2017年9月 2日 (土)

2017年、夏休み自由研究。

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今年の夏は、よくアビィ・ロードを聴いた。

先に書いた音源に触発された。

追記になるがあの音源を調べるうちに、それらは大体、今から8年前にビートルズのゲームが出た際に、ジャイルズ・マーティンがいろいろ掘り出してくれたものから寄せ集められたものだった。
そんな音源を辿ってブートを探っていると、私が高校時代に欲しかったプロユース盤、それから大学に入って少し興味が薄れた頃に出回っていたモービル・フィディリティ盤、日本の初回回収盤の音源を入手することができた。
ついで、といってはなんだけれど、手元にある音源を片っ端から横並べにして聴いてみた。

①プロ・ユース盤

②79年ごろのアナログ日本盤

③モービル・フィディリティ盤

④83年盤(いわゆる「回収盤」)

⑤87年盤

⑥09年盤

⑦自称“モノラル”盤

⑧Rock Band盤

⑨24bit USB

これらはいずれもデジタル化されたものをいったん私のPCに落とし、それからちゃちMP3プレーヤーに落とし、ちゃちイヤホンで聞いたものですので、最初にお断りしておきます。

本当は①の前に74年頃に買ったアナログ日本盤を入れたかったが、押し入れからは出てこなかった。ホワイトアルバムとともに、どこに行ってしまったんだろう。中坊時代、片方のステレオずつ聴いて“I Want You”や“Polythene Pam”でポールの小さなフェイクボーカルが聴こえたときは喜々としたものだった。
内容的にはおそらく、②とほぼ変わらないものと思う。当時両方とも所有していたが、同じプレーヤーで聴いていて違和感はなかったから…。

(調べたところ、私が当時買ったのは73年盤で、「A面の野性味、B面の叙情性 何人も否定し得ぬビートルズ・ミュージックの錬金術―」というキャッチ・コピーのついたひょうたん帯でした。
それに対して①は、ひょうたん帯のあと76年に有名な国旗盤が出て、それからプロ・ユースとピクチャー盤を挟んで①の79年ボックス・セットがプレスされているようだ)

長くなるが一つずつ説明する。

① プロ・ユース盤

それにしても、プロ・ユース盤は凄かった。発売当時、私は高2だったが、少し高かったので買うのを躊躇した。当時の私はこの音の違いに感動しただろうか?
 ネットでこの盤の感想を追うと、区々であるけれど、私の耳にはリマスター盤ほどではないが音圧が高く、高音、中低音とも出ていて、特にA面の曲でリンゴのスネアが跳ねているのがわかるし、ピアノでコードを連打すると耳が痛いぐらい。
UKオリジナルに近いのは、この盤のように思う(私が聴いたことのあるオリジナルの印象ですが)。24bitよりも臨場感を感じることができた。

②80年ごろのアナログ日本盤

 私がアビィ・ロードを買ったのは74年の秋だった。その盤を擦り切れるほど聴いた後、80~81年頃にLPのボックスセットを買ったのだけど、その中の一枚。時代はすぐにCDになったのと、大学時代プレーヤーを持っていなかったので、この盤はほぼミント状態。

 はっきり言って、これはこんなにいい音がするなんて思ってなかった。あるいは、こんなにいい音で中学、高校、大学とアビィ・ロードを聴いていたなんて!と感動した(正確にはテープに落としたものを)。

 まず、分離がいい。これは後述するが、たぶん…デジタルマスタリングせずデジタル化すると、ある音の左右バランスなど、微妙な音がカットされて情報量が少なくなるのかもしれない。“Come Together”のマラカス音も非常によく聴こえるし、他の曲でもストリングスがよく聴こえる。デジタルに比べて音圧がやや低い(でも④⑤よりも高い)分を持ち上げてやると、高音も低音もそこそこ出ている。

ただし、分離がいい分、イヤホンで聞くと、若干ドタバタする。45度角の音の定位なんてない。90度、90度(笑)。ま、それはちょっと極端な言い方だけれど…。

後で⑦のところでも触れるが、聴き比べて感じたのは、ビートルズはステレオ・ミックスしか作らなかったこのアルバムでさえ、モノで聴いた時の音像をイメージしていたのではないか、ということだ。

③モービル・フィディリティ盤

ネット情報では、カッティングのみならず、独自のイコライジングが施されていることも公表されているらしい。
高音域がかなりカットされているようで、ボーカルがやや引っ込んで聞こえたり、シンバルのチンチンいう音は聞こえない。かなり中低音に触れた音、もう少しくぐもった音。

不思議なもので、このイコライジング、ある意味耳障りな高音が聞こえなくなり中低音のリズムが強調されると、ノる。コーラスが「聞こえないから」すごく綺麗に「聴こえる」。普段高音にかき消されているジョージのフィルインや、ムーグの音がよく聞こえたりする。これはこれでアリだと思う。なんか、アビィ・ロードの新しい聴き方を呈示されたような気になった。

④83年盤(いわゆる「回収盤」)

②の80年頃のアナログと聴き比べると、一気にデジタルの音になる。中低音の出が違うのと、②とはバランスが異なっているが、これはマスタリングを触ったのではなく、「触らなかった」からこんな音になったのでは?

⑤87年盤

はっきり言って、今回この音が一番ショボかった。デジタルの音だが、痩せて聴こえる。高音も低音も出ていない。ベースも、エレキの低音とやや被っている。この音を長らくデフォで聴いていたとは…。

仮説その2。ジョージ・マーティンはCD化に際し、④の音になるのを回避したのでは?
ヘルプ!とラバー・ソウルはミックスをやり直しているし、このアルバムに関しては“I Want You (She's so heavy)”のホワイト・ノイズが、CDのダイナミック・レンジでは聴くに堪えない音になるのではないか、とエンジニアが懸念した話が「レコーディング・セッション」にも記載されていた。…②④に比べ、少し落ちているかな?

仮説その3。当時(69年)は、結構適当なステレオ・ミックスだったのかもしれない。要は「モノラルで(ラジオから)出てきた時に、どんな音になるのか」ということに心血が注がれたのではないか?

⑥09年盤

書くまでもないが、音圧が違う。詳細は⑨で。

⑦自称“モノラル”盤

もうひとつ、捨て置けないのが出所不明なモノラル音源である。これがいい!
単にステレオミックスをトラックダウンしたものだろうが、定位の動きに耳を奪われることもない。もっと音が飛んでしまうかと思っていたが、“Come Together”のマラカスも聴こえる(拘る!)。

なぜかわからないが、ビートルズはモノ、と云われる所以を感じてしまうのだけれど、仮説その3を確信。蛇足だが、プレイリストにモノ・ボックスを入れているのだけど、そこに入れてシャッフルしても何の遜色もない。

⑧Rock Band盤

09年、ジャイルズ・マーティンが「ケーキをもらったとき、すべての食材を分けて、あなたが知らないうちにそれを元に戻しておく」作業で作ったゲーム用のリミックス。

ゲームはプレイヤーがギタリストかドラマーかベーシストにならなければいけないが、当時のビートルズは少ないトラック数でレコーディングしていたため、それぞれの演奏はマスターでも分離していないものが多く、あらためてマスターからトラックを分離させてマルチトラックを作り、それを再度ミックスするという作業を行ったもの。

ゲームの45曲(47曲?)に加え、ラバー・ソウルとペパー、アビィ・ロードの3枚はアルバム単位で作業されている。ゲームなので、それぞれの曲にカウントインが入っていたり、チャットが入っていたりする(“Her Majesty”にジョンの大声のカウントが入っているなど、意味不明なのも多し)。

リミックスはできるだけ元のミックスを崩さないように行われたらしいが、私が気づいたの“I Want You (She's So Heavy)”のビリー・プレストンのオルガンが中央に定位しているな、とか、Her Majestyが右から左に回らないな(たぶんボーカルを分離するためと思われる。“Sun King”のイントロなんかは回っている)、ということぐらいだった。ところどころフェイクボーカルも残っている。

⑨24bit USB

モービルもプロ・ユースもそれぞれ個性的だが、感心するのは24bitのUSBだ。一言で言えば、「音の情報量が多い」。

例えば「赤い屋根」と言うとき、アナログは赤一色だけれど、デジタルは何種類かの赤系統の色で屋根が塗られているのが私でもわかる。時に光沢の有無さえ感じられる。地上波と、ハイビジョンの違いと同じ。

特に楽器、ベースの音が顕著で、モービルもプロ・ユースも正規盤よりも低音は出ているものの、音色は赤を強くしたり、弱くしたりといった変化しかない。これでは、リンゴがシンバルのどのあたりを叩いているのかもわかる。

さて総評。デジタルがすべからくいい、というわけではない。

4Kが8Kになって、近眼で老眼の私に情報量は多すぎないか。
モービルやプロユースのようにカッティングから見直し、それぞれの制約の下で特性が決定される。デジタルのような解像度を競うのではなく、それぞれのアビィ・ロードの解釈が提示されている。

デジタルは贅沢である。贅沢したい場合はできるだけ24bitを聴く。しかし、当時のEMIがベストとしたUKオリジナルに近づこうとしたのはプロ・ユースだろう。でもビートルズはこのアルバムまでステレオ・ミックスの制作の原則は「モノ・ミックスを基準にする」としていたならば、目指したのはモノかもしれない。待て、モービル盤の暖かさも捨てがたい。

そんなことを考えながらアルバムを聴くと、なんかいい食材をいろんな料理法で味わうような贅の極みである。
実は、上の9種類以外にも音源をいくつか聴いた。マルチ・トラック・セパレーテッドも聴きなおしたし、16bitも聴いたし、Rock Bandのカラオケバージョンも聴いてみた。飽きない。

そうなんだ。このアルバムは、素材に本当に素晴らしい仕事がしてある。音質、音圧、音像、そんなことを脇に置いて、43年間聴いてきた名作である。

そのことがあらためて感じられた2017年の夏だった。

 

(追記)デアゴ盤は未聴です。

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2017年7月 8日 (土)

アビィ・ロードの夏再び

アビィ・ロード・セッションの時期になったので、久しぶりに何かアビィ・ロードに関する記事書くという、恒例企画(?)をしてみる。

You Tubeで今年2月頃にアッブされた音源で、ブートでは遅くとも2、3年前には出ていたようだけれど、正直77年にリリースされたWatching Rainbows、94年にリリースされたアンソロジー3に匹敵する出来だった。
この音源はフラグメントが多く、テープの前後に付いていた音源のみである。どうやら、09年に出たROCK BAND音源(演奏シミュレーションゲームで、その制作のためにリミックスを行ったほか、曲の前後に会話やカウント、エンディングなどを付加したもの)及びその流出なのかもしれない。アビィ・ロードだけではなく、他のアルバムも大量に出ているようだけれど、すごく貴重だった。

以下、曲ごとにコメントします。


The Ballad Of John And Yoko(4/14)
のっけから凄い音源で、おそらくこの曲のデモやアウトテイクが出たのは初めてではないか?しかも短いながらジョンのヴォーカルはいきいきとしており、このままリリースしてもいいのでは?と思う出来。遠くに聞こえるドラムはポールなのかもしれないが、本当にジョンはギター一本のテイク1ですでに完成している。個人的にはオフィシャルテイクのアレンジはあまり好きではない(なんか中途半端感がする)ので、スワンプっぽいのを目指したのかもしれないけど、B面のOld Brown Shoeの素晴らしいアレンジには負けていると思う。ぜひフル・バージョンで聴きたい。

Oh! Darling(4/20)
4月のホット・アズ・サン・セッションより。この曲ではリンゴがフィル・インを試行錯誤しているのがよくわかる。ジョンも元気。

Octopus's Garden(4/26)
これもホット・アズ・サン・セッションより。アンソロジーでははっきりとわかったが、ジョージのギター主導の曲。69~70年の彼のギターは、ひょっとしたら彼のキャリアのピークに違いない。

You Never Give Me Your Money(5/6)
かねがね疑問だった「ギターソロは誰が弾いているか問題」は、この音を聴くと解決。ピアノの音と同時に聞こえることと、この独創性は…やはりジョンで決まりか。

Her Majesty(7/1)
言われないとわからない。ポールがちょっとギターを弾いただけ。

Golden Slumbers(7/2)
今度はベースとピアノが同時に聞こえる。ということはベースはジョージ。

Here Comes The Sun (7/7)
ギターとドラムスとベースが聞こえる。おそらくジョンが交通事故から復帰する前のセッション。なんだ、ポールとも和気あいあいじゃないか。

Maxwell's Silver Hammer(7/9)
ジョンをして「どのレコードよりも時間とお金を使った」と言わしめた、悪名高き(?)セッション。Ob-La-Di,Ob-La-Daもそうだけど、ポールには発想をなかなか形にできない曲がままある。ムーグと他のメンバーに助けられて何とか形にはなっているが、他の楽曲群の出来からは少し劣ると言わざるを得ない。

Something(5/2)
この曲のレコーディングにはジョンは参加していないと言っていたが、冒頭にジョンらしき声が?
マル・エバンスに何か指示を出している。

Come Together(7/21)
これは既出音源だが少し長く、歌詞に言及したり、有名な「中年野郎」発言がある。

Sun King(7/24)
ジョンが全然違う歌を歌い出す。Her Majestyと同じく、言われないとわからない。アンソロジー3のAin't She Sweetのほうがより同じセッションのような気がする。 それにしてもあれは期待外れだったなあ…。フリートウッド・マックのアルバトロスの完パクだと思うが、この前の曲はチャック・ベリーの完パクだし、病み明けのジョンはやっている。

Polythene Pam/She Came In Through The Bathroom Window(7/25)

いきなりカウベルが聞こえるが、これはメドレーのブリッジ部分のリハーサル。このジョンとポールのやりとり、そこに入ってくるジョージとリンゴ。この音源の最大の収穫は、この2分間だ。リンゴがアンソロジーで、アビィ・ロードについて「音楽に集中してる時の僕らは違う。演奏を聴くとノっているのがわかる」と言っていたが、まさにその息づかいを感じる。
ちなみに“Hello?”のノリは、Sgt. Pepper Outtakes Medley のLucyのところでも聞ける。

このメドレーの後、残すレコーディングは1曲(Because)で、ジョージ・マーティンの言う通りに仕上げたのだろう。水曜日(7/23)のThe End セッションがとてもよく、その勢いで翌木曜日(7/24)にSun king/Mean Mr Mustard セッション、そして週末金曜日(7/25)のこのメドレーセッションに挑んでいたのだろう。このメドレーこそがビートルズが4人揃って演奏した最後のセッションに違いないと思う。充実した3日間だ。


こうやって書いてはじめて気づいたが、この音源、Somethingを除き、レコーディング順に並べられている。これは確信犯で、ちょっと擽られる。だから、I Want You (She's So Heavy)  が入ってっていないのは一番早い2月のセッションだからかもしれない。Somethingも、7/10から18までにリメイクがあったのかもしれない。 それぞれの曲のあとに私が推測するレコーティング日を入れてみた。


Because

これも既出音源だが長く、リンゴがハンドクラッピングをしながらふざけている。  

いかがだったでしょうか。フラグメントばかりだけど、2年後のデラックス・エディションが期待できるのではないでしょうか。
I Want You (She's So Heavy)のエンディングも聴けるかもしれない。

繰り返しになるが、この音源の収穫は「ビートルズは最後まで熱かった」ということが確認できたことに尽きる(Ain't She Sweetのようなやる気のない演奏ではなく…?)。

またアビィ・ロード熱が再燃してしまった。

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2016年6月25日 (土)

アイ・ドント・ビリーヴ・ユー

Royal_ 世間はビートルズ来日50周年で盛り上がっているところ、ボブ・ディランがマンチェスター・フリー・トレード・ホールで伝説のライブをやってから50周年の話をしたい。

何が有名って、「ユダ!」と野次られて「アイ・ドント・ビリーヴ・ユー」「ユー・ライアー」とディランがやり返し、ライク・ア・ローリング・ストーンを勢いよく始める、という逸話だが、どの書物にもそう書いてあるけれども、数年前にこれには別解釈があることを知った。
出典を調べたがどうしてもたどり着かないので、自分のブログに書いておこうと思ったのだけれど。

この「アイ・ドント・ビリーヴ・ユー」というのはディランの曲名(この日すでに演奏済みである)のことで、「裏切り者!」と言われたことに対して「お前らなんか信じない」とやり返した、のではなく、次の曲名を「ライク・ア・ローリングストーン」と言うべきところ、間違えて紹介してしまったが、間違えに気づいたディランが照れ隠しに「このうそつき野郎!」と自分を揶揄した、というのである。この逸話がものすごく好きだ。

実際にこのライブを聴くと、ところどころ次の曲名紹介やっており、「ノー・ディレクション・ホーム」をよく見ても、真偽のほどはよくわからないが、こっちの逸話のほうがディランらしいなあ、と思うのですよ、私は。
だってこのライブを公式発売するときに、ブートと同じように「ロイヤル・アルバート・ホール」ってクレジット入れて出す人ですよ。
この人は、そういう逸話にノッかる人で、肯定も否定もしない人だと思うんだけどなあ。

https://www.youtube.com/watch?v=yBIqWmbPdlk (1:50くらいから)

※出典は中山康樹著「超ボブ・ディラン入門」でした。う~ん。

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2014年4月26日 (土)

ZeppナンバでJokermanに会う

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                                                                                                                                     ボブ・ディランの最終公演に行ってきた。
直前に気がついたが、初めてディランを見たのが94年の大阪城ホールで、雷に撃たれたような衝撃を受けてちょうど20年だ。

この人、何度も雷を落としてくれている。初めて「ハードレイン」TVを見た時、「オー・マーシー」を聞いた時、グラミー獲った時、30周年コンサートを見た時。
実は今回、ちょっと逡巡した。平日だということと、固定セットリストだということと、前回、ZEPは相当疲れたこと。結局、最終日に2階席が取れたら行くことにしたが、これがアッサリ取れてしまい、結局大阪公演は最終日以外ソールドアウトにはならなかった。

2階席は本当にVIP感がある。先頃のストーンズやポールのVIP席の価格と較べても、この距離でステージが見えるならお得だ。優先的に入場させてもらい、階段で一般客をシャットアウトし、トイレにも行ける。何しろ、みんな立ってるのに席が用意されている。
こういうこと書くと鼻持ちならないが、しかし、これは後で少し後悔することになる。

四半世紀続いたネバーエンディングツアーは2年前に終わっている。今は単にテンペストツアーで、テンペストからの曲が多いのは当たり前だ。もう以前のようなオープニングアナウンス(…Ladies and Gentlemen, Would you please welcome Columbia recording artist.....Bob Dylan!) もない。何せ1曲目は「シングス・ハヴ・チェンジド」だ。「時代は変わる」ではない。

「今回のライブは完成度が高い」とか言われているが、この四半世紀が日替わりだったんだから、1年以上固定セットでやれば当たり前に完成するだろう。「ボブも年齢からか、今回は休憩を挟んだライブとなっている」と言う人もいるが、ネバー・エンディング・ツアーが始まって以降は、今回のツアーが一番曲数が多いはず。その前に20数曲やってた時代にも、何らかのインターミッションがあったと思う。

「知っている曲が1曲もなかった」と言う人までいる。…少しぐらい勉強してこいよ。それとも「風に吹かれて」知らない人が「知っている曲」って、「ライク・ア・ローリング・ストーン」のこと?
ともかく、彼はそこがZepp Osakaであれ、ロイヤル・アルバート・ホールであれ、同じ機材、セットリストでパフォーマンスを行っている。したがって、今回最終公演だからと言って2回アンコールをやったり、レア曲をやったりなんてないな、と思っていた。

「テンペスト・ツアー」なんて言いながら、あとからセットリストをもう一度見直すと、テンペストからの曲が披露されるのは6曲目以降である(「デューケイン・ホイッスル」)。続いて、「ペイ・イン・ブラッド」を演奏した後は「アーリー・ロマン・キングス」まで4曲を挟むことになる。つまり、「知っている曲が1曲もなかった」と言う人は、初めてボブのライブに来たか、36年ぶりに来たかのどちらかだろう(36年前も相当なアレンジだったが…)。

私は、彼の全作品から厳選された80年代までの選曲と、それ以外の曲との対比がとても気に入った。「シー・ビロングス・トゥ・ミー」「ホワット・グッド・アム・アイ?」「ブルーにこんがらがって」「ラブ・シック」「運命のひとひねり」「見張り塔からずっと」「風に吹かれて」…。とても大事に歌うボブ。とても大事に聴くオーディエンス。

一方、「フォゲットフル・ハート」と「スカーレット・タウン」は極上のバラードだが、それ以外はラテン風、ジャズ風、カントリー風であったり、「ラブ・アンド・セフト」以降どんどん顕著になるボブの吹っ切れ感が反映された楽曲になっていて心地いい。本人が一番心地いいのだろう。このあたりがポールやミックと違うところかな。

さて、終わってから3日が経ったけど、喪失感がハンパない。しょうがないのでYou Tubeで追体験している。
さっき、「後悔した」と書いたけれど、2階席はノリが悪かったのだ。遅れてくるヤツは多いわ、静かな曲でスマホ開くわ、中にはタブレット開いているヤツまでいた。これ、この間ニューヨークでも、映画館やミュージカルでスマホチェックしているヤツがいたので、全世界的な問題なんだろうね。
おまけにドリンクセットは余計だ。ビールのゲップが臭う。

で、結局最後まで立ち上がることはできなかった。
1階に行けばほとんど見えなくて、相当しんどいことになるのだろうけど、立っていれば今回のライヴの印象を少し変えたかも知れないな、と思った。
でもツィッターなんかでは、みんな詰め込み過ぎだ、前回の南港のZEPのほうがよかったと言ってるので、私の言っていることは的を得ていないのかもしれない。
少なくとも「世界がうらやむ」ようなものではなく(前回のコピーは「最初で最後のライブハウス・ツアー」だったが)、確かに1階は身動きがとれる状態ではなくて、中段から後ろは動きが少なく感じたから、やはり巡り合わせだったのかもしれない。
前回出会った視覚障害のある彼は、今回も来たのだろうか。

思えば20年前の大阪城ホールでも、結局最後まで立ち上がらなかった気がする。アンコールも「やせっぽちのバラッド」と「悲しきベイブ」だったので、やっぱり立ってなかったのだろう(「マギーズ・ファーム」では立ったか?)。

あの時は、立ち上が「ら」なかったのではなく、感動して立ち上が「れ」なかった、に近い。あの時も、とても大事に1曲1曲を歌っていたが、「風に吹かれて」も「ライク・ア・ローリング・ストーン」も、「はげしい雨が降る」も「いつまでも若く」もやらなかった。あの時も、MCもメンバー紹介もなく、最後にボブが会場をじーっと見回すようにして退場して終わりだった。「トモダチ、アリガトー」なんて言ってくれなかった(笑)。

今、手元にコンサートパンフがある。これも20年ぶりだ。私が買いそびれていたか、売り切れていた可能性もあるが、97年も01年も10年も見かけなかった。前回、ブログで「オッサンはまた来る」と書いたものの、それがまさか4年後とは思っていなかった。なぜか今回はこれで最期感が高く、20年前とシンクロした。

Zepp Osakaからの帰り道、最寄り駅とは反対方向に歩きだすと、人の気配はすっかりなくなってしまったが、春の夜風が気持ち良かった。思わず、今聴いてきたばかりの「風に吹かれて」を口ずさんでみた。


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2013年5月11日 (土)

サンダーバードの秘密基地~THE BEATLES USB BOXを聴く

たまに、「ビートルズ  USB」で検索してここに来る人もいるようなので、書いてみる。
前から欲しかったものの、なかなか手を出せずにいたが、予定外の収入があったので思い切ってこの度購入に踏み切った。国内正規価格の半額ぐらいまで下がっているので、狙い目だ。でも年末あたりに廉価盤(棒?)が出たら、シオシオだが…。

まず、音をどうのこうの言う前に、全世界のビートルズ・ファンのうちの3万人となったこと(追加発売されたっけ?)、40年間いつも聴いてきた音楽への想いを実体化するような青リンゴのオブジェだ。大きさはスモモぐらいの大きさで、テニスボールより小さく、ピンポン球よりは大きい。そして、ずっしりと重い。音を聴いたり、画像を見ながらためすながめつするのにちょうどいい。
リンゴの茎の部分は力を入れると取れやすいという情報もあったので、すごく神経を使う。引き抜きはぜんぜん問題がなく、ガサガサである。

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(わかりにくいけれど、USBを突っ込むとビートルズアイコンがエクスプローラーに表示される。ちなみに24bitファイルはエクスプローラーからしかたどり着けません)









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(画面にはまんまの画像が…)










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(カーソルを置くと「MUSIC」「VIDEO」「ARTWORK」が表示)










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(「MUSIC」をクリックすると下にアルバムが)








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(さらにアルバムをクリックすると、1曲目から再生開始。自動的に16bit)」







 

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(「VIDEO」をクリックすると、例のドキュメンタリーが)







 

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(「ARTWORK」をクリックするとやっぱりアルバムが表示されて…)







 

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(ブックレットをめくることができる。めでたしめでたし。)










さて、肝心の音だが、PCオーディオは敷居が高い。これがすべてだ(何じゃそりゃ)。
まず、何で聴くか。ソフトは何か。DACは何か。アンプをどうするか。ヘッドフォンかスピーカーか。どう接続するか。PCのサウンドカードを経由するのか、補正するのかしないのか、したほうがよいのか、しないほうがいいのか、するとしたらソフト、DAC、アンプのどこで行うのか、アップサンプリングするのかしないのか、あるいは、私の可聴領域にあるのかどうか…。これらの組み合わせは数多いため、出てくる音の原因がわからない。
「だからこそ、一つ一つ試みていくことにオーディオの楽しみがある」と言われてしまうとそれまでなのだが、私はただビートルズの最高音質を聴きたいだけなのだ。難しいことは誰かにお願いする。

したがって、私が聴いた音が 何にもたらされたものかは未だにわからないでいる。わかったのは、ネット情報はすべて個別性が強い、ということ。誰一人として上記諸条件を同じくして感想を書いているわけではないし、個体差(聴く人の可聴領域)の比較もできない。少なくとも、「PCにヘッドフォンを繋いだ音だけでも24bitと16bitの差は歴然」と書いている人は、私より相当可聴領域が広い人だろう。また、「はっきり言って大差なかった」と書いている人の中には、相当数上記条件のどこかでミスチョイスがありそうだ。さらに「歴然」とコメントしている人の中には、「リマスターCDは未聴だが」と書いている人もいる。もう、何がなんだかわからない。

ずいぶん長い前置きだったが、私の極めて個人的な体験を書くと、まず、フツーにいつも聴いている安物のアクティブPCスピーカーから音出しをした。FLACを聴くためにfoobar2000を導入して再生した。特に、どうということはない。これはマズイ、と思い、ヘッドフォンで聴いてみる。すると、24bitにせよ16bitにせよ、いつも聴いているリマスターCDをXアプリに取り込んだ音よりも、相当素晴らしい。
この時点で、様々な要素が介在する。PCで音楽を聞き始めて7、8年になるが、その間XP→7に変わり、マザボも変わった。私はその変化に気がついていない。
まず、リマスターCDからリッピングしたOPEN MGよりもMP3のほうが断然音がいい。これはXアプリで聴いても同じことなので、ATRACでのリッピングに問題があったとは思えない(もちろんレートは同じ)。
最も濃厚な線は、CDからリッピングしたMP3よりも、USBのMP3のほうが音がいい、ということだ。よりジェネレーションが高いということもあるかもしれないし、どこかで損失が発生して(させて)いる可能性は高い。
しかしこの後、モノボックスをMP3でリッピングし直したところ、音質が向上したのだからよくわからない。

次に、高価なDACが欲しいところだが、「高価なアンプ」も「高価なスピーカー」もないので(ちなみに「高価なヘッドフォン」も持っていない)、それよりは安価なオーディオインターフェースを中継した。ま、外付けのサウンドカードみたいなもの。
残念ながらDAC機能は24bit/44.1Khzに対応していないので、48Khzにアップサンプリング。そしてアナログ出力をアンプに繋ぐ。比較のため、インターフェースから光出力でアンプに繋ぎ、DAC機能は10年前のアンプに委ねる。
すると、DDC機能でステレオに光出力をしたほうが、このインターフェースの高音質化機能をショートカットするにもかかわらず、明らかに音がいい。ジッター軽減とか、一部機能が有効なのか。
おまけに、私が持っている10年前のアンプのDAC部は、ネットで「クソ」とまで言われているので、私の耳が「クソ」の可能性は高い…。
光出力した場合には、インターフェースでDACしたものよりも、出力自体は低いように感じるが、周波数帯は均一に広い(ように感じる)。耳に心地いい。

このあと、スピーカーを取っ替え引っ替えしたり、設定をいろいろ弄ってみたりしたが、結局インターフェースをDDCとして使用するのが一番いい。
どこまでいっても、音質が向上している理由がわからない。24bitと16bitの違いはまだまだ微妙だ。16bitのほうが少しドンシャリだ、と言われたらそんな気もするし、24bitのほうが出力は低いが、周波数帯は均一に出力している、と言われればそんな気もする。
あ、24bitと16bitと間違えて出力してた!と気がついてもわからないかもしれない。
ともかく、おかげで再生環境がよくなり、今まで聴こえなかった音も聴こえるようになったのだから、よしとしよう。実は、何曲かレビューも書いてみたが、以下のエピソードにより、書くのをやめた。「もう他のものが聴けない」は手に入れることができた。


その昔、イマイのサンダーバード秘密基地が欲しかった。子供のプラモデルは500円が標準だった時代に、2000いくらした。今ならなんとない金額だが、小遣いをもらっていない小学生が親にねだれる金額ではなかった。
しかし、小遣いももらっており、かつ、家も持ち家で金持ちの子供の家には、あった。もちろん、そんな家には、秘密基地以外にも、贅の限りを尽くした玩具が転がっていた。
今から7、8年くらい前、子供の玩具をトイザらスに買いに行った時、アオシマから再発したものを見つけて、思わず衝動買いした。衝動買いというより、「衝撃」買いという感じだった。価格は当時とさほど変わらないものであったが、ほぼ40年を経て秘密基地と対峙することになった。
家に帰って、このラッカーと、あのラッカーと、このモーターが必要だとわかり、近くの模型店で売っていることも確認した。でも、作ることができない。もったいないのだ。2つ買っておけば良かった。しかたないので、ミニ秘密基地を買って、こちらを組み立てることにした。しかしこれも、手をつけることができない。
思えば、私は「秘密基地が欲しかった」のであり、作りたかったのではなかった。作らないことには秘密基地ではなく、「欲しかった」を満たすことはないのでは、との意見もあると思うが、私が作った秘密基地は、手に入れたいと空想した秘密基地ではないかもしれない。何より、「秘密基地が欲しい」と思うとき、瞼に浮かぶのはイマイの「箱」であり、完成したプラモデルではないのだ。

安敦さんのブログで、半年間親にねだって買ってもらったオモチャは捨てても、雑誌の広告ページが擦り切れるほど物欲をほとばしらせた物というのはその後も脳裏をよぎる、というようなことを書いておられたことを思い出した。
幻想の中に悶えつつ私は、高価なオーディオを入手し、うわっ!全然24bitは違う!と歓喜に打ち震えている自分を想像する。秘密基地への道は、まだまだ続くのであった。

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老人手帳

論評に対して反論を試みるのではなく、私が世間知らずなために何か疑問が湧き上がったことをとりとめなく書きとめる「世間知らずな話」。

伊藤和子さんが「女性手帳」に強い違和感を感じる、と書いていたので、読んでみた。なぜ読んでみたかと言えば、私も強い違和感を感じているからだ。

論評はざっくり分けると2部構成となっていて、国家の上から目線について、ざっくりと言えば前半は社会問題を解決しないで女性に自覚を求めることについて、後半は個人の生き方に国家が干渉しようとすることについて。

私が抱いていた違和感は、まさにこの後半の部分であった。「まして、適齢期を啓蒙して、「晩婚・晩産化に歯止めをかける狙い」というのはいったいどういうことなのか? 職場で上司が実施したらセクハラに該当するであろうことを国が行って良いのか?」  そのとおり!セクハラだよ。「メタボ健診」とか、「後期高齢者医療制度」と同じ発想だと思う。

ただし、前半部分については、違和感の原因に私はさらに違和感があった。「少子化は決して、女性の意識の問題ではない。男女ともの問題であるし、もっといえば社会の問題である。」 そのとおり。

「女性が子どもを産み、育てづらい社会の責任は政治にあるのだから、国こそ責任を感じて、根本にある社会問題を解決すべきなのに、その責任を棚に上げ、女性たちに責任を転嫁して、女性たちに産み育てる自覚と責任を痛み入らせて、問題を解決しようなんて、まさに本末転倒である。」

…ここなんだけど、育てづらい社会の責任は政治にあると言っていいのだろうか。そんなに「国」と「政治」を一緒くたにして他者化して、あなたが悪いんだから、あなたが解決すべき、と言っていいのだろうか。
たぶん伊藤さんは、いやいやそうではなくて、そんなことを言う立場にはないでしょう「国」は、ということがおっしゃりたいのだろうと思う。無責任であること、本末転倒であることに重点が置かれているのだろう。

「少子化の原因は今の社会にあることは既に明らかではないか」そのとおり。
待機児童を速やかになくさないと(保育の質を下げないで)、女性たちは仕事に復帰できない。

「多くの女性たちは、非正規・不安定雇用に従事していて、育休も取れないような職場環境に置かれている。非正規・不安定雇用についている厳しい規制をかけて、働きながら子育てが安定してできる生活を保障しないといけない。」 …。「いけない」けれど、それが少子化問題解決の必須条件だとは思わない私には、よくわからない。

「男女ともに若い世代が抱える将来不安と貧困を解消しない限り、子どもを産むのは難しく、雇用と貧困をめぐる状況を解決しないといけない。」
将来不安はわかるのだけれど、貧困という言葉を使われると、違和感がある。たぶん、今の日本で結婚をしたり、出産・子育てができるような経済条件がないことを指しているのだろう。私は、もし求人倍率と賃金水準が上昇し、バブル時ぐらいの状況になったとしても少子化問題は解決しないと思っているので、理解できない。因みに将来不安はわかると言っても、そのことと少子化問題との因果関係についてはわかりません。

「諸外国・特にヨーロッパ諸国に比べてあまりに高すぎる日本の教育費をどうにかしないといけない。 」まあ、あまりにもよく言われる話なので水掛けになるけれど、諸外国・特にヨーロッパ諸国に比べてあまりにも低すぎる日本国民の社会負担をどうにかできるならばどうにかなるんじゃないでしょうか。「埋蔵金はなかった」って民主党も言っているし。他国比較は容易じゃないですよ。

だから、直後に「ヨーロッパ並みの従事した(充実した?)子育て支援・少子化対策を包括的に手厚く実施しているならともかく、そうしたことをきちんと実施もせずに、『少子化は女性の責任』と言わんばかりの政策に違和感はつきない。 」手厚く実施していても、違和感はつきないのですが、ようするにそんなこと国から言われたくはない、ということに解釈します。

ここから以下は伊藤さんの論評から離れる。
結局、一緒にしてしまうといけないかもしれないけれど、「女性手帳」とか「メタボ健診」とか「後期高齢者医療制度」とかはセンスの問題かもしれない。センス悪い。差別意識も含めて、政治家や官僚のセンスが悪い、古い。だから馬脚が現れる。
ただ私は、違和感がありながらもこれまでと違い、政府の問題意識は伝わってくる。社会保障費の増加をなんとかしなければいけない、とか。
蛇足だが、「国民総背番号制」というのはマスコミの造語かもしれないが、「マイ・ナンバー」とか言い換えたあたり、少しはセンスに変化の兆しもあるのかもしれない。

人はどんなときに結婚したいとか、子どもが欲しいとか思うのだろう。深淵なる問題だ。
金がないから、それは一理ある。私は金がないのでフェラーリが欲しいとは思わないし、最近では若者に車が売れないそうだ。しかし、金があるから結婚しようとか、子どもを作ろうとか、そんなふうには思わないだろう。
晩婚化が不妊の可能性を高め、晩婚化の原因は女性が生活するために働かなければならないからで、「そこんとこよく考えて働けよ」なんて国から言われたくないというのはもっともなのだ。そうすると、女性が出産の可能性を低めながらも、働かなければならない状況をなんとかするべきである、という主張になるのだけれど、センスの問題がじゃまするなら、このようにまじめに「女性手帳」に応戦する必要はないのかもしれない。
ただ、女性は晩婚化や少子化の問題を制度の問題と思っているのだろうか。私は出産の経験がないのでわからない。欧州なみに充実した制度があれば、私だって20代で結婚して出産して子育てするわ、と思っている人が、本当にたくさんいるのだろうか。

男の立場から言うと、私が結婚適齢期の頃と比べて、今のほうが結婚、だけではなくて、女性と交際することよりもはるかに楽で、リスクもコストも少なく、魅力的なものがいっぱいある。ひょっとしたら女性もそうなのでは?経済的なもの、制度的なものが阻害するのであれば、何とかそこを乗り越える方法がありそうなものなのだが、結婚自体に魅力がないのならば、議論が成立しない気がする(「経済成長」と、「愛の結晶」)。結婚が、人と直接接触しないメディアを越えていくのは、結構難しいのかもしれない。

少子化についてはどうだろう。個人的な経験は本当にサンプルとはなり得ないが、子どもを持つのかどうか、不妊治療を続けるのかやめるのか、あるいは何人子どもを持つのかなどは…基本的には2人の意見が一致しなければならない、と思う。これだけ価値観が多様化する中、夫婦といえども、価値観の一致をみることは容易ではない。例えばうちの夫婦がなぜ子どもが少ないのか、と問われても、「産むのは妻ですから」としか答えようがない(「育てるのも」などと言うつもりは毛頭ない)。
将来の不安や貧困が理由ではないのが幸いではあるが、2人以上の子どもがいる世帯が貧困に見舞われない家族像というものについて、みなさんどのようなビジョンをお持ちなのだろうか。ビッグダディのような絵なのだろうか。私は、あれは貧困とは言わないと思うのだけれど…。

今の若い人は、結婚にどんなビジョンを描いているのだろう。いや、ビジョンというよりファンタジーに近いかもしれない。少子化が進んで国家を支えきれなくなる前に、年寄りは「老人手帳」に書いてあるとおり、できるだけ長く働いて、「安楽死法」に基づき、自分の死の時期を決めてさっさと死ぬ、という時代がそう遠くない将来来るかもしれない。世間を知らない人間の妄想なんて、落ち着くところはこんなところかな。

あ、ちなみに「安楽死法」はヨーロッパの一部の国から、「さっさと死ぬ」は麻生財政金融担当大臣から引用しました。

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2013年5月10日 (金)

『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』リマスター記念 ポールのアルバムについて 第9回「バック・トゥ・ジ・エッグ」

Egg_2グレイテスト・ヒッツがポールが考えていたほど売れず、アメリカではレコード会社を移籍した。このアルバムはお金かかってますよ。ジャケットからもわかる。
メンバー2人招集して、クリス・トーマスも呼んで、ロケストラも企画した。ロケストラのギャランティも高いよ。

ヴァーナス・アンド・マースもう一度、といった感じがジャケットからも、そして内容も香りたっている。“Getting Closer”から全開だ。どの曲も、悪くない。ただ思うのは、オーヴァー・アメリカから3年、ポールの音楽は若者にとって、ぬるく、丸くなってしまった。ただそれだけのことかもしれない。

いろいろ反省して、節制もして金もかけて作った結果がこれか、という感じがウィングスパンDVDのインタビューから感じる。ロケストラにはペイジ、ベック、クラプトンが参加するというデマもあったが、このアルバムは買いましたよ。今となっては、いいアルバムだと思うんだけどなあ。

蛇足ながら、リリースから半年後に始まったツアーは“Got To Get You Into My Life”で幕を開け、“Getting Closer”でぶっ飛ばしたと思ったら、次は“Every Night”なんかをやる。オーヴァー・アメリカとは違うもんね、というポールの意向だろうか。そこから地味は曲が5,6曲続く。そのあとの“Maybe I'm Amazed”で歓声があがり、ビートルズを2曲ほどやったあと、また“Hot As Sun”なんていうマニアックな曲をやる。新曲を挟んで“Twenty Flight Rock”なんかやるが、こんな曲やらなくてもウィングスのヒット曲があるだろう、と思ってしまう。次の“Go Now”で歓声が上がる。やっぱり観客は、オーヴァー・アメリカの再現を望んでたんじゃないの?そのあともよくわからない。“Wonderful Christmastime”“(まだ未発表の)Coming Up”“Goodnight Tonight”をやる。彼のムラっ気が出ている気もする。そこそこ評判のいいライヴだったようだが、やっぱりオーヴァー・アメリカにはかなわず、そこには時代の風もあったんだな。

9回に亘ってお送りしてきましたリマスター記念ですが、調子に乗ってマッカートニーⅡ以降もやるかもしれません。やらないときの保険で先に言っておけば、私が好きなアルバムはオフ・ザ・グラウンドとフレイミング・パイとドライヴィング・レインです。以上。

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『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』リマスター記念 ポールのアルバムについて 第8回「ロンドン・タウン」

Londonオーヴァー・アメリカ以降はやめてもよかったけれど、調子がいいのでもう少し続ける。
うーん、なかなかシャレオツなジャケットが数枚続いたのに、なぜかデニー・レインだけ合成画像みたいなジャケット。大減点。象徴的だね。

オーヴァー・アメリカで頂点を極めて、少し腰据えてアルバム作りをしただけあって、音はなかなかよい。でもオーヴァー・プロデュース、かもしれない。
やっぱり、前作から2曲ぐらいはこっちに入れて、ロンドン・タウンのコンセプトを統一すればよかったのに、と思ってしまう。そこはかとなーくバンド・オン・ザ・ランみたいなアルバムを狙った、というか最終的に3人になったからかもわからないが、ポールで行きたいのか、ウィングスで行きたいのか、でも結局ポールでしょ?というツッコミも予想される中、そこを混ぜてしまうとレッド・ローズ・スピードウェイやワイルド・ライフのようなことになってしまう気がする。

前作でいうところの“ Warm And Beautiful ”や、本作の“I'm Carrying”なんかはなあ…。“Famous groupies”や“Name and address”なんかは前作に入れたほうがいい気がする。そのかわり、“San Ferry Anne”と“She's My Baby”をこっちに入れて欲しい。タイトルに「ロンドン」を入れながら、“Children children”“Deliver your children”“Don't let it bring you down”のような土の匂いのする曲が散りばめられているし、“Cuff Link”なんか収録してはいけません。それ以外の曲は抜群にいいです。

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2013年5月 9日 (木)

『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』リマスター記念 ポールのアルバムについて 第7回「ウィングス・アット・ザ・スピード・オブ・サウンド」

At日本盤よりも1ヶ月以上前に輸入盤が出回って、バンド・オン・ザ・ラン、ヴィーナス・アンド・マースと来て、ニュー・アルバムが悪いわけがないとの確信のもと、 待ちきれずに買った。

前作に較べると、インスタントな感じは否めない。本人もドメスティック・アンド・スピード・オブ・サウンドだと言っていた。バンド・オン・ザ・ランの頃に較べれば、ずいぶんポールも肩から力が抜けている。聴くほうも、力を抜いて聴けるが、その分、またまたポールの癖が見え隠れする。

前作がライヴを意識して作ったアルバムであったことを考えると、このアルバムはその反動がうかがえる。ライヴで取り上げている曲調、前作で取り上げているような曲調や手法は重複していないように思えるが、これはある意味新生ウィングスの方向性、正確にはポールがウィングスでやろうとしている方向性がはじめて現れており、次作や次々作に繋がっている。

“Let 'Em In ”“The Note You Never Wrote”と、なかなかいい流れでくる。“Silly Love Songs”も力作で、ほかの曲も力を抜いて聴けるとなれば、これで及第点だろう…。しかし。

前作のところで“Medicine Jar”を入れた試みを散々持ち上げたが、今回、“Cook Of The House”“ Must Do Something About It ”でその試みは失敗している。特に後者は、次の“San Ferry Anne”を潰している。“Time To Hide ”から繋げれば自然だが、無理やり入れたためにこの後の2曲は疲れてしまう。これは入れるべきではなかった。
“San Ferry Anne”と“She's My Baby”は次のアルバムに入っていてしかるべき曲なので、よけいにそう思う。“ Warm And Beautiful ”なんてマッカートニーにでも、ワイルド・ライフにでも入っていたらいい曲。何となく、次作でまたバンドが分解する予兆が現れている。たぶん、ワン・ハンド・クラッピングの頃のノリはなくなってきてたのだろう。

 

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2013年5月 8日 (水)

『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』リマスター記念 ポールのアルバムについて 第6回「ヴィーナス・アンド・マース」

Venusイロイロ揉めたが、ジミー・マカロックの影響というのは大きかったのではないだろうか。60年代後半からのニュー・ロックの影響をもろに受けた世代と一緒に仕事をするのは初めてのはず(何よりその前の世代は自分たちなのだから)。

ジェフ・ブリットンはこのアルバムでは“Love In Song ”“Letting Go ”“Medicine Jar ”の3曲に参加して辞めているが、その前の“Junior's Farm”から参加している。私はこの曲のPVが大好きで、この曲が大好きだ。やっと、ポールがバンドしている感じ。映画「レット・イット・ビー」の頃の感じ(…まあ「ワン・ハンド・クラッピング」ももう一度同じことをやっているような感はあるが)。本人もこの曲が好きなようで、何度かライブで試みてはうまくいかずに諦め、今年のライブでもやっている。
前々作までは、ポールとリンダ以外はセッション・ゲスト、みたいだったが、バンド・オン・ザ・ランの成功と若い2人のバックアップで、やっとビートルズの向こうを張るべく、バンドしている。もう完全に自信を取り戻して、「次はライヴだ!」という空気が伝わる。この曲にしても「ワン・ハンド・クラッピング」にしても、ライヴのリハーサルだ。
「若い2人のバックアップ」は本当に大きく感じる。前作が落ち着いてからのツアーになるので、もういっちょアルバムを作らなければいけないが、ポールがやりたいツアーのイメージがそのままアルバム製作となっている。そのイメージを具体化したのは、この2人だと思う。残念ながら健康志向のジェフと、ヤク中のジミーは合わずにジェフは抜けたが、イメージができればあとは録音するだけだったのではないか。

1曲1曲はどれも、シングルカットできるぐらいよく出来ており、前作に引き続いてアレンジも工夫されている。その中で注目するのは“Medicine Jar ”なのだが、冒頭ジミーの影響が大きかったのでは、と書いたのは、昨日今日加入した一回りも下の若造の、しかも自分が書き下ろしたのでもない曲をボーカルを取らせてアルバムに入れている、というのは驚く。ポールのバンド志向と言えばそうなのだが、これはギャンブルだったのではないか。
時代は、“Rock Show ”の歌詞に出てくるとおり、ハードロック後期である。ポールはここに「寄せて」いっている。それが浮き上がらないようにする工夫(アレンジ)もしているので、前作以上にアルバムにグラデーションが付いている。この1曲は効いている。
ちなみに、A面では自ら“Letting Go ”をやっているが、シングルはポールが期待したほどヒットしなかったことに落胆したらしい。このほかにもポールは、アルバムでこの若造に真っ向勝負をしている。“Magneto And Titanium Man ”や“Call Me Back Again ”とか聴くと、「どうだ、俺の引き出し」と言っている(気がする)。

あとは、このアルバムを中心にライブをやり、ところどころに過去のヒット曲を散りばめれば、大成功は約束されたも同然なのであった…。

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