも会わない。
伝馬町交差点ですでに暑い。このあと、このブログでなんど「暑い」と書くのだろうか。
昨日逡巡した東八丁までは結構遠く、昨日の選択は正解だった。豊電が走っていることも気づかなかった。
6:18、札木停留場到着。豊電て路面電車だったのね。
昨日のシミュレーションで豊電を使った場合でも、ほぼ同着だったかな。
松葉公園で公衆トイレを使うが、浮浪者風の人がいて結構怖い。
やはり中心部に来るとどこでも同じ。
6:28、ポイント。これは絵通り。
逆光すみません。橋は架け替えられているのでこの際なかったことにしました。
広重は、ちょうど街道が堤防に上がったところのこの風景を描いたのでは?
豊橋を渡ると、しばらくは川沿いの道を歩く。
途中、道に面した部屋の障子がボロボロになっている家があり、よく見ると普通にヤギと人間が暮らしていた。
世の中いろいろある。
このあたりは、街道筋にコンビニが多いので安心。いつでも補給やトイレができる。
7時頃、豊橋の魚市場付近を通るが、日曜なので静か。
市場が開いていたら、おいしい朝食にありつけたのに残念。
さらにしばらく行くと、「子だが橋」の碑がある。
あまり旧所名跡に関心が薄い私だが、この「だが」に惹かれて碑に足を止め、解説板を読む。
「だが」というのは「だけれども」の意。
その昔、毎年ある日、最初にこの橋を通った者を村の生贄にする風習があり、迎えに行くと今年はわが子だった。
わが子「だけれども」仕方がない、ということで悲しんで生贄に捧げ、それからこの橋を「子だが橋」と呼びこの碑を設けたという。
感心していると、いきなりクラクションを鳴らされ、驚いて飛びのいてしまう。
確かに狭い道で、リュックを背負って横を向いて解説板を見ていると、1メートルぐらい車道をふさいでいたことになる。
(左が碑と説明板)
他のトウカイダーも書いておられたが、愛知県に入ると県道は狭くなる。
一方通行レベルの道幅でも相互通行になっていて、この先、凹地を見つけて避難し、車を行き過ごしてからまた歩き出すことになる。
それにしても、日曜の朝7時台にクラクションを鳴らしていかなければならないところってどこなんだろう?
この説明板を読もうと思ったら、どうやって読めばいいのだろ。
少し歩いたところの交差点から、右前方に大きな鳥居が見える。
おお!豊川稲荷か!と思うが、こんなに旧街道から近かったっけ?
わかります?
あとで調べると、五社稲荷社という全国でも有数の大きな鳥居を持つ寺社だった。
7:30、才野木南のファミリーマートで朝食。野菜ジュースと玉子サンド。
愛知県内に入って、道路幅とともに気になったのが、コンビニは圧倒的にファミマが多い。
サンチェーン、サークルK、サンクスなどを合併していった結果なのかもしれないが、ローソンやセブンはほぼ旧街道のような細い道や小さい集落には出店していない。
まだ8時だけれども日差しが強く、暑い。
白鳥の交差点で1号を横断し、田んぼに入ったところでずいぶん迷ってしまった。
ガイド本では「斜め右の砂利道」とあるが、「斜め左の舗装道」が正解。もう砂利道はない。
ずいぶん遠回りして、名鉄豊川線を越えたり、戻ったりする。日差しは強く、逃げ場がない。
チャリダーの外人がすれ違いざまに「コンニチワ!」とか声をかけてくるが、イラッとしてしまう。
のどかな田園地帯であるが、日曜の朝なのにリーマンも見かける。
いよいよ日陰がなくなってくる。
10時、御油の宿に入るが、もうグロッキー。高札場跡にベンチがあったので、20分ほど休憩。
10:16御油。
ここは地元があまり盛り上がっておらず、宿場町の面影がほぼない。
旅人引留女がどこにいたのかはまったくわからないが、本陣に行く前のこの短い区間も女たちが立っていたものと思う。
しばらく行くと御油松並木。
公園もあって整備されている。ここで休憩すればよかった。
10:47、赤坂。御油とは松並木を挟んでいるだけ。昔は賑やかだったんだろうな。
御油よりは整備されている。
広重の絵は宿の中なので、いまその跡を追うことはできない。
代わりに、絵の松であると伝承されている松の写真を撮る(宿は大橋屋と書いている人もいるが、正しくは村本屋)。
また歩きだすと、「よらまいかん」という休憩施設がある。
街道筋の休憩施設で休憩できた試しがない。
ただ名所旧跡に来てもらうなら、休憩施設ぐらい作らないと」感が強い。
ついでに町の宣伝もし、土産も売り、管理がいるので朝は10時から夕方16時まで、場合によっては入館料も取る、お役所仕事バリバリなのが多い。
とりあえず、トイレは借りる。よらまいかん。
11:30、国道1号バイパスに合流。道に面白味もないし、暑さが厳しい。
一時間前に休憩を取ったものの、この先コンビニもなく、休憩できそうな場所もない。
しかし何とか休憩したかったので、運送会社のトラック駐車場の片隅で15分ほど座り込む。
しばらくしてまた歩き出すと、大型セルフガソリンスタンドの「うかいや」がある。
休憩施設もあったので中に入ると、ガンガン冷房が効いている。最高。
お礼代わりにジュースを買う。
12:50、久しぶりのコンビニ。
暑くて食欲もないので、人生初のガリガリくんを食す。うまい。
13時頃になると、気温はあいかわらず高いけれども、日差しが少し傾いてくる気がするし、時折風も吹いてくる。
気が付かなかったが、50メートルぐらい前を(たぶん)20代の女性がずっと歩いている。
日焼け対策はバリバリだが、ときおり説明板に立ち止まり、あまりガイド本も見ずに的確に旧街道を歩いていく。
私は後をついていけば迷うことがない。
13:18、舞木の冠木門跡に休憩施設(といってもベンチ2つ)があるので、ここで足を休めてお握りを二つ食べる。
ふと、背後に人の気配を感じて振り返ると、そばで20代ぐらいの男性が立ってスマホを見ている。
彼に背を向けているわけにはいかず、座りなおして様子をうかがう。
と、特に冠木門に興味があるようには見えず、周囲を行きつ戻りつして挙動不審(お前が言うな)。
行ったかな?と思ってしばらくすると、またスマホを見ながら帰ってくる。
たぶん、ドラクエウォークかポケモンをやっているんだろう。
13:57、藤川。
さっきの女性は解説板をじっくり読んだりされるので、私は先に進んでいたが、休憩をとっている間い抜き返されて、また藤川で追いつく。
細い道に入っていくので、旧跡でもあるのかな?と思うと旧街道だった。
ガイド本見ながら歩いていると絶対迷っていた。でも彼女が間違えていない、ということは私のガイド本の見方が悪いのか?
藤川宿は整備されており、本陣広場で水補給する。
15時、乙川を渡る。水神社の位置がわからないので少し迷う。
さて、今日はどこまで歩こう。
宿は当初豊川稲荷に決めていたが、昨日だいぶ稼いだので岡崎が近い。
でも岡崎はシャワーがない。
さて、どうするか。
シャワーは絶対外せない。
岡崎の街道筋に銭湯があるので、そこに寄ることにする。
石鹸はないようなので、コンビニで調達する必要がある。
16時過ぎに岡崎の街中に入ってくる。
そろそろ休憩したい。
たぶん、一時間ぐらいで銭湯に着くが、ゆっくり風呂に入ったとしてもネカフェに入るにはちょっと早すぎる。
ネットカフェの入店は、明日の最寄の駅の始発から12時間前にしたい。
どこかで食事を取って時間調整してもいいが、食欲もなく、適当な店があるとは限らない。
たまたま岡崎市の健康保険施設(「岡崎げんき館」)の前を通ると、日曜日のこんな時間に開いていて、しかも人が出入りしている。
ここで休憩を取らせていただくことにする。
冷房が効いていて快適。
どうもプールがあるよう。
なんとかシャワーだけ貸してもらえたらありがたい(だめか)。
16:40、再度出発。
ここから岡崎二十七曲がりが始まり、掛川七曲りを思い出すが、あの比ではない。
思いのほか時間がかかり、だんだんと暮れてきて焦る。
途中、「乙川屋」といういい感じの鰻屋があるが、ここも立ち寄ることは叶わなかった。
ところどころコンビニに寄って小さいトラベル用石鹸を探すが、街中に入る売っていない。
どうするか。
荷物にもなるし、まあいいか。
17:35、龍城温泉到着。
休み。ガーン。
さて、どうする?
日は暮れてくるし。
まただいぶ歩かないとだめだけれど、離れたスーパー銭湯に行くか?
…もう他の選択肢はない。
17:48、中岡崎駅から愛知環状鉄道に乗る。
六名(むつな)駅から20分ほど歩くが、もう帰りは絶対歩きたくない。
18:10、葵湯到着。
これがすごく良かった。
広い露天、広い炭酸泉、広いサウナ、広い水風呂。
十分満喫し、19時に出てくる。
疲れが少しとれたのか、タクシーを呼んでもよかったがタイムロスとマネーロスが気になり、夜風にあたりながら来た道を帰る。
中秋の名月が綺麗。
19:28大門着。
10分ほど歩いてネカフェ、イン。
身障者用の広いトイレを使って洗濯し、20:05にすべて終了する。
はあ、長い一日だった。
食欲はわかないけれど、なんか食べておこうと思い、豚しゃぶソーメン(冷)をオーダー。
10分ほどでブースに持ってきてもらえ、便利。
ただ、レンジ飯だとはわかっていたが、豚の油が固まっていてこれはひどい。
21:30まで大相撲ダイジェストを見たあと、0時まで寝る。
2019年9月15日 (日) 37.4キロ64千歩
2019年9月14日 (土) 静岡県浜松市
5時10分浜松着。まだ暗い出発。浜松ほどの大都市でも、土曜の朝は静か。
駅前には地下街が広がっており、時折金曜の夜を遊びつくした若者の笑い声が響いてくる。
トイレ対策のため、夜から飲み物を控えていたが、セブンでトイレを利用してポカリスエットの大を買う。
前回もそうだったが、ともかくトイレ対策には頭を悩ます。
特に今回は高温が予想されていて、飲まなきゃ前回の掛川のように、熱中症の危険が出てくるし、飲めばトイレはついてくる。
しかし歩く道は公衆トイレはおろか、コンビニさえあまりない。
山の中ならどこでも用を足せる(どこでも、というわけではないかも知れないが)が、街中でうっかり立ちションでもしようものなら今の時代、通報されて逮捕されかねない。
というわけで、7時頃マクドナルド浜松高塚店でトイレだけ借りる。
ハンバーガーは食べなかったが、少し腹が減ったのでお握りを食べる。
片山さつきの地元なのだろうが、本当にポスターが多い。
ここを過ぎると国道と別れ、おなじみの旧道に入っていく。
歩き出して2時間半になり、さすがに疲れだしてきたので坪井東のバス停で休憩。
今回初使用のガーニーグーを足に塗る。20分ほど足を休め、また歩き出す。
ポカリスエットは一気に飲むとトイレが近づくので、少しずつ時間を置いて飲む。
トイレがないので、JRと並走している間は駅が近づくたびに駅に立ち寄る。
ところが、街道筋から駅入口となる角がわかりにくいところが多い。
8時半頃、舞阪駅を通過したがが、ここも結局行き過ぎてしまい、またバックすることになる。
このあたり、松並木がきれいで、いよいよ浜名湖を横断するのかな?という感じになる。
今日は温度は高いものの曇天で風があるのでまあまあ快適。
9時に本雁木着。予定よりは早い。
広重の絵のど真ん中には大きな島、あるいは山が描かれているが、実際の風景にはない。
弁天島にはホテルやマンションが立ち並んでいるのだが、開発か浸食で今のような姿になったのだろうか?
あるいは、これらの向こう側に山が見えたのだろうか?
広重の絵はデフォルメが多いが、当時おそらく弁天島は強く印象を残したはず。
今はほぼどこが地続きで、どこが島なのかもわからない。非常に残念。
うーん、いっそのこと北雁木ではなくて、もう少し進んだ場所から撮ったほうが、雰囲気があるかも。
どうすか?
9時半、残しておいたお握りをもう一つ食べて、JR弁天島駅を通過。
まだ9時半だがだいぶ暑い。駅前はホテルが数件並んでいるが、寂れ感が結構ある。
たぶん、景色も料理もいいのだろうが、「なぜ弁天島?」といったところなのだろうか。
外国人観光客も多いようだ。駅前のヤマザキデイリーでパンケーキを食す。
10時、新居駅。
朝5時に浜松を出て、12時頃新居関に着ければ、と考えていたが、読み違いだった。相当早く着いた。
新居の絵は、大失敗した。
やはり同じような試みをされているサイトを参考にさせてもらったのだが、その方も失敗されていて、
「この絵に近い写真を撮るなら、国道1号線で新居町駅を過ぎてすぐの橋からがベスト 」との情報に誘われて「すぐの橋」からの写真がこれ。
うーん、悔やまれる。広重の絵は、新井の渡しを描いており、右奥に陸地が見える。
もし「すぐの橋」 から見た絵だとしたら、舞阪方面に振り返った絵となるが、歩いた感じではむしろ逆で、舞阪方面から新居の方向を見た景色のほうが親和性が高かった。(もっとも、埋立地や近代的な大きな橋がなければどうかはわからないが)
「気になった風景はとりあえずシャッターを切る」は、前回の箱根の教訓だったにもかかわらず、初日からやってしまった。
明らかにこちらのほうが趣きがある(Googleマップより)。
10:24、想定よりも相当早く、新居関に到着。
弥次喜多は新居から二川までかごを使っている。ここは久しぶりに、コミュニティバスをつかうことにした。
ただ汐見坂が見たいのでそこまで。バスは12時前までない。
さて、コンビニもない。トイレはある。
日差しはどんどん強くなり、気温も上昇してきた。
もう暑いのでGパンを短パンに履き替える。半日にしてGパン却下。
新居関の資料館と、向かいに喫茶店と、「銘菓あとひき煎餅」がある。
ここはあとひき煎餅。
店の前まで行くが、日差しが強くて敷居が高い。あとでググったらなかなか美味しそう。これも失敗。
資料館に入って見学する気力もわかず、またポカリを買って休憩所で横になり、じっくりと足を休める。
コミュニティバスは本数が少なく、反対方向も11:26までない。
休憩所からバス停を見ていても、5分たっても10分たってもバスは来ない。
そういえば、歩いてきた道はバス道だったが、朝から一本でもコミュニティバスを見たか?
いや、見ていない。
11:40、恐る恐るバス停の時刻表を隅々まで見ると、小さな字で(運行日 月曜日〜金曜日)…。
…さあ、こんなところでじっとしてられない。
さっきまでこれはとても歩けない、と逡巡してた直射日光の中を、帽子を被って歩き出す。
あいにく街道筋は山裾の一本道で日陰もなく、これで風がなければ歩けなかった。
田んぼには不思議な鳥(たぶんサギ)がいたり、怖いぐらい大きな風力発電のプロペラが回っていたりと、集落を歩いているよりも楽しいが、なにせ暑い。
坂下には思いの外早く着いたが、喉がカラッカラ。
一気にペットボトルを飲み干す。
さあ、掛川以来、久しぶりの山道だ!と気合いを入れて熊鈴をリュックに付け、坂を登るもあっと言う間に終わる。
12:54 汐見坂。
13:13、愛知県に入る。
そろそろ腹も減ってきたが、何せコンビニがない。
やっとこさ旧街道を外れ、国道1号に合流して間もなくファミリーマートで休憩。
ランチパックやら甘いものを摂って15分休む。
さて、そろそろ二川が近づくが、広重の絵は…と確認したところ、二川付近ではなくて猿ケ馬場。
まずい。
行き過ごした。
今日二回目の失策。
加賀の境宿付近らしいが、今さら戻るわけにはいかない。
でも、絵の雰囲気を残した風景はあった。
案外、間違ってないのかもしれない。二川は三河国、境宿は遠江国だから。
気温29℃の中、ひたすら国道沿いに歩く。
のどが渇く。またまたペットボトルで水をガブ飲み。
14:30、たまらず日陰で休んでいると、トレッキングスタイルの女性二人が駆け抜けていく。
そんなことしたら死ぬよ。
15:30、二川宿。地元は盛り上げようとしており、観光客もチラホラ。
さてさて、当初の目的は達したが、どうしようか。
余力があれば一歩でも先に進んでいきたい。
今日の宿は豊橋岩田で、当初、二川から豊橋までJRを使い、そこから豊橋鉄道を使って宿に行くつもりだったが、確認したら東海道からそんなに離れていない。
一応分岐からも20分程度なので、ざっと1時間半か。
トイレを済まして、また歩き出す。
豊橋に近づくにつれ、住宅街になってくる。
下校の女子中学生が私のほうを見て、「こんにちは」と声かける。
あれはたぶん、「不審者にはこちらから声をかけよう」と学校で教えてるな。
16:37、伝馬町交差点到着。さて、ここから20分ぐらいで宿。
しかしもう少し歩き、豊橋鉄道の駅と交差する東八丁まで行けば、明日の朝は鉄道から始められる。
しかし始発がずいぶん遅かった。それまで宿でグズグズしていなければならない。
距離を稼ぐなら、ここから歩いて宿に行けば、明朝も日の出とともに歩き出せる。
…しかし今日は疲れた。もう宿までも、東八丁までも、どちらに歩くのも嫌だ。
明日、雨かもしれない。体調が悪いかもしれない。
いずれにせよ、時間に縛られないほうがいい。
結局、ここから宿に向かって歩き出す。
20分ぐらいかかって宿到着。
宿の前に王将が。よし、夕食にしよう!
炒飯と餃子。うまい。
店員に腕が真っ黒に日焼けしてるね、と言われる。
17:15、入店。
すぐにシャワーに入り、今日着た服の洗濯、ドライヤーまでかけて15分。楽勝。
ゆっくりブースで寛ぐが、Tシャツを絞ったときに親指が切れたよう。
アイスを食べ、オレンジジュースをガブ飲み。
18:30から23時まで爆睡する。
そのあと翌日1時まで振り返り。
9/14(土) 5:05-17:55 33.8キロ 61千歩
…痺れてる。痺れてる。
ボックスが届いてからの2日間、痺れている。
【5.1】
まったく関心なかったブルー・レイだったが、ドルビー・アトモス、すげえ。
ひょっとしたら今回、一番驚いて感動したマテリアルかもしれない。
金曜からずっと、5.1の魔法陣の真ん中にいて、分厚いブックレットを一ページ一ページ大切に捲っている。
センターを上げたり下げたり。できれば1chずつダビングしたい。お花畑の中にいるよう。
私にとって、これは“新しい体験”だった。
【ニュー・ミックス】
45年もオリジナルに馴染んだ私からすると、ニュー・ミックスは蛇足以外の何物でもないが、一点だけ。
Here Comes The Sunの間奏終わりの2:10、最終的にはずいぶん薄められていた、“チャン!チャン!”を強調するのはやめて欲しかった。
この曲に45年間持っていたイメージが崩れ、いきなりダサく感じてしまった。
解散後のジョージのこの演奏も聞き返したが、ここを強調するような演奏はなかった。
Come TogetherやPolythene Pam終わりにもジョンのヘンな声が強調してあったり、ギターのミストーンを強調したり。
このニュー・ミックスは評価するが、つまらないところでアラい遊びがある。
死人に口なしである。
勝手なことをするのはやめていただきたい。
あなたはジョージ・マーティンでもビートルズでもない。
(追記)
かなり辛辣なことを書いたが、iTunesではないソフトで聴いてみたら、これはまったく09リマスターとは違うものだった。
あいかわらず私は原理主義だけれども、ニューミックスはニューミックスで生々しさを楽しむことができる。
「蛇足」というのは言い過ぎ。
【豪華ブックレット】
もともと少ないこの時期の写真が集められ、びっくりするような写真もない。
それでも、“The long and unwinding road that~”で始まるポールの序文は感動的だ。
曲目解説も詳しい。メトロポリタン美術館のブックレットの横に並べよう。
さて曲感想。
【I Want You (She’s So Heavy)】
ニューマスターでもビリー・プレストン全開になっていたが、オリジナルはそれも訳あってのミックスなんだから。
もう一度言う。勝手なことをするなジャイルズ。
なんといっても、エンディングである。
前半はトライデントのテイク32、後半は解説書によればリダクション・ミックスのオーバー・ダブバージョン。テイク32にはYeaaah!のあと、既にすでになんかしゃべってる声も入っていた。
後半、これだけ重ねてあって、ギターとかビリー・プレストンとかやりたい放題やってるのを聞くと、元々ジャムをするつもりだったのね。
だから長めに録音しておいて、フェイドアウトか何かくっつけるかして終わらせるつもりだったのかもしれない。
リンゴが叩き終えてもまだギターが鳴ってたりするのは何故?本当にこれで終わり?
いずれにせよ、長年のもやもやは解消した(ような気がする)。
あと気になったのが、解説に「1月末の“アップル・スタジオ・パフォーマンス”の合間にポールのヴァージョンが披露されている」というようなことが記載されていた。
ぜひ来年のレット・イット・ビー50thで登場させてほしい(ゲット・バック・セッションでのジョンの演奏が映像まで流出しているので、混同があるかもしれないけれど…)。
【Something】
アンソロジー・バージョンにピアノを追加したデモのミックスらしい。
ヴォーカルは同じ?ピアノが入っている分、聞きやすくなっていた。
どうしてTake37を出さないのだろう。あれはあれで味があっていいのにね。
ニュー・ミックスではバイオリンのピチカートがやたら強調されている。蛇足。
【Ballad Of John And Yoko】
やっとフルで出ました。
今更ながら、ジョン・レノンって天才。
さっさと作らないと、創作熱が冷めると思ったんでしょうね。
このテイクでほぼ完成している。
ただ嫌事を言うと、私は昔からポールのドラムスが好きになれない。
よよかちゃんのほうがはるかにうまいぞ。
なんかイナタい。
それが個性、とも言うのですけど。
いやあ、もっと二人ともノリノリでやってたのかと思ってたけど、そうでもない感じ。
あと、解説書にたぶん間違いがあって、「ポールが曲の歌詞を書き留めていた1969年のノートを見ると」とありますが、ジョンの間違いでは?原文を見るとPaul‘s~とあるので、翻訳者は間違ってないのです。
【Old Brown Shoe】
この曲も、Take2でほぼ完成してる。
ここでギターは誰?問題発生。
ジャングル・ピアノはジョージじゃなさそうなジャングルなので、ポールかジョン。
解説通りだとしたらポールはドラムスに回っているので、ジョン。
するとギターはジョージなのだけれど、If I grow up~のところ、歌いながら弾くのは結構難しいですよ。
リンゴ不在、ていうのは初耳。
【Oh! Darling】
これもほぼ完成ヴァージョン。
ピアノ誰?問題も発生するが、裏でオルガンのような音も小さく聞こえる。
解説ではこの日、ビリー・プレストンがセッションに参加し、I Want Youのダビングとこの曲に参加している、とのことなのだけれど、今のビートルズ史ではそんなことになっているのですか?
勉強不足で申し訳ありません。
4月のセッションにビリーが参加しているなんて初耳です。
ただし、ここで聞こえるオルガンはそんなテクニックのいるようなオルガンではない。
ポールが歌うのを途中でやめちゃったりしているのは、あくまでガイド・ヴォーカルだからか?
【Octopus's Garden】
リンゴがトチっても本当、暖かい雰囲気が出ている。
リンゴも謙虚だ。
音的にはジョージのギターが冴えまくってるアンソロバージョンがいいが、いずれにせよ、Takeごとにいろんな試みをやっているわけではない。
この曲だけではないけれど。
【You Never Give Me Your Money】
これまでブートで聴けたテイク(Take30または40、基本的には“The Long One”のバージョン)以外がやっと聴けた。
これもかっちり仕上がっている。感動。
まだガイドボーカル的な趣きを残しているけれど、ポールもいろいろ試していて面白い。最高。
気になるのはギター。
アルペジオはジョージで、エネルギッシュなソロはジョン、というのが今まで言われてきているが、解説ではソロはジョージとされている。
ジョージだったらもっとテクニカルなソロを弾きそうな気がするのだけれど…。
さらにブートのテイクでジャムに流れ込んでいくバージョンでは、もっとブイブイいわしている。
「Her Majestyを埋め込むだけでは無為な16分」と思ってた“The Long One”だったが、やってくれました。
ブートでお馴染みのこの曲のテイク40を正規化してくれてありがとう。
リリースでは消えている、第2セクションの綺麗なコーラスが聴けるし、ポールのブギ・ピアノも聴ける。
惜しむらくはポールの雄たけびとか、エンディングのピアノとギターがもう少し展開して、ピアノのグリッサンドとか入るところを「いい音で」聴きたかった。
ここで春のセッションは終わり。
【Her Majesty】
全テイク放出と埋め込みだけれど、どのテイクも同じ。
ポールは2002年にこれを演奏した際、もう一度CD聞きなおして運指を思い出したに違いない(ゲット・バック・セッションでも気に入って弾いてたけど)。
Her Majestyの埋め込みについては、ブートのほうが丁寧(爆)。
頭のところも、ケツのところもどちらも一瞬空いているのでは?
私は特にケツのところが許せない。
あそこは被るぐらいにポリシーン・パムの鋭いジャブに繋げないと。
【Golden Slumbers - Carry That Weight】
Takes 1イントロでFool On The Hillを始めるのが面白い。
“The Long One”ではTake17が正規化。グッバイ、ワッチング・レインボー。
Take13のポールだけのヴォーカルとピアノも好きなんだけどな。
完成版のコーラスが使われている。
【Here Comes The Sun】
この曲のアウトテイクはほぼ聞いたことがなかったが、聞いたことがないということは、極めて短期間にレコーディングされていて(流出していない)ということか。
これもほぼ完成形で、シンセやらストリングスやら手拍子やら入らなくても、すごい魅力的。
【Maxwell's Silver Hammer】
ポールがイントロをリンゴとジョージに指示している(が、結局カット)。
ジョンが事故で復帰する前後に短時間で完成させ、ジョン自身は演奏に加わっていないとされているが、このテイクの最後のジョークに声が入っている。
ジョン・レノンは80年のプレイボーイ・インタビューで、「僕らはアルバム中のどの曲よりも多くのお金と時間を費やした」「覚えているのはレコーディングだけ」「100万回も繰り返させた」と言っていたが、それは誇張が過ぎる。
結局トゥイッケナムのことを指しているのだと思うが、私自身もこの曲の魅力がわからない人なので、このバージョンでも魅力を見つけることはできなかった。すみません。ジョンのマスタードに匹敵する曲。ポールもなんとか片づけた。
【Come Together】
アンソロの「衝撃のTake1」を超えるバージョンではなかったけど、これも完成形。なぜか間奏終わりに止まっている。
【The End】
これは収穫。始まる前の試奏、異なるドラムソロ、ソロセクションンの終わり方(最後のセクションはくっつけていた!)。
いいですね、いいですね。
“The Long One”ではTake 7(RS1)が正規化。
【Sun King / Mean Mr Mustard】
ジョンもご機嫌。Sun Kingはほとんど歌っていないが、Mean Mr Mustardでジョンがなかなか渋い掛け合いを一人でやっている。
すでにファズ・ベースも入っている。
【Polythene Pam - Bathroom Window 】
曲に入る前のポールの打ち合わせのあと、ジョンが「トミーみたいだ」と言っているし、カウントインもピートっぽい。
後年ジョンはこのB面を評して、「あのロック・オペラみたいなの」と貶していたが、「ロック・オペラ?」と長年思っていた。
なるほど。
このメドレーの発想にトミーが関係しているとは思わなかった。
Sun Kingのフリートウッド・マックしかり、ビートルズもちゃんと新しいアルバム聞いているのね。
いずれにせよ非常に興味深いテイク。
ビートルズとしてはBecauseを残してはいるが、バンドセッションとしては最後になるセッション。
Bathroom Window についても、ジョージのリバーブ・ギターにリンゴのドラミングがいい感じ。最終テイクへ向けて試行錯誤している。
So I quitt~でジョンが一瞬歌い出す。
このテイクにせよ“The Long One”のセクションにせよ、5.1も含め正規ミックスよりもジョージのハンバッカーをはじめリンゴのドラム、ポールのベース、ジョンのアコギのどれもいい。
なぜ?
興味があったブリッジのフェイク・ボーカルは何もなし。
パムからウィンドウのブリッジのところでジョンのフェイクボーカルを前へ出してくれたのはいいけれど、相変わらずポールの「カモン」「ハイ」は小さいまま。
もっとあるでしょーよ。
5.1ではジョージのリバーブ・ギター、ディレイがかかる、かかる。ジャイルズ遊びすぎ。
【Because】
ひたすらジョージ・マーティンのハープシコード、ジョンのギターとベース。
それにリンゴの手拍子。ジョージは何を?
アンソロジーのボーカルのみより聴きやすかった。
あのボーカルも、どうせなら9つに分けて聞かせて欲しかった。
【Something [Orchestral – Take 39]、Golden Slumbers [Take 17]】
オーケストラだけか…と期待していなかったけど、少しセンチメンタルな気持ちになった。
ビートルズに対するレクイエムになっている。
アニバーサリーエディションで披露されたセッションズ。ペパー、ホワイト、そしてアビィ・ロードはそれぞれ違う。
ペパーはレコーディングの過程、ホワイトはリハーサルの過程、そしてアビィ・ロードは完成の過程を見せてくれた。
何せ本作は新曲が少ない。「試しに録る」なんてことはせず、レコーディングの前に十分な打ち合わせがあり、ほとんどの曲はTake1からほぼリリースバージョンと変わらない出来。実験的なのはI Want Youだけ。
ともかく、手元にあるマテリアルの完成。遅れているアルバムリリースの解決。
その目的に向かって、ビートルズはジョージ・マーティンの指示通りに仕事をした。
どの曲も、もう曲の熟成とか待っていなかった。そんな時間はなかった。
熟成していないんだったらメドレーにすればいい。
いまあるマテリアルをともかくリリースできるレベルまで短期間で持ち上げるプロの仕事。
東芝EMI風に言うなら「錬金術」。スピードがあったからこそ、グループ内も安定していた。
ポールもメアリー・ホプキンスやアイビーズのように、自分の曲ではビートルズをプロデュースしている。
ジョンも、もういいかな、と思っただろう。
長年、アビィ・ロードに持ち続けていた疑問が、気が付けば疑問ではなくなっていた。
思い描いていた、ビートルズ最後の仕事。そんなものはなかった。
4人のミュージシャンが短期間に一つの目標に向かって取り組んでいるだけだった。
…ただし、それでも“The Long One”の随所では、往年のビートルズのグルーヴを聴くことができる。
それで十分だ。(2019.9.30)
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